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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第六章 修羅と呼ばれる国
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第75話 選ばせる一歩

 大柄な男が、砂を蹴って前へ出る。

 名はガルバ・ドルス。太い両腕を顔の前へ上げ、身体を小さく揺らしながら長身の男との距離を詰めていく。


 対するルキウス・レナートは、右足を引いたまま動かない。

 ガルバの拳が届く直前、前へ向けていた左脚が持ち上がった。

 足裏が胸元へ突き出される。

 ガルバは両腕を重ねて前蹴りを受け止めた。身体が僅かに後ろへ押される。それでもすぐに踏み直し、逃げるルキウスを追った。


 右へ回れば、右脚の蹴りが進路を塞ぐ。

 左へ動けば、ルキウスも同じだけ左へ動く。

 正面から近づけば、再び前蹴りが伸びてくる。

 ガルバは何度蹴られても足を止めず、少しずつルキウスを白い線へ追い込んでいった。


『あの人、押されているように見えるけれど……』


「いや。下がる場所を選んでいる」


 ルキウスは、ただ距離を取っているわけではない。

 ガルバが右へ出れば蹴りで止め、左側にだけ進める場所を残す。ガルバがそこへ足を置くと、同じ方向へ一歩下がり、再び右側を蹴りで塞ぐ。


 追っているのは、ガルバだ。

 だが、ガルバがどこへ足を置くのかは、ルキウスが決めている。


 白い線まで残り二歩。

 ガルバが勝負を決めようと、大きく踏み込んだ。

 ルキウスは、初めて左側を空ける。

 逃げ道を塞ごうとしたガルバが、迷わずそちらへ足を置いた。


 その瞬間、ルキウスの身体が反対側へ回る。

 軸足を入れ替え、長い右脚を横から振り抜いた。

 蹴りはガルバの腕へ当たった。

 防いでいる。

 だが、前へ重心を傾けていた大柄な身体は、横から加わった力を受け止めきれない。

 ガルバの右足が白い線を越え、続く左足も石床へ落ちた。


「そこまで! 場外。勝者、ルキウス・レナート!」


 ガルバが悔しそうに息を吐き、ルキウスは上げていた右脚を静かに下ろす。

 最後の蹴りだけを見れば、ガルバが力負けしたようにも見える。

 だが、勝負はそれより前に決まっていた。

 ルキウスが空けた場所へガルバが踏み込んだ時点で、蹴りを受けた後に足を置ける場所は、白い線の外にしか残っていなかった。


『足を置かせたのね』


「ああ。攻撃が当たるより前に」


 マリウスの言葉を思い返す。

 足を置き、視線を向け、隙を見せて、入る場所を選ばせる。

 ただ待つのではない。

 相手が自分で選んだと思える場所を残し、その先へ立つ。


 審判が手元の板へ結果を書き込み、次の対戦者を呼び上げた。


「予選第三組、第三試合。レグルス・クレハルト。ガルバ・ドルス。試合場へ」


 立ち上がり、試合場へ向かう。

 白い線を跨いだところで、先ほど場外へ落ちたガルバと向かい合った。

 近くで見ると、やはり大きい。

 肩幅は俺の倍近くあり、握った拳も一回り以上違う。短く刈り込まれた黒髪の下で、太い眉が僅かに寄っていた。


「互いに一敗か」


「はい」


「なら、ここで負ければ後がなくなるな」


 ガルバが両拳を打ち合わせる。


「悪いが、譲るつもりはない」


「俺もです」


 両拳を上げ、足を前後へ開く。

 先ほどと同じように、自分を中心とした円を意識する。

 だが、そこへ入ってくるガルバを待たない。

 円の外側にある足の向きと、視線を見る。


 審判が右腕を上げた。


「始め!」


 開始と同時に、ガルバの身体から魔力が立ち上る。

 両脚を巡った魔力が腰から背中へ昇り、太い腕へ流れ込んだ。


 一歩目から速い。

 砂が大きく弾け、ガルバが正面から円を踏み越える。

 右拳が、俺の顔へ迫った。

 左腕を立て、拳を外側へ流す。


 重い。

 受けた腕ごと身体が押される。


 ガルバは止まらない。

