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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第六章 修羅と呼ばれる国
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第80話 空へ置く一歩


 帝都を出て、東へ半日。

 街道の先に広がったのは、緩やかな丘が連なる放牧地だった。

 青々とした草の上を、乾いた風が波のように走っている。


 その景色の中で、一箇所だけ不自然に柵が途切れていた。

 太い木杭が地面から引き抜かれ、横木には獣の爪痕がいくつも残っている。


「あちらが、依頼のあった村です」

 先を歩くヴァレリアが、壊れた柵の向こうへ視線を向ける。

 黒に近い濃紺の髪を一つに束ね、背には布を巻いた長槍を背負っていた。


「思っていたより、帝都に近いんですね」


「ええ。ここで数が増えれば、街道へ出る可能性もあります。早めに対処した方がよいでしょう」


 村の入口には数人の男たちが集まっていた。

 ヴァレリアの姿に気づくと、その中で最も年嵩の男が前へ出る。


「アークシェルド家の方ですね。お待ちしておりました」


「ヴァレリア・アークシェルドと申します。詳しい状況をお聞かせいただけますか」


「はい」


 男は一度頷き、足元の土へ杖の先を走らせた。

 描かれたのは、村と周囲の牧草地を簡略化した地図だった。


「西の放牧地にグラスウルフが十二体。北の畑では、アイアンボアを五体確認しています。それと、上空を飛ぶレイザーホークが三体です」


「三種の魔物は、一緒に動いているのでしょうか」


「いえ。グラスウルフは羊を狙い、アイアンボアは畑を荒らしています。レイザーホークも、家畜や小さな魔物を狙っているだけかと」


 同じ時期に、別々の魔物が村の周辺へ集まったらしい。


「人的な被害は出ていますか」


「牧童が二人、グラスウルフに襲われました。命に別状はありませんが、今は誰も村の外へ出られません」


 村の奥へ目を向ける。

 窓を閉ざした家々の間から、こちらを窺う子どもの顔が見えた。

 牧草地には、家畜の姿が一頭もない。


「まずはグラスウルフから確認します。最後に目撃された場所まで、案内をお願いできますか」


「途中まででしたら」


「ありがとうございます。それで十分です」


 村の男に案内され、俺たちは西の放牧地へ向かった。

 しばらく進むと、地面へ深く残された足跡が見つかる。

 犬に似た形だが、一回り以上大きい。

 足跡は草地の奥へ続き、その周囲には羊の毛と乾いた血が残っていた。


「この先です。俺が案内できるのは、ここまでで……」


「ここまでお連れいただければ十分です。危険ですので、どうか村へお戻りください」


「お気をつけて」


 男が足早に引き返していく。

 その背中が見えなくなるまで待ち、ヴァレリアが俺へ向き直った。


「ここから先は、レグルスさんにお願いしてもよろしいですか」


「俺が先でいいんですか」


「はい。そのために、ご同行をお願いしました」


 ヴァレリアは長槍へ手を伸ばすことなく、真っ直ぐ俺を見ている。


「種類の違う魔物へ対応できるかを試したいわけではありません。私は単純に、今のレグルスさんがどれほど戦えるのかを知りたいのです」


