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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第七章 勇者との邂逅、王国への帰還
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第97話 帰る場所を選ぶ

 空がすっかり明るくなった頃、俺はクレハルト家の別邸にある庭へ出ていた。

 昨夜は別邸へ着いたあと、姉に帝国での出来事を話した。

 兄との再会。

 リヴィアから受けた修行。

 獅子宮で手に入れた獅心《コル・レオニス》。

 ギルドから受けた亀裂周辺の防衛依頼と、そこで出会った勇者セフィリア。

 一つ話せば、その倍は質問が返ってきた。

 途中からセレスまで会話に加わり、部屋へ戻れたのは日付が変わってからだった。


『あれだけ話したのに、お姉さまはまだ聞き足りなさそうだったわね』


「兄さんと別れたあとのことは、まだ全部聞いていないもの」


 セレスが姉にも聞こえるように声を向けると、庭へ続く扉の前から返事があった。

 姉は薄い上着を羽織り、両手に湯気の立つカップを持っていた。


「今夜も続きを聞くから、そのつもりでいて」


「昨日、ほとんど話しただろ」


「セフィリアのことは、刀に触れたら獅心《コル・レオニス》が反応した、くらいしか聞いてないわ」


「ほかに何を話せばいいんだ?」


「どんな子なのかとか、どうして一緒に王国まで戻ってきたのかとか、いろいろあるでしょう」


『レグルスに任せていたら、勇者の説明が剣の構えだけで終わりそうね』


「ちゃんと、真面目で責任感が強いとも話した」


「それだけ?」


「剣を振る時は迷いがない」


「やっぱり剣の話に戻っているじゃない」


 姉が呆れたように笑い、片方のカップを差し出した。

 受け取ると、香草の匂いに混じって、わずかに蜂蜜の甘さが感じられた。


「姉さんの分より甘くないか?」


「あなたは昔から、こっちの方が好きだったでしょう」


「覚えてたのか」


「弟の好みくらい覚えているわよ」


 一口飲む。

 帝国でよく飲んでいた香辛料の強い茶とは違う。

 慣れた味が、温かさとともに身体へ広がっていった。


「美味いな」


「淹れたのは使用人だけどね」


「あとで礼を言っておく」

 カップを庭の端へ置き、身体の内側へ魔力を巡らせる。


「それで、朝から何をしていたの?」


「昨日は魔導艇の中でほとんど座っていただろ。少し身体を動かした方が調子がいいんだ」


「帰ってきた翌朝から、いきなり鍛え直しているわけではないのね」


「そこまで急いでない」


『昨日までなら、言葉どおりに受け取れなかったでしょうね』


「セレスは俺を何だと思ってるんだ?」


『放っておけば、食事を忘れて刀を振っている人』


「食事は忘れない」


「そこは昔から変わらないわね」

 姉が笑う。


「母さんに叱られても稽古は続けていたけど、食事の時間だけはちゃんと戻ってきたもの」


「稽古のあとなら、腹が減るからな」


「そういうところは安心できるわ」


 命脈へ魔力を流す。

 足元から伸びた流れが脚、腰、背中、両腕へ巡っていく。

 庭の中央へ立ち、自分を中心とした円を思い描いた。


 一歩踏み込む。

 地面を蹴った力を腰へ伝え、肩を通して拳へ乗せる。

 途中で止めると、拳の先が朝の空気を小さく揺らした。


 姉の表情が変わる。


「今の構え、帝国へ行く前とは違うわね」


「分かるのか?」


「以前は、もっと刀を抜くことに意識が向いていたもの。今は、身体全体で一つの術式を組んでいるように見える」


 姉が庭へ下りてくる。

 俺の周囲を一度回り、足元から肩までを確かめるように視線を動かした。


