表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第六章 修羅と呼ばれる国
PR
75/86

第72話 鎧の内側

 鎧殻猪の前脚が、土を深く掻いた。

 幾重にも重なる灰褐色の外殻が擦れ合い、硬質な音を立てる。頭部から伸びた二本の牙が僅かに下がり、その先端が俺の胸元へ向けられた。


 来る。

 そう思った直後、鎧殻猪の巨体が前へ弾けた。

 地面を蹴る音が一つに重なり、土塊が後方へ吹き飛ぶ。


 俺は後ろへ跳ばなかった。

 意識するのは、自分の掌が届く距離。

 離れすぎれば、こちらの攻撃は届かない。近づきすぎれば、あの牙に身体を貫かれる。


 その境目へ立ったまま、突進の正面から外れる。

 右脚へ《速》を集中させ、身体を左へ滑らせた。

 鎧殻猪の牙が胸元を通過する。


 かわした。

 そう思った瞬間、肩へ強い衝撃が走った。


「ぐっ……!」


 外殻の端が上腕を掠め、身体が横へ弾かれる。

 受け身を取りながら地面を転がり、片膝をついた。肩を確認すると、服が裂け、その下の皮膚が赤く腫れている。

 直撃ではない。

 それでも、この威力か。


『今のは危なかったわね』


「ああ。だが、距離は間違ってない」


 鎧殻猪が前脚を軸に巨体を反転させる。

 あれほどの重量がありながら、動きは鈍くない。突進だけを警戒して大きく退けば、次の攻撃へ移る前に向きを変えられる。


 もう一度、鎧殻猪が地面を蹴った。

 今度は正面から僅かに右へ外れ、すれ違いざまに外殻の重なり目へ拳を打ち込む。


 硬い。

 岩を殴ったときとも違う。

 衝撃が一箇所へ留まらず、重なり合った外殻を伝って全体へ逃げていく。

 右拳を引き、身体を回転させながら踵を叩き込む。

 鈍い音が響いた。

 鎧殻猪の巨体が僅かに揺れる。

 だが、倒れない。

 外殻の表面には傷一つなく、俺の足にだけ痺れが残った。


 鎧殻猪が後脚を跳ね上げる。

 咄嗟に両腕を交差させた直後、蹄が腕へ叩き込まれた。

 身体が地面から浮き、数歩分も後方へ飛ばされる。

 両脚で着地し、土を削りながら勢いを殺した。


『硬いだけではないみたいね。受けた衝撃を外殻全体へ逃がしているわ』


「みたいだな」


 拳を握り直す。

 指の関節が熱を持ち、右脚にも痺れが残っている。

 左手が、腰にある古い片手剣の柄へ伸びた。

 剣を使えば、外殻の重なり目へ刃を差し込めるかもしれないし、外殻を斬れるかもしれない。


 だが、拳を打ち込んだ場所を見れば、外殻の一枚が僅かに浮き上がっている。

 届いていないわけではない。

 俺の力が足りないのでもない。

 ただ、届かせ方が足りない。

 左手を柄から離した。

 剣を使わないと決めたわけではない。

 まだ、無手で試せることが残っている。


 鎧殻猪がこちらから視線を外し、麦畑へ顔を向けた。

 これ以上、畑へ入らせるわけにはいかない。

 俺は鎧殻猪の正面へ回り込み、両掌を身体の前へ構えた。


「こっちだ」


 声に反応した鎧殻猪が、鼻から荒い息を吐く。

 前脚が土を掻き、三度目の突進が放たれた。


 今度は早く動かない。

 牙が届く直前まで引きつけ、右足を斜め前へ踏み出す。

 身体を攻撃線から外しながら、命脈を巡る魔力を両脚から腰、背中、肩へと繋いでいく。

 魔力円環を巡っていた魔力が、火属性へ変わる。

 両掌を覆うように炎が燃え上がった。


 ――《焔纏》。


 すれ違う鎧殻猪の側面へ踏み込み、浮き上がった外殻へ両掌を重ねる。


 震脚。

 地面を踏み砕いた力を腰から背中へ通し、両腕へ。


「《獅吼爆炎》!」


 両掌の間で、爆炎が弾けた。

 轟音とともに鎧殻猪の巨体が地面から浮き上がる。

