第11話 自らの影を追って
静寂が満ちる、質素で殺風景な部屋。
ノイズひとつない淡い光を放つ端末の画面には、煌びやかなエフェクトとともに怪物を裁断していく、ひとりの少女の姿が映し出されていた。
『天階階位8位、マスタードール! 本日も埼玉エリアの緊急クラックを即座に収束! 傷ついた魔法少女たちの救護まで完璧にこなす、まさに現代の聖女!』
熱狂的な実況の声と、爆発的な勢いで流れ落ちていく配信のコメント欄。同接人数は数十万人を容易く超え、画面の向こうの熱気は画面を隔てたこちら側にまで届きそうなほどだ。
画面の中で、無数の透明な糸を指先で躍らせ、圧倒的な破壊力と可憐な所作で怪物を解体していくゴシックドレスの魔法少女――“マスタードール”。
その映像を、黒瀬澄は感情の窺えない瞳で見つめていた。
「……まさか、ね」
黒瀬の唇から、小さく、呆れを含んだ息が漏れた。自分への自嘲だ。
あの日の搬入エリアの現場で、怯えて身を縮めていた一般人の少女。まさか彼女が、防衛局が誇る天階階位8位のランカー『傀儡の女王』その人であったとは。
落ち着いているものの、黒瀬の声には、自身に対する明確な苦さが含まれていた。
(不自然な仕草や魔力反応の隠蔽……演技に騙されたとはいえ、見破れなかったのは私の眼が鈍っていた証拠……私も、まだまだ甘い)
黒瀬は深く椅子に背をもたれかけ、自身の軽率さを反省するように瞳を閉じる。
だが同時に、画面内で暴れ回るプレシアの戦闘技術に対しては、冷徹なプロとしての正当な評価を下していた。
(……あの『糸』による広域支配力と、肉体を欠損レベルから即座に繋ぎ合わせる縫合術。それにあの人形たちの精度……バッファー、デバッファー、に麾下の傀儡の強さも相当なもの。ランカーの名に恥じない力を持っているのは確か。私が手を出さずとも、あの場は彼女ひとりで片付けられたはず)
黒瀬はgoodボタンとチャンネル登録ボタンを押してから、画面をスワイプし、防衛局の公式データベースから裏社会の地下情報ネットワーク、そして一般人が利用するSNSのトレンドログへと表示を切り替えた。
彼女が確認したかったのは、自分自身の噂――都市伝説として広まりかけていた『黒星』の動向だった。
少し前まで、配信動画に映り込んだ時を皮切りに、闇ルートで怪物のコアを追う違法組織や非合法魔法少女たちの間では、「黒いコートを着た謎のクラックハンター《落とし屋クロセ/黒星》」の噂が急速に熱を帯びつつあった。
しかし、現在の情報空間を占拠しているのは、その様なあやふやな都市伝説などではない。
(連日連夜の本州全土における即時破砕、配信での圧倒的な露出、一般人への治療実績……どこを開いても『マスタードール』の話題一色)
画面をスクロールしながら、黒瀬の唇の端がわずかに綻ぶ。
一時期は防衛局の暗部や裏社会の妖精たちの手まで見え隠れしていた『黒星』への注視度は、プレシアが巻き起こしたド派手な大旋風によって見事なまでに掻き消され、風化し始めていた。
(なぜ急に彼女がこれほど精力的に活動を始めたのかは分からないけれど……上層部の方針転換か、あるいはランカーの気まぐれ?どちらにしても、私にとっては良い流れが来た)
本来の計画であれば、己の存在感をある程度消し去るため、最低でも半年ほどは活動を停止し、時間を置いて潜伏を決め込むつもりだった。
だが、世間の関心、そして防衛局や裏社会の監視の目がすべて『マスタードール』という台風の目に奪われている今こそが――最も警戒の薄れる、千載一遇の好機。
黒瀬は端末の画面を切り替え、重厚な暗号化ロックが施された古いファイルを呼び出した。
画面に浮かび上がったのは、黄ばんだ建築図面と、30年前の行政記録。
【旧政府系・異次元位相総合研究所 地下遺構】