「魔力の流れも変わっている。命脈を自分の内側へ引き込んでいるの?」


「リヴィアから教わった方法を、自分に合わせて変えた。命脈に沿って魔力を巡らせながら、刀へつなげている」


「それを聞きたかったのよ。昨夜は、巡らせているとしか言わなかったでしょう」


「言葉だけで説明するのは難しいんだ」


「なら、あとで実際に見せて」


「今日は物件を見に行くんじゃなかったのか?」


「連休は三日あるわ。家探しに一日、あなたの新しい術式を見るのに一日、残りはゆっくり休むつもりよ」


「自分の研究をする時間が入ってないぞ」


「あなたを調べるのも研究になるでしょう?」


「俺を研究材料にするな」


『有望な研究対象だと思うけれど』


「セレスまで姉さんの味方をするのか?」


『面白そうだからよ』


「理由まで姉さんと同じだな」


 軽く身体を動かしたあと、俺たちは朝食の席へ着いた。

 卓上には、焼いた卵と腸詰め、根菜の入った温かいスープ、焼きたてのパンが並べられている。

 パンの横には果実を煮詰めたものと、蜂蜜も添えられていた。


 スープを一口飲む。

 肉と野菜の味がよく溶け込んでいる。

 子どもの頃、王都の別邸へ来るたびに食べていたものと変わらない味だった。


「これ、まだ同じ人が作ってるのか?」


「ええ。料理長は変わっていないわよ」


「懐かしいな。帝国の料理も美味かったけど、この味は王国へ帰ってきた感じがする」


「あとで本人に言ってあげて。喜ぶと思うわ」


「分かった。もう一杯もらってもいいか?」

 給仕をしていた使用人へ尋ねると、微笑みながら頷かれた。


「もちろんでございます」


『朝からよく食べるわね』


「昨日は魔導艇の中で軽く食べただけだったからな」


「昨夜も別邸で夕食を食べたでしょう」


「あれから姉さんに何時間も話をさせられた」


「人のせいにしないの」


 二杯目のスープを受け取る。

 卓の端には、昨日ギルドから持ち帰った三件分の資料が並べられていた。

 どの頁にも、昨夜までなかった書き込みが増えている。

 水回り。周辺の治安。

 建物に使われている術式。

 ギルドや商店街までの距離。


「昨日、あれだけ俺を質問攻めにして、いつ調べたんだ?」


「あなたがお風呂へ入っている間と、寝たあとよ。別邸にある王都の地図と照らしただけだから、それほど時間はかかっていないわ」


「姉さんこそ、ちゃんと寝たのか?」


「研究に夢中になった時よりは、ずっと早く寝たわよ」


「それは比較にならないだろ」


『二人とも、自分のことになると同じような答えをするのね』


「俺は姉さんほど無茶してない」


「私も、あなたほど無茶していないわ」


『よく似た姉弟だこと』


 俺と姉は顔を見合わせる。


「そこまで似てるか?」


「少なくとも、セレスに言われたくはないわね」


『どうして私まで含まれるのかしら?』


「セレスも、本を読み始めたら止まらないだろ」


『必要な知識を集めているだけよ』


「ほら、同じじゃない」

 姉が笑いながら、一件目の資料を俺の前へ置いた。


「今日は資料に載っている順番で見ましょう」


「三件目が一番気になっているけど、姉さんの言うとおり全部見るよ」


 俺が答えると、姉が意外そうに瞬きをした。


「反対しないの?」


「資料だけで決めるなら、見学する意味がないだろ」


「昨日より、ずいぶん物分かりがよくなったわね」


「昨日も一緒に来てくれと言ったはずだ」


「私が勝ったあとでね」


『あれはお姉さまの完勝だったわ』


「二人で同じ話を何度もするな」


 朝食を終えると、俺たちは別邸の馬車で王都ギルドへ向かった。

 昨日と同じ受付で見学を希望すると、三件の物件を管理する者が呼ばれた。

 現れたのは、鍵の束と書類を入れた鞄を持つ中年の女性だった。

