第58話 流れを繋ぐ
最初に迫ったのは、右の掌だった。
騎士人形の胸元を巡っていた青い魔力が、肩から腕へ流れ込む。
先ほどまでより速い。
だが、見失うほどではない。
左手で手首へ触れ、軌道を外側へ逸らす。
《弾く》。
掌が顔の横を通り過ぎた。
騎士人形は腕を引かない。
伸びきる前に肘を折り、俺の側頭部へ打ち込んでくる。
上体を沈めてかわす。
その先に、反対の掌が待っていた。
胸元へ迫る左手を右腕で受ける。鈍い衝撃が骨へ響いた。
騎士人形の左手が俺の腕へ触れたまま下へ滑る。
右腕を押し下げられ、胸元が開く。
青い魔力が背中から腰へ流れ、右脚へ移った。
蹴りが脇腹へ迫る。
後方へ退こうとした瞬間、騎士人形の足先が軸足を払った。
身体が傾く。
石床へ手を突くより早く、膝が腹部へ突き上げられた。
息が詰まる。
身体が浮き、そのまま背中から石床へ叩きつけられた。
騎士人形は追撃しない。
両手を開いた構えへ戻り、倒れた俺を見下ろしている。
違う。
構えへ戻ったのではない。
右脚へ集まっていた魔力は、蹴りを放った直後には腰へ戻り、すでに両腕へ巡っている。
どこからでも次の攻撃へ移れる状態を保っているだけだ。
俺は床を押し、立ち上がった。
胸元へ残った痛みを無視して構え直す。
騎士人形が踏み込む。
掌を弾く。肘をかわす。返された拳を腕で受ける。蹴りから逃れる。
一撃ずつなら、どうにか捌ける。
だが、攻撃を凌ぐたびに俺の動きは止まっていた。
弾いた左手を戻し、次の攻撃に備える。
避けた後に足の位置を整え、再び重心を中央へ置く。
一手が終わるたび、構え直している。
その僅かな時間に、騎士人形は二手目へ移っていた。
掌打を弾いた直後、肩へ肘が入る。
肘を受け止めれば、その接触を支点に身体を回され、踵が太腿へ叩き込まれる。
脚を引けば間合いを詰められ、胸元へ掌が突き刺さる。
四手。
五手。
攻撃が途切れない。
騎士人形の動きに、始まりと終わりがなかった。
俺は一撃を一撃として受けている。
騎士人形は、すべての動きを一つに繋げている。
このままでは押し切られる。
胸の奥を巡る魔力へ風属性を重ねた。
《速》。
風が四肢へ広がり、身体が軽くなる。
迫る掌を引きつけ、半歩だけ横へ動く。
掌が胸元を通り過ぎる。
続く肘へ左手を添え、下方へ逸らした。
蹴りが来る。
後ろへ退くのではなく、騎士人形の内側へ踏み込んだ。
振り抜かれた脚が背後を通過する。
動きが見える。
身体も追いついている。
振り向く騎士人形より早く、右拳を放つ。
騎士人形の左手が拳へ触れた。
僅かに軌道を変えられ、拳が顔の横を通り過ぎる。
そこから肘へ繋げようとする。
だが、拳へ送った魔力が腕の先で滞った。
速さに身体の内側が追いついていない。
右腕から魔力を引き戻すより早く、騎士人形の掌が胸元へ迫る。
右脚で石床を蹴り、強引に身体を捻った。
掌が胸を掠める。
次の一撃へ備え、風属性を解く。
胸の奥を巡る魔力へ、今度は火属性を重ねた。
赤い魔力が全身へ広がる。
《剛》。
騎士人形の懐へ踏み込み、右拳を振り抜く。
騎士人形は拳を受け止めなかった。
腕へ触れ、外側へ流す。
爆発的な力を込めた拳が空を打った。
前方へ傾いた身体の内側へ、騎士人形が入り込む。
手首を掴まれた。
腰を落とし、投げられる力へ逆らおうとする。
足裏で石床を捉え、《剛》の力で踏み留まる。
騎士人形は、俺の力と正面からぶつからなかった。
掴んだ腕を僅かに引き、踏み留まろうとした力の向きを変える。
足が石床から離れた。
視界が反転する。
肩から石床へ落とされ、遅れて後頭部を打ちつけた。
赤い魔力が四肢から散る。
