第81話 空で組み直す
右足の下で、青白い光が弾けた。
靴底の外側に浮かぶ三枚の小板が開き、何もない空中へ一瞬だけ踏み込める面を作り出す。
足裏に返ってきた反発を使い、さらに上へ跳ぶ。
無属性の魔力を身体へ巡らせたまま、両脚へ風属性を纏わせる。踏み込みによって生じた風が、地上を遠ざけた。
頭上には、三体のレイザーホーク。
正面に一体。その左後方へ一体。さらに高い位置を、残る一体が旋回している。
三体の高度と距離を見比べる。
最初に正面の一体が降下する。
それを右へ避け、二歩目で左後方の一体へ接近。三歩目を上へ置けば、最も高い位置にいる一体の背後へ回れる。
そこまで組み立てた直後、正面のレイザーホークが翼を畳んだ。
鋭い嘴が、真っ直ぐ胸元へ向かってくる。
予想したとおりだ。
左足を斜め前へ踏み出す。
《メルクリウス》が足の位置を捉え、その下へ青白い足場を作った。身体を右へ逃がしながら、擦れ違うレイザーホークの胴へ拳を突き出す。
だが、拳が届く寸前、レイザーホークが片翼だけを大きく広げた。
強い風が横から叩きつけられる。
「なにっ……」
レイザーホークの身体が空中で横滑りした。
拳が胸元を外れ、硬い羽毛の表面を掠める。
仕留めきれない。
俺の横を通り過ぎたレイザーホークが、再び翼を広げる。巻き起こった風に押され、こちらの身体も予定していた位置から外れた。
それでも、次に踏む場所は決めている。
右足を前へ伸ばす。
青白い足場を蹴り、左後方にいた二体目へ向かった。
レイザーホークもこちらへ向かってくる。
擦れ違う直前に身体を沈め、腹部へ拳を打ち込む。そのまま反対側へ抜け、三歩目で上へ跳ぶ。
そのつもりだった。
二体目のレイザーホークが羽ばたく。
だが、向かってこない。
翼から放たれた数枚の羽根が、刃のように回転しながら飛んできた。
身体を捻り、一枚目を避ける。
二枚目が黒いシャツの肩を裂き、皮膚の上へ浅い傷を走らせた。
「ぐっ」
続く三枚目を腕で払い、右足を伸ばす。
《メルクリウス》が足場を作る。
だが、身体は既に左へ傾いていた。
足裏に返ってきた反発を受け止めきれず、踏み込んだ力が下へ逃げる。上へ向かうはずだった身体が、斜め下へ押し出された。
地面が近づく。
両脚へ纏わせた風属性の魔力を横へ放ち、落下する軌道を僅かに変えた。
その頭上を、三体目のレイザーホークが通り過ぎる。
翼の先端が髪を掠めた。
あと僅か反応が遅れていれば、首を斬られていた。
『ずいぶん几帳面に、空へ道を引くのね』
「今、話しかけることか」
『相手がその道を飛んでくれるのなら、完璧だったわ』
反論できない。
左足を下へ伸ばし、《メルクリウス》の足場を蹴る。落下を止めることはできたが、その間にも三体のレイザーホークは俺の頭上へ戻っていた。
円を描くように旋回しながら、次の機会を窺っている。
最初に正面の一体。
次に左の一体。
最後に最も高い位置の一体。
位置も、距離も見えていた。
だが、最初の一体が生み出した風によって俺の拳は外れ、二体目は接近せずに羽根を飛ばしてきた。
その結果、三歩目へ繋がらなかった。
俺は、三体が今いる場所だけを見ていた。
そこからどう動くのかを予測し、その先へ自分の足場を置こうとしていた。
大会でも同じだった。
自分を中心とした円を意識しすぎた結果、相手がその中へ入ってくることを前提にしてしまった。
今度は、空へ線を引いている。
相手も風も、その線の上を動くものだと思い込んでいた。
レイザーホークは、俺が考えた道を飛んでいるわけではない。
一体が羽ばたけば、周囲の風が変わる。