 長く冒険者向けの住居を扱っているらしく、俺の腰にある獅心《コル・レオニス》を見ても驚いた様子はない。


「三件とも本日中にご案内できます。最初の物件は、ここから歩いて向かえる距離です」


「よろしくお願いします」


 ギルドを出て、朝の通りを歩く。

 一件目は、ギルドから二つの大通りを越えた場所にあった。

 同じ形をした二階建ての住居が、壁を共有する形で六軒並んでいる。

 通りに面した入口は狭いが、建物自体は新しく、扉や窓にも傷は少なかった。

 向かい側には、煮込み料理を出す店がある。

 少し離れた屋台からは、鳥肉を炙る香ばしい匂いも漂っていた。


「この辺りなら、依頼から戻るのが遅くなっても食事には困らなさそうだな」


「ちゃんと、食べる場所も見ているのね」


「前から見てる。王都は食堂も屋台も多いし、美味い店も多いからな」


「それなら、台所がなくてもいいんじゃない?」


「毎日外で食べるとは言ってないだろ」


「自分で作るの?」


「野営の時は作ってる」


「肉を焼いて、鍋に全部入れるだけでしょう?」


「食べられれば料理だ」


「今の言葉、料理長の前では言わない方がいいわよ」


 管理人の女性が口元を緩めながら、玄関の鍵を開けた。


「冒険者や商会の職員が多く利用しています。ギルドまで近く、食事を出す店も多いので、長期の依頼から戻ったあとも不自由はないと思います」


 中へ入る。

 一階には、小さな居間と台所。

 二階には寝室と物置が一つずつあった。

 必要な部屋は揃っている。

 窓から入る光も十分で、掃除も行き届いていた。


「一人で暮らすなら、これくらいでも十分だな」


「意外ね。入った瞬間に狭いと言うかと思ったわ」


「今まで宿の一部屋で暮らしてたんだ。これでも広い方だろ」


 窓を開けると、通りを行き交う人々の声が入ってくる。

 隣の家からも、椅子を動かす音がわずかに聞こえた。

 壁を共有している以上、こちらの音も同じように伝わるのだろう。


「物置には、装備を置けますか?」


「一般的な防具や武器でしたら問題ありません。ただ、大型の装備や魔物の素材を長く保管するには、少し狭いと思います」


「長く留守にした時の管理は?」


「ギルドから連絡を受ければ、定期的に扉や窓を確認します。近隣の方もいますから、空き巣が入りにくい点では三件の中で一番です」


 便利な家だった。

 ギルドに近く、食事にも困らない。

 周囲に人がいることも、依頼で留守にする冒険者にとっては悪くない。


「庭はあるんですか?」


「建物の裏に共同の中庭があります。ただし、洗濯や住人同士の交流に使う場所ですので、武器を使った鍛錬は禁止されています」


「やっぱり聞くのね」


「聞くだけならいいだろ」


「その顔は、少し期待していたでしょう」


「少しくらいなら使えるかと思ったんだ」


「近くに冒険者向けの訓練場がありますよ」


「そこを使う方法もあるな」


 帝国へ行く前の俺なら、この家でも困らなかったかもしれない。

 だが、獅心《コル・レオニス》を手に入れ、命脈闘法を続ける今は、もう少し自由に身体を動かせる場所が欲しかった。


「便利で暮らしやすい家だと思います。ただ、装備を置く場所が少し狭いので、ほかも見てから考えます」


「承知しました」


 管理人の女性が鍵を閉める。

 姉が俺の隣へ並んだ。


「庭がないから、すぐに断ると思っていたわ」


「一人で暮らす場所としては悪くなかった。姉さんが言ったとおり、全部見て比べた方がよさそうだな」


「素直に認められるようになったのは、帝国での成長?」


「昔から、正しいと思えば認めてる」


「そうだったかしら?」


『お姉さまの記憶の方が正しいと思うわ』


「セレスまで昔の俺を知ってるように言うな」


 二件目は、王都の商店街に近い二階建てだった。