「兄さんのことは知っているんですよね」


「レオン殿とは、何度か手合わせをしたことがあります。ですが、レグルスさんについては、ほとんど存じ上げません」


 元老院第十席の弟。

 ある大会で準決勝まで進んだ者。

 ヴァレリアが知っているのは、その程度なのだろう。


「それと、以前お世話になった方から、レグルスさんを同行者として勧められました」


「その方は誰ですか」


「リヴィアさんです。あの方から何もお聞きになっていませんか」


「何も聞いていません」


 修練を終えると告げられただけで、その後のことは何も聞かされていない。


「そうでしたか。私も詳しい理由までは伺っていません。ただ、実際の戦いを見れば分かると言われました」


「あの人らしいですね」


『最後まで、自分で確かめさせるつもりのようね』


「いつものことだろ」


 小さく息を吐き、草原の奥へ進む。

 腰には、兄から借りた古い片手剣。

 その後ろにはセレスを吊るし、両足首には青銀色の装具を取りつけている。

 だが、今はどちらにも手を伸ばさない。


『剣は抜かないのね』


「ああ。今、一番確かに使えるのはこっちだ」


 両手を軽く握る。

 腹部を起点に、無属性の魔力を全身へ巡らせる。

 脚から腰、背中、肩、腕へ。

 そして再び腹部へ繋がり、途切れることなく円を描き続ける。

 リヴィアの屋敷で何度も整えた流れが、今は足を動かしても崩れない。

 そして、常に自分を中心にし意識上に円を描く

 草を踏む音が、右前方から聞こえた。


 一つ。

 続いて、左。

 背後にもいる。


 俺が立ち止まると、背丈の高い草の間から灰緑色の獣が姿を現した。

 狼よりも一回り大きな身体。

 硬い草にも似た体毛と、口元から突き出した牙。


 グラスウルフ。


 一体が正面に立ち、低い唸り声を上げる。

 左右の草が次々と揺れた。

 正面に三体。

 左右に四体ずつ。

 さらに背後に一体。

 依頼書にあった十二体すべてが、俺を中心に円を作っている。


「十二体すべてを、レグルスさんにお任せしてもよろしいですか」


「分かりました」


「危険だと判断した場合は、私も加勢します。ですが、できる限りお力を拝見させてください」


「加勢の必要はありません」


 正面のグラスウルフが身を沈めた。


 来る。


 そう思った瞬間、先に動いたのは右後方にいた一体だった。

 地面を蹴り、俺の脇腹へ牙を向ける。

 正面の一体は囮。

 巡る魔力が全身の動きを滑らかにし、牙の軌道が鮮明に見えた。


 魔力強化《瞬》。


 身体を左へ向ける。

 だが、逃げない。

 牙が届く場所へ、自分から一歩踏み込む。

 次の一歩へ、風属性を乗せる。


 魔力強化《速》。


 噛みつこうとしたグラスウルフの横へ滑り込み、左手で首筋へ触れる。

 後ろ足で地面を踏み、腰を回す。

 拳が届く直前、右腕へ火属性を集めた。


 魔力強化《剛》。


 右拳が下顎の付け根へ沈む。

 硬い感触。

 グラスウルフの身体が横へ流れ、地面へ叩きつけられた。


 背後で草が鳴る。

 二体目が、低い姿勢で左脚へ噛みつこうとしていた。

 牙が閉じるより先に身体を捻り、正面から脚を外す。

 

 だが、今度は左右から二体が迫っていた。

 一体を避ければ、もう一体の爪が届く。

 