現代の魔法少女システムや防衛局が設立される以前。かつての旧政府が、異世界から漏れ出る未知のエネルギーやクラックの位相干渉を解明しようと極秘裏に設立し――そして30年前、ある壊滅的な『事故』によって封鎖された負の遺産。
(半年待つ必要はなくなったわね……世間が彼女の活躍に目を奪われているうちに、全て片付ければいい)
黒瀬は深く息を吐くと、端末の連絡帳を開いた。
これから向かう地下遺構は、電波の届かない深層の亜空間領域だ。一度足を踏み入れれば、数日から場合によっては数週間、まともな通信が絶たれることになる。
無言で姿を消せば、数少ない協力者や顔馴染みに余計な疑念や心配を抱かせることになりかねない。黒瀬は連絡先リストの中から五味の名を選び、手際よく暗号化処理を施した簡易メールを作成し始めた。
件名: しばらく留守にします
宛先: 五味
業務連絡。
本日より当面の間、少々込み入った個人的な用件により拠点を離れます。
連絡のつきにくい領域へ赴くため、定期通信および緊急時の応答は一時的に停止します。
留守中の拠点周辺の定期巡回および警戒については、事前に取り決めた自動プロトコルに任せてあります。そちらへの定期報告も通常通りシステム側から送信されるはずです。
戻りの時期は現時点では未定ですが、遅くとも今月末までには一度連絡を入れる予定です。それまでの間、緊急の案件が生じた場合はメッセージを残しておいてください。回収次第、確認します。
追伸:
例の「黒星」に関する世間の騒ぎについては、当面静観で問題ありません。
それでは。
送信ボタンをタップすると、文字列が一瞬で無味乾燥な乱数コードへと変換され、厳重なプロテクトを経由して送信完了のインジケーターが点滅した。
「……これで、いい」
端末を暗号化スリープモードに落とし、机の引き出しの奥深くへ格納。黒瀬は立ち上がり、部屋の奥に位置する固く閉ざされた壁面へと近づいた。
隠しパネルに指先を滑らせると、重厚な呪詛式のロックが解除され、普段世間の目を撒くために使っていた黒いコートとは完全に一線を画す、秘匿された真の装備が収められた暗がりが姿を現す。
黒瀬は迷うことなく、その衣飾を手にとった。
鏡の前に立つその姿は、いつもの「落とし屋」とは完全に一線を画していた。
漆黒の長髪は夜を思わせ、肩から背へと流れ落ちるたびに淡く光を反射する。その髪の間からのぞく黒い獣耳は、内側に白毛を宿し、人ならざる異形と神聖な気配を静かに主張していた。
瞳は紅紫にきらめき、宝石のような美しさと底知れぬ狂気を同時に湛えている。
装いは和洋の境界を踏み越えた異装。艶やかな赤の袴に、黒衣の羽織を無造作に纏い、その布地には呪符のような精緻な意匠が散りばめられていた。脚を包む黒いタイツにも洗練された簡易装甲が張られており、柔らかな少女らしい形を崩すことなく防護呪式の刻印を刻んでいた。
そして腰には――かつて鴉神剣と呼んでいた記憶が残る、複雑な機関部を持つ異形の大剣が、重厚な存在感を放って鎮座している。
我ながら珍妙な武装だと思う。遠目から見たら巫女服のようにも見えるし、一番戦闘服らしい戦闘用ジャケットを着崩す様に着用するのが“正しい”のはどういう理論なのかわからない。
「……」
鏡に映る己の目を静かに見つめる。そこにあるのは冷たく、感情を一切表に出さない静寂――それでいい、と黒瀬は思った。
予感があった。これから向かう30年前の負の遺構には、これまで出会ったような怪物とは質の異なる、苛烈で過酷な戦いが待っているという確かな予感が。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。
そこに眠る失われた記憶の欠片を取り戻すため、己の全てを解き放ってでも進む。黒瀬《私》には余りにも私が足りないのだ。
「……さあ。30年前の遺物に、挨拶に行くとしましょう」
完全武装を終えた黒瀬澄は、誰にも知られることなく、闇の深淵へと静かに足を踏み出していった。