 一件目とは違い、左右の建物との間には狭い通路がある。

 正面の通りには食料品店や衣料品店が並び、少し歩けば武具を扱う店にも着く。

 見覚えのある店も幾つか残っていた。


「あそこの肉包み、まだ売ってるんだな」


 香辛料で味をつけた肉と野菜を薄い生地で包み、石窯で焼いたものだ。

 王都にいた頃、依頼の帰りによく買っていた。


「食べたいの?」


「昼まで店が開いていたら買おうと思ってる」


「朝食を二杯食べたばかりでしょう」


「昼までは時間がある」


『本当に、食事を忘れる心配だけはなさそうね』


「だから最初から言ってるだろ」


 管理人の女性が家の扉を開ける。


「生活するには、ここが一番便利です。水を引く術式も新しく、各部屋に灯りをつけるための魔石も備えつけられています」


 一階の居間は、一件目よりも広かった。

 台所の横には食料を保管する小部屋がある。

 二階には寝室が二つあり、窓からは商店街を行き交う人々の姿が見えた。


「ここはいいな」


「さっきより反応が早いわね」


「台所も広いし、窓から商店街が見える。必要な物はすぐに買いに行けそうだ」


「二階の一室は客室にできるわね」


「家族が来ても泊まれるな」


「さっきは別邸へ泊まればいいと言っていなかった?」


「実際に部屋を見たら、あってもいいと思ったんだ。母さんなら、俺の家を見に来るだろ」


「間違いなく来るわね。家へ入った瞬間、掃除と食事の心配を始めると思う」


「父さんと祖父さんも来るかもしれない」


「二人は、家より先に新しい刀を見せろと言うんじゃない?」


「そのあと庭がないことを気にしそうだな」


「結局、私たちの家族はそこへ戻るのね」

 姉が笑った。


 台所の水を出し、壁に刻まれた術式を確かめる。

 そのあと、窓の留め具や床の歪みまで順番に調べていった。


「建物はしっかりしているわ。水回りも問題ないし、寝室も二つある。家としては、三件の中で一番整っていると思う」


『二階の一室を書庫にすることもできるわね』


 セレスが姉にも声を向ける。


「セレスは、客室より書庫の方がいいみたいだけど」


「まだ一冊も本を置いてないだろ」


『これから増やせばいいのよ』


「増やすことは決定なのか?」


「私の本も何冊か持ってきてあげる」


「姉さんまで乗るな。客室がなくなるだろ」


「その時は、書庫に簡易寝台を置けばいいじゃない」


『それなら妥協してあげるわ』


「二人で俺の家の使い方を決めるな」


 言いながらも、悪い気はしなかった。

 まだ借りてもいない家へ、家族が訪れる場面を想像している。

 昨日まで宿を探そうとしていた時には、考えもしなかったことだった。

 建物の裏へ回る。

 そこには荷物を運び込むための細い通路しかなく、身体を大きく動かせる場所はなかった。


「鍛錬には向きませんが、通りの反対側に公共の訓練場があります」


「近いな」


「一件目の近くにある訓練場よりも広く、屋根のある区画もあります」


 それなら、雨の日でも困らない。

 装備を保管する小部屋の床が一般的な木材であることだけは気になった。

 補強すれば使えるが、長く住むなら手を加える場所が増える。


「ここは少し迷うな」


 俺が言うと、姉が意外そうに目を向けた。


「庭がないのに?」


「家としては一番暮らしやすそうだ。周りに美味い店も多いし、訓練場も近い。装備を置く部屋だけ、補強が必要になるけどな」


「ちゃんと生活することまで考えているのね」


「俺を何だと思ってたんだ?」


「庭に寝台を置いて暮らしても平気だと言い出す弟」


「さすがに家の中で寝る」


『そこは安心したわ』


 二件目を出たところで、昼を知らせる鐘が王都へ響いた。


 管理人の女性は三件目の鍵を用意するため、先に職人街へ向かった。

