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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第六章 修羅と呼ばれる国
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第78話 一歩だけ返す

 中庭へ出ると、リヴィアは修練場の端に立っていた。

 いつもなら、挨拶より先に数字が飛んでくる。


 だが、今日は何も言わない。

 俺は中庭の中央へ進み、魔力円環を基準の一で巡らせた。


「何から始めますか」


「必要ない」


「え?」


「ここで教えることは、昨日で終わりだ」


 リヴィアは腕を組むこともなく、真っ直ぐ俺を見ている。


「一から百までの出力。部位ごとの配分。無属性から風、水、火への切り替え。動きながらでも、最低限は使えるようになった」


「最低限、ですか」


「数字を合わせられるようになっただけだ。相手へ何を使うかまで、私が決めてやるつもりはない」


 ヴァルドとの試合を思い返す。

 もし今、同じ場面へ戻れたとしても、最初から正しい出力を選べるとは限らない。

 体格も、鍛え方も、それまでに受けた傷も違う。

 拳を当てた感触から、次を決める必要がある。


「ここからは、実際に使いながら覚えろ」


「分かりました」


「それと、一度レオンのところへ戻れ」


 兄の名前が、何でもないことのようにリヴィアの口から出た。


「兄さんを知っているんですか」


「少しだけ教えたことがある」


「リヴィアが、兄さんを?」


「あれが帝国へ来て間もない頃だ。相手の動きの起こりと、力を正面から受けない方法。それから、足腰の力を武器へ通すところまで教えた」


 元老院闘技場で見た《グラジオラス》が浮かぶ。

 祖父の《桔梗》を土台に、兄自身の身体と長剣へ合わせて作り直した技。

 あの技へ至るまでには、リヴィアから学んだものも含まれていたのかもしれない。


「レオンは、教えた形をそのまま持ってはいかなかった。必要な理だけを持ち帰り、自分の剣へ組み込んだ」


「俺にも、そうしろということですか」


「それを決めるのも、お前だ」


 リヴィアが中庭の出口へ視線を向ける。


「最初のお前を知る者へ、今の自分を見せてこい。変わっていれば、あれならすぐに気づく」


 この屋敷で修練を始めてから、とうに十日を超えている。


「これまで、本当にありがとうございました」


 頭を下げる。


「礼は要らん」

 短い返事だった。


「次に来たとき、教えたものを失っていなければそれでいい」


「必ず」


 用意していた荷物を持ち、中庭を囲む回廊を抜ける。

 回廊の内側には、これまで使い続けた修練場となる広い中庭があり、その奥には主屋から独立した修練棟が見えた。

 最初に訪れたときは、その広さよりも、余計なものが何もないことに目が向いていた。

 今は違う。

 あの場所で、足を置くところから始めた。

 拳を届かせることを覚え、届いた先で止まった。

 そして、止めずに打つための力を教わった。


『終わってみれば、短かったわね』


「毎日転がされてた俺には、十分長かったけどな」


『それでも、また来るのでしょう?』


「ああ」


 厚い木の門を開き、帝都へ続く街道へ出る。

 一から百までを覚えただけで、修練が終わったわけではない。

 むしろ、ようやく自分で選ぶところまで来ただけだった。


 昼を少し過ぎた頃、兄の家へ着いた。

 門を開くと、庭から重く風を切る音が聞こえてくる。


 兄――レオン・クレハルトが、長剣を振っていた。


 黒髪を後頭部で結び、濃紺の着流しの袖を肘まで捲っている。幅広の長剣が振り下ろされるたび、剣先は地面へ触れる寸前で止まった。


 俺が庭へ入ると、兄は長剣を肩へ担ぐ。


「遅かったな」


