第15話 苦闘
蛇の脊椎を思わせる節剣が、しなり、ねじれ、空間の断層を切り裂きながら襲い来る。
間一髪で鴉神剣の刀身を滑らせ、その軌道を逸らした黒瀬の視界を、次元の亀裂が真っ二つに薙ぎ払った。衝撃波が背後の実験室の残骸を塵へと変え、空間の歪みが物理的な壁をボロボロと削り取っていく。
(速い……だけど、見えないほどじゃない!)
黒瀬の紅紫の瞳が、狂乱の旋風の中で冷然と敵の動きを捉える。
記憶は途切れ途切れだ。しかし、この肉体に刻まれた幾千の戦いの記憶が彼女の、瞬時の判断を完璧に駆動させていた。
強引に結界を破った結果、大幅に消耗していてもなおヴァーダンはこの世界で遭遇したどの怪物とも比較にならない。勝手に反応する身体に逆らわず、黒瀬は深く息を吐き出すと、踏み込んだ。
空気が裂ける。次の瞬間、彼女の姿が掻き消え、残像だけが艶やかな紅を描いて走った。
技術と魔法の高度な融合技。羽蝶舞――分身のように揺らめく影が四方からヴァーダンを疾風のごとく包囲する。視界に残る無数の黒瀬の影に、ヴァーダンの面具の奥の燐光が狂ったように蠢いた。
「――滅びよ!」
鋭い一喝とともに、影の一体が斜め下から刃を滑らせ、ヴァーダンの黒銀の装甲の隙間へ深く斬撃を叩き込む。
ズガァン! と散る重厚な火花。間髪入れず、すぐさま別の影が滑り込み、しなやかな脚部から繰り出される容赦のない襲撃がヴァーダンの巨躯を力任せに弾き飛ばした。
息を突かせぬ連続攻撃によりヴァーダンは体勢を崩す。その絶妙な空隙に、本体である黒瀬が何もない空中を踏みつけるようにして滑り込む。
鴉神剣の柄に意識を集中させ、相手の逃げ場を潰した上で本命の光条を収束させる――刀身から解き放たれたシアンの光条は、まるで焔の鳥が羽ばたくように美しい軌跡を描き、体勢を崩したヴァーダンの胸腔を正確に撃ち抜いた。
遅れてやってきた絶大な衝撃が、歪んだ空間を底揺らしするように轟く。圧縮された空気が爆散し、最深部全体に落雷のごとき破砕音が響き渡った。
シアンの光はヴァーダンの黒銀の胸甲を容易く貫通し、その背後へ抜けると同時に、異界の体組織を内側から破壊し尽くした。不気味な黒い肉片と金属の鱗が飛び散り、ヴァーダンの長身はそのまま力なく崩れ落ち――
――ドサリ。
床に落ちたのは、空洞の「黒銀の殻」だった。
「――え?」
黒瀬の紅紫の瞳が微かに見開かれる。
撃ち抜かれ、破壊されたはずのヴァーダンの肉体。それが、まるで蛇が脱皮した後の古い皮のように、中身のスカスカな、ただの「抜け殻」となって崩れ落ちていく。
その瞬間、澄の背後――わずか三メートル離れた死角の空気が、不気味に歪んだ。
『ガ――――――アアアアッ!』
無傷。
傷一つない、完全に再生された黒銀の巨躯が、闇の中からぬっと姿を現した。
(攻撃は確かに届いた……! 貫通して、胸核を砕いたはず……!?)
理解が追いつく前に、新生したヴァーダンの位相鞭剣が真空を切り裂き、黒瀬の背後から襲いかかる。
「くっ……!」
縄鏢の鋼糸を咄嗟に伸ばし、浮遊する巨大なコンクリート片へと引っ掛けて自身を強引に引き寄せることで、首一筋の差でその殺意の刃を回避する。黒瀬が直前までいた空間が、空間ごと一瞬で賽の目に切り刻まれて消滅した。
冷や汗が、黒瀬の白い頬を伝う。
(転移……? 違う、ただの空間跳躍じゃない。攻撃を受けた瞬間に、数メートル先の空間に新しい身体を丸ごと生成して“脱皮”した……!?)