 横向きに吹き飛ばされた巨体が土を抉り、外殻を打ち鳴らしながら何度も転がった。

 焦げた臭いが周囲へ広がる。

 両掌を突き出したまま、息を吐く。

 外殻の一部が黒く焼け、その重なり目には細い亀裂が走っていた。


 これなら――。


 倒れていた鎧殻猪の前脚が動いた。


「まだか……」


 巨体がゆっくりと持ち上がる。

 足元は僅かにふらついている。無傷ではない。

 それでも、致命傷には届いていなかった。

 爆炎を受けた外殻が数枚浮き上がっているが、その下から血は流れていない。衝撃の大半を、外殻が受け止めている。


 吹き飛ばした。

 だが、それだけだった。


『効いていないわけではないわ。でも、あの鎧が衝撃を内側へ届かせていない』


「ああ。《獅吼爆炎》は、外側を破壊する技だからな」


 両掌に残る熱を見る。

 《焔纏》によって火属性を手足の外側へまとわせ、それを接触と同時に爆発させる。

 外側から破壊するための技。

 ならば、この外殻を完全に砕くまで、何度も打ち込むか。

 両腕の震えを考えれば、あと何度使えるか分からない。


 それに、外殻を破壊できたとしても、その前に畑が巻き込まれる。

 別の方法が必要だった。

 鎧殻猪がこちらを睨みながら、荒い呼吸を繰り返している。


 その姿を見て、リヴィアが見せた一掌を思い出す。

 掌を触れさせ、力を相手の内側へ通す。

 表面にはほとんど傷を残さず、その奥だけを穿つ技。

 あれを使えれば、外殻の硬さは関係ない。

 だが、見ただけで再現できるほど簡単なものではなかった。


 鎧殻猪が前へ出る。

 俺は突進をかわしながら、その側面へ右掌を触れさせた。

 掌から魔力を放ち、外殻の内側へ押し込もうとする。

 しかし、魔力は外殻の表面へ広がり、そのまま空気中へ散った。


 鎧殻猪が身体を捻る。

 肩口に押され、右掌が外れる。続けて振り上げられた牙を上体だけでかわしたが、先端が頬を掠めた。

 熱いものが一筋、頬を伝う。

 距離を取り、手の甲で血を拭った。


 やはり、駄目だ。

 魔力は、触れただけで相手の内側へ入っていくものではない。

 リヴィアは掌を触れさせた一瞬で、自分の力を相手の奥まで通していた。

 俺には、その技術がない。

 表面へ当てることはできても、その先へ届かせる方法を知らない。


『無理に同じことをしようとすれば、今度は牙を避けられないわ』


「分かってる」


 同じことはできない。

 ならば、同じ形に拘る必要はない。

 兄も、祖父の《桔梗》をそのまま使ったわけではなかった。

 足運びと力の流れだけを残し、自分の身体と長剣に合わせて《グラジオラス》へ作り直した。

 積み重ねたものまで、捨てる必要はない。

 俺にあるものを使い、別の形へ作り直す。

 両掌に残る火属性の魔力へ意識を向けた。

 《焔纏》は、火を手足の外側へまとう術式だ。

 それを外側へ爆発させることで、《獅吼爆炎》になる。


 外側へまとう火。

 その反対は何だ。

 俺の中にある、もう一つの属性へ意識を切り替える。


 水。


 形を持たず、僅かな隙間へ入り込み、内側へ流れていくもの。

 火を外へまとうのなら――水は、内へ浸せるんじゃないか。

 魔力円環を巡っていた火属性を解く。

 熱を失った魔力を水属性へ切り替え、右の掌へ集めた。


 皮膚の表面ではない。

 掌から指へ。

 掌から手首、前腕へ。

 自分の腕の内側を流れる命脈に沿わせ、水属性の魔力を少しずつ沈めていく。


「っ……」


 指先から肘へ、冷たい痛みが走った。

 流れが太すぎる。

 一度に浸透させようとすれば、腕の内側で魔力がぶつかり、筋肉の動きを阻害する。

 水は押し込むものじゃない。

