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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第七章 勇者との邂逅、王国への帰還
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第93話 獅心《コル・レオニス》

 亀裂が閉じてから、三時間ほどが過ぎていた。

 すでに朝日は高く昇り、臨時拠点を囲む木柵と荒れた地面を明るく照らしている。

 空間を縦に裂いていた黒い亀裂は跡形もなく消えていた。周囲の魔素も、ゆっくりと本来の流れへ戻り始めている。


 それでも、拠点の中に勝利を喜ぶ声はなかった。

 帝国兵たちは倒れた魔物の死体を運び、冒険者たちは林の中に残党が潜んでいないかを調べている。

 負傷者の治療と後方への移送も続いていた。

 魔族の死体だけは別に集められ、王国騎士たちによって調査用の天幕へ運び込まれている。


 俺は西側の壊れた木柵の近くへ腰を下ろしていた。

 身体に問題はない。

 ただ、戦いで消耗した魔力は、まだ半分ほどしか戻っていなかった。

 腰には、黒鞘の刀がある。

 戦いの最中に見せていた脈動は収まり、今は何事もなかったように沈黙している。


『さすがに、魔力は戻り切っていないようね』

 セレスの声が意識へ響く。


「半分は戻った」


『半分しか、でしょう?』


「亀裂は閉じた。すぐに戦う必要もない」


『そういう問題かしら』


「動くには十分だ」


『相変わらず、自分のことになると扱いが雑ね』


 呆れたような声だった。

 返事をする前に、足音が近づいてきた。


「ここにいたか」


 昨日から西側を守っていた年長の冒険者だった。

 斧を背負い、包帯を巻かれた右肩を左手で軽く押さえている。


「林の中はどうでした?」


「魔物の姿はない。残っている気配も、今のところ見つかっていないそうだ」


 男が俺の隣へ腰を下ろす。


「どうやら、生きて帝都へ帰れそうだな」


「亀裂は閉じましたから」


「それだけじゃないだろ」


 男が壊れた木柵の向こうへ目を向ける。

 そこには、戦いの跡が深く残っていた。

 抉れた地面。折れた武器。乾き始めた黒い血。


「お前があの魔族を止めていなければ、西側は抜かれていた。そうなれば、勇者まで届いていたかもしれん」


「一人では止められませんでした」


「俺たちが倒したのは、横へ流れてきた魔物だけだ」


「それを止めてもらったから、魔族に集中できたんです」


 俺が答えると、男はしばらく黙ったあとで笑った。


「そういうことにしておくか」


 立ち上がり、服についた土を払う。


「帝都へ戻ったら、一杯奢らせろ」


「俺は王国へ帰る予定です」


「なら、帝国を出る前だ。逃げるなよ」


「分かりました」


 男は満足そうに頷くと、仲間たちのもとへ戻っていった。


『少しは冒険者らしくなったんじゃない?』


「酒を奢られることがか?」


『仲間と戦って、帰ったあとに約束をすることがよ』


「そういうものか」


『そういうものよ』

 セレスの声が消える。


 代わりに、また足音が聞こえてきた。

 今度の足音は先ほどよりも軽い。

 顔を上げると、セフィリアがこちらへ歩いてきていた。

 戦いの汚れは落としているが、顔にはまだ疲労が残っている。

 封鎖に使った魔力も、完全には戻っていないのだろう。

 少し離れた場所には、二人の従騎士が控えていた。


「もう歩いてもいいのか?」


「はい。先ほどまで、治療用の天幕で休んでいました」


「なら、まだ休んでいた方がいい」


「そうしたいのですが、その前に一つ、果たしていただきたい約束があります」


 セフィリアの視線が、俺の腰へ向けられる。


「刀か」


「はい」


 セフィリアの表情がわずかに明るくなる。


「依頼は終わりました。今度こそ、見せていただけますよね?」


「ああ。約束だからな」


 俺は立ち上がると、周囲に人がいないことを確かめた。

 黒鞘ごと刀を腰から外し、左手で持つ。


「抜くぞ」


「はい」


「今度は見逃すなよ」


「これだけ近ければ、さすがに大丈夫です」


 セフィリアが真剣な表情で刀を見つめる。


 俺は右手を柄へ添えた。

 戦いの時とは違い、ゆっくりと黒鞘から刀身を引き抜いていく。

 朝日を受けた刃が、静かな光を返した。

 銀色の刀身の中央を、刃元から切っ先まで一本の黒い線が貫いている。

 傷でも、刃文でもない。表面に描かれているというより、鋼の奥へ黒い何かが封じ込められているように見えた。その部分だけは朝日を返さず、差し込む光を吸い込んでいる。

 幾度も魔物と魔族を斬ったにもかかわらず、刃こぼれは一つもない。刀身に残っていた血も拭い終えている。黒線の片側には、穏やかに波打つ刃文が根元から切っ先まで続いていた。