 俺たちは商店街へ戻り、先ほど見つけた店へ立ち寄る。

 焼きたての肉包みを二つ買い、運河沿いの長椅子へ座った。

 薄い生地の中には、香辛料を利かせた肉と炒めた玉葱、細かく刻んだ根菜が詰まっている。

 一口かじると、肉汁と少し辛いソースの味が広がった。


「変わってないな」


「帝国へ行く前にも食べていたの?」


「ああ。依頼の帰りに、よく買ってた。閉店間際だと、少し安くしてもらえたんだ」


「そういう店があるなら、私にも教えてくれればよかったのに」


「姉さんは普段、学園から出ないだろ」


「休みの日くらいは出るわよ」


「今度、一緒に行くか?」


「今、来ているでしょう」


「ほかにもあるんだ。川魚を香草で焼く店とか、夜だけ出る煮込みの屋台とか」


「意外と詳しいのね」


「王都でもそれなりに暮らしてたんだ。依頼の帰りに寄れる店くらい探す」


『食事に関しては、思っていたよりも行動的なのね』


「美味い物を食べた方が、次の依頼にも気分よく行けるだろ」


「その考え方なら、少しくらい料理を覚えてもよさそうだけど」


「それはこれから考える」


 姉も肉包みを一口食べる。


「美味しいわね。少し辛いけれど」


「姉さんは辛い物が苦手だったな」


「昔よりは食べられるようになったわよ」


「顔が赤くなってるぞ」


「これは熱いからよ」


『お姉さま、水が必要?』


「セレスまでからかわないで」


 姉が持っていた水筒へ手を伸ばす。

 俺は笑いながら、残りの肉包みを食べた。


「二件目、本当に悪くなかったな」


 食事を終えたあと、運河を見ながら口にする。


「ええ。私は、今のところ二件目が一番いいと思うわ」


「俺も少し迷ってる。ただ、長く暮らすなら、もう少し静かな方がいい。依頼から戻ったあと、何も考えずに身体を動かせる場所も欲しい」


「それなら、やっぱり別邸が一番でしょう?」


「昨夜、久しぶりに別邸へ戻って、懐かしいとは思ったよ。料理も美味かったし、使用人たちも変わらず迎えてくれた」


「なら――」


「でも、あそこは家族の家だ。俺が王都でどう暮らすのかまで、自分で決める場所ではないと思う」


 姉は何も言わず、こちらを見ている。


「家族から離れたいわけじゃない。姉さんが連休のたびに来ても構わないし、父さんたちが泊まりに来るなら部屋も用意したい」


「それは、招待していると思っていいの?」


「まだ家も決まってないけどな」


『私は初めから一緒に住むつもりよ』


「セレスは家賃を払うのか?」


『知識を貸してあげるわ』


「自分が読みたい本を増やすだけじゃないのか?」


『失礼ね。あなたにも必要な本を選ぶわよ』


「それなら、少しは払ってることになるか」


「私も本を持ってくるから、書庫は必要ね」


「姉さんは家賃を払わないだろ」


「術式を直してあげるわ」


『お姉さまの方が役に立ちそうね』


「まだ三件目も見てないのに、住むことだけ決まっていくな」


 姉とセレスのやり取りを聞いていると、一人で暮らすための家を探しているはずなのに、完全に一人になる気はしなかった。


 三件目のある職人街へ向かう。

 大通りを離れると、人の声に代わって金属を打つ音や、木を削る音が聞こえ始めた。

 鍛冶場や工房が集まる区域らしい。

 職人たちに向けた食堂や屋台も多い。

 大きな鍋で豆と肉を煮込む店や、焼いた腸詰めを売る屋台が通りに並んでいた。


「ここも食事には困らなさそうだ」


「今度は、家より先に店を見ているわよ」


「住む場所を選ぶなら大事だろ。毎日自分で作れるとは限らないからな」


「さっきより現実的になっているわね」


『肉包みを食べた効果かしら』


 三件目の家は、そこから一本裏の通りにあった。

 低い石壁と木製の門。

 その奥には、石造りの一階と木造の二階を組み合わせた、小さな家が建っている。