「ただいま」


「おう」


 兄のもとを離れて以来の挨拶は、それだけだった。


『もう少し、久しぶりの再会らしい言葉はないのかしら』


「兄さんだからな」


「何か言ったか」


「セレスが、挨拶が短いと言っています」


「しばらく顔を合わせなかった程度で、長々と話すこともないだろ」


『似た者同士ね』


 兄が長剣を壁際へ立てかける。

 その視線が、俺の足元から腰、肩へとゆっくり昇った。


「立ち方が変わったな」


「まだ何も報告していませんが」


「見れば分かる」


 リヴィアの言葉どおりだった。

 兄がこちらへ歩いてくる。


「荷物を寄越せ」


「自分で運べます」


「知ってる。さっさと渡せ」


 肩へ掛けていた荷物を下ろす。

 兄が右手を伸ばした。

 持ち手を渡そうとした瞬間、その右手が俺の手首を掴む。

 同時に、兄の左足が俺の右足の外側へ入った。

 肩が僅かに沈む。

 掴んだ手首を引き、足を払う。

 帝都へ来た翌朝、三度も地面へ転がされた動きだった。


 だが、今は見える。

 意識して描くより先に、兄の足が円へ入ったことを身体が捉えていた。

 魔力円環の出力を三十へ上げる。

 全身へ水属性を十。《瞬》で意識と身体の遅れを削る。

 左脚へ風属性を八。残りを腰と右脚へ六ずつ流した。

 兄に引かれる方向へ逆らわない。

 右足を浮かせ、左脚の《速》で斜め前へ踏み込む。

 兄の足が空を払った。

 身体を入れ替えながら、掴まれた右手首を内側へ回す。


 兄の指が僅かに緩んだ。

 すぐに水と風を腹部へ戻す。

 円環は止めない。

 両脚へ合わせて七。腰へ八。

 右腕へ火属性を十五。


 身体強化《剛》。


 右足で地面を踏み、腰を回す。

 兄の胸元へ、右拳を打ち込んだ。

 兄の左掌が拳へ重なる。

 乾いた音が庭へ響いた。

 拳は止めない。

 右腕へ流した十五を、最後まで掌へ通す。

 兄の右足が地面を擦り、一歩だけ後ろへ動いた。


「……ほう」

 兄の口元が僅かに上がる。


 次の瞬間、拳を受けていた左手が閉じた。

 右手首を掴まれる。

 兄が懐へ入り、背中を俺の胸へ重ねた。


 腰が沈む。

 出力を切り替える。

 脚へ――

 そう考えたときには、足が地面を離れていた。

 視界が反転する。

 受け身を取り、背中から庭の土へ落ちた。

 鈍い衝撃が全身へ広がる。

 見上げると、兄が俺の右手首を掴んだまま立っていた。


「拳は止めたか」


「いえ。最後まで打ち切りました」


「そうか」


 兄が手を離す。


「ようやく加減を覚えたな」


「ですが、その直後に転がされました」


「力の配分を考えるのに一瞬止まった。実戦なら、その一瞬で十分だ」


 反論できない。

 兄の掌へ拳を打ち切った後、次の配分を考えた。

 脚へいくつ流すのか。

 腰へどれだけ残すのか。

 その数字が頭を過ぎった間に、兄は俺の懐へ入っていた。


「力の流れを効率よく切り替えられるようになった。だが、考えてから動いているうちは遅い」


 兄が右手を差し出す。

 掴んで立ち上がる。


「リヴィアさんにも、似たようなことを言われました」


「あいつなら言うだろうな」


「兄さんを教えたことがあるとも聞いたのですが」


 兄の眉が僅かに動く。


「余計なことを話したな」


「少しだけだったそうですね」


「ああ。俺には、あいつの拳をそのまま真似る気はなかった」


 兄が壁際の長剣を見る。


「だが、相手の起こりを見ることと、力を流す道は教わった。足から腰、背中、腕を通り、最後に剣へ届かせる。その理は、武器が変わっても使える」


「《グラジオラス》にも、リヴィアから学んだものが入っているんですか」


「少しはな」

 兄が頷く。


「技の骨組みは、爺さんの《桔梗》だ。だが、この身体と長剣へ力を通す部分は、リヴィアから学んだものを使って作り直した」