その風を別の一体が受け、さらに進路を変える。
三体は最初から決められた軌道を飛んでいるのではなく、刻一刻と変わる風の中で、次の進路を選び続けている。
俺だけが、動く前に最後まで答えを出そうとしていた。
頭上で、レイザーホークが甲高く鳴く。
三体が同時に翼を畳んだ。
正面、右上、左後方。
逃げ道を塞ぐように降下してくる。
すべての軌道を読む時間はない。
いや、読む必要がない。
今、最初に届く一体だけを見る。
正面のレイザーホークが迫る。
嘴ではない。
身体を僅かに傾け、刃のような右翼をこちらへ向けている。
俺は足場を置かない。
腕を上げ、翼が届く寸前まで待つ。
『レグルス!』
「ああ、見えてる」
左腕へ風属性を纏わせる。
硬い翼と前腕が触れる直前、腕を外側へ振り抜いた。
風と風がぶつかる。
正面から受け止めるのではなく、翼の表面を流れていた風を横へ押し流す。
レイザーホークの右翼が跳ね上がった。
俺の身体も、その反動で反対側へ押し出される。
傾いた身体を無理に戻さず、流された方向へ右足を伸ばした。
足裏へ青白い光が生まれる。
《メルクリウス》が、俺の一歩を受け止めた。
そうか。
俺が足場に合わせる必要はない。
《メルクリウス》は、決められた空の道を進むための装具ではなかった。
踏み出した先に、次の一歩を置くものだ。
足場を決めてから動くのではない。
先に動けばいい。
右足で青白い足場を蹴る。
姿勢を崩したレイザーホークの懐へ潜り込み、風を纏わせた左拳を胸元へ打ち込んだ。
硬い羽毛が拳を阻む。
腰を回し、続けて右膝を突き上げる。
二撃目が、拳によって押し開いた羽毛の隙間へ入った。
鈍い感触。
レイザーホークの身体が折れ曲がる。
さらに踵を胴へ押し当て、そのまま蹴り放した。
一体目が地上へ落ちていく。
確認するより先に、背後から風を感じた。
振り返らない。
身体を沈め、左足を横へ伸ばす。
足裏へ生まれた足場を蹴った直後、先ほどまで頭があった場所を、二体目の嘴が通り過ぎた。
今までなら、避けた後に次の足場を考えていた。
だが、今は違う。
一歩を踏み出しながら、次を見る。
レイザーホークが翼を広げる。
飛来する羽根は五枚。
右から二枚。正面から一枚。僅かに遅れて左から二枚。
右手を振る。
腕に纏わせた風が一枚目を弾き、軌道を逸らした羽根が二枚目へ衝突する。
正面の一枚を、身体を傾けて避ける。
左から迫る羽根へ右脚を振り上げた。
風を纏った脛が一枚を弾く。
最後の一枚が脇腹へ迫った瞬間、その場で腰を回した。身体の回転に合わせて左脚を振り抜き、羽根を上空へ蹴り上げる。
手足へ纏わせた風が、動きに沿って流れていく。
ただ速く動くための風ではない。
飛んできたものを弾き、受けた力を次の動きへ繋げるための風。
《獅吼爆炎》は、踏み込みから生じた力を炎とともに外へ叩きつける。
《獅子琉掌》は、水を掌から相手の内部へ通し、その流れを崩す。
どちらも、属性を放つだけでは技にならなかった。
身体の動きと重ね、初めて一つの形になった。
風も同じだ。
両手と両脚へ纏わせる。
攻撃を弾き、その勢いを殺さず、拳と蹴りを繋ぎ続ける。
二体目のレイザーホークが上昇する。
逃がさない。
右足を前へ出し、その先へ生まれた足場を蹴る。
一歩。
レイザーホークが左へ逃げる。
翼の向きが変わるのを見てから、左足を踏み出す。
二歩。
その足元へ、《メルクリウス》が新たな足場を作る。
風を纏った身体が空中で向きを変え、レイザーホークの側面へ並んだ。
相手が右翼を振る。
