第96話 王都の居場所
王都ギルドへ着く頃には、日が沈み始めていた。
通りに並ぶ街灯へ淡い光が灯り、依頼を終えた冒険者たちがギルドの中へ次々と入っていく。
扉を開けると、酒場から聞こえる声と、掲示板の前で依頼を探す者たちの話し声が一度に耳へ届いた。
帝国のギルドとは、建物の造りも、集まっている冒険者たちの装備も違う。
それでも、この騒がしさには覚えがあった。
『街だけでなく、ここも変わっていないわね』
「ああ」
『変わったのは、あなたの方だけみたい』
「それも、さっき聞いた」
『何度言っても事実は変わらないわ』
受付へ向かい、空いている窓口の前で足を止める。
席に座っていた女性が顔を上げた。
「ご依頼の報告ですか?」
「帝国から戻りました。レグルス・クレハルトです」
「レグルス・クレハルトさん……少々お待ちください」
受付の女性が手元の書類へ目を落とす。
名前を探す指が、すぐに一枚の書類の上で止まった。
「王国騎士団から、帰還予定の連絡を受けています。帝国中央支部からの報告書も届いていますが、依頼達成の証明書はお持ちでしょうか?」
「これです」
帝国ギルドで受け取った証明書を差し出す。
女性は内容を確認すると、机の上へ置かれた薄い金属板に証明書を重ねた。
刻まれていた術式が淡く光る。
証明書へ記された文字が一部浮かび上がり、金属板の中へ吸い込まれていった。
「亀裂周辺の防衛と、魔物及び魔族の討伐。王国騎士団長ブラノール様からも、レグルスさんの働きについて報告を受けています」
「もう届いているんですか?」
「王国騎士団が使用する緊急用の魔導通信です。魔導艇よりも報告書の方が先に届くこともあります」
女性が別の書類を取り出す。
「現在の登録はC級。帝国中央支部で更新された内容も、すでに王都支部へ反映されています」
帝国を離れる前に変わった階級。
手元の冒険者証だけではなく、王都側の記録もC級へ書き換えられていた。
「今回の功績についても、今後の審査材料へ加えられます。ただし、すぐに次の階級へ上がるわけではありません」
「それで構いません」
「王国騎士団長からの評価もありますから、通常の依頼より大きく扱われると思いますが……本当に階級には興味がないのですね」
「依頼を受ける時に困らなければ、それで十分です」
階級を上げるために、魔族と戦ったわけではない。
目の前にいたから斬った。
その結果が評価されるのなら、拒む理由もなかった。
「報酬については、帝国側ですでに支払いが済んでいることを確認しています。王国騎士団から追加の報奨が出る可能性もありますが、そちらは正式な決定をお待ちください」
「分かりました」
「続いて、王都での滞在先を確認します。以前利用されていた宿へ戻られますか?」
すぐには答えられなかった。
帝国へ向かう前に使っていた宿が、今も部屋を空けているとは限らない。
王都へ着いたばかりで、今夜の寝床もまだ決めていなかった。
「まだ決めていません」
「今後も王都を拠点に活動される予定でしょうか?」
「そのつもりです」
「でしたら、固定の住居を持つこともご検討ください」
「住居ですか?」
受付の女性が頷く。
「C級以上の冒険者には、緊急依頼や指名依頼をお伝えするため、連絡可能な住所を持つことが推奨されています。義務ではありませんが、長く王都で活動されるのであれば、その方が何かと便利です」
「宿では駄目なんですか?」
「駄目ではありません。ただ、長期間留守にした場合、部屋がそのまま残るとは限りません。装備や私物を保管する場所としても、固定の住居があった方がよいでしょう」
帝国へ向かう時も、持っていく必要のない物は宿へ預けていた。
今回のように予定より滞在が長引けば、いつまでも預けたままというわけにもいかない。
『いいんじゃない?』
セレスの声が意識へ響く。
『あなたも、いつまでも荷物をすべて背負って歩くつもりではないでしょう』
「必要な物は持っている」
『今はね。これから刀や本が増えないとは限らないわ』
「本を増やしたいのはセレスだろ」
「何か問題がありますか?」
受付の女性に尋ねられ、意識を戻す。
「いえ。住居を探すには、どうすればいいんですか?」
「ギルドと提携している管理者がいます。冒険者向けに、長期間不在でも管理を任せられる物件を扱っています」
