第10話 妖精の輪
プレシアが本州全土のクラックを次々と即座に破砕し、防衛局の上層部や配信の視聴者たちから絶賛の嵐を浴びているその裏で――パートナー妖精であるクロトは、冷や汗をダラダラと流しながら文字通り『命がけの綱渡り』を続けていた。
「ふぅ……ふぅ……! プレシアちゃんの評判改善と意欲向上計画は完璧に成功した……けどさぁ……!」
自室の豪華な天蓋付きベッドの影で、ボタンの瞳をぐるぐると回転させながらクロトは身悶えしていた。
プレシアは今、「黒星様が見ていらっしゃるかもしれない」という一心で、配信での振る舞いから過酷な体力鍛錬、さらには『お友達』を駆使した広域討伐まで、完璧すぎる成果を出し続けている。
だが、これはあくまで『黒星』という餌をぶら下げているからこそ保たれている絶妙な均衡に過ぎない。
(もしも何の進展もなしに時間が過ぎたら……あの賢くて鋭いプレシアちゃんのことだ、『クロト、嘘をついたの?』って笑顔でボクの綿を全部引きずり出しに来るに決まってるよぉ……!)
何としても、ある程度は確証のある情報を手に入れなければならない。それは黒星へ接触するためではなく、プレシアの狂信を抑え込み、破滅的な爆発を防ぐための安全弁としても絶対に必要だった。
クロトはつぎはぎのぬいぐるみの手を合わせ、妖精専用の『位相通信網』へとアクセスした。
表向き、人間界には「犯罪に手を染めた悪徳妖精」が存在し、それが非合法な魔法少女を生み出しているとされている。だが、それは人間に向けた都合の良い建前に過ぎない。
実際には、人間側に非人道的な人体実験や怪物のコアを流用した兵器開発を押し付け、システム全体の破綻を防ぐための『安全装置』として、妖精たちが組織的に管理・運営している裏のアプローチチャンネルだった。
そして――何より重要なのは、「妖精同士は、表であれ裏であれ、本質的には同じ種族の仲間である」という点だ。
個々の思想や契約者の立場がどうあれ、妖精たちの根底には種族の生存とシステムの維持……女王と妖精郷の保護という絶対的な共通利害が存在する。そのため、利害が一致すれば妖精同士の裏取引や情報共有は、人間たちのドロドロした権力闘争とは比べものにならないほど合理的で、かつ驚くほどスムーズに行われるのだ。
『――やあ、クロトかい? 天階階位の威光を背負った君が、こんな裏チャンネルに何の用だい?』
ノイズ混じりの通信の向こうから聞こえてきたのは、裏社会の非合法魔法少女『リリィ・パペット』に寄生・契約している妖精の声だった。
「挨拶は抜きにしようかぁ……単刀直入に訊くよ。最近、君たちのナワバリやコアの闇ルート周辺で、防衛局のデータベースにない『規格外の単独個体』が動いていないかい?」
『なんだ、君もあの噂を追っているのかい? ……まあいいさ、仲間内の情報交換ならタダでいいよ。僕たちもあの存在には首をかしげていたところだ』
裏の妖精は、一切の出し惜しみなく、裏社会で蓄積された観測データをクロトの脳内へ転送してきた。
『結論から言おう。裏社会の連中の間では、そいつは《落とし屋クロセ》と呼ばれている』
「……落とし屋、クロセ……?」
『そうさ。闇ルートで出回った怪物のコアが暴走した現場や、非合法の密猟現場に突如現れる。帽子を深く被り、黒いコートを纏った少女だ。彼女は暴走したクラックビーストを一瞬で処理し、コアを回収して姿を消す……驚くべきことに、僕たちが契約している“壊れた”非合法魔法少女たちが巻き込まれた際、彼女は巻き添えで殺すどころか、ついでとばかりに助けて去ったという報告が複数上がっている』
クロトのボタンの瞳が、カチリと音を立てて固定された。帽子、黒いコート、圧倒的な撃滅速度、そして極めて高いモラル。此処まで揃えば殆ど疑いはない。欲を言えばクロトが観測した、二種類の魔力を応用した戦術まで確定できれば間違いがないが、通常のカメラに姿が殆ど映らない特性から、直に見ていない限り分かりようがない。
(間違いない……! あの時の『黒星』の正体は、裏社会で噂される《落とし屋クロセ》だ……!)
目的の『名前』を手に入れたクロトは、安堵の息を吐きかけた――が、続く裏の妖精の分析を聞き、その身体を硬直させた。
『なぁ、クロト。君ならあの動きの異常さに気づくだろう? 彼女には“魔力反応”の概念が薄い。なのに、縄鏢と結界術、そして異次元の体術だけで高位の怪物を瞬殺してみせる。……あれは、僕たちが知る魔法少女の技術体系じゃない』
「……ああ。ボクは直に見たから分かるよぉ……」
『うちのシェード・ハウンドの妖精も言っていたよ。あれは、一人の天才が一朝一夕で編み出した流派なんかじゃない。何百年、何千年と受け継がれ、組織的に積み上げられてきた完成された技術だ、ってね』
クロトの思考速度が極限まで加速する。これこそが、クロトが最も恐れ、警戒していた懸念の裏付けだった。
妖精たちの長い歴史において、異界の技術や戦闘体系は熟知しているつもりだった。しかし、クロセが見せた技術体系は、そのどれとも一致しない。
(つまり……クロセという個人の背後には、ボクたちの知らない『未知の技術を保持し続けている歴史、あるいは相当する背景組織』が存在している可能性が極めて高い……!)
もしもプレシアが不用意に接触し、彼女を害しようとすれば――クロセ個人だけでなく、その背後に控える勢力を完全に敵に回すことになる。それはプレシア一人の死にとどまらず、防衛局、最悪の場合は妖精システム全体を巻き込む破滅的な全面戦争へと発展しかねない。
「……助かったよ。この件、ボクが引き取る。君たちも深追いしない方が身のためだねぇ」
『言われなくてもそうするさ。お互い、契約者を無駄死にさせたくないからね』
通信が切れ、静寂が戻った自室で、クロトは深く、深く息を吐き出した。
「……よし。勝算通り、名前は手に入った。でも……ここからは相当慎重に行かなきゃダメだねぇ……」
クロトは、プレシアの狂気を宥めるための完璧な手札は手に入れた。プレシアには『黒星様の真のお名前』を特別に教えることは、かなりの時間を稼ぐことができる成果となるだろう。当面は更なる評判向上と自己研鑽に没頭させることができる。
プレシアの評判が全方面で上がり、社会的な地位と信頼が揺るぎないものになるまでの間――クロトは単身で、落とし屋クロセとの安全な距離感を慎重に測り、接触の機会を伺うつもりだった。
もし、彼女の持つ高いモラルと落ち着いた理性を見極め、段階を踏んで安全にアプローチできれば……妖精技術由来ではない怪物に有効な技術ツリーも手に入るかもしれないし、最良の場合同盟関係を締結する事も視野に入れられる。
そうなれば――今後の厳しい戦いを余力を持って乗り越える事も不可能ではない。
(そのためにも……プレシアちゃんには、まだまだ「最高のお人形」を目指して頑張ってもらわなきゃねぇ……!)
クロトは不気味に歪むぬいぐるみの口元をさらに吊り上げ、プレシアが待つ訓練場へと向かって、トコトコと歩き出した。




