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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第六章 修羅と呼ばれる国
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第59話 武の国へ

 魔導列車が軌道の継ぎ目を越えるたび、規則正しい振動が座席から伝わってくる。

 窓の外を流れていく景色を眺めながら、俺は無意識に左腰へ手を伸ばした。

 指先が触れたのは、硬い鞘ではない。

 服の上から伝わる、自分の体温だけだった。


『それで十二回目ね』


「……何がだ」


『刀があった場所に触れた回数よ。国境を越えてからだけで十二回』


「数えていたのか」


『あまりに分かりやすいんだもの』

 膝の上に置いたセレスから、呆れを含んだ声が返ってくる。


 俺は左手を腰から離すと、座席の背へ身体を預けた。

 祖父から譲り受けた刀は折れた。

 分かっている。何度確かめたところで、失った重みが戻ってくるわけではない。

 それでも身体だけが、そこに刀があるものとして動いてしまう。


『まだ、刀を手放せていないのね』


「手放すつもりはない」


『そう』


「ただ、今は刀を振ることができない。それなら、その間にできることをやるだけだ」


 獅子宮第三階層で、俺は水属性を手に入れた。

 水の魔力を全身へ淀みなく巡らせ、神経から筋肉へ伝わる命令を加速させる魔力操作――《瞬》。

 さらに、体術の基本行為も得た。


 だが、得たというだけだ。

 身体の動かし方を知ることと、実際に戦えることはまるで違う。

 俺の拳には型がない。

 足運びにも、重心の置き方にも、これまで刀に頼ってきた癖が残っている。


「武術を学ぶなら、帝国が一番だ」


『それだけ?』


「何が言いたい」


『お兄さんがいるから、帝国を選んだんじゃないの?』


「兄に会うために行くわけじゃない。ただ、帝国にいると分かっていて黙って帰れば、後から何を言われるか分からない。顔くらいは出す」


『はいはい、そういうことにしておくわ』


「妙な納得の仕方をするな」

 セレスの楽しげな声を聞き流し、再び窓の外へ視線を向ける。


 緩やかな丘陵を抜けた魔導列車の前に、広大な平原が姿を現した。

 地平の彼方まで、黄金色の麦畑が続いている。

 風が吹くたびに穂が一斉に傾き、大地を巨大な波が渡っていく。その合間には青々とした大豆の畑が広がり、遠くには幾つもの放牧地が見えた。

 柵の向こうを歩いているのは、帝国特有のブリア牛だ。

 太い首と隆起した肩を持つ大柄な牛で、遠目からでも王国で飼育されている牛とは身体の厚みが違うと分かる。

 畑で働く者たちもまた、皆一様に身体つきがいい。

 麦の束を抱える老人も、荷車へ大豆の袋を積み上げる女性も、足腰が鍛えられている。農具を扱う何気ない動作にさえ、重心の乱れがほとんどない。


『まだ帝都にも着いていないのに、随分と熱心に見ているのね』


「立ち方を見るだけでも、王国とは違う」


『この国では、武術は戦う者だけのものではないらしいわ』


「ああ。それは本当みたいだな」


 ノーザンブリア帝国。

 アストレア大陸の北東部に広大な領土を持ち、麦、大豆、畜産を国の礎とする大国。

 貴族という身分を持たず、生まれよりも能力を尊ぶ実力主義の国でもある。

 剣士も、武闘家も、名もなき兵も。

 己の技ひとつで上へ昇ることができる。

 強者がさらなる強者を求め、武の果てを目指して集う国。

 他国の者は畏敬を込めて、その地を――修羅と呼んだ。


 魔導列車が帝都へ近づくにつれ、平原の先に巨大な外壁が見えてきた。

 赤褐色の石を積み上げた壁には、一定の間隔で黒い石材が組み込まれている。無骨な防壁でありながら、その表面には幾何学模様の装飾が刻まれ、壁上には丸い屋根を持つ監視塔が連なっていた。