左の掌底を翼へ添え、風とともに外側へ弾く。
レイザーホークの身体が開いた。
右拳を胸へ打ち込み、反動で離れる前に左脚で翼の付け根を蹴り抜く。
骨の折れる音がした。
飛ぶ力を失ったレイザーホークが、錐揉みしながら落下していく。
残る一体が、甲高い声を上げた。
先ほどまで最も高い位置を飛んでいた個体。
ほかの二体より一回り大きく、翼の先端には黒い羽根が並んでいる。
そいつは、すぐには降下してこなかった。
上空を大きく旋回しながら、こちらを見下ろしている。
俺も、空中に留まり続けることはできない。
足場を蹴るたび、少しずつ高度を失っている。
先に地上へ降りるか。
そう考えたことを見透かしたように、レイザーホークが翼を畳んだ。
ほとんど垂直に降下してくる。
これまでで最も速い。
正面から受ければ、弾ききれない。
横へ避けた後、背後へ回る。
そこまで考え、やめた。
相手は、まだ俺の間合いへ入っていない。
今決める必要はない。
胸の奥から全身へ巡る魔力を感じる。
風が頬を撫でる。
レイザーホークの降下によって押し分けられた空気が、周囲へ広がっていく。
右へ避ければ、相手は左翼を広げて追う。
左へ避ければ、右翼を使う。
ならば――。
レイザーホークが翼を開く。
予想より早い。
降下の勢いを風へ変え、空中で身体を反転させた。
鋭い爪が、下から俺の腹部を狙って跳ね上がる。
目で追ってからでは間に合わない。
だが、爪が動くより先に、足元を抜ける風が変わっていた。
左足を後ろへ引く。
その先へ生まれた青白い足場を、踵で蹴った。
身体が斜め下へ滑る。
爪が胸元を掠め、黒いシャツを切り裂いた。
互いの身体が擦れ違う。
レイザーホークがこちらを追おうと翼を動かす。
その翼へ、風を纏わせた右手を叩きつけた。
弾く。翼が外へ流れる。
俺の身体も反対へ押される。
流された先へ、右足を置き青白い足場を蹴る。
レイザーホークの背後へ回り、左の踵を翼の付け根へ打ち込む。
身体が沈む。追いかけるように足場を置き、さらに一歩。
右拳を後頭部へ叩きつけ、左拳を背中へ続ける。
レイザーホークが暴れ、翼を大きく振った。
振り落とされる前に、両手で背中を押す。
その反動で身体を浮かせ、頭上へ右足を伸ばした。
《メルクリウス》が足裏を支える。
空中で上下が入れ替わる。
両脚へ風属性を集め、青白い足場を強く蹴り抜いた。
「――《獅爪疾脚【ウングィス・ウェロクス】》」
落下の勢いを重ねた踵が、レイザーホークの背中へ突き刺さる。
衝撃が全身を貫き、二枚の翼が力を失った。
レイザーホークが地上へ落ちる。
俺も、その後を追うように降下していく。
『技の名前を考える余裕はあったのね』
「今、決めた」
『相変わらず、そういうところだけは早いのね』
「まだ完成してない」
右足を下へ伸ばす。
足裏へ生まれた足場を蹴り、落下の勢いを殺す。続いて左足を踏み出し、両脚の風を下へ放った。
地面へ着地する。
両膝を曲げて衝撃を逃がしたが、堪えきれずに右手を地面へついた。
遅れて、最後のレイザーホークが少し離れた場所へ落下する。
舞い上がった土埃が、風に流されていった。
肩の傷が熱を持っている。
胸元と脇腹のシャツも裂けていたが、深い傷はない。
息を整えながら立ち上がる。
そこで、重い足音が聞こえた。
振り返る。
最後のアイアンボアが、ヴァレリアさんへ向かって突進していた。
周囲には、既に四体のアイアンボアが倒れている。
ヴァレリアさんは迫る巨体を前にしても後退しない。
長槍の石突きを地面へ打ちつける。
アイアンボアの前脚が踏み込む寸前、地面が僅かに盛り上がった。
