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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第六章 修羅と呼ばれる国
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第79話 弟を借りに

 日の出前。

 薄暗い庭の中央で、俺は兄さんと向かい合っていた。

 兄さんは濃紺の着流しの袖を肘まで捲り、両手を下ろしたまま立っている。長剣は庭の端にある壁へ立てかけられていた。


 俺も武器は持っていない。

 腹部を起点に魔力を巡らせ、円環を整える。

 全身へ薄く流した魔力が肉体を強化する。そこから、必要に応じて風、水、火の属性へ切り替える。

 だが、最初からどこか一つへ力を寄せることはしない。


 兄さんがどう動くのか。

 それを見てから、身体が選ぶ。


『昨日より、考え込まずに済みそう?』


「やってみるしかないな」


「セレスと話してる場合か」


「準備はできています」


 兄さんが僅かに腰を落とす。


「昨日みたいに、掴まれてから力の流れを考えるなよ」


「分かっています」


「なら、構えろ」


 両拳を身体の前へ上げる。

 兄さんの右足が、僅かに前へ出た。

 足先が地面へ触れる。

 次の一歩で円へ入ってくる。


 そう感じた瞬間、門の向こうから金属を打つ音が響いた。

 兄さんの動きが止まる。


「こんな朝から誰だ」


 兄さんが構えを解き、門へ向かう。

 俺も魔力を基準の流れへ戻し、その後を追った。

 門を開くと、外には背の高い女性が立っていた。

 長い濃紺の髪を背中で束ね、白い上着に厚手の青い八分丈のズボンを身につけている。腰の後ろには、長槍を収納した黒い金属筒が下げられていた。


 ヴァレリア・アークシェルド。

 帝国四名家の一つ、アークシェルド家の後継者だった。


「おはようございます、レオン」


「朝から何の用だ、ヴァレリア」


「急なお願いがありまして」


 ヴァレリアさんの視線が、兄さんから俺へ移る。


「弟君を、しばらく私に貸していただけませんか」


「物みたいに言うな。本人に聞け」


「では、改めて」

 ヴァレリアさんが俺へ向き直る。


「レグルス殿。討伐へ同行していただけませんか」


「俺が、ですか」


「ええ」


 ヴァレリアさんは腰に下げていた革製の鞄から、一通の書状を取り出した。

 封蝋には、帝国の地方行政を示す紋章が刻まれている。


「昨日の夕刻、帝都東方にある放牧村から、アークシェルド家へ正式な討伐依頼が届きました」


「家へ直接、討伐依頼が来るんですか」


「現地の駐屯兵だけでは対処できないと判断された場合、四名家である私の家へ協力を求めることがあります。今回の対象は数が多いうえ、一種類ではありません」


 ヴァレリアさんが書状を開く。


「確認されているのは、グラスウルフが六体。アイアンボアが三体。そしてレイザーホークが二体です」


「三種類で、十一体……」


「目撃された数だけです。実際には、もう少しいると考えた方がいいでしょう」


 グラスウルフは集団で獲物を追い込む狼型の魔物だ。

 アイアンボアは金属にも似た硬い外皮を持ち、正面からの突進で荷馬車すら横転させる。

 レイザーホークは空から獲物へ急降下し、刃のような爪で肉を斬り裂く鳥型の魔物だった。

 いずれも一体であれば、熟練した兵士でも対処できる。

 だが、性質の異なる三種が同じ場所へ現れたとなれば、話は変わる。


「すでに家畜が襲われ、駐屯兵にも負傷者が出ています。今のところ村人に犠牲者はいませんが、魔物の行動範囲は村へ近づいています」


「それなら、急いだ方がいいですね」


「はい。今日中には到着したいと考えています」


 兄さんが、ヴァレリアさんの持つ書状へ目を向ける。


「お前一人でも片づけられるだろ」


「すべてが同じ場所にいるのであれば」


 ヴァレリアさんが書状を畳む。


「しかし、魔物は放牧地、街道、林の三方で確認されています。私一人では、逃げた魔物が村へ向かうことまで防ぎ切れません」


「第十二席が出る依頼にしては、随分と面倒そうだな」