 空いている場所へ、流すものだ。

 全身を巡る円環から細い流れを分け、右腕の内側へ通していく。

 冷たさが、ゆっくりと掌へ広がる。

 皮膚の上には何も見えない。

 それでも、右腕の内側には確かに水属性の流れが生まれている。

 外へまとう《焔纏》とは正反対の術式。


「――《水浸》」


『自分の腕の内側へ、属性魔力を浸透させたの?』


「ああ。俺から相手へ直接入れられないなら、先に俺の中へ流れを作る」


『でも、それだけでは相手の内側へ届かないわ』


「だから、繋げる」


 鎧殻猪を見る。

 一度目の《獅吼爆炎》によって、外殻には亀裂が生じている。

 あの隙間へ掌を密着させ、打撃の衝撃と同時に、俺の腕を巡る水属性を流す。

 外から魔力を押し込むんじゃない。

 俺の内側にある流れを、掌からその先へ繋げる。


 鎧殻猪が低い咆哮を上げた。

 前脚が大きく土を抉る。

 先ほどまでとは違う。

 痛みと怒りに任せ、巨体の全てをぶつけようとしている。


 俺は両脚を開き、右掌を前へ構えた。

 逃げれば、届かない。

 正面へ残れば、貫かれる。

 ならば、掌が届く場所へ立ったまま、牙の通る線から身体を外す。


 鎧殻猪が突進する。

 地面が揺れ、視界を埋め尽くすほどの巨体が迫る。

 左足を斜め前へ。

 牙の先端が胸元へ届く直前、身体を半身へ開く。


 完全にはかわさない。

 外殻が服へ触れるほどの距離を保ち、鎧殻猪の側面へ右掌を沿わせる。

 狙うのは、爆炎によって生じた亀裂。

 右脚で地面を踏み、腰を回す。

 強く叩く必要はない。

 掌を密着させ、打撃によって生じた一瞬の繋がりへ、右腕の内側を巡る水属性を流す。

 掌から外殻の亀裂へ。

 亀裂から、その内側へ。


「《獅子琉掌》【パルマ・フルクトゥス】」


 右掌が、鎧殻猪の側面へ触れた。

 爆発は起こらない。

 外殻が砕ける音もない。

 鎧殻猪は俺の横を通り過ぎ、そのまま数歩先へ進んだ。


 失敗したのか。

 そう思った直後、鎧殻猪の巨体が内側から大きく震えた。


「ブゴォッ――!」

 苦痛に満ちた咆哮が響く。


 外殻の下へ流れ込んだ水属性が、その内側で広がっていく。

 硬い外殻と筋肉の間。

 衝撃を逃がすために連なっていた組織の隙間。

 そこへ入り込んだ流れが内側から圧力を生み、外殻を支えていた筋肉を押し崩す。

 鎧殻猪の右前脚が折れ、巨体が地面へ傾いた。

 外殻には、先ほどまでと変わらない細い亀裂しか残っていない。

 それでも、その内側は確実に壊れている。


 リヴィアの技とは違う。

 俺は力そのものを浸透させたのではない。

 《水浸》によって作った流れを相手の内側へ繋ぎ、そこで広げた。

 同じ結果へ、別の方法で辿り着いた。


『今の一掌……リヴィアが見せたものとは違ったわね』


「ああ。あの人と同じことは、俺にはできなかった」


『だから、自分にできる形へ作り直したのね』


「まだ、倒せてはいないけどな」


 鎧殻猪の左前脚が地面を掻く。

 右前脚を引きずりながら、それでも巨体を起こそうとしている。

 内側へは届いた。

 だが、どこまで壊せたのか、自分でも正確には分からない。

 流し込んだ水属性も浅く、外殻を支える筋肉の一部を崩しただけだ。

 今の俺では、深さも、広がる範囲も選べない。


 鎧殻猪が立ち上がる。

 傾いた身体を左脚だけで支え、最後の突進に備えて頭を下げた。

 俺は崩れた灌漑水路の手前まで下がる。

 鎧殻猪が咆哮を上げ、地面を蹴った。

 傷ついた右前脚では、先ほどまでの速度は出ない。

 それでも、あの巨体が直撃すれば無事では済まない。

 十分に引きつける。

 鎧殻猪の左前脚が、灌漑水路から溢れた泥へ沈んだ。