女性が席を立ち、後ろに並ぶ棚から薄い冊子を持ってくる。
開かれた頁には、幾つかの建物の簡単な間取りと、月ごとの賃料が記されていた。
「購入ではなく、賃貸です。一定期間住んだあと、希望すれば買い取れる物件もあります」
帝国で受け取った報酬を考えれば、借りるだけなら問題はない。
だが、王都へ戻ったばかりで、今日中に決める必要もなかった。
「少し考えます」
「承知しました。こちらの三件でしたら、明日すぐに見学できます。希望される場合は、朝までにお申し出ください」
三件分の資料を受け取る。
どれも王都の中心から少し離れているが、ギルドまで歩ける範囲にある。
一件目は、複数の住居が連なった建物。
二件目は、商店街に近い二階建て。
三件目には、小さいながら裏庭がついていた。
『もう決まったみたいね』
「まだ何も言ってない」
『三件目だけ、見る時間が長かったわ』
資料を閉じ、荷物へ入れる。
「ほかに手続きはありますか?」
「帰還に関するものは以上です。お疲れさまでした」
「ありがとうございました」
受付を離れようとして、足を止める。
王都へ戻ったことを、まだ姉へ伝えていなかった。
「すみません。ノヴァ・アカデミアへ、短い連絡を送ることはできますか?」
「在籍されている方への連絡でしょうか?」
「姉が、学園の寮にいます」
「お名前をお願いします」
「アリシア・クレハルトです」
女性は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情を戻した。
「承知しました。伝言の内容は?」
「王都に戻った。今は王都ギルドにいる。それだけで大丈夫です」
「……それだけですか?」
「はい」
『もう少し書くことがあるでしょう』
「これで伝わる」
『そういう問題ではないと思うけれど』
受付の女性も何か言いたそうだったが、そのまま伝言を書き留めた。
「簡易通信で学園の寮へ送っておきます」
「お願いします」
連絡を終え、酒場の空いている席へ向かう。
朝から魔導艇の中で軽い食事を取っただけだったため、温かい煮込みとパンを注文した。
料理を待つ間、改めて物件の資料を開く。
一件目は、ギルドに最も近い。
二件目は、周辺に店が多く、生活には困らない。
三件目は、ほかの二件より少し離れている代わりに、裏庭と装備を保管する部屋がある。
『やっぱり、三件目しか見ていないじゃない』
「装備を置ける場所は必要だろ」
『受付の方は、生活するための家を紹介してくれたのよ』
「生活するにも必要だ」
『台所や寝室は見たの?』
資料へ目を戻す。
台所と寝室があることは確認できた。
『今、確認したでしょう』
「最初から見ていた」
『嘘ね』
運ばれてきた煮込みを食べ終えた頃、ギルドの入口から聞き慣れた声がした。
「レグルス!」
振り返る。
人の間を抜け、姉がこちらへ歩いてくる。
学園から直接来たのか、普段使っている外套を身につけたままだった。
「姉さん」
「帰ってきたなら、もっと早く連絡しなさいよ」
「王都へ着いたのは、ついさっきだ」
「帝国を出る時に連絡できたでしょう」
「魔導艇に乗ることが決まったのは、出発の前日だ。それに、連絡する手段もなかった」
「王国騎士団の魔導艇に乗っていたんでしょう?」
「俺が自由に通信を使えるわけじゃない」
姉は何か言い返そうとしたが、諦めたように息を吐いた。
「まあ、無事ならいいわ」
俺の前まで来ると、姉は頭から足元まで確かめるように視線を動かした。
「怪我は?」
「ない」
「本当に?」
「帝国を出る前にも確認された」
「誰に?」
「兄さんに」
「それなら、本当にないみたいね」
「俺より兄さんの方を信用するのか?」
「あなたは、動ける怪我なら隠すでしょう」
否定できなかった。
姉の視線が、腰にある黒鞘で止まる。
「その刀は?」
「帝国で手に入れた」
「帝国へ行った時は、刀を持っていなかったわよね?」
「ああ。以前話した獅子宮から持ち帰った」
俺は柄へ手を添える。
「銘は獅心だ」
「獅心……」
名を呼ぶと、黒鞘の奥から小さな鼓動が返ってきた。
姉の目が細められる。
「今、魔力を流した?」
「何もしてない。名前を呼ぶと反応することがある」
「見せて」
「ここでか?」
「抜けとは言ってないわ。少し触るだけよ」
