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亡霊魔法少女  作者: 固焼きパン
一章 落とし屋
3/17

タイトル未定2026/09/19 10:59




 降りしきる雨が、湾岸第4区の広大なコンテナ埠頭を重く、冷たく湿らせていた。


 海風が巻き上げる激しい潮騒の音に混じって、焦げ付くような不快な高周波音と、甲高い少女たちの金切り声が遠く歪んで響いている。


 「――っ、ダメですリーダー!物理装甲が硬すぎます!『セルリアン・バスター』が……全然、傷一つつけられません!」


 「落ち着きなさい!配信ドローンのカメラが回ってるのよ!スポンサーのロゴをちゃんと正面に向けながら、魔法エフェクトの密度を上げて!今、同調率が下がったら視聴者数が落ちちゃうでしょ!?」


 雨の夜空を空しく切り裂いていたのは、遊園地のイルミネーションのように華やかで、眩しい光線の奔流だった。


 官民共同開発によって立ち上げられ、若年層から絶大な人気を誇る中堅魔法少女チーム『セルリアン』。華やかなフリルとパステルカラーのグラデーションドレスを纏い、背中には妖精の加護を象徴する光の羽を漂わせた三人の少女たちが、恐怖で震えそうになる膝で、濡れたコンクリートの上で回避ステップを刻んでいた。


 彼女たちの頭上には、無数の球形小型配信ドローンが赤い撮影ランプを明滅させ、リアルタイムで大手動画プラットフォームへ現場の熱狂を送信し続けている。


『【緊急生配信】セルリアン、湾岸の大型怪物を撃滅せよ!』

『同調率88%! みんなの応援《ギフト》で魔法威力をチャージ!』


 配信端末の画面上では、数万規模の肯定的なコメントと色鮮やかなスパチャが高速でスクロールしていたが、実際の現場の惨状は、画面の向こうの視聴者が夢見るような「ショー」とは程遠いものだった。


 ガァァァァァンッ……!


 積み上げられた数トンの鋼鉄コンテナ群をいとも容易く押し潰し、赤黒い濁流のような粘着体液を撒き散らしながら姿を現したのは、家一軒ほどもある巨大な甲羅を背負った異形――『Ⅳ級・蝕殻種《しょっかくしゅ》』。


 その体表は、幾重にも重なった不気味な鉱物と古代生物の組織が融合した、超重構造の複合装甲で覆われている。裏社会の人間が不法に開けた小規模な「クラック」から混入した侵食種の核が、周囲の産業廃棄物や重金属を無節操に飲み込んで異常発達を遂げた凶悪な個体だ。


 魔法少女たちが放つ、精製された魔法実体弾や美しい光の粒子。それらは本来、怪物を浄化するに足る破壊力を持つ。しかし彼女たちの放つ光線は、怪物の持つ超重装甲に触れた瞬間、パチパチと情けない火花を散らすだけで、紙くずのように弾かれて不発のまま霧散していった。明らかに異常な個体だった。


 「な、なんで……!? 私たちの魔法が……届かないなんて……っ!」


 「聞いてないわよこんなの! こんなに位相の硬い怪物が出るなんて聞いてない! 予報結界はどうなってるのよ、ねえアステュール!?」


 チームのリーダーである少女が、自らの肩に留まるマスコット――つぶらな瞳をした大きな耳の小動物型の妖精アステュールに、余裕を失った金切り声をぶつける。


 「きゅぅ……ごめんなさい、この怪物は予報網の外側から急に出てきたの……」


 可憐なマスコットとして怯えてみせるその瞳の奥で、妖精――女王に仕える観察者は冷徹極まりない計算を打ち弾いていた。


 (……浅はかな個体ね。素材としての精神が脆弱すぎて、魔法少女としての適性が低すぎるわ。この程度の不連続面すら破れないなんて……あぁ、怪物《クラックビースト》の死骸から採れるはずの魂が台無しになるわ。援軍の要請は終わってるけど、この速度じゃ増援が到着する前に、人間社会の一部が物理的に壊れてしまう……)


 本来アステュール(妖精)と契約した魔法少女に与えられる魔力はこの程度ではない。人間という下等生物が扱えるレベルに合わせたとしてもだ。セルリアンメンバーたちは人間の科学技術を応用して適正の低い少女でも下駄を履かせ、魔法少女に何とか変身させる基準まで持っていった類の魔法少女たちである。


 アステュールは、恐怖でパニックを起こしかけている少女の濡れた髪に頬を寄せ、甘く、毒を含んだ声で優しく囁いた。


 「大丈夫、あなたならできるわ……もっと魂の奥を削って、限界を超えて魔法を撃ち込むの。そうすれば、あんな怪物なんて一瞬で消し飛ぶわ」


 アステュールとしてもやりたいわけではない――低いとはいえ適性がある個体は少ないのだ。とはいえ、人間社会へ与える被害とその未来を天秤にかけた時、天秤は社会に傾いた。未成熟な少女の命と精神を燃料として磨り潰すのは、日本政府からの抗議を覚悟しなくてはならない。無論、政府側もそれが必要だという理解を得られるだけのデータは収集しているものの、それはそれとしてアステュールとて自分のペットを傷付けるような真似をするのは単純に不快で気が進まない。