「刀身の中に、黒い線が……」


 セフィリアの視線が、刃元から切っ先へゆっくりと動く。


「この形になった時からある」


「傷ではないのですか?」


「ああ。触れても段差はない。ただ、刀の内側まで続いているように見える」


「まるで、この刀の中を通る道のようですね、それに思っていたより、細いのですね」


「騎士剣とは使い方が違うからな」


「でも、弱いとは感じません」


 セフィリアの目が、刀身の上をゆっくりと動いていく。


「静かなのに、眠っているだけのような……そんな感じがします」


「同じようなことを、セレスも言っていたな」


「セレス?」


 腰にあるグリモアへ目を向ける。


「この本の名前だ」


「あの本に、名前があったのですね」


『本ではなく、私にあるのだけれど』


 セレスは、セフィリアには聞こえていないほど小さく呟いた。

 不満そうな声を聞き流し、俺は刀を持ち直した。


「先ほど、あの魔族を斬ったのも、この刀ですよね?」


「ああ」


「最後の一撃は、見ることができませんでした」


「亀裂を閉じていたんだから、当然だろ」


「分かっています。それでも、少し残念です」


 セフィリアは名残惜しそうに刀身を見つめる。


「持ってみてもいいですか?」


「やめた方がいい」


「駄目ですか……」


 目に見えて落ち込む。

 俺は少し考えたあと、刀を鞘へ戻した。


「柄へ触れるだけならいい」


 セフィリアが顔を上げる。


「本当ですか?」


「俺が鞘を押さえておく。勝手に抜くなよ」


「はい。絶対に抜きません」


 俺は黒鞘を横向きに持ち、柄をセフィリアへ向けた。

 セフィリアが右手を伸ばす。

 少しためらってから、指先で柄巻へ触れた。


「失礼します」


 そのまま、ゆっくりと柄を握る。


 次の瞬間だった。

 黒鞘の内側で、刀が強く脈打った。

 一度。

 戦いの最中に感じたものと同じ、重い鼓動。

 続けて、もう一度。

 二度目の鼓動とともに、セフィリアの指の隙間から淡い光が漏れた。

 亀裂を閉じる際に見せていたものと同じ光だった。


「何……?」


 髪の毛よりも細い光の筋が、セフィリアの掌から柄の内側へ引き込まれていく。

 俺は反射的にセフィリアの手首をつかみ、柄から引き離した。

 光の筋が途切れ、刀の脈動も止まる。


「大丈夫か?」


「はい」


 セフィリアは自分の右手を見つめた。


「痛みはありません。ただ、ほんの少しだけ、身体の中から何かを引かれたような……」


 少し離れて控えていた従騎士が足を踏み出す。

 だが、セフィリアが左手を上げて制した。


「本当に大丈夫です。驚いただけですから」


「悪い。こんなことになるとは思わなかった」


「レグルスさんが謝ることではありません」


 セフィリアは黒鞘の刀を見る。

 怯えた様子はない。

 むしろ、先ほどまで以上に興味を持ったようだった。


「この刀が、私の魔力を吸ったのでしょうか?」


「たぶんな」


『レグルス』

 セレスの声が響く。


『今の、分かった?』


「魔力を吸ったんじゃないのか?」


『ええ。でも、あなたの魔力を吸う時とは違うわ』


 俺は黒鞘へ意識を向けた。

 刀の内側には、これまで感じたことのない微かな光が残っている。

 魔力量が増えたわけではない。

 刀そのものが強くなった様子もなかった。

 それでも、確かに何かが加わっている。


『取り込んだというより、あの子の魔力の形を覚えた……そんな感じね』


「魔力の形?」


『勇者の魔力は、あの子自身のものだけではないわ。もっと別の何かが重なっている』


「勇者として与えられた力か」


『おそらくはね。刀がそれを使えるようになったわけじゃない。ただ、その性質を自分の中へ刻んだのよ』


 力を奪ったのではない。

 セフィリアにしか存在しない魔力の一部へ触れ、その形を記憶した。


「何のために?」


『そこまでは分からないわ』


 セレスの声が少しだけ低くなる。


『今すぐ何かが変わるわけではない。でも、この刀がいつか今より上の位階へ進むものなら、覚えた形が鍵の一つになるかもしれないわね』


 位階。

 今の刀が、さらに別の何かへ変わる可能性。

 俺は黒鞘を見つめた。

 刀は再び沈黙している。

