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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第六章 修羅と呼ばれる国
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第82話 実りの夜

 魔物の討伐を終えてから、村へ戻るまでには思った以上に時間がかかった。

 俺たちが相手にしたのは、十二体のグラスウルフ、五体のアイアンボア、三体のレイザーホーク。

 討伐した証明となる部位を切り取り、村人たちが用意した荷車へ魔物の死体を載せていく。グラスウルフはともかく、巨体を持つアイアンボアは一体を載せるだけでも荷車が大きく沈んだ。

 レイザーホークも翼を広げれば、人間の背丈を優に超える。三体すべてを一度に運ぶことはできず、残る死体には位置を示すための杭を立て、明日以降に回収することになった。


 作業を手伝おうとすると、村の男たちから止められた。


「討伐を終えたばかりの方へ、これ以上働かせるわけにはいきません。あとは私たちへお任せください」


「ですが、数も多いですし――」


「その肩で何を言っているんです。まずは傷を診てもらってください」


 レイザーホークに裂かれた左肩を見る。

 既に血は止まっている。深い傷ではないが、黒いシャツには血が滲み、胸元や脇腹にも羽根で裂かれた跡が残っていた。


『素直に従いなさい。無事に着地できたからといって、傷までなくなったわけではないのよ』


「……分かりました。お願いします」


 男たちへ作業を任せ、俺はヴァレリアさんとともに村へ戻った。

 西へ傾いた太陽が、広大な畑を赤く染めている。

 魔物に荒らされた場所もあるが、被害を受けたのは村から離れた一角だけだった。穀物の多くは無事で、畑の間を通る水路にも異常はない。

 今日中に群れを仕留められなければ、被害は村の近くまで広がっていたはずだ。

 土の付いた農具を手にした者たちが、遠くから荷車を見つめている。

 やがて、村の中央にある鐘が鳴った。


 一度。

 少し間を置いて、二度。


 畑や家の中から人々が姿を現す。

 俺たちが村の入口へ着いたときには、道の両側を埋めるほどの人が集まっていた。


「帰ってきたぞ!」


「魔物はどうなった!」


「全部だ! 全部、討ち取ってくださった!」


 荷車を引いていた男の声に、村中から歓声が上がる。

 大人の間から子供たちが飛び出し、荷車へ駆け寄ろうとする。それを母親たちが慌てて止めていた。

 人の輪を掻き分け、一人の老人が前へ出てくる。

 討伐へ向かう前にも話した、この村の長だった。

 村長は俺たちの前で立ち止まると、深く頭を下げた。


「アークシェルド様、レグルス様。本当に、ありがとうございました。お二人のおかげで、畑も家畜も、何より村の者たちも失わずに済みました」


 ヴァレリアさんが長槍を脇へ置き、村長の前へ進む。


「どうか、お顔を上げてください。皆様が早い段階で異変に気づき、避難と報告を進めてくださったからこそ、被害を抑えることができました」


「それでも、我々だけでは、あれほどの数を相手にはできませんでした」


「そのために私たちが参りました。皆様がご無事で、本当によかったです」


 ヴァレリアさんは村長だけでなく、集まった村人たちへも丁寧に頭を下げた。

 名家の令嬢であり、元老院の席を持つ者。

 そのことを知っている村人たちは、ヴァレリアさんを前にして身体を固くしていた。だが、彼女の態度を見て、張り詰めていた空気が少しずつ解けていく。


「レグルス様も、本当にありがとうございます」


「俺は依頼された役目を果たしただけです。皆さんが無事なら、それで十分です」


「空を飛ぶ魔物まで倒したんだろ!」


 人の輪の中から、少年の声が上がった。

 母親らしき女性が慌てて少年の口を塞ぐ。


「こら、失礼でしょう!」


「構いませんよ」


 少年の前へしゃがむ。

 俺よりも先に、少年の視線は分厚いブーツへ向けられていた。正確には、足首に装着した《メルクリウス》を見ている。


「お兄ちゃん、空を走ってたって本当?」


「走ったというより、空中に足場を作って跳んだんだ」


「これで?」


「そうだよ」


 ブーツの外側に収まっている三枚の小板を指で示す。

 今は動きを止めているが、少年は目を輝かせた。


「空を飛べるの?」