 だが、その破滅的な一線が踏み越えられるよりも、早く――。


 ふっ、と。


 激しい雨音さえも一瞬途切れたかのような、世界が寸断されたかのような奇妙な気配が怪物を含むその場の全ての存在の動きを止めた。


 「え……?」


 リーダーの少女が、刃を突き刺すような強烈な悪寒に言葉を失う。セルリアン達を圧倒していた異常個体の怪物すら、攻撃の手を止め息を凝らしていた。


 配信ドローンのスポットライトが白々しく照らし出す、泥に濡れたコンクリートの上。魔法少女たちの華やかなパステルカラーの衣装とは完全な対極にある、一切の光を反射しない無機質な影が、足音もなく佇んでいた。


 オーバーサイズの黒いパーカーのフードを深く被り、冷ややかなロングコートの裾を濡れた海風に揺らす、小柄な少女。手元には魔法のステッキも、華やかな変身デバイスもない。ただ、指先に無造作に引っ掛けられた缶コーヒーの空き缶が、冷たい小雨を受け止めていた。


 「ち、ちょっとあんた誰!? ここは立ち入り禁止よ! 配信ドローンに映り込んでるじゃない、危険なんだから早く下がりなさい!」


 ヒステリックに叫ぶ魔法少女の声。この状況下でも一般人の避難を呼びかける少女に、妖精たちが評価をやや上昇させた――が、黒瀬は彼女たちの存在すら、最初から視界に入れていないようだった。


 ただ、深く被ったフードの影から覗く、濁った紅紫の瞳が、荒れ狂う重装甲の巨躯――その質量と重力の歪み(位相)を静かに見定めている。


 (……魔法のエフェクトによる表面の熱改変は無効。霊的防御値が高い存在……か)


 黒瀬は手に持っていた冷えた缶コーヒーを、無造作に足元へ落とした。コトン、と乾いた小さな音が、動き出した怪物の重厚な踏み荒らしにかき消される。


 「下がっていなさい」


 低く、どこまでも熱量を削ぎ落とした硬質な声。


 「――私がやります」


 「は……? 何を言って……っ!?」


 魔法少女の反論が完成する前に、黒瀬の身体が動いた。濡れたコンクリートの上を滑空するように、澄の黒い影が怪物の巨躯の真下――死角へと一瞬で滑り込んでいく。


 暴れ狂う油圧機の如き巨大な甲羅の足が、澄を押し潰さんと凄まじい風圧とともに振り下ろされた。直撃すれば、生身の人間など一瞬で赤濁した肉塊へと変わる圧倒的な質量。


 それに応えるように黒瀬の右手の掌が、怪物の錆びた甲殻の先端に――優しく添えるように触れた。


 その瞬間、世界から一切の運動エネルギーが消滅した。


 「――墜ちろ」


 黒瀬が身体の軸を、流れるように僅かに翻す。


 当然、単純な筋力による力任せの投げではない。体捌きとしては接触面に|糸を巻きつけるような螺旋状のねじりの動き《纏絲》を纏うことで敵の攻撃の方向性を逸らし、攻撃の軌道を変化させてやることで敵の技を無効にし反撃に繋げる、中国武術の流れを汲む動きだ。それに加え、黒瀬が異界から持ち込んだ異質な術理が――対象の持つ数トンの質量と、地球の重力軸そのものを力学的に同調させ、不可逆なベクトルへと強制的に傾かせた。


 ズゴォォォォォンッ……!!


 腹に響く凄まじい低音が、コンテナ埠頭の空気を激しく振動させた。ビルほどもあった『Ⅳ級・蝕殻種』が、己の巨大な質量に耐えかねて悲鳴のような摩擦音をあげ、自爆するようにコンクリートの地面へと頭部から激しく叩きつけられた。


 「きゃあぁぁぁっ!?」


 余波の衝撃波で吹き飛ばされ、泥雨の地面を転がる魔法少女たち。上空の配信ドローンたちが一斉に高度を上げ、狂ったように映像ノイズの混じる画面を撮影し続ける。


 叩きつけられた怪物は、ただ転倒したのではない。黒瀬の手が触れた場所を中心に、地面のコンクリートそのものが底なしの重力地帯に変貌したかのように、巨躯の半分が砕けた地殻の「底」へと沈み込み、垂直にめり込んでいた。


 魔法少女たちがどれほど高威力の光線を叩き込んでも傷一つつかなかった超重装甲が、己自身の重さと強烈な地圧によって、メキメキと音を立てて内側から潰壊していく凄惨な光景――だが怪物《クラックビースト》は物理法則によるダメージは受け付けないのではなかったのか?