 左拳を腹部へ打ち込み、俺が肘を下げると、右肩を前へ突き出した。


 咄嗟に両腕を胸の前へ重ねる。

 大柄な身体がぶつかった。


「ぐっ……!」


 足の裏が砂を削り、二歩分押し戻される。

 追ってきたガルバの拳を、上体を傾けてかわす。耳元で風が鳴った。

 すぐに右拳を脇腹へ返す。

 だが、ガルバは左腕を下げ、肘で拳を受け止めた。

 硬い筋肉に阻まれ、拳が僅かに沈んだだけで止まる。


 頭上に影が落ちた。

 振り下ろされた左拳を、後ろへ跳んで避ける。

 拳が砂へ叩きつけられ、低い音とともに細かな粒が舞い上がった。


『マリウスとは、まるで違う相手ね』


「考える時間を与えるつもりがないらしい」


 マリウスは円の外から俺の反応を見た。

 ガルバは円ごと押し潰すように前へ出てくる。

 それでも、力任せではない。

 顔へ拳を見せて腕を上げさせ、空いた腹部を打つ。腹部を守れば、両腕ごと肩で押し込む。

 一つを防がせ、次が届く場所を作っている。


 なら、俺も相手が選ぶ場所を作る。

 右足を半歩後ろへ引き、左の脇腹を僅かに開ける。

 同時に、左肩へ視線を向けた。

 ここへ打て。

 ガルバの目が、開けた脇腹へ一瞬だけ落ちる。


 来る。

 左腕を下げ、拳を流す準備をする。

 だが、ガルバの右拳は脇腹へ向かわなかった。

 真っ直ぐ、顔へ伸びてくる。


「っ……!」

 慌てて腕を上げる。


 拳が前腕へ激突し、骨まで響く衝撃が走った。

 防いだ腕が顔へ押しつけられ、視界が塞がる。

 直後、ガルバの左拳が腹部へ突き刺さった。


「がっ……!」


 息が漏れる。

 身体を折る前に、肩が胸元へぶつかった。

 踏み止まれない。

 砂の上を滑り、右足を大きく後ろへ置く。

 ガルバは追撃せず、両拳を上げたまま俺の動きを見ていた。


 脇腹を開ければ、そこへ打ってくる。

 そう考えた時点で、また自分の中にいる相手を見ていた。

 今の俺がしたのは、選ばせることではない。

 自分から守りを薄くし、ただ殴られやすくしただけだ。

 相手がそこを選ぶ理由がなければ、隙は誘いにはならない。


「……もう一度だ」


 呼吸を整え、腹部の痛みを押し込める。

 魔力円環の流れを強めた。

 水属性が全身を巡り、意識と身体の間にあった僅かな遅れが消えていく。


 身体強化《瞬》。


 先に動く。

 左足を踏み込み、短い拳をガルバの顔へ放つ。

 ガルバが右腕で受け止めた。

 拳を戻しながら、右へ一歩ずれる。


 すぐに、もう一度踏み込む。

 今度は右拳。

 顔を狙った拳を、ガルバが左腕で弾く。

 空いた腹部へ拳を繋ごうとするが、ガルバは肘を下げて進路を塞いだ。

 深追いせず、右足を外側へ置く。


 ガルバが身体の正面を合わせてくる。

 俺は再び顔へ拳を伸ばした。

 受けられる。

 それでいい。

 ガルバの足を止めるほどの威力はない。

 それでも、顔へ拳が来れば腕を上げる。俺が右へ動けば、正面へ捉えるため左足を動かす。

 一つずつ、ガルバ自身に選ばせる。


 左拳。

 右へ一歩。


 右拳。

 さらに右へ。


 同じ動きを繰り返すたび、試合場の景色が少しずつ横へ流れる。

 ガルバは二度目の右拳を弾くと、俺が次に移動する場所へ先回りするように左足を踏み出した。

 俺の正面を塞ぎ、右拳を振るう。

 上体を沈め、拳の下を潜る。

 脇腹へ短く拳を当てた。


「ぬっ……!」


 浅い。

 だが、初めてまともに届いた。

 ガルバが左肘を振り下ろす前に、外側へ離れる。

 追ってくる足音が、先ほどよりも近い。

 顔を狙われれば守る。

 横へ回られれば、先に進路を塞ぐ。

 そうすれば、俺を再び正面から押し込める。

 ガルバは、今の攻防でそれが通じると判断した。


 白い線が視界の端へ入る。

 俺が右へ回り続けたことで、いつの間にか試合場の外周が背後へ近づいていた。


 残りは三歩。

 ガルバも気づいている。

 口元が僅かに上がった。

 追い詰めたと思っている。


 左拳を顔へ放つ。