 新しくはない。

 外壁には補修した跡があり、門の金具にも長く使われてきた傷が残っている。

 それでも、屋根や窓に大きな傷みは見当たらなかった。


「前に住んでいたのは、王都で活動していたC級冒険者です。引退して故郷へ戻られたため、現在はギルドが管理を任されています」


「今の俺と同じ階級なんですね」


「はい。長期間の依頼が多い方でしたので、留守にしても傷みにくいよう手を加えられています」


「それなら、私たちより冒険者の暮らしを分かっていそうね」


 姉が家を見上げる。

 管理人の女性が門を開け、俺たちを中へ案内した。

 玄関の扉は、見た目よりも重かった。

 内部へ金属板を入れて補強してあるらしく、鍵も一般的な家に使われるものより複雑になっている。


 一階には、居間と台所。

 その奥には石張りの床を持つ小部屋があった。

 壁には装備を掛けるための金具が残されている。

 湿気を逃がすための換気口もあり、刀や防具を置くには十分な広さだった。


「ここなら、重い物を置いても床が傷むことはありません。以前の方は、討伐した魔物の素材も一時的に保管していました」


「浄化の術式も残っていますね」


 姉が壁の一部へ触れる。


「はい。退去後に一度動かしています。魔石を交換すれば、そのまま使用できます」


 居間へ戻る。

 窓から入る光は、一件目や二件目より少ない。

 だが、通りから一本入った場所にあるため、人の声はほとんど聞こえなかった。

 依頼から帰り、装備を小部屋へ置く。

 近くの食堂で買った料理を卓上へ並べ、静かな部屋で食べる。

 そんな姿が、自然と頭へ浮かんだ。


「居間に置くなら、大きな卓はいらないな。でも、二人か三人で食事ができるくらいのものは欲しい」

 俺が言うと、姉がこちらを見る。


「自分から家具の話をするとは思わなかったわ」


「姉さんが来るんだろ?」


「ええ。できれば、座り心地のいい椅子もお願い」


『私の分は本棚でいいわ』


「セレスは座れないだろ」


『今はね』


 意味ありげな言葉だったが、それ以上は続かなかった。


 台所へ向かう。

 調理台は二件目より狭いが、一人で使うには十分だった。

 壁際に取りつけられた水口からは、問題なく水が流れる。


「この大きさなら、簡単な料理はできそうだな」


「肉を焼いて、鍋に全部入れる料理?」


「味は調える。野営と違って、王都なら香辛料も野菜も買えるからな」


「なら、食器だけでなく鍋も必要ね」


「それくらいは買うよ。外で美味い物を食べるのもいいけど、毎回だと金もかかる」


『ようやく、生活するための家を見始めたわね』


「最初から見てる。二件目も本気で迷ったんだぞ」


「それなら、台所の魔石が古いことにも気づいた?」


 姉に尋ねられ、壁の術式を見る。


「……そこまでは分からない」


「正直でよろしい」


 姉が水を引く術式へ魔力を流す。


「今すぐ壊れることはないけれど、交換した方がいいわ。ここへ住むなら、私が合う魔石を選ぶ」


「頼む。井戸へ水を汲みに行く生活までは考えてない」


「前より進歩したわね」


「姉さんは俺をどれだけ生活のできない人間だと思ってるんだ?」


「帝国へ行く前よりは、少し安心しているわよ」


 二階には寝室が一つと、何も置かれていない小部屋があった。

 小部屋の壁には、作りつけの本棚が残されている。


『この部屋にしましょう』

 セレスの声が、俺と姉の意識へ同時に響いた。


「何の部屋だ?」


『書庫に決まっているでしょう』


「まだ家を決めてもいないのに、自分の部屋を取るな」


「私は賛成よ。本棚をそのまま使えるし、机を置けば私も作業できるもの」


「どうして姉さんまで自分の部屋にしようとしてるんだ?」


『私とお姉さまで共有すればいいわ』


