第55話
地を揺るがすほどの凄まじい勝鬨が、蜀峡の空をびりびりと震わせる。
最後の敵地である靖都が陥落し、長きにわたる戦乱がついに終結を迎えたのだ。天を突くような幾万の将兵たちの歓喜の咆哮が、分厚い天鵞絨の御簾越しに、私の乗る馬車の中まで容赦なく響き渡ってくる。
「……終わったのね」
乾いた風が運んでくる血と鉄の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、ぽつりと零した。
天下統一――それは陛下が幾度も死線を越え、生涯を懸けて追い求めてきた偉業に他ならない。彼を幼い頃から知る私だからこそ、誰よりもその成就を喜び、涙を流して天へ感謝を捧げるべき時であるはず。それなのに、私の肺の底には、鉛のように冷たく重い空気がどろりと沈殿していくのを感じていた。
陛下と共に過ごした陣中での日々。それは凄惨な戦野の中心に設えられた幕舎という、常に死の気配と隣り合わせの場所。けれど私にとっては、郭皇后をはじめとする側室たちの冷ややかな視線や大長秋の陰湿な悪意から完全に隔離された、この世で最も安全で幸福な、数年ぶりのただ二人だけの安息の地でもあったのだ。
冷酷な覇王としての仮面を脱ぎ捨て、ただの男として不器用に私を抱きしめてくれた泡沫の夢のような夜。一線を越えないという密約に守られ、布一枚に隔てられただけの薄暗い空間で互いの熱と心音だけを分け合ったあの甘く閉ざされた時間は、この戦いの終わりとともに跡形もなく消え去ってしまう。
(ここから離れれば、またあの場所へ戻らねばならない)
洛華の、美しくも冷え切った巨大な後宮。息の詰まるような重い香油の匂いと、嫉妬と怨嗟が渦巻くあの濁った檻の中へ。外で沸き起こる歓声が高まれば高まるほど、私の心は凍りつくような恐怖と、逃げ場のない絶望的な閉塞感にきつく縛り上げられてゆく。
洛華への長く過酷な帰途。果てしなく続く軍列が小休止に入った夕暮れ時のこと。
ひとり馬車から降り立った私は、秋の気配を含んだ冷たい風に吹かれながら、名も知らぬ河のほとりに佇んでいた。夕陽の柔らかな赤光が澄んだ水面を燃えるように染め上げ、背後の陣から絶えず漂ってくるむせ返るような鉄と馬の匂いを、ほんの少しだけ忘れさせてくれる。
不意に、バサバサという静かな羽音が耳を打つ。
視線を上げれば、夕焼け空を切り裂くようにして、一対の白い鳥――白鷺の番が、水面すれすれを滑るように連れ立って飛んでいくところであった。ぴたりと寄り添い、互いの羽の先を重ね合わせるようにしてどこまでも高く、同じ方角へと羽ばたいてゆく二つの純白の影。
(ああ……)
その美しくもひたむきな姿に、胸の奥が酷く締め付けられ息が詰まる。
蘇る鮮やかな記憶。あれはまだ、私たちが己の背負う過酷な運命など何も知らなかった頃のこと。緑豊かな晶陵の河のほとりで彼と肩を寄せ合い、いつか私たちもあのように飛べるのだと信じて見上げた、あの日の鳥たちの姿そのものであった。あの時、私は無邪気に信じていたのだ。愛する人と共に羽ばたき、ただ一つの番として、清らかな空をどこまでも連れ立って飛んでいけるのだと。
けれど、今の私はもう知っている。永遠に失われた純真な日々には、二度と戻れないという残酷な真実を。
(共に飛ぶということは、こんなにも重く、苦しいものだったのね)
私たちが真に比翼の鳥としてこの世を舞うのなら、その羽は決してあのような純白ではあり得ない。覇業のために切り捨ててきた無数の命の血。後宮という毒の檻で生き抜くために啜ってきた泥。そして何より、皇后をはじめとする数多の女性たちが流した嫉妬の涙と、決して消えることのない怨嗟の影を、その羽にべっとりと絡みつかせながら飛ばなければならないのだから。
独りぼっちで泣きながら死んでゆく孤鸞にはならないと、どれほど傷ついても彼の傍で生き抜くのだと、私は固く覚悟を決めたはず。だが、その誓いの代償が他の誰かの幸福を踏み躙り、恨みの泥を被ることでしか成り立たない修羅の業なのだとしたら。愛せば愛するほどに私たちは泥に塗れた鳥となり、重すぎる魂に喘ぎながら、この血の色に染まる空を這うように飛び続けるしかないのだろう。
水面を渡る冷たい風が、絹の衣の裾を重く揺らしてゆく。
私は遠ざかる白鷺の無垢な姿を見つめながら、ただ静かに、諦念に満ちた哀しい微笑みを夕闇の中へとこぼしていた。
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