 後ろへは退かない。

 風属性を乗せた一歩で右側から来た一体の懐へ入り、肩を腹部へぶつける。

 足腰から伝えた力で身体を持ち上げ、そのまま左側から迫っていた一体へ投げつけた。

 二体のグラスウルフが空中でぶつかり、草の上へ転がる。

 先に起き上がろうとした一体の脇腹へ、火属性を乗せた蹴りを打ち込む。

 鈍い音とともに、グラスウルフの身体が地面を滑った。


 もう一体が身を起こす。

 俺は蹴り足を下ろす動きで踏み込み、その首筋へ肘を叩き込んだ。

 三体目が崩れ落ちる。


 正面から、さらに二体が飛びかかってきた。

 その足元では、背後へ回っていた一体が低く身体を沈めている。

 上だけを見れば、脚を噛まれる。

 下へ意識を向ければ、正面の牙が届く。

 三体の動きを一度に捉え、正面から来た一体の前脚へ左腕を添える。

 進む方向だけを外側へ流すと、その身体がもう一体のグラスウルフへぶつかった。


 同時に右足を浮かせ、足元へ迫っていた牙を躱す。

 身体を一回転させる。

 火属性をまとった踵が、低く構えていたグラスウルフの側頭部を打ち抜いた。


 地面へ倒れた二体のうち、一体が俺の背中へ飛びつく。


『後ろよ』


「分かってる」


 振り返らず、左足を斜め前へ置く。

 風に押された身体が、飛びかかってきた牙の先から外れる。

 空中に残されたグラスウルフへ肩からぶつかり、そのまま地面へ叩き落とした。

 喉元へ拳を打ち込む。

 残った一体が立ち上がるより先に、その懐へ入る。

 足から腰へ通した力を掌へ繋ぎ、胸元を打ち抜く。

 グラスウルフの巨体が後方へ吹き飛んだ。

 これで半分。


 残った六体は、すぐには踏み込んでこなかった。

 低い唸り声を交わしながら、再び俺の周囲へ広がっていく。

 群れの中央にいる一体が、他よりも僅かに大きい。

 あれが群れを率いている。

 俺の動きを見て、正面から一体ずつ仕掛けても勝てないと判断したらしい。

 六体が、ほぼ同時に身を沈めた。


『一斉に来るわ』


「ああ」


 腹部を中心に巡る魔力が、強く脈打つ。

 六体すべてを相手にする必要はない。

 こちらから、立つ場所を選ぶ。

 群れの中央ではなく、右端にいる一体へ向かって踏み込む。

 囲いが閉じるより先に、円の外側へ抜けた。


 狙われたグラスウルフが口を開く。

 牙の軌道を見切り、左腕を首へ絡める。

 その身体を盾にするように位置を変えると、後ろから飛び込んできた二体が左右へ分かれた。

 右から来た一体の顎へ、火属性で強化した拳を打ち込む。

 首へ腕を絡めていた一体を地面へ投げ、その喉元へ膝を落とす。

 残り四体。


 左右へ分かれた二体が、同時に方向を変えて戻ってくる。

 その後ろから、群れを率いる一体も走り出していた。

 攻撃を受けない場所へ逃げ続けても、包囲は終わらない。


 ならば、相手の攻撃が届く場所へ立つ。

 右から来た一体へ半歩近づく。

 グラスウルフの前脚が上がった。

 振り下ろされた爪を肩の横へ通し、その懐へ入る。

 胸元へ掌を当て、踏み込んだ力を一息に通す。

 グラスウルフの身体が地面から浮き上がった。


 左から迫っていた一体の牙が、空いた脇腹へ向かう。

 俺は退かず、さらに一歩前へ出る。

 牙が閉じるより早く、その首の横へ回り込む。

 右腕を首へ巻きつけ、前へ進む力を利用して地面へ押し倒した。

 肘を落とす。

 残る二体。


 群れを率いていた一体と、その後ろに付き従っていた一体が足を止める。

 一体が低く唸ると、もう一体が左右へ視線を走らせた。

 逃げ道を探している。

 だが、村へ戻る可能性がある以上、見逃すことはできない。


 風属性が両脚を押す。

 距離を詰めると、二体は左右へ分かれた。


 先に右へ逃げた一体を追う。

 追いつかれると判断したグラスウルフが、振り返って飛びかかってきた。

 牙の正面から身体を外し、開いた喉元へ拳を添える。

 後ろ足で地面を踏む。

 火属性を帯びた拳が喉を打ち抜き、グラスウルフが地面へ落ちた。


 最後の一体が、背後から迫る。

 振り返ったときには、巨大な口が目の前まで迫っていた。

 逃げれば追われる。

 ならば、この場所で終わらせる。