「俺の家だぞ」


「分かっているわよ。寝台を置けば、客室にも使えるでしょう?」


 小部屋を見回す。

 大きな寝台は置けないが、一人分なら問題はない。

 本棚と机を置く余裕も残る。


「それならいいか。家族が来た時は客室にして、普段は書庫として使おう」


『妥当な判断ね』


「セレスの許可が必要なのか?」


『家を快適に保つためには、住む者全員の意見が必要でしょう』


「いつの間に住人になったんだ?」


「最初からでしょう?」

 姉が当然のように言う。


「二対一か」


『今ごろ気づいたの?』


 姉が笑いながら、窓の留め具を確かめる。


「ここは交換した方がいいわね。留め具だけではなく、周囲の枠も少し歪んでいる」


「承知しました。契約前に所有者へ修繕を依頼できます」


 室内を見終え、家の裏側へ回る。

 資料に描かれていた小さな裏庭があった。

 三方を石壁に囲まれ、地面は踏み固められている。

 庭の端には古い木の杭が立ち、何度も武器を打ち込まれた跡が残っていた。


 中央へ立つ。

 広いとは言えない。

 だが、刀を抜き、一歩踏み込み、自分の円の中で動くには十分だった。

 まだ自分の家ではないため、獅心《コル・レオニス》は抜かない。

 足を開き、庭の広さを確かめながら一度だけ身体を運ぶ。

 壁へ届く前に止まる。

 左右にも、後ろにも余裕があった。


「やっぱり、庭へ出た時が一番楽しそうね」

 姉が言う。


「それは否定しない。でも、ここが気に入ったのは庭だけじゃない」


「ほかには?」


「装備を置く部屋がある。通りから少し離れていて静かだ。台所も一人なら十分だし、近くに食堂や屋台も多い。二階には、姉さんたちが来た時に使える部屋もある」


『私の書庫よ』


「客室兼書庫だ」


『仕方ないわね』


「それに、この家なら依頼から帰ってきた時のことを想像できる」


 姉が、家と庭を交互に見る。


「二件目では駄目だった?」


「二件目も暮らしやすそうだった。でも、あそこは外へ出れば何でも揃っていた分、家の中で過ごす姿があまり浮かばなかった」


「ここなら浮かぶのね」


「ああ。誰かが来ても、一人でも、落ち着いて過ごせそうだ」


 姉の表情が柔らかくなる。


「それなら、もう決まっているみたいね」


 姉が庭を囲む石壁へ近づき、表面へ指先を触れた。


「術式も残っているわ」


「どんな術式だ?」


「侵入を知らせるものと、音を外へ漏らしにくくするもの。前の住人が、ここで鍛錬するために組んだのでしょう」


 姉の指先から淡い光が広がる。

 石壁に沿って細い線が浮かび上がった。

 幾つかの場所で途切れているが、術式の大部分は残っている。


『外周の線をつなげば、侵入を知らせる機能は戻せるわね』


「見ただけで分かるのか?」


『誰に聞いているのかしら』


「セレスの言うとおりよ。構成は古いけれど、基礎は残っている。私が組み直せば、音だけでなく魔力が外へ漏れるのも、ある程度は抑えられると思う」


「二人で直せるのか?」


「私が術式を組み直して、セレスに古い構成を確認してもらえば早いでしょうね」


『お姉さまとなら、半日もかからないわ』


「もう住むことを前提に話してるな」


「あなたも、そのつもりでしょう?」


 否定する理由はなかった。

 管理人の女性へ向き直る。


「この家にします」


「もう決めてもよろしいのですか?」


「はい。三件とも見た上で、ここが一番自分に合っていると思います」


「二件目も迷っていたけれど、本当にいいのね?」


 姉が念を押す。


「ああ。二件目の近くには食べに行けばいい。家へ帰るなら、こっちがいい」


「分かったわ。私も反対しない」


 管理人の女性が契約条件を記した書類を取り出す。


