第43話
何百もの重厚な銅燭台に灯された黄金の焔が、南宮の大広間を昼よりも眩しく灼き尽くしている。
帝都・洛華への遷都と、新たな治世の安寧を祝う盛大な宴。天を突くような高い天井には極彩色の意匠が施され、高価な香木の煙と熟成した美酒の重い匂いがむせ返るような熱気となって殿内を満たしていた。
高官たちの杯が触れ合う硬質な金属音と、朗々と響く祝賀の宴歌。
目も眩むような光と喧騒の渦の中で、上座近くの側室の席に座す私の喉の奥はカラカラに乾ききっている。息を吸い込むたびに肺の奥が冷たい刃で削り取られるような、鋭く酷薄な圧迫感が全身を支配してゆく。
一段高い御壇の上、黄金の龍袍を身に纏い、覇王としての絶対的な威厳を放つ昭虎帝。
そしてその隣には、大渭国の国母として極彩色の絢爛たる衣装を身に纏った郭皇后が静かに鎮座していた。
かつて南苑州の陽だまりの中で、私だけに向けてくれていたあの温かな眼差しは、いまや遥か高みの玉座から私を通り越してただ広大な殿内を見下ろすだけの冷徹な帝王の瞳へと変わってしまっている。玉座に君臨する男と、その下に平伏する一介の側室。その決定的な隔たりが、眩しい光の中で残酷なまでに際立っていた。
やがて大長秋――賈謐が進み出で、朗々とした声を大広間に響かせる。
「――鳳凰の恩徳、天に満ち、我が大渭国の皇統は永久に揺るぎなし! 皇后陛下、第二子となる龍種をご受胎! 並びに、二人の美人、一人の宮人にも相次いで御子の宿りしことが確認されましたぞ!」
歓声と万歳の咆哮が大広間を割れんばかりに埋め尽くすなか、高官たちが一斉に杯を掲げて皇帝の類まれなる子宝と王朝の繁栄を讃え上げれば、上座の妃嬪たちは幸せそうな笑みを浮かべてまだ平らな己の腹部を慈しむように優しく撫でている。
真っ白に染まってゆく視界のなかで、激しい心臓の鼓動だけが耳の奥でドクンドクンと鳴り響いていた。
目の前に突きつけられたのはかつて晶陵で受け取った無機質な伝文などではなく、彼の方が出し惜しみなく私以外の女たちをその腕に抱き、自らの血の繋がりをその胎に宿させたという動かしがたい現実そのものである。
かつて晶陵の静かな河のほとりで私の手を取り将来の約束を囁いてくれた声も、彼の方の御子をこの手に抱いて慎ましくも愛おしい家庭を築くことを夢見ていたあの日の記憶。
ただ一人の妻として信じていたそのすべてが今、他者へと与えられ、絢爛たる祝杯の渦の中へ虚しく泡となって消えていく。
玉座に坐す彼の方を静かに仰ぎ見ても、その端正な横顔から一切の感情は窺えず、ただ皇帝としての責務を果たした覇者として歓喜に沸く臣下たちを静かに見下ろすばかりだ。
(――あぁ、私は)
膝の上で握りしめた指先から、急速に温度が失われてゆく。
どれほど胸を抉る激痛に襲われようとも、私はこの場で一滴の涙を流すことすら許されないのだ。妻になれなかった哀しみを抱えながらただ静かに、この虚飾の宴の中で息を殺し続けるほかなかった。
祝宴の狂騒がさらに熱を帯び、酒香が殿内の空気を淀ませていくにつれ、広間に集う男たちの視線が次第に私の一角へと集まり始める。
極彩色の衣装と重々しい黄金の装飾で己を飾り立て、皇后の威光に気炎を吐く渭北の女たちや、受胎の誉れに酔いしれる妃嬪たち。その濃厚な脂粉の群れの中で、白粉すら用いない真っ白な肌に淡い紅梅色の絹衣を纏うだけの私の存在は皮肉にも異質な清らかさを放ち、男たちの欲目を惹きつけてしまっていたのだ。
「あれが、南から召されたという……」
「なんと儚げな。まるで春の夜の幻のようだ……」
酒に酔った高官や武将たちの間から俗悪なため息とどよめきが漏れ聴こえ、品定めをするような視線の暴力に、私は膝の上の衣をぎゅっと握りしめてただ下を向くことしかできない。
だが次の瞬間、殿内のざわめきを鋭い氷の刃が一瞬で切り裂いた。
一段高い御壇の上から放たれたのは、昭虎帝の鋭い眼差し。先ほどまで無表情に杯を傾けていた彼の方が、私の周囲でどよめく男たちを、まるで獲物の喉元を喰い破らんとする飢えた獣のごとき酷薄で冷徹な瞳で睨み据えている。
その圧倒的な覇王の殺気に触れた者たちは息を呑んで己の粗相を恥じ入り、広間には一瞬にして凍てつくような静寂が伝播していった。
重苦しい空気が漂うなか、重鎮席に列席していた耿敦たちと不意に視線が交差する。
彼らはこちらの絆を引き裂いておきながら、受胎の祝宴という場で痛ましくさらし者になっている私の姿に耐えかねたのだろう。深い罪悪感を滲ませ、苦しげに目を伏せてみせた。
(……誰も、悪くなどないのよ)
ゆっくりと瞼を閉じて広間の喧騒から己の意識を切り離せば、浮き彫りになるのは冷厳な事実ばかり。
彼の方の側近たちが国を守るために重婚を迫ったことも、彼の方自身が皇帝として他妃の寝所に通い王朝の繁栄たる命を宿させたことも、すべては大渭国を揺るぎなきものとするために不可欠な理に他ならない。
けれど瞼の裏に浮かぶのは、かつて晶陵の館で彼の方の腕に抱かれながら密やかに語り合った夢の残滓。いつかふたりの血を引く小さな命をこの手で抱きしめたいと、無邪気に天へと祈ったあの夜の温もりだ。
幼き日に思い描いた無垢な誓いが他妃たちの誇らしげな腹部に取って代わられたいま、私の両腕に与えられているのは、どれほど強く抱きしめても何も温めることのできない「空虚」という名の冷たい過酷さに過ぎない。
一線を越えぬという清い密約は私自身の矜持で選んだはずなのに、他の女が彼の方の血をその身に宿したという事実が、どれほど理性の鎖を締めても嫉妬という名のどす黒い毒となって五臓六腑を灼き尽くしていく。
(私は、大渭国の臣下なのだから……陛下の御子の宿りを、心から祝福しなければならないのに)
なんと未熟で、さもしいのだろうか。
引き裂かれそうな己の心臓を自己犠僧の刃で突き刺し、あふれ出そうになる涙と嫉妬を氷の奥底へと徹底的に封じ込める。
胸の内でうねる血を吐くような慟哭すらも一切表には出さず、周囲の歓喜から完全に切り離された白磁の人形のごとく、私はただただ虚飾の光が舞う宴の席に身を置き続けるばかりであった。
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