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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第六章 修羅と呼ばれる国
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第63話 拳へ繋ぐ

 翌朝。

 空が群青から薄青へと変わり始める頃、俺は帝都東側の公営修練場へ到着した。


 石壁に囲まれた広大な敷地には、土を固めた大小の修練区画が並び、その間には木製の武器棚や砂を詰めた革袋、打ち込み用の丸太が設置されている。


 日の出前にもかかわらず、既に多くの人が身体を動かしていた。

 木剣を打ち合わせる若者たち。長槍を一定の間隔で突き続ける男。呼吸に合わせ、ゆっくりと拳を繰り出す老女もいる。

 服装を見る限り、騎士や兵士だけではない。

 職人らしき者や、これから仕事へ向かうのであろう者まで、当たり前のように修練へ励んでいた。


『随分と朝が早いのね』


「帝国では、武術が生活の一部になっているらしいな」


 王国にも公営の修練場はある。

 だが、この時間からこれほど多くの人が集まっている光景は見たことがない。

 しばらく周囲の動きを眺めていると、入口からカイウスが姿を現した。


 昨日と同じく、焦げ茶色の髪を短く刈り込んでいる。今日は武装手甲を装着しておらず、動きやすそうな黒い上衣と長ズボンだけだった。

 兄に斬られた右の前腕には、白い布が巻かれている。


「遅れなかったようだな」


「約束より早く来たつもりですが」


「武術に限っては、早すぎて困ることはない」


 カイウスの視線が、俺の腰へ向けられる。

 兄から借りた古い片手剣と、その後ろに吊るしたセレス。


「剣は外せ。今日は拳だけで立て」


「分かりました」


 修練場の端にある石造りの長椅子へ向かい、片手剣とセレスを置く。


『昨日斬られたばかりなのに、本当に手合わせをするつもりかしら』


「本人が来いと言ったんだ。遠慮する方が失礼だろ」


『あなたが何度投げられるか、ここから見ているわ』


「投げられると決めつけるな」


 カイウスの前へ戻る。

 俺が腰を落として構えると、カイウスは両腕を自然に下ろしたまま告げた。


「攻撃魔法は禁止だ。身体強化は好きに使え」


「条件は、それだけですか」


「一度でも、俺の胸へ掌を届かせてみろ。殴り抜く必要はない。触れればいい」


「届かせれば、終わりですか」


「まずはな」


 昨日、兄の長剣が届く間合いへ入り続けたカイウス。

 その踏み込みを、実際に受けながら学べる。


 俺は短く息を吐き、風属性の魔力を両脚へ巡らせた。


 身体強化――《速》。


 カイウスとの距離は、およそ五歩。

 正面から踏み込み、一気に胸元を目指す。


 一歩。


 二歩。


 三歩目で地面を強く蹴り、開いた右の掌を突き出した。

 カイウスの胸へ届く寸前、その身体が僅かに左へずれる。

 俺の右手首を外側から払うと同時に、左の掌が肩へ添えられた。

 力を込められた感覚はない。

 それにもかかわらず、踏み込んだ勢いが僅かに横へ逸らされ、上半身だけが前へ流れる。


 足を踏み直そうとした瞬間、カイウスの右足が俺の足首へ掛かった。

 視界が反転する。

 受け身を取り、背中から地面へ転がった。


「今のは、速かっただけだ」


 カイウスは構えすら変えていない。


 俺はすぐに起き上がり、再び距離を取る。

 同じように風属性の魔力を両脚へ巡らせ、今度は直前で水属性へ切り替える。


 《速》による踏み込み。


 そこから、神経伝達を高める《瞬》へ。

 カイウスの右肩が動く。

 拳が来る。

 水属性の魔力が反応を引き上げ、放たれた拳を左へ避けた。

 そのまま懐へ入り、右の掌を伸ばす。


 だが、カイウスの拳は最初から当てるためのものではなかった。

 避けた俺の肩へ肘が落とされる。

 姿勢が沈んだところで手首を掴まれ、腰を回された。

 再び身体が浮き、地面へ叩きつけられる。


「何かを変えてみたらしいが、入る場所が同じなら結果は変わらん」


「もう一度、お願いします」


「好きにしろ」


 三度目。


 四度目。


 踏み込みの速さを変え、左右を入れ替え、途中で止まる動きも加えた。

 それでも、胸へ掌は届かない。

 近づくたびに肩を押され、肘を流され、足を掛けられる。

