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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第七章 勇者との邂逅、王国への帰還
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第92話 最後の一手

 ザルガンの身体が、黒い血を撒き散らしながら地面へ崩れた。

 黒い鱗に覆われた身体は動かない。

 柄を握る掌から伝わってくるのは、黒鞘の内側で脈打つ刀の鼓動だけだった。


『レグルス、まだ終わっていないわよ』


「ああ」


 亀裂の方角から、魔物の咆哮が響いてくる。

 ザルガンを倒しても、亀裂の封鎖は終わっていない。


「レグルス、本当に倒したのか?」

 年長の冒険者が、斧を構えたまま尋ねてきた。


「はい。ですが、まだ魔物が残っています」


「……そうだな」


 男は倒れたザルガンから目を離し、仲間たちへ向き直った。


「西側を片づけるぞ! あとは残っている奴らだけだ!」


 冒険者たちが声を上げる。


 ザルガンの威圧が消えたことで、動きを止めていた者たちも武器を握り直していた。

 対する魔物たちは、統率を失っている。

 中央を目指していた個体が突然こちらへ向きを変え、別の個体は倒れた仲間へ噛みついていた。

 体内の魔力円環は、まだ高い出力で巡っている。

 俺は少しずつ回転を落としながら、全身へ均等に魔力を流した。


 正面から四足の魔物が飛びかかってくる。

 意識上の円が、その動きを捉える。

 半歩だけ横へ動き、伸びてきた前脚を掴んだ。勢いを殺さず、そのまま地面へ投げ落とす。


「今です!」


「任せろ!」


 倒れた魔物の首へ、年長の冒険者が斧を振り下ろした。

 右側を抜けようとした魔物には、別の冒険者が槍を突き出す。

 穂先が肩へ食い込むが、魔物は止まらない。

 俺は地面を蹴り、魔物の進路へ入った。

 腰の黒鞘へ手を添える。

 抜刀。

 刃が首を斬り抜き、魔物の身体が前のめりに倒れる。

 振り切る前に動きを止め、そのまま刀を鞘へ収めた。


 先ほど完成した一振りを使う必要はない。

 魔力円環から必要な分だけを引き出せば、残った魔物を止めるには十分だった。


「西側、残り三体!」


「二体はこっちで止める!」


「なら、最後の一体は俺がやります」


 俺たちは互いの動きを確かめながら、残った魔物を追い詰めていく。

 一体が槍に貫かれ、一体が斧に頭部を砕かれた。

 最後まで抵抗した魔物も、俺の円へ入ったところで前脚を斬り落とし、返した刃で首を斬った。

 魔物の身体が地面へ倒れる。


「西側、残敵なし!」


 年長の冒険者が中央へ向かって叫んだ。


「その場で待機しろ! まだ警戒を解くな!」


 ブラノールの声が返ってくる。

 俺たちは武器を構えたまま、亀裂へ目を向けた。

 亀裂の幅は、人の腕ほどまで狭まっていた。

 新たな魔物が出てくる様子はない。

 淡い光が何重にも縁へ絡みつき、残された黒い空間を左右から締め上げている。

 セフィリアの両腕は小さく震えていた。

 額から流れた汗が頬を伝い、地面へ落ちる。呼吸も浅くなっている。


「セフィリア、あと少しだ」


 ブラノールが剣を構えたまま告げる。


「はい……!」


「力を散らすな。亀裂の中心へ集めろ」


 セフィリアが震える指を伸ばす。

 身体からあふれていた光が一つに束ねられ、亀裂の中心へ流れ込んだ。

 黒い裂け目が激しく脈打つ。

 地面が揺れ、周囲の魔素が一斉に亀裂へ引き込まれた。

 細くなっていた亀裂が、再び広がろうとしている。


「防壁に掴まれ!」


 帝国兵の声が響く。

 俺も地面へ足を踏み込み、引き寄せられる身体を支えた。

 足元に転がっていた魔物の死体が浮き上がり、亀裂へ向かって引きずられていく。


『亀裂が最後まで抵抗しているわ』


「閉じられるのか?」


『あの子が手を止めなければね』


 セフィリアは動かなかった。

 強風のような魔素の流れを正面から受けながら、両手を少しずつ内側へ動かしていく。

 その動きに合わせ、亀裂の両端も引き寄せられていった。


「閉じて……ください!」

 セフィリアが両手を重ねる。


 淡い光が弾けた。

 人の腕ほどあった亀裂が一本の黒い線となり、さらに小さな点へ縮んでいく。

 最後に一度だけ、身体の奥へ響く音が鳴った。


 黒い点が消える。

 周囲の魔素を引き寄せていた流れも、同時に止まった。

 それまで空間を押さえつけていた重さがなくなり、静けさが戻ってくる。


「亀裂の消失を確認!」

 従騎士の一人が叫ぶ。


「封鎖、完了しました!」