「飛ぶことはできないよ。踏み出した先へ、一歩分の足場を作るだけ」


「それでもすごい!」


『随分と気に入られたようね』


「笑うな」


「え?」


「いや、何でもないよ」


 少年が首を傾げる。


 その後ろでは、別の子供たちがヴァレリアさんの長槍を遠巻きに眺めていた。

 一人の少女が、恐る恐るヴァレリアさんへ近づく。


「あの槍で、大きな猪を倒したの?」


「はい。ですが、穂先は危険ですので、あまり近づかないでくださいね」


 ヴァレリアさんは少女の目線に合わせて膝を曲げる。

 槍の穂先が子供たちへ向かないように持ち替え、石突きの部分だけを見せていた。


「重くないの?」


「少し重いですが、毎日扱っておりますので、もう慣れました」


「私も持てる?」


「もう少し大きくなってからにしましょう。そのときは、最初に木の棒で練習なさるとよいと思います」


 少女は残念そうにしながらも、素直に頷いた。

 ヴァレリアさんが、僅かに笑う。

 元老院で見たときや、討伐中の張り詰めた姿とは違う表情だった。


 その後、俺は村の女性たちに連れられ、傷の手当てを受けた。

 左肩を水で洗われ、薬草をすり潰した軟膏を塗られる。裂けた範囲は広いが、傷そのものは浅い。清潔な布を巻き終えるころには、日が沈み始めていた。


 ヴァレリアさんも何度か傷がないか確認されたらしい。

 本人は無傷だと説明していたが、最後には年配の女性に押し切られ、別室で確認を受けていた。


『元老院の席を持っていても、村のおばあさんには勝てないようね』


「俺も同じだっただろ」


『あなたは肩を怪我していたもの。当然よ』


「ヴァレリアさんも土埃まみれだった」


『それと怪我は別でしょう?』


 言い返す言葉が見つからなかった。

 日が完全に沈むと、村の集会所へ長い机が並べられた。

 村人たちは、今夜は泊まっていくようにと俺たちを引き止めた。既に暗くなっており、帝都へ続く街道を急いで戻る必要もない。

 ヴァレリアさんと相談し、その厚意を受けることにした。

 机の上には、大鍋で煮込まれた豆と野菜の料理、焼いた芋、切り分けられた黒パン、塩漬け肉と乳酪が並ぶ。

 村長は何度も粗末な料理で申し訳ないと口にしたが、どれも十分に美味しそうだった。


「これだけの料理をご用意いただき、ありがとうございます」


 ヴァレリアさんが礼を述べると、料理を運んできた女性たちが顔を見合わせる。


「お口に合えばいいのですが……」


「とても美味しいです。こちらの煮込みには、村で採れた豆を使っていらっしゃるのですか?」


「はい。今年はよく育ちまして」


「それは何よりです。柔らかく煮込まれていて、身体が温まります」


 ヴァレリアさんが煮込みを口へ運ぶ。

 それを見て、周囲で様子を窺っていた村人たちが、ようやく自分たちの席へ座り始めた。

 最初こそ遠慮がちな空気が残っていたが、食事が進むにつれて話し声は大きくなっていく。

 畑を荒らしていた魔物の話。

 これから回収する魔物の素材や肉を、どう分けるかという話。

 収穫が終われば、帝都へ運ぶ穀物の量も例年と変わらずに済みそうだという話。

 俺たちを讃えるための宴というより、明日から元の生活へ戻れることを喜ぶ場だった。

 その中に座っていると、自分たちが守ったものをようやく実感できた。

 魔物を倒した数でも、使った技でもない。

 明日も畑へ出て、土を耕し、収穫したものを食べる。

 そんな当たり前の暮らしだ。


『随分と静かね』


「そうか?」


『ええ。いつもなら、自分の動きのどこに無駄があったのか考えているころでしょう?』


「それも考えてる」


『やっぱり考えているのね』


 レイザーホークとの戦いで形になった《獅爪疾脚》。

 風を手足へ纏い、攻撃を弾き、その勢いを次の拳や蹴りへ繋ぐ。

 考えていた形は間違っていない。

 だが、今のままでは《メルクリウス》への依存が大きく、地上で使う場合の足運びも固まっていない。

 風を纏わせる範囲と出力も、まだ調整が必要だった。


『考えるのをやめろとは言わないけれど、食事の間くらいは休みなさい』


「分かってる」


『本当に?』


「煮込みが冷める前には食べる」


『そういうことを言っているのではないわ』


 呆れた声を聞きながら、煮込みを口へ運ぶ。

 豆だけでなく、細かく刻んだ根菜も入っている。塩味は薄いが、野菜の甘みがよく出ていた。

 向かいへ座っていたヴァレリアさんが、器を置く。


「レグルスさん。今回の討伐へ同行していただき、改めてありがとうございました」