 強引に踏み止まれば、今度は拳や蹴りで重心を崩された。

 六度目に地面へ転がされたところで、セレスの声が聞こえてくる。


『これで六回目ね』


「数えなくていい」


『あなたが忘れないようにしているのよ』


 土を払いながら立ち上がる。

 身体強化を使っている俺と違い、カイウスはほとんどその場から動いていない。

 傷を負っているはずの右腕も、必要なときに添える程度だ。


「間合いへ入ることと、正面から突っ込むことは違う」


 カイウスが自分の足元を示した。


「こちらへ来い」


 言われたとおり、正面へ立つ。


 カイウスが右の拳を俺の胸元へ伸ばした。

 速くはない。

 それでも、肩、腰、脚が一直線に繋がっている。拳を受け止めれば、その後ろにある全身の重さまで伝わってくるのが分かった。


「ここが、俺の力を最も通しやすい場所だ」


 拳を引いたカイウスが、俺の右腕を掴む。

 そのまま半歩だけ横へ移動し、俺の右肩よりも外側へ立った。


「ここから俺を押してみろ」


 右腕へ力を込める。


 だが、カイウスが立っているのは肩の外側だ。

 腕を伸ばしても腰がついてこない。上半身を回さなければ正面へ捉えられず、力を込めようとするほど姿勢が崩れていく。


「僅かに立つ場所を変えるだけで、脚と腰と肩の繋がりは切れる」


「相手が最も力を出しにくい場所へ入るということですか」


「それだけでは足りん。ただ外へ逃げれば、お前の掌も届かなくなる」


 カイウスが俺から離れ、先ほどと同じ位置へ戻る。


「最初の一歩で、間合いへ入りきろうとするな。短く踏み込み、相手に攻撃を選ばせろ」


 カイウスが左足を僅かに前へ出す。


 一歩目は短い。

 だが、二歩目で右足が斜め前へ進み、俺の正面から姿が外れた。

 昨日、兄の長剣へ踏み込んだときと同じ足運び。


「二歩目で正面から外れながら、同時に懐へ入る」


「昨日の試合で見た動きですね」


「見て分かったつもりになるのと、実際に立つのは違う。今度は、自分の足でやれ」


「分かりました」


 身体強化を解き、カイウスへ向き直る。


 短い一歩目。


 二歩目で斜めへ。


 カイウスの右拳が伸びてくる。

 正面から外れたつもりだったが、拳が頬を掠めた。


「外へ動きすぎだ。それでは掌が届かん」


 もう一度。

 今度は外へ逃げないように意識する。

 だが、踏み込みが浅くなり、右の拳が胸元で止められた。


「足元ばかりを見るな。相手の肩と腰を見ろ」


 何度も繰り返す。

 一歩目でカイウスの動きを誘い、二歩目で正面から外れる。


 言葉にすれば単純だ。

 だが、実際に向かい合えば、伸びてくる拳へ意識を奪われる。避けることを優先すれば距離が開き、掌を届かせようとすれば正面へ戻ってしまう。


 さらに、もう一つ問題があった。

 刀を持たない両手の位置が定まらない。

 構えるたびに、左手が存在しない鞘へ向かおうとする。

 その動きを抑え、両手を身体の前へ戻す。

 だが、無理に左腕を引き上げたことで肩へ力が入り、次の動きが僅かに遅れた。


 その瞬間を見逃さず、カイウスの掌が俺の胸を押す。

 大きく姿勢が崩れた。


「何を止めている」


「刀を抜こうとする癖です。拳で戦うなら、抑えた方がいいと思っていました」


「拳以外まで、別人になるつもりか」


「ですが、この動きは体術には必要ありません」


「必要かどうかを決めるのは、使ってからだ」


 カイウスは自分の両拳を示す。


「俺の構えを真似ろとは言っていない。教えたのは、相手に対して立つ場所だ」


 昨日の兄の言葉が蘇る。


 ――積み重ねたものまで捨てる必要はない。


 刀を振るうために身体へ刻み込んだ動き。

 それを消そうとするから、身体の繋がりまで途切れてしまう。


 俺は両手を下ろし、力を抜いた。

 右足を僅かに前へ出し、左手は腰の近くへ置く。

 刀を抜く直前と同じ構え。


「そのまま来い」


「はい」


 短く踏み込む。

 一歩目で距離を詰めるのではなく、カイウスに攻撃を選ばせる。


 右肩が動いた。

 拳が正面から伸びてくる。


 二歩目。


 右足を斜め前へ置き、拳の外側へ身体を滑らせる。

 カイウスの拳が頬の横を通り過ぎた。


 まだ近い。

 拳だけでなく、肘も肩も届く距離。

 逃げずに、そこへ立つ。


 左手が、存在しない鞘へ向かう。