 先ほど勇者の魔力を吸ったことさえ、初めからなかったようだった。


「レグルスさん?」


 セフィリアの声に顔を上げる。


「どうしました?」


「いや。刀が魔力を奪ったわけじゃないらしい」


「違うのですか?」


「ああ。セフィリアの魔力を覚えただけだ」


 セフィリアは右手を握ったり開いたりしながら、首を傾げる。


「不思議ですが、私もそんな気がします」


「分かるのか?」


「吸い取られたというより、触れたところだけを確かめられたような感覚でした」


 もう一度、黒鞘へ視線を向ける。


「まるで、この刀に私の魔力を覚えられたような……」


 セレスと同じ答えだった。


「それなら、悪い気はしません」


「勝手に魔力を取られたのにか?」


「ほんの少しですから。それに、忘れられるよりはいいと思います」


「刀に覚えられて、嬉しいものなのか?」


「初めて会った時から、ずっと見せてほしいと思っていた刀ですから」


「これは、あの時の刀とは違うぞ」


「それでも、レグルスさんの刀であることは同じです」


 セフィリアが柔らかく笑った。

 返す言葉が見つからず、俺は黒鞘へ目を落とした。


「そういえば」

 セフィリアが尋ねる。


「この刀には、銘があるのですか?」


「銘?」


「名前です。これだけ特別な刀なら、何かあるのではないかと思って」


 答えようとして、口を止めた。

 兄から預かった古い片手剣。

 獅子宮から持ち帰った、錆びた刀。

 二つが重なり、今の姿になった。

 完成した時から、俺はただ新しい刀と呼んでいた。

 名をつけようと考えたことはなかった。


「まだない」


「そうなのですか?」


「ああ」


「少し意外です」


 セフィリアが黒鞘を見つめる。


「これほど生きているような刀なのに、名前がないのですね」


 生きているような刀。

 魔力を与えるたび、刀は柄を握る掌の中で脈打つ。

 まるで、身体の内側で絶えず動き続ける心臓のように。

 獅子宮から持ち帰った刃。

 その奥で刻まれる鼓動。

 一つの言葉が、自然と浮かんだ。


「獅心」


「ししん?」


「獅心《コル・レオニス》」


 口にした瞬間、黒鞘の内側で刀が小さく脈打った。

 セフィリアの目が見開かれる。


「今、反応しましたよね?」


「ああ」


『どうやら、気に入ったみたいね』

 セレスの声にも、わずかな笑みが混じっていた。


「獅子の心臓を意味する、古い言葉だ」


 俺は黒鞘を握り直す。


「獅子宮から持ち帰った刀で、魔力を与えるたびに心臓みたいに脈打つ。だから、獅心《コル・レオニス》だ」


「いい名前です」

 セフィリアが小さく頷く。


「レグルスさんにも、この刀にも合っています」


「俺にも?」


「はい。理由は、うまく言えませんが」


「そうか」


「それに、名前が決まる瞬間を見ることができました」


 嬉しそうに笑い、今度は柄ではなく黒鞘へ指先で触れる。


「よろしくお願いします、獅心《コル・レオニス》」


 呼びかけに答えるように、刀がもう一度だけ脈打った。


「やっぱり、生きているみたいですね」


「刀は生き物じゃない」


『本当に、そう言い切れるのかしら?』


 セレスの問いに、俺は答えなかった。

 セフィリアの魔力を吸ったことで、獅心《コル・レオニス》がすぐに強くなったわけではない。

 斬れなかったものを斬れるようになったわけでも、新しい力を得たわけでもなかった。

 ただ、その内側には今まで存在しなかった何かが刻まれている。

 勇者だけが持つ、固有の魔力の形。

 いつか刀が次の位階へ進む時、その形が何をもたらすのかは分からない。

 俺は獅心《コル・レオニス》を腰へ戻した。

 重さも長さも、これまでと変わらない。

 それでも、名もなかった時とは違う。

 黒鞘の奥に眠る鼓動が、先ほどよりもはっきりと感じられた。


『獅心《コル・レオニス》、ね』


 セレスが、確かめるようにその名を口にする。


『あなたの刀、いったい何になるつもりなのかしら』


 その問いへの答えを、今の俺はまだ知らない。

 黒鞘の奥から、返事の代わりのような小さな鼓動が伝わってきた。

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