「賃貸契約は一年ごとの更新です。一定期間利用されたあと、所有者が売却を希望した場合は、優先して買い取ることもできます」


「分かりました」


「契約前に、こちらで扉と窓の補修を行います。ほかに気になる部分はありますか?」


 姉がもう一度、建物を見回す。


「台所の魔石を交換してください。二階の窓は留め具と枠の両方。それから、庭の術式は撤去せずに残しておいてもらえますか?」


「術式の修復費用は、入居される方の負担となりますが」


「構いません。私たちで直します」


「材料は俺が用意するよ」


「最初から、そのつもりよ」


『私には本を用意してちょうだい』


「それは家の修理に必要なのか?」


『私の生活に必要よ』


「セレスの生活って何だ?」


『本を読むことだけれど』


「それは知ってる」


 管理人の女性が、口元を押さえて笑っていた。


「では、明日の朝、ギルドで正式な契約を行います。本日中は、ほかの方から希望が入らないよう押さえておきます」


「お願いします」


 管理人の女性が家と門へ鍵をかける。

 契約に必要な書類を確認したあと、俺たちへ頭を下げ、先に職人街を離れていった。

 通りには、まだ金属を打つ音が響いている。


「姉さんが一緒に来てくれて助かった」


「ようやく分かった?」


「ああ。一人だったら、台所の魔石や窓の歪みまでは分からなかった。それに、二件目を見ないまま決めていたら、ここが本当にいいのか比べられなかった」


「そこまで分かっているなら、付き添った意味はあったわね」


『初めから、お姉さまの言うことを聞いておけばよかったのよ』


「それを言うなら、セレスも本棚しか見てなかっただろ」


『家に書庫は必要よ』


「必要なのはセレスだけだ」


「私も使うわよ」


「やっぱり二対一だな」


 姉が俺の隣へ並ぶ。


「明日は契約を済ませたあと、家具も見に行きましょう。寝台と卓と椅子、食器、調理道具も必要ね」


「全部を一日で揃えるのか?」


「最低限だけよ。あなた一人に任せたら、寝台と刀を置く台だけで終わりそうだもの」


「椅子も買うよ。姉さんが来るんだろ?」


 姉が少しだけ目を見開く。


「ええ。何度でも来るわ」


「それなら、座る場所くらいは用意しておかないとな」


『私の本を置く場所も忘れないで』


「本棚はもうある」


『空のままでは意味がないでしょう』


「分かった。何冊か選べばいい」


「セレスの本を選び始めたら、家具より高くなりそうね」


「それは困る」


『必要な出費よ』


 三人で話しながら、職人街の通りを歩く。


「帰りに、さっき見つけた腸詰めも買っていくか?」


「別邸では夕食を用意してくれているでしょう」


「そうだった。なら、明日の昼にしよう」


「今度は私にも辛くないものを選んでね」


「さっきの肉包みも、辛いと言いながら全部食べただろ」


「美味しかったからよ」


『また食べたいという意味ね』


「セレス、余計なことを言わないで」


 姉が少しだけ頬を膨らませる。

 俺は笑いながら、先ほど見た家を振り返った。

 門の向こうにある家は、まだ誰も住んでおらず、窓の内側にも灯りはない。

 獅心《コル・レオニス》を置く台も、食事を並べる卓も、姉が座る椅子も、今は何一つ用意されていなかった。

 それでも、依頼を終えてあの門を開ける自分の姿は想像できた。

 灯りをつける。

 買ってきた料理を食べる日もあれば、自分で簡単なものを作る日もある。

 姉が訪れ、セレスと二人で勝手に書庫を増やすこともあるかもしれない。

 庭では刀を振り、疲れたあとは家の中へ戻る。

 王都で、自分が帰る場所。

 ここへ帰る暮らしなら、悪くない。

 そう思いながら、俺は姉とともに新しい家をあとにした。

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