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【完結】比翼の乱世:老虎と鸞鳥の契り  作者: 深山 凛
◆第三章◆

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第44話

夜が深まるにつれて大広間の熱気はさらに濁りを増し、祝宴の狂騒はいよいよ頂点に達しようとしていた。

熱気に包まれた御壇の階へと、白玉の盃を手にした宰相の郭況(カク キョウ)が優雅な足取りで進み出る。彼の絶世の美貌には、底知れぬ艶やかな笑みが見事なまでに貼り付いていた。




「陛下、並びに皇后様。この度の数多の吉報、臣下として誠に喜ばしく存じます。されど、大渭国の千代の繁栄を盤石なものとするためには、皇統の枝葉はさらに豊かでなければなりません」




郭況の声は、玲瓏たる玉の音のように大広間の隅々にまで響き渡った。




「国の安寧のため、近く全国よりさらに三十名の妙齢の姫君を、新たな妃嬪としてこの後宮へとお迎えする手はずを整えております。すべては、大渭国の無窮の栄華のために!」




地鳴りのような歓声と万歳の声に大広間が再び包まれるなか、私は己の耳を疑いかすかに息を呑む。

三十名もの女たちが、今でさえ息の詰まるこの檻へさらに群れをなしてやってくるというのか。五十人規模となる巨大な後宮の完成は、私にとって逃げ場のない絶望的な地獄が口を開くという残酷な宣告に他ならなかった。


はっと視線を上げれば、郭況の酷薄な笑みと彼を真っ直ぐに見据える劉彪(リュウ ヒョウ)様のひどく険しい横顔が交差している。

だがその光景すらも、まるで一枚の薄幕を隔てた向こう側の出来事のように私の意識から急速に遠ざかっていった。




(もう……)




すでに限界であった。

膝の上で組み合わせた指先は氷のように冷え切り、とうの昔に感覚を失っている。どれほど彼の方を護るために自己犠牲の盾を構えようと心は摩耗しきっており、これ以上の打撃に耐えられる形を保ってはいなかったのだ。


やがて果てしない狂騒の宴が終わりを告げ、侍女である柳婉(リュウ エン)の腕にすがるようにして南宮の広間を後にする。

夜の闇に沈む冷たい回廊を歩く己の足音がどこか他人のもののように虚ろに響くなか、吸い込む洛華の夜風が心を芯から冷たく押し潰していった。

質素な自宮へ辿り着き、柳婉の手を借りて重い絹衣を脱ぎ捨てて寝台に身を沈めても、麻痺した心は悲しみすら鮮明に捉えきれない。

ただ目を閉じた拍子に張り詰めていた糸がふっと切れ、すり減った心の奥底からひとすじの涙が静かに頬を伝い落ちれば、声なき嗚咽に身体を震わせながら、私は逃げるように冷たく暗い眠りの底へ意識を手放していった。




◆◇◆




草木も眠る丑三つ時、冷え切った宮の廊下には私の静かな足音だけが擦れるように響いている。

宴の席で心身をすり減らし、倒れ込むように眠りについた我が主――陰貴人様の枕元へ、新しい飲み水を届けに来たところであった。


――その時、閉ざされた寝所の扉の向こうから、微かな声が漏れ聴こえる。




「……すまない、鸞(ルァン)。……許してくれ……っ」




低く血を吐くような苦悶に満ちた声の主が、大渭国の頂点に君臨するあの冷徹な覇王その人であると気づき、私は思わず足を止めて白磁の盆をきつく握りしめた。

わずかに開いた扉の隙間から恐る恐る中を覗き込めば、そこに広がる凄絶な光景に息を呑み、胸の奥を鋭く貫かれてしまう。




「この血と泥に塗れた玉座を握りしめ、お前だけをこの手で守り抜くためには……己の心ごと切り売りして、こうするほかなかった」





暗い寝所のなか、寝台の傍らであの絶大な権力を握る皇帝陛下が、まるで傷ついた子供のごとく床へ膝をついておられたのだ。

涙の跡を残して眠る鸞様の細い手を、壊れ物を包み込むように両手できつく握りしめ、白魚のような手の甲へ己の額をすり寄せておられる。




「……お願いだ、鸞。俺を見捨てないでくれ」




孤独に震えるその広い背中は、宴の御壇で天下を睥睨していた冷酷な龍の姿などではない。

すべてを敵に回してでもただ一人の女を愛し抜き、重責と自制の鎖に耐えかねて孤独な魂を曝け出す、気高くも不器用な一人の男の姿がそこにあった。




(――あぁ、なんてこと)




あまりの衝撃と切なさに、私の目から熱い涙がボロリと零れ落ちる。

女たちが口々に嘲り羨んでいた陰湿な噂も、私自身が心の底で主に対して抱いていた情けない惑いや疑念すらも、すべてはあの冷たい檻の住人たちが作り上げた酷薄な幻に過ぎなかったのだ。


毎夜のごとくこの質素な御殿へ渡ってこられながら、指一本触れることなく夜を明かしておられた理由が、いま鮮烈な衝撃となって胸を突く。

抱かないのではない。抱くことができないのだ。

この冷酷な後宮で側室に過ぎない我が主がひとたび嫉妬の毒牙に晒されれば、あっけなく命を奪われてしまうからこそ、熱い情念を血が出るほど噛み殺し、ただ命と尊厳を守るためだけに、彼の方はこうして一人暗闇で身を灼いておられたのだろう。


息を詰まらせるような檻のただなかで、扉一枚を隔てたこの場所だけに、誰も踏み込めない痛切で清らかな愛が満ちている。

己の無知と愚かな疑念を烈しく恥じ入った私は、足音を殺してその場に深く、深く平伏した。




(お二人を、私は命懸けでお守りする。……何があろうとも、絶対にお守りしてみせる)

最後まで読んでいただきありがとうございます!


*ちょこっと雑談*

次回から後宮に人が増えていきます!

今回初登場の郭況は郭皇后の弟。


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また明日19:00にお会いしましょう!

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