 今度は止めない。

 鞘を後ろへ引くように左肘を引き、腰を回す。

 刀の切っ先へ届けていた力を、開いた右の掌へ。

 カイウスの胸元へ突き出す。

 掌底が、黒い上衣を浅く擦った。


 届いた。

 そう思った直後、右手首を掴まれる。

 カイウスが半身になり、伸びきった腕を引いた。

 俺の身体が前へ流れ、足を払われる。

 七度目の地面。

 それでも、先ほどまでとは違う。

 右の掌には、確かにカイウスの胸へ触れた感触が残っていた。


「今のは届きましたよね」


「ああ」


「掠めただけですが」


「課題は、胸へ掌を届かせることだ。重さまで求めていない」


 カイウスは俺の手首を掴んだまま、僅かに眉を寄せた。


「今の最後、魔力の属性を切り替えたのか」


「分かるんですか」


「触れていたからな。もう一度、同じ順で魔力を流せ」


 地面へ座ったまま、風属性の魔力を脚へ巡らせる。


 そこから水属性へ切り替え、腰、背中、肩、腕へと流していく。


 俺の手首へ指を添えていたカイウスの表情が、さらに険しくなった。


「誰に、この魔力の巡らせ方を教わった」


「身体強化は、自分で試してきました。属性魔力を武器や身体へ纏わせる術式は、姉から教わっています」


「身体の内側へ流す方法は、自分で作ったのか」


「はい」


「妙な巡らせ方だ」


 カイウスが俺の手を離す。


「帝国では、魔力を武術の動きへ組み込む技術を、まとめて《魔闘術》と呼んでいる。俺が学んだ型も、その一つだ」


「俺の身体強化が、それに似ているんですか」


「足から腰、背、肩へ力を通そうとしているところはな。だが、お前は属性を変えるたびに、魔力の流れを一度切っている」


 指摘され、先ほどの動きを思い返す。

 《速》から《瞬》へ切り替えた瞬間。

 確かに、脚から腰へ届いていた力が僅かに失われていた。

 水属性の魔力を流し直すことで補っていたが、一つの動きとしては繋がっていない。


「その途切れをなくせば、もっと速く動けますか」


「それだけではない。だが――」

 カイウスはそこで言葉を止めた。


「俺では、何が違うのかを上手く説明できん」


「では、どうすれば」


「明日も同じ時間に来い」


「一度だけではなかったんですか」


「一度で終わらせるには、お前の巡り方が気になる」


 カイウスが背を向け、修練場の中央へ戻っていく。


『思ったより、気に入られたみたいね』


「そう見えるのか」


『少なくとも、見込みがない相手に明日も来いとは言わないでしょう?』


 俺は土に汚れた服を払い、再び立ち上がった。

 掌は届いた。

 だが、拳へ繋ぐべきものは、まだ途中で途切れている。

 それを確かめるため、カイウスの前へ戻った。


 翌日。

 修練場へ到着すると、カイウスは身体強化を使うなと告げた。


「魔力で速さや力を加える前に、自分の身体がどこへ力を通しているか覚えろ」


 その日は、ほとんど拳を打たなかった。

 短い一歩目で相手の動きを誘い、二歩目で正面から外れながら懐へ入る。

 ただ、それだけを繰り返す。

 踏み込みが深ければ足を払われ、浅ければ額を指先で押し返された。

 足だけを意識すれば腰が遅れ、腰を先に回せば上半身が流れる。

 何度も修正し、刀を振るうときの歩法と重心移動を少しずつ組み替えていく。

 左手が腰へ下がる動きも、無理に消さない。

 存在しない鞘を引く動きを腰の回転へ変え、右の掌を真っすぐ前へ送る。

 朝日が修練場全体を照らす頃には、両脚だけでなく、腰と背中まで重い疲労に包まれていた。


 三日目。


 カイウスが用意したのは、砂を詰めた大きな革袋だった。


「今日は、脚から掌まで力を通せ」


 言われたとおり、革袋の前へ立つ。

 踏み込みと同時に腰を回し、右の掌を打ち込む。

 乾いた音が鳴った。

 革袋は揺れたが、カイウスは首を横へ振る。


「腕で押しているだけだ」


「腰も使ったつもりですが」


「腰で作った力が、肩で止まっている」


 カイウスが俺の立っていた場所へ入り、革袋へ掌を添える。


 大きく振りかぶることもなく、足を踏み込んだ。

 鈍い音とともに、革袋が大きく後方へ揺れる。


「脚で地面を踏み、腰を回し、背中を通して肩へ送る。腕は最後に伸ばすだけだ」


 再び、革袋の前へ立つ。


 足裏で地面を捉える。

 踏み込みから生まれた力を腰へ。

 腰から背中、肩、腕へ。