肺に残っていた空気が、すべて押し出された。
『騎士人形は、一度も構え直していないわ』
「……分かっている」
『いいえ。あなたはまだ、速さだけを見ている』
セレスの声に返す言葉がなかった。
痛む身体を起こさず、騎士人形を見上げる。
胸元で灯る青い魔力。
それは常に一定の場所を巡っているわけではない。
右の掌を放つ直前、胸から肩へ魔力が流れる。
掌が届くより先に、一部は肩へ戻り始めていた。
戻った魔力は背中から腰へ下り、左脚へ流れ込む。
左脚が踏み込む頃には、残りが反対の腕へ移っている。
攻撃へ使った魔力を、その場へ残していない。
弾かれた腕も、逸らされた力も捨てず、次の動きへ繋げている。
俺は《速》で身体を先へ進めようとした。
《剛》で一手の威力を高めようとした。
だが、一手目と二手目の間にある停滞は、どちらでも消せなかった。
攻撃を終えた後に、次の一手を選んでいたからだ。
騎士人形は違う。
一つ目の攻撃が終わる前から、次の一手を始めている。
水が速いのではない。
一度も止まらないから、こちらより速く見えるのだ。
俺の動きは点で途切れている。
騎士人形の動きは、一本の線で繋がっている。
ならば、追いつくために必要なのは速さではない。
途切れさせないことだ。
床へ両手を突き、立ち上がる。
呼吸を整えるたび、胸元と脇腹が痛んだ。
右肩も思うように上がらない。
それでも、再び両手を構える。
《速》も《剛》も使わない。
胸の奥にある魔力を、ゆっくりと右肩へ流す。
右腕から胸へ戻し、背中を通して腰へ。
腰から左脚へ下ろし、再び身体の中心へ戻す。
流れは歪だ。
肩と腰で何度も滞る。
水属性を持たない俺に、騎士人形と同じ循環は作れない。
それでも、止まるたびに最初からやり直す必要はない。
滞ったのなら、そこから先へ押し流せばいい。
『見つけたのね』
「ああ。まだ、形だけだがな」
騎士人形が石床を蹴った。
青い魔力が右腕へ流れ、掌が顔面へ迫る。
左手で手首へ触れる。
力の向きを外側へ逸らす。
《弾く》。
左手を元の位置へ戻さない。
腰を回し、そのまま右拳を放つ。
《突く》。
騎士人形の掌が拳へ添えられた。
外側へ流される。
逆らわない。
拳へ送っていた魔力を右肩へ戻す。
流された勢いに合わせて身体を回し、右肘を騎士人形の胸元へ打ち込んだ。
前腕で受け止められる。
止めない。
肘へ集めた魔力を背中から腰へ落とす。
左脚を踏み込み、膝を突き上げる。
騎士人形の掌が膝へ触れ、下方へ押し流した。
足を石床へ戻す。
その着地を次の踏み込みへ変え、左の掌を突き出した。
騎士人形が上体を反らす。
掌は胸部装甲へ届かない。
直後、低い蹴りが軸足へ迫った。
右足を引かず、腰を浮かせる。
左脚へ残していた魔力を右脚へ送り、床を蹴った。
騎士人形の足先を飛び越える。
着地するより早く、右拳を振り下ろす。
腕で弾かれた。
身体が外側へ流れる。
だが、構え直さない。
弾かれた方向へ自ら踏み込み、回転した身体を左の肘へ繋げる。
騎士人形の掌と肘が衝突した。
硬い音が広間へ響く。
衝撃で腕が痺れる。
魔力の流れが途切れかける。
肩へ戻す。
背中へ落とす。
腰を通し、次の脚へ。
一つずつ、頭で行き先を選ぶ。
騎士人形のような滑らかさはない。
判断が遅れるたび、掌が身体を掠めた。
肘が肩へ入り、蹴りが太腿へ突き刺さる。
それでも、攻撃を受けた場所で止まらない。
押されたのなら、その力を使って身体を回す。
弾かれたのなら、逸らされた先から次の一手を放つ。
攻防が五手、六手と続く。
八手目で脇腹へ肘を受けた。
息が止まり、膝が沈む。
騎士人形の掌が頭上から迫る。
左手で受け流し、沈んだ姿勢から肩をぶつける。