 兄さんの言葉に、俺はヴァレリアさんを見る。


「第十二席……?」


 ヴァレリアさんは驚いた様子もなく、小さく頷いた。


「元老院第十二席。それが、私のもう一つの立場です」


「ヴァレリアさんが、元老院の……」


「末席ですが、席を預かっていることに変わりはありません」


『四名家の後継者に、元老院第十二席。随分と肩書きを隠していたのね』


「隠していたわけではないだろ。俺が知らなかっただけだ」


 以前、ヴァレリアさんから体術を教わったときも、元老院の話は出なかった。

 長槍を持たず、拳が届く場所へ立つことだけを教えられた。

 そのときから、動きに隙がないことは分かっていた。

 だが、元老院の席へ座るほどの実力者だとは思っていなかった。


「ですが、どうして俺を同行者に選んだんですか」


「レオンの実力については、私もある程度知っています」


 兄さんは元老院第十席だ。

 同じ席を持つ者であれば、試合や仕事を通じて力量を知る機会もあるのだろう。


「しかし、レグルス殿がどの程度戦えるのかは、まだ知りません。以前、少しだけ相手をしましたが、あのときは体術を学び始めたばかりでした」


「あれから、どれほど変わったのかを知りたいということですか」


「ええ。今後、共に動くことがあるかもしれません。その前に、あなたがどの程度戦えるのかを見ておきたいのです」


「討伐へ連れていく程度の力はあると?」


「足手まといを連れていくほど、討伐を軽く見てはいません」


 ヴァレリアさんは迷うことなく答えた。


「以前のあなたにも、自分の身を守る力はありました。今の実力を知らないというだけで、戦えないとは考えていません」


「なるほどな」


 兄さんがヴァレリアさんを見上げる。


「だが、本当にそれだけか」


「何のことでしょう」


「リヴィアだ。あいつから何か言われたな」


 ヴァレリアさんが僅かに黙る。

 その反応だけで、兄さんの問いが正しいことは分かった。


「……昨日、リヴィア殿から連絡がありました」


「リヴィアから?」


「同行者を探しているのであれば、レグルス殿を連れていってはどうかと。それとなく勧められただけです」


「命令されたわけじゃないんだな」


「もちろんです。レグルス殿を選んだのは、私自身の判断です」


 リヴィアは別れ際、ここから先は実際に使いながら覚えろと言っていた。

 その言葉どおり、俺が実戦へ出る機会まで用意していたらしい。


「ヴァレリアさんも、リヴィアを知っているんですか」


「以前から、少し縁があります」


 ヴァレリアさんはそれ以上を話さなかった。

 兄さんも口元へ僅かな笑みを浮かべるだけで、何も付け加えない。

 元老院第十二席のヴァレリアさんと、以前から縁がある。

 さらに、アークシェルド家へ届いた依頼まで知っていた。

 リヴィアがただの武術家ではないことは、もう疑いようがない。

 だが、本人が話していないことを兄さんが教えるつもりはない。

 それは昨日、すでに聞いていた。


「それで、お前はどうする」

 兄さんが俺を見る。


「行きます」


「リヴィアに勧められたからか」


「それだけではありません」


 討伐対象が村へ近づいている。

 俺が同行すれば防げる被害があるのなら、断る理由はなかった。


「俺にも戦える力があり、その力を必要としている人がいます。なら、行くべきです」


「修練の続きだと思ってるなら、やめておけ」


 兄さんの目が鋭くなる。


「討伐は、お前が成長するためにあるんじゃない。村人が襲われる前に、魔物を確実に仕留めるための仕事だ」


「分かっています。依頼を果たすことを最優先にします」


 兄さんは俺の目を見たまま、しばらく黙っていた。


「なら、行ってこい」


「はい」


「今朝の手合わせは、帰ってからだ」


「もちろんです。次こそ、一度は転がしてみせます」


「言うようになったな」


 兄さんの口元が僅かに上がる。

 ヴァレリアさんが懐から小さな懐中時計を取り出した。


「出発は一刻後です。帝都の東門で待っています」


「すぐに準備します」


「武器と二日分の荷物を。何も起きなければ、明日の夜には戻れるでしょう」


 ヴァレリアさんが一礼し、門を出ていく。