「こちらこそ、声をかけていただいて助かりました。俺一人では、地上の魔物まで気にしながらレイザーホークを追えなかったと思います」


「私がアイアンボアへ集中できたのも、レグルスさんが上空を引き受けてくださったからです」


「それでも、五体をほとんど無傷で倒していましたよね」


「得意な相手だっただけです。真っ直ぐ向かってくる魔物は、槍の間合いへ収めやすいですから」


 ヴァレリアさんは謙遜しているが、それだけではない。

 アイアンボアの突進を見極め、足元の土を隆起させる位置と、槍を突き込む瞬間を正確に合わせていた。

 五体すべてを同じ方法で倒したわけでもない。

 相手の動きに応じて足場を崩し、槍を振るい、巨体同士が互いの邪魔になるように位置を変えていた。


「ヴァレリアさんも、相手に合わせて何度も戦い方を変えていました」


「見ていらしたのですか?」


「空から、少しだけですが」


「それでは、お互い様ですね」

 ヴァレリアさんが小さく笑う。


 俺も器を置いた。


「リヴィアさんは、最初から今回の魔物について知っていたんですか?」


「討伐対象の詳しい数までは、ご存じなかったと思います」


「では、なぜ俺を同行させるように?」


「私も、詳しい理由までは伺っておりません」


 ヴァレリアさんは少し考えてから、言葉を続ける。


「リヴィアさんからは、レグルスさんの現在の実力を、私自身の目で確かめてほしいと。それだけ伺っていました」


「俺の実力を……」


「はい。ですから今回、私がお伝えできるのは、実際に拝見したことだけです」


「どのように伝えるつもりですか?」


「そうですね……」


 ヴァレリアさんの視線が、俺の左肩へ向かう。


「まだ危うい部分はあります。空中で最初の攻撃を外した後も、決めていた動きを続けようとなさっていました」


「見えていたんですね」


「はい。ですが、途中からは相手に応じて、一歩ずつ動きを変えていらっしゃいました。そして、その場で新しい技まで形にされた」


 ヴァレリアさんは真っ直ぐ俺を見る。


「強い方だと、お伝えします。ただ、今ある技や力だけではなく、戦いながら変わることのできる方だったと」


「買いかぶりすぎではありませんか」


「私が見たままを申し上げているだけです」


 迷いのない返答だった。

 俺は視線を下げ、自分の掌を見る。


 戦いながら変わる。

 以前の俺であれば、その言葉を素直に受け取れなかったかもしれない。

 技は何度も繰り返し、身体へ刻み込んでから使うものだと思っていた。

 実際、それが間違っているわけではない。

 だが、準備したものだけで、すべての相手へ対応できるわけでもない。

 今日のレイザーホークがそうだった。

 風は、俺の考えた線の上を流れてはくれなかった。


「ありがとうございます」


「いいえ。こちらこそ、よいものを見せていただきました」


 ヴァレリアさんは丁寧に頭を下げた。


 食事を終えるころには、夜も深くなっていた。

 俺たちは村長の家へ案内され、それぞれ別の部屋を借りることになった。

 用意された部屋は小さいが、寝台と机が置かれ、窓には厚い布が掛けられている。

 村人から借りた着替えへ袖を通し、兄から渡された片手剣を壁へ立てかける。

 《メルクリウス》を外したブーツも、寝台の横へ置いた。

 最後にセレスを腰から外し、机の上へ載せる。


『今日は大人しく眠るのね』


「傷もあるからな」


『あら、聞き分けがよくなったのかしら』


「明日の帰り道で《獅爪疾脚》の足運びを考える」


『前言撤回するわ』


「考えるだけだ。身体は動かさない」


『それなら、今夜は許してあげる』


 寝台へ腰を下ろす。

 窓の外から、村人たちが後片づけをする音が聞こえていた。

 やがて、その音も一つずつ消えていく。

 布の隙間から差し込む月明かりだけが、部屋の床を淡く照らしていた。

 左肩の傷を庇いながら、寝台へ横になる。

 目を閉じようとしたとき、机の上から小さな音が聞こえた。


 紙が擦れる音。


 身体を起こす。

 誰も触れていないセレスの表紙が、僅かに持ち上がっていた。


「セレス?」


『私も、今気づいたわ』


 古びた表紙が開く。

 頁が風もないのに捲れ、途中で止まった。

 開かれた頁には、獅子の姿を模した紋章が描かれている。

 これまでにも何度か見た紋章。

 だが、その周囲には今まで存在しなかった四つ目の円が加わっていた。