未知の現象の正体を探ろうと思考を高速回転させるが、当然それを待ってくれる怪物は居ない。
脱ぎ捨てられた直前の抜け殻が、狂乱の魔力を暴走させて爆縮を引き起こし、黒い破片の雨となって黒瀬の退路を奪う。同時に、完全体として新生した本体が、死角から、上空から、空間を破断しながら幾重にも畳みかけてくる。
黒瀬は鴉神剣の刃の根元に埋め込まれた翠玉の板に、自らの霊気を一気に注ぎ込んだ。異形の大剣が、まるで生きた器官のようにドクンと脈動を打つ。
「――穿て!」
刃先から瘴気を濃縮した黒緑の奔流が一直線に伸び上がり、実体を持ったシアン色のエネルギー刀身となって大気を穿つ。光条が、疾走するヴァーダンの右脚と胴体を容赦なく貫き、吹き飛ばした。
轟音とともに放たれた光條は肉体を穿ち、その存在の精神にまで激しい焼き痕を刻み込む。受けた者はただ倒れるのではない。魂の奥底まで撃ち抜かれる。
だが――
ドサッ。
またしても、撃ち抜かれた脚と胴体は空洞の殻となって崩れ落ち、その一瞬後には、二メートル左の空間に傷一つないヴァーダンが完璧な体勢で再出現していた。
『――――――ッ!』
襲い来る鞭剣に対し、回避では押し切られると判断。黒瀬は即座に剣を八双に構え、ヴァ―ダンの攻撃により攻撃範囲の長い技でカウンターを取る事を選択。
八双の構えから放たれる無数の光条が、鞭のようにしなりながら空間を埋め尽くした。
命中した無数の光條は、次の瞬間、ヴァーダンの全身を包み込む幾千のミキサー状の斬撃へと変貌する。黒銀の甲冑が、無数の鱗が、肉体が、一秒間に数千回の細切れとなって刻まれ、虚無の空間にばらまかれる。ダメ押しに黒瀬は部屋の中央に空いた虚空の穴に残骸を押しやる様に放ったため、ヴァ―ダンの肉体は次元の穴の向こう側に吸い込まれていく。
「貴方にくれてやるには惜しい技です」
これほどの圧倒的、かつ絶命的な嵐。どんな生物であろうと、どんな怪物であろうと、分子レベルで砕かれて穴に吸い込まれれば終焉を迎えるはずだった。
しかし――
ミキサーのごとく切り刻まれる嵐の中心で、ヴァーダンの面具の奥の燐光が、嘲笑うかのように瞬いた。
シュン、と空間が爆ぜる。
千刃の斬撃が刻んでいたのは、またしても空っぽになった黒銀の殻の山。門が吸い込んだのは、ただの脱ぎ捨てられた肉片の残滓に過ぎない。
そして――
「っ……!?」
黒瀬の頭上、吹き抜けとなった暗黒の空間から、何一つ傷を負っていない四度目のヴァーダンが、位相鞭剣を両手で振りかぶりながら、死の落下攻撃を叩きつけてきた。
「くあ……っ!」
ギリギリのところで剣の腹で受け止めたものの、殺気と重量、そして何より完璧な状態の打撃が黒瀬の華奢な身体を打ち叩く。衝撃波が床を砕き、澄は数十メートル後方へと激しく吹き飛ばされた。
赤い袴を黒い粉塵で汚し、膝をつく澄。口元から一筋の鮮血が伝い、その白い顎を濡らす。
戦場には、いまや黒瀬が斬り伏せ、打ち砕いてきたヴァーダンの抜け殻が何十と転がり、不気味な黒い油のようにドロドロと溶け出していた。
どれほど刃を磨き上げようと。
どれほど完璧な攻撃を叩き込もうと。
目の前の怪物は、その度に自分という存在の皮を脱ぎ捨て、真新しい完全体として闇から何度でも蘇ってくる。三十年前の妖精と人類が、そしてかつての自分が感じたであろう、絶望の幻影。
「……だめ、ね……」
黒瀬は荒い息を吐き出しながら、冷たい鮮血を手の甲で拭った。紅紫の瞳が、闇の奥で恐ろしい再生を繰り返すヴァーダンを静かに見つめる。
(原理的には量子テレポーテーションに近い……どれだけ肉体や魂を撃ち抜いても。この怪物は、傷ついたその瞬間に『次の空間』へ自分を脱皮させている……。存在の根本を断ち切らない限り……この戦いは、永遠に終わらせられない)
負荷が、黒瀬に重く蓄積していく。ヴァ―ダン程の超絶怪物とこれ以上長々と戦い続けるのは危険過ぎる。光速で動き回る不死身の怪物を仕留める手段が必要だった。
そんなものがあれば、だが。