 ガルバが右腕で弾き、俺の右側へ左足を置いた。


 逃げ道を塞ぐ足。

 俺は右へ動かず、その場で右拳を伸ばす。

 ガルバは左腕を上げ、顔を守った。


 両腕が上がる。

 腹部が空く。

 俺は一歩だけ後ろへ下がり、そこへ視線を向けた。


 白い線まで、残り二歩。

 ガルバの目が細くなる。

 先ほど、俺が脇腹を開けたときとは違う。

 顔への拳を何度も受けさせた。

 横へ逃げようとする動きも見せた。

 その進路を、自分の足で塞がせた。

 今、ガルバの正面には、腕を上げたことで空いた俺の胴体がある。

 そこへ踏み込めば、もう一度俺を場外まで押し切れる。

 選ばない理由がない。


「おおっ!」

 ガルバが吼えた。

 右足が深く砂を抉り、大柄な身体が前へ出る。


 右拳ではない。

 両腕を胸の前へ重ね、肩から俺を押し出すつもりだ。

 想定していた攻撃とは違う。

 それでも、入ってきた場所は同じだった。

 ガルバの肩が触れる直前、左足を斜め前へ踏み出す。

 《瞬》で身体を加速させ、正面から外れる。

 左腕をガルバの右腕へ添える。

 右の掌を、肩の後ろへ当てた。

 押し返さない。

 腰を回し、前へ進む力の向きだけを外側へ変える。


 ガルバの身体が俺の横を通り過ぎた。

 だが、ガルバも簡単には崩れない。

 左足を砂へ突き立て、白い線の手前で踏み止まる。

 前へ流れていた身体が止まり、太い右腕が俺を掴もうと伸びてくる。


 俺は離れない。

 ガルバの右腕を左脇へ抱え、背中へ肩を当てる。

 刃へ力を届けるため、何度も繰り返してきた足運び。

 後ろ足で砂を踏み、腰を回し、肩へ繋ぐ。

 今度は、その力を目の前の身体へ届けた。


「っ……!」


 ガルバの左足が、白い線を越える。

 石床へ靴底が落ちた。

 残った右足で耐えようとするが、砂と石の境目で重心が揺れる。

 もう一度、足から肩へ力を通す。

 右足も線の外へ出た。


「そこまで!」

 審判の声と同時に、力を抜く。


 ガルバが石床へ片膝をつき、荒い息を吐いた。


「場外。勝者、レグルス・クレハルト!」


 観客席から歓声が上がる。

 俺も息を吐き、両腕を下ろした。

 拳で倒したわけではない。

 力で押し勝ったわけでもない。

 ガルバが自分で選んだ一歩を、白い線の外へ繋げただけだ。

 だが、その一歩を選ばせるまでに、何度も拳を見せ、足を動かし、進路を塞がせた。

 最初に脇腹を開けたときとは違う。

 偶然ではない。

 そう思った直後、自分の考えを打ち消す。


 一度できただけだ。

 ガルバが最後に拳ではなく肩を選んだように、相手は俺の想定どおりには動かない。

 今回は、入る場所だけが合っていた。

 次も同じようにできるとは限らなかった。


「ありがとうございました」


 試合場へ戻って一礼する。

 立ち上がったガルバは、悔しそうに白い線を見た後、俺へ向き直った。


「追い詰めたつもりだった」


「俺も、そう見えるように下がりました」


「そうか。なら、次は途中で止まる」


「そのときは、別の方法を考えます」


 ガルバが僅かに口元を緩める。


「子供の顔で、面倒なことを言う」


 大きな掌で肩を一度叩かれた。

 衝撃で身体が少し傾く。

 ガルバは気にした様子もなく、先に試合場を下りていった。


『今度は、相手が入ってくるのを待ったんじゃない。あなたが、そこへ入らせたのね』


「一度だけだ。次も同じように動いてくれるとは限らない」


『ええ。でも、最初の一度がなければ、二度目もないわ』


 待機場所へ戻ると、マリウスが壁際に立っていた。

 両手に巻いた布を解き、締め直している。


「二戦目は勝てたのか」


「はい。場外でしたが」


「そうか」


 マリウスはそれ以上尋ねず、布の端を手首へ押し込んだ。


「次は、あなたの試合ですね」


「ああ」


 係員に呼ばれ、マリウスが試合場へ向かう。

 相手は、先ほど長い脚でガルバを場外へ押し出したルキウスだった。

 ルキウスの蹴りが届く場所は、俺やマリウスの拳よりも遠い。