 「な……なに……あれ……? 魔法……じゃない……? 変身もしてないのに……っ!?」


 砕け散ったコンクリートの破片と、泥混じりの飛沫が雨とともに降り注ぐ。膝をつき、泥まみれになった魔法少女『セルリアン』のリーダーは、荒い息を吐きながら、眼前に広がる圧倒的な光景をただ呆然と見上げていた。


 その肩の上で、マスコットの姿をした妖精が――つぶらな瞳の奥の光を、氷のように冷たく変貌させていた。


 アステュール(妖精)は、戸惑う少女の髪の影に小さく身を隠しながら、黒瀬の無表情な側顔を冷酷に観察する。


 (……直接接触するのは極めて危険ね。……今は防衛局に対応してもらいましょう)


 高次元の寄生体が保身と狡猾な計算を完了させたその時、黒瀬は黒いコートの深い密林のような懐から、静かに一本の短刀とそれに繋がれた細い鋼鉄縄《ワイヤー》を滑り出させていた。


 手に握られたのは、中国の古典的な暗器――縄鏢《じょうひょう》。


 煙と雨の向こう側で、黒瀬は一度たりとも彼女たちを振り返らなかった。


 地中深くへとめり込んだ重装甲の怪物が、最後の抗いを見せるように残された脚を暴れさせ、周囲のコンテナをなぎ払う。砕けた鉄板がナイフのような鋭利さで飛び散り、暴風となって黒瀬の黒いコートを激しく羽ばたかせた。


 黒瀬は、空中に飛び立ち位置調整を行いながら縄鏢を投射。指先の滑らかな円運動とともに、暗黒の夜空を一閃の鋼線が走った。


 シュッ、と。雨を切り裂く、かすかな風切り音。


 縄の先端に取り付けられた重厚な錐状の刃《鏢頭》が、まるで生き物のように空間を泳ぎ、怪物の死角――幾重にも重なった重装甲の最も微細な隙間、内部で脈打つ侵食種の核の真上へと正確無比に穿たれた。


 「……滅びなさい」


 淡々と発せられた黒瀬の低く冷ややかな声。


 次の瞬間、黒瀬の手首が僅かに返り、ワイヤーを通じて莫大な瘴気(魔力)が怪物の内部構造へ直接叩き込まれた。


 ――ズ、ンッ。


 音すらも地中に飲み込まれたかのような、くぐもった破砕音。


 怪物の全身を駆け巡っていた赤黒い脈動が、一瞬で途絶える。外側の装甲を一切破壊することなく、内部の核だけが質量ごと押し潰され、完全な不活性化を果たしたのだ。


 巨躯から力が抜け、死体となった数トンの鉄と肉の塊が、残留瘴気に従って、ずぶずぶと地中へ落ち込んでいく。


 コンクリートの底に開いた、ぽっかりとした深い丸穴。そこへ怪物が丸ごと吸い込まれ、砕けた土砂とコンクリートの粉砕片が上から覆いかぶさるように崩れ落ち、まるで最初からそこに何も存在しなかったかのように綺麗に埋め立てられていった。


 残されたのは、丸く歪に凹んだクレーターと、煙のように漂う雨の湿気だけ。


 「消え……た……? 埋ま……った……?」


 セルリアンの少女は、開いた口が塞がらない。魔法少女に斃されたのであれば、怪物の身体は光の粒子となって消滅するはずだ。だが、目の前で起きたのは、彼女達の理解を超えた現象だった。


 上空を旋回する配信ドローン群の赤いランプが、チカチカと明滅を繰り返している。レンズの向こうでは、数万人の視聴者が、変身もせず、魔法も使わず、ただ冷徹に怪物を地の底へ叩き落とした「黒いコートの少女」の姿に騒然となっているはずだった。


 黒瀬は縄鏢を手際よく巻き取り、コートの懐へと静かに収めた。クレーターの辺縁、砕けた土砂の上にポツンと残された核の残骸だけを拾い上げると、無機質な動作でバッグへ放り込む。


 「あ……あのっ……! あなた、一体……!」


 立ち上がろうとした少女の呼びかけ。肩の上の妖精が「危ないよ! 近づいちゃダメ……っ!」と可憐な声で引き留める。


 黒瀬は、足を止めなかった。


 振り向きもせず、雨の降りしきる暗がりへと足を踏み出していく。そのフードの影からこぼれ落ちたのは、誰に向けたわけでもない、透明な呟きだった。


 「……忘れなさい」



 二分後、慌ただしいサイレンとともに救助隊と配信ドローンが駆けつけた時、カメラの前にいた少女は、大人たちの問いかけにしばらく答えなかった。


 彼女はただ、あの黒いコートの少女が消えていった、暗く冷たい路地裏の闇を、強い憧憬と感謝の籠もった眼差しで見つめ続けていた――。



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