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【完結】比翼の乱世:老虎と鸞鳥の契り  作者: 深山 凛
◆第二章◆

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第23話

数刻と経たぬうちに郭昌によって糧道を完全に絶たれた俺たちは、盟津の陣所から吹きさらしの原野へと放り出され、牙を剥く猛吹雪が渭北の空を白一色の死の世界へと染め上げてゆく。


不気味な風の音が鼓膜を叩くたび、足元の雪が牙を剥いて身体の熱を削ぎ落としていった。

視界の先に広がるのは、飢えと極寒に耐えかねて雪原にうずくまる部下たちの痛ましい姿。晋陽の泥沼を抜け、地獄を共に生き抜いてきた屈強な男たちが、火を熾す薪すら与えられぬまま、一人、また一人と音もなく雪に埋もれてゆく。

微かに響いていた呻き声すらもはや氷風にかき消され、死の静寂だけが陣を覆い尽くそうとしていた。




「……あ、あ……」




すぐ足元で、凍傷で黒ずんだ手を伸ばした若い兵が、虚ろな瞳のまま動かなくなる。彼らが流してきた血の代償が、これだというのか。




(俺が、あの十万の軍勢を受け入れていれば……)




ひび割れた唇を噛み締めると、鉄の味が口内にじわりと滲み出した。

玄色の甲冑の下、命の最も近い場所では、鸞が編んでくれた赤い組紐がなおも確かな熱を放ち続けている。俺は、愛する妻への誓いを守り抜いたのだ。

だが、その誇りを守り抜いた対価として突きつけられたのは、俺を信じて付き従ってきた部下たちの命の喪失であった。

将としての責任と、一人の夫としての愛。絶対に両立し得ない二つの重圧が、ギリギリと音を立てて魂の根幹を削り砕いてゆく。息を吸い込むたびに凍りついた空気が胸を刃のように切り裂き、血の涙を流すような痛みが全身を駆け巡った。




「……彪(ヒョウ)」




不意に、背後から低く掠れた声が響く。

振り返れば、そこに立っていたのは、幼い頃から俺のすべてを知る悪友であり側近の耿敦(コウ トン)であった。彼の顔もまた凍傷と飢えによって青白くやつれ果てていたものの、その瞳だけは、猛吹雪の中でも異様なほどの凄絶な光を放っている。




「敦……」




「お前は立派だ。一人の女を生涯愛し抜くと決め、強大な権力を前にしても決してその魂を売り渡さなかった。……お前は、誰よりも正しい」




静かに、けれど噛み締めるようにそう告げた耿敦の言葉は、俺の愛を全肯定するものでありながら、同時に逃れられぬ重い現実を孕んでいた。




「だが、正しさだけでは、命は救えない」




雪を踏みしめ、耿敦が俺の目の前へと歩みを進める。直後、彼は一切の躊躇いもなく、凍りついた雪原へと両膝を激しく叩きつけた。




「敦……っ、何をしている!」




俺の制止を拒むように硬い雪へと額を深く擦り付け、耿敦は地を這うような声で叫んだ。




「頼む、彪……! 郭昌の条件を呑んでくれ! お前がその誇りを捨て、別の女を妻に迎えれば、お前を信じ付き従ってきた兵たちが生き延びられる! 頼む、お前の血を分けた兵たちの命を、その手で救ってくれ……っ!」




雪を抉るような親友の悲痛な土下座。その背中に、凍てつく風が容赦なく雪を積もらせていく。

俺の胸の奥は、直に刃で裂かれたかのように激しくのたうち回っていた。懐の奥にある赤い組紐の熱が、今はまるで俺の不義を責める業火を放っているかのように熱く、切ない。

一人の男としての誓いを貫けば、眼前で凍えてゆく兵たちが死に絶える。だが、兵を救うために十万の軍勢を手に入れれば、晶陵(しょうりょう)の箱庭で待つ鸞への誓いを無残に踏みにじる、重婚の大罪を犯すことになるのだ。




「っ……」




喉の奥から、言葉にならない咆哮が血の味とともに溢れ出る。

瞳から零れ落ちた熱い涙は、頬を伝う端から極寒の風に凍らされ、ひび割れた皮膚を無情に裂いていった。大義など、英雄の誇りなどどうでもいい。だが、魂の半身である彼女との約束を己の手で引き裂かねばならない選択こそが、何よりも過酷な地獄であった。




(生き残るためだ……。生きて、這いつくばってでも、鸞の元へ帰るために……っ)




奥歯を噛み砕くほどの力で拳を握り締め、俺は雪原に這いつくばる耿敦の肩を強く掴む。




「……郭昌のところへ行く。……条件を、呑むと伝えろ」




それは、俺の人生で最も冷酷な、修羅としての決断であった。


そうして夜明け前の最も深い闇の中、俺たちは再び盟津の軍門へと引き返していったのである。

郭昌の冷笑と、渭北の将兵たちの勝利を確信した視線を一身に浴びながら、一切の感情を削ぎ落とした氷の面貌のまま、俺は血の盟約の木簡へと静かに筆を落とした。


十万の軍勢という名の、あまりにも重く冷たい呪縛。

これによって瀕死の虎は、渭北の覇者たる巨大な軍事力を手に入れた。だが、その対価として支払ったのは、一人の男として妻と交わした清らかな約束であり、昔から憧れ続けた彼女との幸福な箱庭の崩壊に他ならなかった。




(心は鸞にあるからこそ、身体は政治にくれてやる……)




腹の底で暴れる猛虎の牙に、俺はさらに幾重もの冷たい鉄の鎖を巻き付けた。

郭聖通という新しく宛がわれる『妻』の影を受け入れながら、遠く南苑州で俺の帰りを待つ、ただ一つの光の幻影を脳裏に深く抱き締める。

俺はただ一人、現世をすべて統べる王となるための、血と泥に塗れた覇道へと真っ直ぐに歩み出していった。

最後まで読んでいただきありがとうございます!


*ちょこっと雑談*

愛か命か・・・皆さんならどっち選びます?


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また明日19:00にお会いしましょう!

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