第39話
バタン、と重厚な扉が閉ざされる音が広大な密室に虚しく響く。
石造りの回廊を遠ざかっていく迷いのない足音を聞きながら、乱れた真紅の帳の中、私はすっかり冷たくなった薄絹の敷布を握りしめ、ただ一人広すぎる寝台に取り残されていた。
肌にはまだ、微かに褥を共にしたばかりの彼の方の熱が残っているというのに。私の内側は恐ろしいほどの寒気に支配され、奥歯が鳴るほどの震えが止まらない。
咽せ返るような媚薬の香油の匂いが今はただひどく惨めで、私の鼻腔を嘲笑うかのように刺激してきた。
……なぜ。どうして。
私は皇后なのだ。
彼の方にとって初めての皇子である彊を産み、この大渭国で最も尊い冠を戴いた、誇り高き彪様の正室であるはずなのに。
今宵も政務に疲れた彼の方を慰めるために身を清め、この身を捧げたというのに。
脳裏に蘇るのは、かつて極寒の盟津で彼の方と初めて結ばれた夜のことだ。
あの荒々しい陣中の幕舎で、彼の方は私を抱き終えると、硬く冷たい長椅子にひとり身を横たえて朝を待った。それを私は、気高き真定王の血を引く私を慮る、無骨な彼の方なりの不器用な優しさなのだと頬を染めて受け入れていたのだ。
この洛華に都を移してからも同じであった。
夜半に足早に寝所を立ち去る彼の方の背中を、ただ「建国間もない政務の重圧ゆえなのだ」と賢い妻として一人納得し、孤独な夜の寒さに耐え忍んできた。
だが、違っていたのだ。
今夜、彼の方は一度の務めを終えた瞬間、一切の余韻すら残さずに私を突き放してこの部屋から出て行った。
あの渭北で彼の方が長椅子で寝たのは、私を大事にしていたからではない。単に私と同じ寝台で眠ることすら嫌悪していたからに過ぎない。別の部屋へ行く気力すらなく、ただの抜け殻として倒れ込んでいただけなのである。
そして今夜、彼の方がこの部屋に一秒も留まらなかったのは――。
(……あの女が、いるから)
洛華の後宮。
歩いていける距離に、あの陰鸞がいる。
だから彼の方は私をただ皇統を繋ぐための道具と割り切り、血の通わぬ義務だけを淡々と済ませて、魂の待つあの女の宮へ行ったのだろう。
「あぁ……っ、あああぁぁっ!」
豪華な寝台の上で結い上げた己の髪を掻き毟り、私は声にならない絶望の叫びを上げる。
負けたのだ。
皇后という冠を被り皇子を抱きながら、一介の側室に過ぎないあの田舎女に、愛というただ一つの戦いにおいて完膚なきまでに敗北している。
なんという屈辱。なんという惨めさ。
私こそが正妻なのに。私こそが、彼の方を玉座へ押し上げた北の覇者の娘だというのに!
ギリリ、と握りしめた薄絹が悲鳴を上げて裂けてゆく。
凍りつくような絶望は、やがてドロドロとした黒い炎となって私の五臓六腑を激しく焦がし始めていた。
陰鸞。
正妻の座を譲るなどと慈悲深い聖女のふりをして、その実、陛下の心を独占して私を嘲笑っている忌まわしい女。
「絶対に、許さない……っ!」
極彩色の豪華な檻の中で、私は一人、暗闇に向けてどす黒い呪詛を吐き出す。
この身を灼くような屈辱の代償は、必ずあの女の絶望と涙で払わせてやるのだ。私は狂おしいほどの執念で、そう固く誓った。
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