 列車は巨大な半円形の門を抜け、そのまま帝都の中央駅へ滑り込んでいく。

 速度が落ちるにつれ、街の全貌が見えてきた。

 白く整えられた王都ヴァルエストとも、硝子の建物が空へ伸びるルミナス魔導連合とも違う。

 帝都の建物は、黄土色や赤褐色の石材を基調としていた。大きな丸屋根には青や緑の彩色瓦が敷き詰められ、壁面には細かな色硝子と装飾石によって複雑な模様が描かれている。

 幾重にも連なる半円形の柱廊が強い日差しを遮り、その下を多くの人々が行き交っていた。

 華やかでありながら、浮ついた印象はない。

 すべての建物が大地へ深く根を張り、その重みを誇るように建っている。


 魔導列車が停止し、俺はセレスを抱えて座席から立ち上がった。


 駅の構内もまた、太い石柱と高い丸天井で形作られていた。

 床には赤、青、白の小さな石を組み合わせた模様が広がっている。美しい装飾だが、その上を武器を携えた者たちが当然のように歩いていた。

 剣や槍だけではない。

 戦斧を背負った者、両腕に籠手を着けた者、鎖のついた鉄球を腰から下げた者までいる。

 武器を持っていない者でさえ、拳には硬い胼胝ができていた。


「身分証を」


 入国審査を担当する帝国兵へ、冒険者の登録証を差し出す。

 兵士は記載された内容へ目を通した後、俺の顔を見た。


「Dランク冒険者レグルス・クレハルト。滞在の目的は」


「武術の修行です」


「得物は?」


 その問いに、僅かに言葉が詰まった。

 兵士の視線が、何も差していない俺の腰へ向けられる。


「……今は、持っていません」


「今は、か」


 兵士は俺の手に残る刀胼胝を見た。

 何も持っていない者の手ではないと、すぐに気づいたのだろう。

 それ以上は尋ねず、登録証を返してくる。


「ならば、この国で見つけるといい。ノーザンブリア帝国へようこそ」


「ありがとうございます」


 駅を出た途端、幾つもの匂いと音が押し寄せてきた。

 香辛料を利かせた豆の煮込み。

 大きな鉄板で焼かれる薄い麦のパン。

 脂が落ちるたびに炎を上げる、ブリア牛の串焼き。

 銅器を打つ乾いた音に、鍛冶場から響く鉄槌の音。それらに交じって、何かが激しく地面へ叩きつけられる音が聞こえてくる。


 広い通りの脇に、石畳を円形に組んだ場所があった。

 二人の男が、大勢の見物人に囲まれて組み手をしている。

 一人が踏み込み、相手の胸元を掴む。

 次の瞬間には、その身体が宙を舞っていた。

 背中から石畳へ落とされた男へ歓声が上がる。だが、勝者は誇示するような態度を取らず、すぐに倒れた相手へ手を差し伸べた。

 負けた男も笑いながらその手を掴み、立ち上がる。

 その横では、まだ幼い子供たちが年配の男から足運びを教わっていた。

 さらに先の広場では、長槍を持った集団が一糸乱れぬ動きで型を繰り返している。

 この国で武術は、特別なものではない。

 人々の暮らしのすぐ傍に存在していた。


『気に入った?』


「まだ分からない。ただ――」


 俺は組み手を再開した二人の動きを目で追った。


「学べることは多そうだ」


 帝都の冒険者ギルドは、駅から大通りを歩いて間もない場所にあった。

 三階建ての赤褐色の石造りで、横に広く、王都の支部よりも頑丈さを優先した造りに見える。

 内部へ入ると、依頼掲示板の前には大勢の冒険者が集まっていた。

 重装備の者は少ない。

 動きやすさを重視した軽装に、使い込まれた武器を携えている者が大半だった。

 中には武器を持たず、拳と脚だけで魔物討伐を請け負う者もいるらしい。


「ようこそ、帝都冒険者ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょうか」


 空いていた受付へ向かい、登録証を差し出す。


「王国から来たレグルス・クレハルトです。滞在中の登録と、宿の紹介をお願いできますか。それと、外部の者でも体術を学べる場所があれば教えてほしいです」


「承知しました。少々お待ちください」


 受付の女性は登録証を確認し、僅かに目を見開いた。


「クレハルト……失礼ですが、元老院第十席のクレハルト殿とは、どのようなご関係でしょうか」


「兄です。ただ、兄の立場を使うつもりはありません。通常の冒険者として扱ってください」


 女性は一瞬だけ驚いた顔を見せたが、すぐに表情を戻した。


「承知いたしました。帝国では、そのお考えを拒む者はいないでしょう」


 その返答は、いかにも実力主義を掲げる帝国らしいものだった。

 紹介された宿と、帝都内にある幾つかの修練場の場所を地図へ記してもらう。

 登録証を受け取り、受付へ礼を告げたところで、セレスが小さく声を漏らした。


『このまま宿へ行くの?』


「いや」


『先に済ませるのね』


「ああ。後で知られて面倒になるよりはいい」


 兄が暮らしているのは、帝都中央部にある元老院議員用の居住区だった。

 とはいえ、王国貴族の屋敷のような豪奢さはない。

 高い塀に囲まれてはいるものの、建物そのものは二階建ての石造りで、装飾も最小限に抑えられていた。

 門番へ名を告げると、驚くほど早く内側へ通された。

 案内された先は応接室ではない。

 建物の中央に設けられた、石敷きの鍛錬場だった。