足を取られた巨体が、前方へ傾く。
ヴァレリアさんが半歩だけ身体を外し、長槍を突き出した。
穂先が、顎の下から首を貫く。
アイアンボアは数歩進んだところで力を失い、地面へ横倒しになった。
ヴァレリアさんは槍を引き抜き、付着した血を振り払う。
それから倒れた五体を順に確認し、こちらへ歩いてきた。
「お怪我はありませんか、レグルスさん」
「浅い傷だけです。ヴァレリアさんこそ、大丈夫ですか」
「はい。こちらも、すべて討ち取りました」
衣服には土埃が付着しているものの、傷は見当たらない。
五体のアイアンボアを相手にしながら、ほとんど無傷だったらしい。
ヴァレリアさんの視線が、落下した三体のレイザーホークへ向かう。
「最後の動きは、それまでとは違っていましたね」
「見えていたんですか」
「槍を振るう合間にですが」
五体を相手にしながら、こちらまで見ていたのか。
『あなたより余裕があったようね』
「否定はできないな」
「何か仰いましたか?」
「いえ、何でもありません」
ヴァレリアさんは不思議そうにしながらも、それ以上は尋ねなかった。
「先ほどの技は、以前からお使いになっていたのですか?」
「いいえ。今の戦いで、ようやく形になりました」
「戦いながら、新しい技を……」
「元になるものは、以前から持っていました。風を移動に使うことも、《メルクリウス》で空中へ足場を作ることも知っていた。ですが、それぞれを別のものとして考えていたんです」
自分の両手を見る。
もう風は纏わせていない。
それでも、翼を弾いた感触と、その反動から次の一歩へ繋いだ感覚は残っている。
「最初は、相手が動く場所を予測して、そこへ向かおうとしていました。ですが、レイザーホークは風に合わせて何度も動きを変えた。だから俺も、一歩ごとに考え直すことにしたんです」
「それが、あの連続した動きへ繋がったのですね」
「はい。ただ、まだ無駄が多いです。風の使い方も、《メルクリウス》へ頼っている部分もあります」
「それでも、空を飛ぶ魔物を三体とも討ち取られました。十分に見事な結果だと思います」
ヴァレリアさんは、倒れたレイザーホークから俺の足元へ視線を戻す。
「リヴィアさんが、今回の討伐へレグルスさんをお誘いするよう勧めてくださった理由が、少し分かった気がします」
「俺の実力を知りたかっただけだと聞いています」
「ええ。私も、そのように伺っています」
ヴァレリアさんは穏やかに頷く。
「ですが、実力とは、今できることだけではないのでしょうね。戦いの中で何を見つけ、次へ繋げられるのか。それも含めて、リヴィアさんは確かめたかったのではないでしょうか」
リヴィアが、そこまで考えていたのかは分からない。
俺を魔物と戦わせれば、何かを掴むと予想していた可能性はある。
だが、今は本人へ尋ねても答えない気がした。
足元の《メルクリウス》へ視線を落とす。
これまでは、次に踏む場所を決め、その場所へ足場を作るために使っていた。
けれど、それだけではない。
身体を動かし、伸ばした足の先へ次の一歩を置く。
風属性を手足へ纏わせ、相手の攻撃を弾く。その力を次の動きへ繋ぎ、拳と蹴りを止めない。
《獅爪疾脚》。
まだ、技と呼ぶには粗い。
それでも、進むべき方向は見えた。
考えることを捨てたわけではない。
答えを決めてから動くのではなく、一歩を踏み出しながら、次の答えを組み直す。
地上にも、空にも、最初から完成した道などない。
ならば、俺自身の足で作ればいい。
一歩ずつ。
どれだけ形を変えようとも、次へ繋がるように。