 左足を斜め前へ置き、牙の正面から身体を外す。

 左腕をグラスウルフの首へ添える。

 押し返さない。

 踏み込んできた力を、身体ごと横へ流す。

 体勢を崩したグラスウルフの胸元へ、右の掌を当てた。

 足元から繋いだ力と水属性の魔力が、掌を通して一気に放たれる。

 グラスウルフの巨体が地面から浮き、数歩先へ叩きつけられた。

 それきり、動かなくなる。


 周囲を見回す。

 立っているグラスウルフはいない。

 それでも魔力は、戦いを始めたときと同じ道を巡り続けていた。


「十二体、すべて確認しました」


 後方からヴァレリアが近づいてくる。

 倒れた魔物を一体ずつ確認した後、俺へ向き直った。


「お見事でした」


「ありがとうございます」


「剣を抜かれなかったことには驚きました。今は、体術を中心に戦われているのですね」


「はい。まだ作り直している途中ですが、今はこれが一番確実です」


「十二体に囲まれても、魔力の流れが途切れているようには見えませんでした。それに話に聞いていた、水、風、火による強化も自然に使い分けていらした」


 ヴァレリアは、俺が立っていた場所へ視線を向ける。


「ただ避けるのではなく、相手が踏み込む場所を選ばせていましたね」


「以前は、自分の周囲へ入ってくる相手を待っていました」


「今は、ご自身から相手の間合いへ入っているように見えました」


「まだ完全ではありません」


「ええ。複数へ意識を向けているとき、一体へ深く入りすぎることがあります。先ほども、背後から来た一体への対応が僅かに遅れていました」


 セレスに声をかけられなければ、背中へ牙を受けていたかもしれない。


「覚えておきます」


「ですが、私がお聞きしていた以上でした。同行をお願いしてよかったです」


 ヴァレリアが丁寧に頭を下げる。


「残りの討伐も、お力をお借りしてよろしいでしょうか」


「もちろんです」


 ヴァレリアが北へ身体を向けたとき、足元の土が僅かに震えた。

 遠くから、重い足音が近づいてくる。

 一つではない。

 草原の北側にある林から、太い木が折れる音が続いた。


 やがて、黒褐色の巨体が姿を現す。

 大きく湾曲した二本の牙、岩のように盛り上がった肩。


 アイアンボア。


 五体が横へ広がり、こちらへ向かって地面を掻いている。


「探しに行く手間が省けましたね」


 ヴァレリアが背中の長槍を下ろす。

 巻かれていた布が解かれ、鈍い銀色の穂先が現れた。

 そのとき、陽光が一瞬だけ遮られた。


『レグルス、上よ』


 空を見上げる。

 三つの影が、牧草地の上を大きく旋回していた。


 翼を広げれば、人の背丈を優に超える。

 先端の硬質化した羽が、日の光を鋭く反射している。


 レイザーホーク。


 グラスウルフの死骸を見つけたのか、三体の影が少しずつ高度を下げてくる。


 地上には五体のアイアンボア。

 上空には三体のレイザーホーク。


 ヴァレリアが長槍を構えた。


「地上の五体は、私が引き受けます」


「空の三体は、俺ですね」


「お願いしてもよろしいですか」


「ですが、俺の攻撃が届くと知っているんですか」


 ヴァレリアの視線が、俺の足首へ向けられる。


「その装具は、飾りではありませんよね」


 青銀色の輪へ視線を落とす。

 靴底の外側には、三枚の小さな浮遊板が固定されている。

 浮遊大陸で受け取った、三次元機動補助装具。

 自分を空へ持ち上げるものではない。

 進む方向を決めてくれるものでもない。

 踏み出した先へ、次の一歩を置くための装具。


『久しぶりの空ね』


「飛ぶわけじゃない」


『ええ。あなたは、歩くのでしょう?』


「ああ」


 上空のレイザーホークが翼を畳んだ。

 三体のうち一体が、こちらへ向かって急降下を始める。

 無属性の魔力は、今も全身を巡り続けている。

 両脚へ風属性を乗せ、足首の装具へ魔力を繋ぐ。


「《メルクリウス》、起動」


 青銀色の輪へ光が走る。

 地面を蹴り、俺の身体は空へ向かって飛び出した。

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