 一瞬の沈黙のあと、帝国兵と冒険者たちから歓声が上がった。

 槍を掲げる者。

 その場へ座り込む者。

 隣にいる仲間の肩を叩く者。

 俺も息を吐き、腰の黒鞘から手を離した。


 中央では、セフィリアの両腕が力なく下がっている。

 身体が傾き、傍にいた従騎士が慌てて支えた。


「セフィリア様!」


「大丈夫です。少し、力が抜けただけですから」

 そう答えたセフィリアの表情が、ようやく緩む。


 だが、ブラノールだけは剣を鞘へ収めていなかった。

 封鎖された空間ではなく、セフィリアの背後へ視線を向けている。

 そのことに気づいた直後だった。


『レグルス、まだよ!』


 セレスの声が鋭く響く。

 セフィリアから数歩離れた空間が、水面のように揺れた。

 何もなかったはずの場所から、細い人影が浮かび上がる。

 黒い外套に似たものをまとい、額からは後ろへ湾曲した二本の角が伸びていた。


 魔族。


 姿を現した時には、その長い指の前へ五つの魔法陣が重なっていた。

 詠唱はない。

 潜伏している間に、すでに術式を完成させていたらしい。

 五つの魔法陣が一つにつながる。

 指先へ集まった黒い魔力が、細い針のように圧縮された。

 魔力の量だけなら、ザルガンの方が多かったかもしれない。

 だが、あれは一人を確実に貫くためだけに研ぎ澄まされている。

 狙いは、力を使い果たしたセフィリアだった。


 俺は柄へ手を伸ばす。

 遠い。

 今から踏み込んでも間に合わない。

 黒い針が放たれる。


 その前へ、ブラノールが立った。

 剣が下から走る。

 黒い針が二つに裂け、ブラノールの左右を通り過ぎた。

 分かれた魔力が地面へ突き刺さり、土の奥まで深い穴を穿つ。

 ブラノールは止まらない。

 そのまま魔族との距離を詰め、返した刃を斜めに振り下ろした。

 魔族の身体が、左肩から脇腹まで斬り裂かれる。


「馬鹿、な……」


 重なっていた魔法陣が砕ける。

 黒い血を噴き出した魔族は、何が起きたのか理解できないようにブラノールを見たまま地面へ倒れた。


『さっきの魔族より力は上ね』


 セレスの小さな姿が、俺の肩の近くへ浮かび上がる。


『それに、あの潜伏術。姿だけではなく、魔力の痕跡まで隠していたわ』


「それを、あの一瞬で斬ったのか」


『ええ。勇者を守りながらね』


 ブラノールは倒れた魔族から目を離さない。


「全員、まだ警戒を解くな! 王国騎士は周囲を確認しろ! 帝国兵は防衛線を維持!」


「はい!」


 王国騎士たちが散開する。

 先ほどまで上がっていた歓声は消え、帝国兵と冒険者たちも再び武器を構えた。

 しばらくして、従騎士の一人が戻ってくる。


「周囲に、ほかの魔族や魔物の反応はありません」


「潜伏魔法の痕跡は?」


「この個体が使用していたものだけです」


「分かった。そのまま警戒を続けろ」


 指示を出し終えたブラノールへ、従騎士に支えられたセフィリアが顔を向ける。


「団長……最初から気づいていたのですか?」


「何かが潜んでいることだけはな」


「それなら、どうして……」


「魔力の流れの中に、不自然な空白があった。だが、術式が広い範囲へ散らされていたため、居場所までは特定できなかった」


 ブラノールは倒れたビショップへ視線を落とす。


「無理に探せば、こちらが気づいていることを悟られる。別の手を打たれるより、目的を果たすために姿を現す瞬間を待つ方が確実だった」


「狙いが私だと分かっていたのですか?」


「おそらく、僧侶(ビショップ)だろう」


 ブラノールは倒れた魔族へ視線を落とす。


「以前相手にした個体も、正面から力を振るうのではなく、術と策で敵を仕留めようとしていた。亀裂を閉じた直後、お前が最も消耗し、周囲が気を緩める瞬間を狙うところも同じだ」


 セフィリアは自分を支える従騎士の腕へ手を添えた。


「教えてくだされば、私も警戒を――」


「お前の役目は、亀裂を閉じることだ」


 ブラノールの声は、低く落ち着いていた。


「封鎖中のお前に、亀裂以外のことを考えさせる必要はない。周囲を守るのは、私たちの役目だ」


 セフィリアが一瞬だけ目を見開く。

 その視線が、離れた場所にいる俺へ向けられた。

 昨夜、俺が伝えた言葉とほとんど同じだったからだろう。


 俺は何も言わず、軽く頷いた。


「……はい」


 セフィリアも小さく頷く。

 ブラノールは周囲をもう一度確認してから、ようやく剣を鞘へ収めた。

 俺が西側を通さなかったように、ブラノールもまた、最初から最後までセフィリアの前を守っていた。

 亀裂の封鎖は、今度こそ終わった。

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