姉が黒鞘へ手を伸ばす。
その指先が触れる直前、獅心がもう一度脈打った。
先ほどより、わずかに強い鼓動だった。
姉の手が止まる。
「……面白い刀ね」
「セフィリアにも同じことを言われた」
「セフィリア?」
「勇者だ。帝国から王都まで一緒だった」
「随分と話が増えていそうね」
「長くなるぞ」
「構わないわ。今夜、全部聞くから」
姉が当然のように言い切る。
「今夜?」
「ちょうど明日から三日間、学園が休みなの。今日は寮から別邸へ戻る予定だったから、あなたも来なさい」
「俺は宿を探すつもりだったんだけど」
「どうして宿に泊まるのよ。王都には別邸があるでしょう」
普段、姉はノヴァ・アカデミアの寮で暮らしている。
研究や学園での活動を考えれば、別邸から通うよりも寮の方が都合がいいらしい。
王都にあるクレハルト家の別邸へ戻るのは、学園が数日続けて休みになる時だけだった。
姉がいない間も、建物を管理するため、数名の使用人が常駐している。
「今夜だけなら世話になる」
「今夜だけ?」
姉の視線が、卓の上に置いた物件資料へ向けられる。
「何、それ?」
「ギルドから紹介された物件だ。王都で住む場所を探そうと思ってる」
「探す必要なんてないでしょう。別邸を使えばいいじゃない」
「姉さんは普段、寮に住んでるだろ」
「私はね。でも、部屋は余っているし、使用人もいる。あなたが住めば、別邸も今より使われるようになるでしょう」
「遠慮しとく」
「どうして?」
「王都で冒険者を続けるなら、自分の家を持っておきたい」
「別邸では、自分の家にならないの?」
「クレハルト家の家ではある。でも、俺が自分で決めた家じゃない」
姉はすぐには答えなかった。
家族の屋敷が嫌なわけではない。
姉や使用人と暮らすことが嫌なわけでもなかった。
それでも、王都で冒険者として暮らすのなら、自分で帰る場所を決めておきたかった。
「一緒に暮らすのが嫌なわけじゃない」
「私は普段、寮にいるけれど?」
「なら、一緒に暮らしてないだろ」
「連休には戻るわよ」
「それでも遠慮しとく」
姉がわずかに頬を膨らませる。
『少し拗ねたわね』
セレスの声が意識へ響く。
「分かったわ」
姉は物件資料を手に取る。
「その代わり、明日は私も一緒に行くから」
「俺一人で見られる」
「あなた一人に任せたら、庭と装備置き場だけで決めるでしょう」
「それ以外に何を見るんだ?」
「ほら、やっぱり私が必要じゃない」
姉が三件目の資料を開く。
「もう、この家に決めかけているでしょう?」
「まだ決めてない」
「三件のうち、これだけ頁に折り目がついているわよ」
見ると、三件目の資料だけ端がわずかに曲がっていた。
『お姉さまの勝ちね』
「……分かった。一緒に来てくれ」
「最初からそう言えばいいのよ」
姉が満足そうに資料を閉じる。
「それと、今夜は別邸へ来ること。帰ってきた弟を宿へ泊めたと母さんに知られたら、私が怒られるわ」
「母さんは、俺が王都へ戻ったこともまだ知らない」
「連絡しないまま宿に泊まったと知られたら、あなたも怒られるわよ」
それを言われると、断る理由がなくなった。
「分かった。今夜は別邸に泊まる」
「決まりね」
姉とともにギルドを出る。
外はすでに暗くなっていた。
通りの前には、白虎を模したクレハルト家の紋章が刻まれた馬車が停まっている。
御者台の近くに立っていた使用人が、俺たちに気づいて一礼した。
「お帰りなさいませ、アリシア様」
「ただいま。レグルスも一緒よ」
「レグルス様、お帰りなさいませ」
「……ただいま」
そう答えてから、少しだけ妙な感覚が残った。
王都へ帰ってきた。
だが、別邸へ帰るのは久しぶりだった。
馬車へ乗り込むと、姉が向かい側へ座る。
物件資料は、いつの間にか姉の膝の上へ移っていた。
「せっかくの休みなのに、家探しに付き合わせて悪いな」
「弟が妙な家を選ぶのを止めるのも、姉の仕事よ」
『頼もしいお姉さまね』
セレスの声を聞きながら、窓の外へ目を向ける。
灯りのついた王都の街並みが、ゆっくりと後方へ流れていく。
帝国から戻ったその日に、姉と家を探すことになるとは思っていなかった。
それでも、王都で自分が帰る場所を持つことに、不思議と迷いはなかった。
馬車は夜の王都を進み、クレハルト家の別邸へ向かっていった。