 祖父の技。リヴィアから学んだ理。

 兄自身の身体と、選んだ長剣。

 どれか一つをそのまま使ったのではない。

 積み重ねたものを繋ぎ直し、自分の技にしている。


「あの人は、何者ですか」


「お前の師匠だろ」


「それは分かっています。そうじゃなくて――」


「本人が話していないことを、俺から話すつもりはない」


 兄はそれ以上答えず、地面へ置かれた荷物を拾った。


「まずは飯にするぞ。話はそれからだ」


 その日の夕食には、豆と野菜を煮込んだ濃いスープと、薄く切って焼かれたブリア牛の肉が並んだ。

 兄に促され、大会での試合を最初から話す。

 予選でマリウスに負けたこと。

 円の中へ入る相手を待つのではなく、こちらから足を置く場所を選ばせたこと。

 準決勝でヴァルドと戦い、拳を止めて敗れたこと。

 そして、リヴィアから魔力の配分方法について教わったこと。

 兄は食事を続けながら、最後まで黙って聞いていた。


「ヴァルドを殺したくなかったことは、間違いだったと思うか」


「思いません」


「なら、それでいい」


 兄が肉を一切れ口へ運ぶ。


「殺さずに勝つ力がなかったから負けた。それだけだ」


「はい」


「次は、止めずに倒せ」


「そのつもりです」


『随分と簡単に言うのね』


「簡単に言うな」


「難しいから修練するんです」


 兄は何でもないことのように食事を続けている。


「リヴィアさんは、俺が準決勝前後で負けると予想していました」


「あいつらしいな」


「兄さんも、同じように思っていたんですか」


「お前が大会へ出ることは聞いていなかった」


 兄が匙を置く。


「だが、以前のお前なら、強く打つか、止めるかのどちらかを選んだだろうな」


「見ていたみたいに言うんですね」


「最初に三度転がしたとき、加減はできていなかったからな」


「あれで分かったんですか」


「一度目は驚いて全身を固めた。二度目は速さで逃げようとした。三度目は力任せに押し返そうとした」


 すべて覚えられていた。


「今日は違った。引かれる力を受け入れ、必要な場所だけを強めた。拳も、自分で決めたところまで打ち切った」


 兄が僅かに笑う。


「一歩くらいなら、返したことにしてやる」


「随分と上からですね」


「俺を転がすと言ったのはお前だ」


「忘れていません」


「なら、次は考える前に動け」


 兄が再び匙を取る。


「力の使い方は、戦いの最中に一つずつ考えるものではない。考えるより先に、身体が必要な量を選べるところまで繰り返せ」


「分かりました」


「明朝、日の出前に庭へ出ろ」


「また三度転がすつもりですか」


「一度で足りるだろ」


「今度は、その前に一度返します」


「やってみろ」


 夕食を終え、自分が使っていた部屋へ戻る。

 置かれた物は、俺が出ていったときとほとんど変わっていない。

 荷物を下ろし、セレスと古い片手剣を机へ置く。


『帰ってきたわね』


「ああ」


『そして、また転がされた』


「それは言わなくていい」


『でも、今回は一歩だけ返したでしょう?』


 兄の掌へ拳を打ち込んだ感触が、右手に残っている。

 十五と決めた力を、途中で弱めず、最後まで届かせた。

 兄を倒すには足りない。

 それでも、兄のもとを離れる前には返せなかった一歩だった。


「次は、一歩で終わらせない」


『ええ。そのためにも、まずは明日の朝に転がされないことね』


「分かってる」


 一と百の間から、必要な力を選ぶ。

 だが、選ぶために足を止めては意味がない。

 次は、数字を考えるより先に身体を動かす。

 そしていつか、兄を一度、地面へ転がす。

 約束を果たすまで、あと一歩では足りなかった。

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