 刀を振るうときは、その先に柄と刃があった。

 だが、今は掌が終着点になる。

 左肘を後ろへ引き、右の掌を打ち込む。

 先ほどよりも重い音が響いた。

 革袋が揺れる。


「今の方がいい」


「まだ、刀を抜く動きに引かれます」


「使える部分は残せと言ったが、そのまま拳へ置き換えろとは言っていない」


 カイウスが、俺の右腕を軽く叩く。


「刀は長い軌道で振れる。拳や掌は、相手へ届く最短の場所を通せ。足と腰の流れは残し、腕の動きは作り直せ」


 全てを捨てるのでも、そのまま使うのでもない。

 必要なものを残し、今の戦い方へ合わせて形を変える。

 兄が《桔梗》から《グラジオラス》を作り上げたように。

 何度も革袋へ掌を打ち込み、刀を振るうための力を、少しずつ自分の拳へ繋いでいった。


 四日目。


 再び身体強化の使用を許された。

 風属性による《速》で踏み込み、水属性の《瞬》で反応を引き上げる。

 最後に火属性の《剛》を腕へ流し、掌へ力を集める。

 だが、属性を切り替えるたびに魔力の流れが途切れた。


「今、腰で止まった」


 カイウスの拳が肩へ触れる。


「次は、背中から流し直したな」


 足を払われ、地面へ転がる。

 立ち上がり、もう一度。

 風属性を完全に消してから、水属性を流すのでは遅い。

 脚を巡る風が弱まる前に、その流れへ水属性の魔力を重ねる。

 二つの属性が僅かにぶつかり、魔力の流れが乱れた。

 それでも、完全に途切れることはなかった。


 カイウスの右拳が伸びる。

 一歩目で誘い、二歩目で正面から外れる。

 水属性の《瞬》で拳の動きを捉えながら、右足を斜め前へ。

 左手を腰へ下げ、肘を後ろへ引く。

 足から腰へ。

 腰から背中、肩へ。

 火属性の《剛》を掌へ流そうとした瞬間、魔力が肩口で揺らいだ。

 完全には繋がらない。

 それでも、動きを止めずに右の掌を突き出した。


 カイウスが左腕を上げ、俺の掌を受け止める。

 重い音。

 カイウスの左足が地面を擦り、僅かに後方へ下がった。


 半歩。

 それだけだった。


 だが、初めてカイウスの身体を自分の力で動かした。


「そこまでだ」


 カイウスが俺の掌を押し返す。


「まだ、胸へ届いていません」


「初日は、胸へ触れた直後に投げられた。今は俺に止められても、自分の足で立っている」


 指摘され、自分の足元を見る。

 姿勢は崩れていない。

 踏み込んだ右足から腰、背中、肩まで、一つの動きとして繋がった感覚が残っている。

 火属性の《剛》だけは途中で止まった。

 それでも、刀がなければ何もできなかった数日前とは違う。


「明日は、ここへ来なくていい」

 カイウスが突然告げた。


「修練は終わりですか」


「ああ。俺が教えられるのは、ここまでだ」


「ですが、魔力の流れはまだ繋がっていません」


「だからだ」


 カイウスは自分の右手を見つめる。


「俺は、教えられた型を使っているだけだ。足を置く場所や、身体へ力を通す方法なら見てやれる。だが、その技がなぜ魔力を巡らせられるのかまでは理解していない」


「それでも、この四日間で以前より動けるようになりました」


「それは、お前が元から持っていた動きを使える形へ直しただけだ」


 カイウスの視線が、俺の足元から右の掌へ移る。


「お前の魔力の巡り方は、俺の師匠が使う技に似ている」


「同じ技ということですか」


「違う」

 カイウスは迷うことなく否定した。


「流れる道筋は似ている。だが、決定的に何かが違う。俺では、それが何なのか判断できん」


「その人なら、分かるんですか」


「少なくとも、俺よりはな」


 カイウスが修練場の出口へ向かって歩き始める。


「明日の夜明け前、帝都の東門へ来い」


「どこへ行くんですか」


「俺の師匠に会わせる」


 俺は長椅子へ置いていた片手剣とセレスを手に取り、腰へ戻す。

 刀を失ってから、空白を埋めるものばかりを探していた。

 だが、必要だったのは代わりの武器ではない。

 これまで積み重ねてきたものを、今の自分へ繋ぎ直すこと。

 その道が、ようやく見え始めている。


「お願いします。会わせてください」


 カイウスが足を止め、僅かに振り返った。


「連れていくことはできる。だが、教えてもらえるかどうかは――お前次第だ」

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