 その外側から、前蹴りと横蹴りで近づく場所を塞いでいく。

 だが、マリウスは無理に踏み込まなかった。

 入るふりをし、蹴りを誘い、足が戻る前に半歩だけ距離を詰める。

 それを何度も繰り返し、最後はルキウスの蹴り足を腕で抱え、そのまま軸足を払った。

 倒れたルキウスの胸元へ拳を止め、審判が勝敗を告げる。


 マリウスの二勝目。

 ガルバは二敗。

 俺とルキウスは一勝一敗。

 最後に直接戦い、勝った方が本戦へ進む。


「予選第三組、第五試合。レグルス・クレハルト。ルキウス・レナート。試合場へ」


 再び、白い線を跨ぐ。

 ルキウスは先ほどと同じように右足を引き、長い左脚を前へ置いた。

 向かい合っただけで分かる。

 俺の拳が届く円の外側に、ルキウスの蹴りが届く円がある。

 俺が一歩踏み込む間に、向こうの足は俺の身体へ届く。


「始め!」


 開始から、ルキウスは俺の拳が届かない位置を崩さなかった。

 最初の前蹴りは両腕で受けた。外側へ回ろうとした二度目は太腿を蹴られ、足を流そうとした三度目は、途中で軌道を変えられて脇腹へ受けた。


 ルキウスも、先ほどの試合を見ている。

 俺が空けた場所へ簡単には入らず、踏み込もうとするたび、長い脚で動きを止めてきた。


 俺の拳が届く円。

 その外側に、ルキウスの蹴りが届く円がある。

 自分の円を届かせようとする限り、一歩目を蹴りで止められる。

 ならば、先に向こうの円へ入る。

 拳を上げたまま、前へ半歩だけ出た。

 こちらの拳は届かない。だが、ルキウスの前蹴りなら届く場所だ。


 左脚が持ち上がる。

 先ほどまでなら、蹴りが来てから身体を動かしていた。

 今は、その蹴りを出させるために、俺がここへ立った。

 足裏が胸元へ伸びてくる。

 《瞬》で身体を前へ運びながら蹴り足を外側へ流し、ルキウスの軸足の外へ右足を置く。


 初めて、二つの円が重なった。

 短い右拳を腹部へ打ち込み、下がる先へ左足を置く。距離を離さず拳を繋ぐと、ルキウスは空間を作ろうと再び左脚を浮かせた。


 その瞬間、軸足へ右足を掛ける。

 肩を押し、足を払った。

 長身が砂の上へ倒れ、俺は胸元へ右拳を止めた。


「そこまで!」

 審判の声が響く。


「続行不能。勝者、レグルス・クレハルト!」


 拳を引き、ルキウスへ手を差し出す。

 ルキウスはその手を取り、ゆっくりと立ち上がった。


「自分から蹴られる場所へ入ってきたか」


「蹴りたくなる場所へ立ったつもりでした」


「それを本人へ言うか」


「今回は蹴ってくれましたが、次も同じとは限りませんから」


 ルキウスは一瞬だけ目を丸くした後、小さく笑った。


「次は、蹴らずに殴ってやる」


「そのときは、殴られない方法を考えます」


 一礼し、試合場を下りる。

 その後の最終試合では、マリウスがガルバを下した。

 予選第三組の結果は、マリウスが三勝。俺が二勝一敗。ルキウスが一勝二敗。ガルバが三敗。

 上位二名として、マリウスと俺の本戦進出が決まった。


『初戦で負けたときは、どうなることかと思ったけれど、予選は抜けられたわね』


「マリウスに勝ったわけじゃない。それに、二人が俺の狙った場所へ動いてくれたから勝てただけだ」


『それでも、選ばせるために何をすればいいのかは、少し分かったのでしょう?』


「ああ。隙を見せるだけじゃ足りない。相手がそこへ入りたくなる理由まで作らなければならない」


 試合場脇に置かれた板へ、本戦進出者の名前が書き加えられていく。

 俺の名が記されたとき、周囲にいた何人かの出場者がこちらを見た。

 予選を終えた者。

 これから予選を戦う者。

 その中には、俺がガルバを場外へ誘った試合を見ていた者もいる。


『次は、あなたが想定される側になるのね』


「ああ」


 相手を動かすだけでは足りない。

 こちらの狙いを読まれたうえで、それでも選ばせなければならない。

 予選を抜けて、ようやく本当の対人戦が始まる。

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