 巨体が大きく傾く。


 その瞬間、右腕を巡っていた水属性を魔力円環へ戻す。

 水から火へ。

 急激な切り替えに円環が乱れ、胸の奥で魔力がぶつかった。


「ぐっ……!」

 呼吸が詰まる。


 それでも、流れを止めない。

 両脚から腰、背中、肩を通し、火属性へ変えた魔力を両腕へ送り込む。

 両掌を炎が覆う。

 傾いた鎧殻猪の側面へ踏み込み、先ほど《獅子琉掌》を通した場所へ両掌を重ねた。


 震脚。


「《獅吼爆炎》【ルギトゥス・フランマエ】!」


 二度目の爆炎が炸裂した。

 亀裂の入った外殻が大きく浮き上がる。

 今度は、衝撃が外側へ逃げない。

 《獅子琉掌》によって外殻を支える内側が崩れ、その連なりも断ち切られている。

 逃げ場を失った爆発の力が、外殻から肉体の奥へ突き抜けた。


 鎧殻猪の巨体が灌漑水路を越えて吹き飛ぶ。

 地面へ一度、二度と叩きつけられ、最後に外殻を鳴らしながら横倒しになった。

 土煙が風に流されていく。

 鎧殻猪は動かない。

 俺は両掌を下ろさず、その場で呼吸を整えた。

 胸の奥で乱れた魔力円環が、まだ不規則に脈打っている。火、水、火と短時間で属性を切り替えた反動で、両腕も細かく震えていた。

 すぐには近づかない。

 鎧殻猪の呼吸と魔力反応を探り、完全に途絶えたことを確認してから、ようやく構えを解いた。


「終わった……」


『ええ。今度は、きちんと内側まで届いたわ』


 鎧殻猪へ歩み寄り、爆炎を打ち込んだ外殻へ触れる。

 一度目と二度目。

 同じ技を、同じ場所へ打ち込んだ。


 だが、結果は違った。

 《獅吼爆炎》で外側を崩し、《獅子琉掌》で内側を壊す。

 その上から、もう一度《獅吼爆炎》を打ち込む。

 二つの技が揃ったことで、ようやくこの外殻を越えられた。


『それにしても、自分の腕を使って新しい術式を試すなんて、随分と思い切ったことをしたわね』


「他に試せるものがなかったからな」


『失敗していたら、右腕が動かなくなっていたかもしれないのよ』


「次からは気をつける」


『次も試すつもりなのね……』

 呆れたようなセレスの声に、僅かに笑う。


 右掌を開く。

 《水浸》による冷たさはすでに消えている。それでも、掌から前腕の内側には、これまでとは違う魔力の流れが残っている気がした。


 使える。

 だが、完成にはほど遠い。

 今回は一度目の《獅吼爆炎》によって外殻へ亀裂が入り、狙う場所も分かっていた。

 浸透させる深さも、広げる範囲も、威力も制御できていない。

 人間へ使えば、どこまで壊してしまうか分からない。


「リヴィアに、聞かないとな」


『そうね。あの人なら、今の一掌が何をしたのか、あなたより正確に分かるはずよ』


「作った本人より詳しいと言われるのは、少し複雑だけどな」


『あなたは思いついたことを、そのまま実行しただけでしょう?』


「否定はできない」


 討伐証明となる部位を回収し、荒らされた畑と灌漑水路を確認する。

 被害は出たが、鎧殻猪を放置していた場合に比べれば最小限に抑えられたはずだ。

 腰の片手剣は、鞘に納まったまま。

 剣を使わなかったから勝てたわけではない。

 剣を拒んだからでもない。

 今の俺が身につけようとしているものを、この両掌で確かめたかった。

 刀を失っても、積み重ねてきたものは残っている。

 火をまとわせる術式も、水属性を得たことも、兄から見せてもらった技の作り方も、リヴィアから教わった力の流れも。

 その全てが繋がり、二つの技になった。

 外を砕く炎。

 内へ流れる水。

 刀を失った俺の両掌には、すでに新しい力が宿り始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