 腰の後ろにある金属筒が、歩みに合わせて僅かに揺れていた。


『帰ってきた翌日に、また出発することになったわね』


「しばらくは兄さんのところで修練するつもりだったんだけどな」


『帰ってくれば、続きはできるでしょう?』


「ああ」


 兄さんへ一礼し、部屋へ戻る。

 荷物の大半は、昨日運び込んだままだった。

 分厚い靴を履き直し、動きやすい黒い長衣の上から外套を羽織る。二日分の食料と水を鞄へ詰め、兄さんから預かった古い片手剣を腰へ吊るした。

 その後ろへ、セレスを固定する。


『リヴィアから直接聞かされなかったことが、気になる?』


「少しだけな」


『あの人なら、あなたが戻った後まで考えていても不思議ではないわ』


「それなら、そう言ってくれてもよかったと思うけどな」


『言葉で全部教えてくれる人ではないでしょう?』


「それもそうだな」


 リヴィアから教わったのは、力の配分と流れだった。

 静止した状態で扱えるだけでは足りない。

 考えてから身体を動かしているうちも遅い。

 異なる相手を前にしたとき、必要な力を必要な場所へ流せるのか。

 今回の討伐で、それを確かめることはできる。


 だが、兄さんの言うとおり、魔物は修練のために用意された相手ではない。

 討ち漏らせば、村の人間が襲われる。

 俺の成長よりも先に、依頼を果たさなければならない。

 準備を終えて庭へ戻ると、兄さんが門の前で待っていた。


「忘れ物はないか」


「ありません」


「魔物の数だけを見るな。三種いるなら、動きも狙う場所も違う」


「はい」


「ヴァレリアから離れすぎるな。あいつの槍が届く範囲にいれば、そう簡単には死なん」


「そこまで強いんですか」


「本人に聞け」


「兄さんも、リヴィアと同じことを言うんですね」


「余計なことを話さないだけだ」


 兄さんが門を開く。


「気をつけて行ってこい」


「行ってきます」


 帝都の東門へ着くと、ヴァレリアさんは二頭の馬を連れて待っていた。

 片方の鞍には、討伐に必要な荷物が括りつけられている。


「時間どおりですね」


「お待たせしました」


「では、出発前に現地の位置を確認しておきましょう」


 ヴァレリアさんが一枚の地図を広げる。

 帝都から東へ伸びる街道。その先にある放牧村を囲むように、三つの印が記されていた。

 北側の林に、グラスウルフ。

 西側の街道に、アイアンボア。

 南側の丘陵に、レイザーホーク。


「三種とも、違う方向から村へ近づいているんですね」


「ええ。目撃された場所も、生息域も異なります」


「偶然、同じ村へ向かっているということですか」


「今のところは、そう考えるしかありません」


 ヴァレリアさんが地図を畳む。


「魔物同士が争った痕跡もありません。なぜ別々の魔物が同時に現れたのか、その理由は分かっていません」


「原因を調べることも依頼に含まれていますか」


「原因の究明は二番目です。まずは村人の安全を確保し、確認されている魔物を討伐します」


「分かりました」


 馬の背へ乗り、手綱を握る。

 ヴァレリアさんも隣の馬へ跨がった。


「レグルス殿」


「はい」


「今のあなたがどの程度戦えるのか、見せていただきます」


「期待に応えられるようにします」


「私の期待ではありません。現地で必要とされる働きをしてください」


「……はい」


『兄弟子が違っても、教えることは似ているわね』


「そうだな」


 ヴァレリアさんが馬を進める。

 俺もその後へ続き、帝都の東門を抜けた。


 広い街道の先には、朝日に照らされた麦畑と放牧地が続いている。

 そのさらに先で、本来なら同じ場所へ集まるはずのない三種の魔物が、一つの村へ近づいていた。

 ヴァレリアさんは、俺の実力を知りたいと言った。

 俺も、今の自分がどこまで戦えるのかを知らない。


 だが、これから向かう場所にいるのは、力を測るための相手ではない。

 倒さなければ、誰かの命を奪う魔物だ。

 全身を巡る魔力の流れを確かめ、手綱を握り直す。

 今度は、迷って拳を止める相手ではなかった。

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