 円を形作る線が、内側からゆっくりと光を帯びていく。


「これは……」


『第四階層の扉が開いたのよ』


 寝台から立ち上がり、セレスの前へ進む。


「今日の討伐が条件だったのか?」


『今日だけではないわ』


 セレスの声は、いつもの軽さを残しながらも、僅かに静かだった。


『第三階層を越えてから、あなたは魔力を途切れさせずに巡らせ続けた。新しい戦い方を学び、何度も失敗し、負けても円環を作り直した』


 リヴィアとの修練。

 カイウスから学んだ踏み込み。

 大会での敗北。

 出力を分け、身体の各部へ魔力を配り続けた日々。


 《獅吼爆炎》と《獅子琉掌》。

 そして今日、形になった《獅爪疾脚》。


 どれか一つだけで、ここまで来たわけではない。


『あなたが積み重ねてきた努力。その蓄積が、第四階層へ進むための規定へ達したのよ。今日の戦いは、最後の一押しになっただけ』


「努力蓄積が……」


『ええ。数字など見なくても、この紋章が証明しているでしょう?』


 四つ目の円は、既に途切れることなく光っている。

 これまでの階層とは違い、何を得られるのかは分からない。

 どのような敵が待っているのかも。


 だが、扉が開いた。

 進む資格を得た。


「今から入れるのか?」


『入れるわ。ただし、第四階層に何があるのかは、私にも分からない』


「いつもと同じだな」


『あなた、少しは迷ったらどうなの? 今日は魔物と戦ったばかりなのよ』


「傷は浅い。それに、今の円環の感覚を失いたくない」


『開いた扉が、一晩で閉じたりはしないわ』


「それでも、今行きたい」


 セレスから返事はない。

 止めても無駄だと思っているのかもしれない。

 やがて、小さな溜息が聞こえた。


『分かったわ。ただし、無茶だと判断したら、すぐに戻りなさい』


「ああ」


『返事だけは素直なのよね』


 借りていた服から、自分の黒いシャツとズボンへ着替える。

 裂けたシャツはそのままだが、動きを妨げるほどではない。


 《メルクリウス》を装着したブーツを履き、兄から受け取った片手剣を腰へ差す。


 最後にセレスを腰へ吊るした。

 開かれた頁から、淡い光が溢れ出す。

 光は床へ落ち、俺の足元へ獅子の紋章を描いていく。

 周囲の景色が歪む。

 村の小さな部屋も、窓から差し込んでいた月明かりも、光の向こうへ遠ざかっていった。


 一度、目を閉じる。

 次に開いたとき、目の前には見慣れた石造りの通路が伸びていた。


 獅子宮。

 振り返ると、背後には何もない。

 無手の騎士人形と戦った第三階層。

 そのさらに奥。

 階段を上がった場所に、新たな扉が現れていた。

 ほかの扉よりも大きく、表面には幾重もの円が刻まれている。

 中心にあるのは、こちらを正面から見据える獅子の紋章。

 その周囲を、四本の線が囲んでいた。


『あれが第四階層ね』


「ああ」


 扉の前へ立つ。

 片手剣の柄へ手を添え、ゆっくりと押し開いた。

 石同士が擦れる重い音が、通路へ響く。


 扉の先に、騎士人形はいなかった。

 魔物もいない。

 広がっていたのは、何も置かれていない巨大な円形空間だった。

 壁も床も、白に近い灰色の石で作られている。

 床には、扉と同じように幾重もの円が刻まれ、そのすべてが階層の中央へ繋がっていた。

 最も内側の円。

 その中心にだけ、獅子の紋章がある。


「敵はいないのか」


『そのようね』


「なら、何をすればいい」


『さあ。けれど、進む場所だけは分かりやすいのではなくて?』


 中央の獅子紋を見る。

 扉からそこまで、真っ直ぐ一本の線が伸びている。

 俺は片手剣の柄から手を離し、円形空間へ足を踏み入れた。

 一歩進むたび、床へ刻まれた円が僅かに光る。

 外側の円を越える。

 次の円。

 さらに、その内側。

 魔物の気配も、殺気もない。

 それでも、これまで戦ってきたどの階層よりも、空気が重く感じられた。


 最も内側の円へ入る。

 中央の獅子紋へ両足を置いた。

 その瞬間、背後から重い音が響く。

 振り返る。

 入ってきた扉が、ゆっくりと閉じていく。

 最後の隙間が消え、第四階層は完全に閉ざされた。

 目の前に、倒すべき敵はいない。

 それでも床へ刻まれたすべての円が、俺を中心として静かに光り始めていた。

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