 低く風を裂く音が響く。

 一人の男が、騎士剣よりも明らかに長く、大剣と呼ぶには僅かに小さい剣を振るっていた。

 黒髪を後ろで一つに結び、袖口を絞った着流し風の上衣を纏っている。

 背丈は高くない。

 俺よりも頭半分ほど低い。

 だが、鍛え抜かれた身体から発せられる圧力は、以前とは比べものにならなかった。

 振り下ろされた剣が、地面へ触れる寸前で止まる。

 石畳には傷一つついていない。

 それでも剣圧だけが鍛錬場を駆け抜け、俺の前髪を揺らした。

 男はゆっくりと剣を持ち上げ、こちらへ視線を向ける。


「遅かったな、レグルス」


「待たせた覚えはありません」


「帝国へ来るなら、もう少し早いと思っていた」


「俺にもいろいろあったんです」


「見れば分かる」


 兄の視線が、俺の顔から肩、腕、そして左腰へと下がっていく。

 そこで、黒い瞳が止まった。


「じいさんにもらった刀はどうした」


「折れました」


 兄は表情を変えなかった。

 何があったのかと尋ねることもなく、俺の身体を改めて観察する。

 大きな怪我が残っていないことを確認しているようにも見えた。


「お前の未熟な腕では、いつかそうなると思っていた」


 久しぶりに会った弟へ、心配の一言くらいあってもいいだろう。

 そう思った途端、昔から何度も口にしてきた言葉が漏れた。


「……ちっさい癖に」


 兄のこめかみが、ぴくりと動いた。


「それは言うなと言っただろうが」


「事実でしょう」


「お前は昔から、言われたくないことだけは正確に口にするな」


 睨み合ったのは僅かな間だった。

 兄は小さく息を吐くと、手にしていた剣を鞘へ収める。


「怪我は」


「もう治りました」


「そうか」


 それだけ言うと、兄は鍛錬場を離れた。

 しばらくして戻ってきた兄の手には、一本の剣が握られていた。

 刀ではない。

 僅かに長めの片手剣だ。

 黒革の鞘は使い込まれ、金具も鈍い灰色へ変色している。柄や鍔にも華美な装飾はなく、実戦で使うことだけを考えた簡素な造りだった。


「持て」


 投げ渡されそうになり、慌てて両手で受け取る。

 見た目から想像したよりも重い。

 だが、柄へ手を添えた瞬間、その重さが不思議なほど手の内へ収まった。

 鞘に入ったままでも分かる。

 重心が僅かでもずれていれば、これほど自然に腰へ引き寄せることはできない。


「……古い片手剣ですね」


「帝国に来て間もない頃、古武具商の奥で見つけた。正確な年代も、造られた国も分からん。銘も摩耗して読めなかった」


「それを購入したのですか」


「物がよかった。刀身に歪みはなく、魔力の通りも申し分ない。保存状態を考えれば、かなりの業物だ」


 兄は片手剣を指で示した。


「俺には軽すぎる。だが、お前の腕と体格には合う」


「俺のために用意していたのですか」


「自惚れるな。お前の手に合うと思った。それだけだ」


 相変わらず、素直に認める気はないらしい。

 俺は片手剣の柄へ右手をかけた。

 僅かに力を込めれば、剣は鞘から抜ける。

 だが、親指で鍔を押し上げることはできなかった。


「抜かないのか」


「今は、まだ」


「刀でなければ不満か」


「そうじゃありません。これを抜けば、また武器に答えを求める気がするだけです」


 片手剣から手を離し、自分の拳を見る。


「俺は刀の代わりを探しに帝国へ来たんじゃありません。刀がなくても戦えるようになるために来ました」


 兄は何も言わず、しばらく俺を見ていた。

 やがて片手剣へ視線を落とし、短く息を吐く。


「なら、抜かなくていい。そのまま腰に差しておけ」


「いいんですか」


「じいさんの刀の代わりではない。次の武器を掴むまでのつなぎだ」


 促されるまま、片手剣を左腰へ差す。

 鞘の角度を調整すると、まるで以前からそこにあったかのように身体へ馴染んだ。

 兄が俺の体格に合うと言ったのも、ただの勘ではないらしい。


「それで、何を学びに来た」


「魔力の使い方を得ました。身体強化もできるようになり魔力の循環も覚えました。そして体術の基本も」


「技は」


「刀の技はあります。体術の技はまだありません」


「つまり、刀がなければ速く動けるだけの素人か」


「……否定はできません」


「なら、明日の朝、もう一度ここへ来い」

 兄は背負った剣の柄へ手をかけ、僅かに口元を吊り上げる。


「まずは今のお前が、どれほど未熟なのか見てやる」


「ったく、さっきから未熟、未熟と……元老院は随分と暇なんですね」


「弟を一度地面へ転がす時間くらいは作れる」


「一度で済むといいですね」


「それは俺の台詞だ」


 鍛錬場の外では、夕暮れを告げる鐘が鳴り始めていた。

 遠くから鉄槌の音と、広場で交わされる掛け声が聞こえてくる。

 帝国を訪れた目的は、刀の代わりを得ることではない。

 それでも、左腰に戻った重みは、不思議なほど俺の心を落ち着かせた。

 刀を失ってから初めて、空いていた場所に一本の剣が収まった。

 けれど明日、俺が構えるのはこの剣ではない。


 ――俺自身の、両の手だ。

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