装甲と肩が衝突した。
騎士人形の身体が、僅かに後方へ揺れた。
初めて、こちらの動きによって騎士人形の足が下がる。
僅か半歩。
それだけだった。
それでも、十手を越えて攻防が続いている。
胸元の魔力が乱れる。
肩へ送るはずだった魔力が腕へ残り、腰から脚へ流した魔力が途中で散る。
意識しなければ、すぐに流れは途切れてしまう。
騎士人形は違う。
青い魔力を絶えず全身へ巡らせながら、再び間合いへ踏み込んでくる。
掌を弾く。
拳を返す。
流された拳を肘へ繋げる。
肘を防がれ、膝を放つ。
膝を逸らされ、反対の掌を突き出す。
不格好でも、止まらない。
身体に覚えさせるように、一つの動きを次へ繋げていく。
騎士人形の掌が頬を掠めた。
熱が走り、口の中へ血の味が広がる。
続く肘を左腕で受けた。
骨が軋む。
それでも右拳を返す。
騎士人形が拳を弾く。
弾かれた腕を引き戻さず、肩から身体ごと回転させる。
手の甲が騎士人形の側頭部へ触れた。
装甲を揺らすほどの威力はない。
だが、確かに届いた。
騎士人形の動きが止まる。
胸元の青い光が、一際強く輝いた。
全身を巡っていた魔力が、中心へ集まっていく。
静かだった広間の空気が震えた。
『来るわ』
「ああ」
両脚へ力を込める。
胸から肩へ。肩から腕へ。腕から胸へ戻し、背中から腰へ。
途切れかける魔力を、意識して押し流す。
騎士人形が消えた。
そう錯覚するほどの踏み込みだった。
気づいた時には、右の掌が胸元へ迫っている。
かわしきれない。
身体を半歩だけずらし、左肩を前へ出す。
掌が肩へ叩き込まれた。
装甲越しの衝撃が骨を軋ませ、左腕から感覚が消える。
踏み留まる。
右手を騎士人形の手首へ添えた。
受け止めるのではない。
肩へ入った力を外側へ逃がす。
《弾く》。
騎士人形の右腕が僅かに開いた。
同時に右拳を放つ。
《突く》。
狙いは顔面。
騎士人形の左手が拳へ触れ、その軌道を外側へ流した。
そのまま手首を掴まれる。
騎士人形の腰が沈んだ。
また投げるつもりだ。
先ほどの俺は踏み留まり、力で抗おうとした。
今度は逆らわない。
引かれる力に合わせ、自分から一歩踏み込む。
騎士人形の懐へ身体を滑り込ませる。
右拳へ送っていた魔力を肩へ戻す。
背中から腰へ。
腰から左脚へ流し、踏み込みへ繋げる。
最後に、身体の中心へ戻った魔力を左の掌へ送った。
開いた掌が、騎士人形の胸部装甲へ触れる。
拳一つ分の間合いすらない。
この距離なら、大きく腕を振る必要はなかった。
必要なのは、触れた瞬間だけの力だ。
胸の奥を巡る魔力へ、火属性を重ねる。
赤い魔力が一瞬だけ爆ぜた。
《剛》。
左の掌を通して、すべての力を叩き込む。
《叩く》。
轟音が広間を揺らした。
騎士人形の胸部装甲へ亀裂が走る。
重い身体が石床から浮き、後方へ吹き飛んだ。
騎士人形は背中から床へ落ち、そのまま何度も転がる。
俺もその場へ片膝をついた。
左腕が動かない。
呼吸をするたび、胸と脇腹が痛む。
胸の内側を巡らせていた魔力も、最後の一撃で完全に散っていた。
顔を上げる。
騎士人形の指先が動いた。
両手を床へ突き、ゆっくりと身体を起こす。
胸部装甲には亀裂が入っている。
それでも、まだ戦えるはずだ。
拳を握ろうとする。
だが、腕に力が入らない。
騎士人形が立ち上がる。
無機質な顔が、真っ直ぐ俺へ向けられた。
一歩。
こちらへ踏み出す。
俺は動かない左腕を下げ、右手だけを構えた。
騎士人形の足が止まる。
胸元を巡っていた青い光が、静かに弱まっていく。
両腕を下ろし、その場へ片膝をついた。
そして、俺へ向かって深く頭を垂れた。
広間の燭台から音が消えた。
騎士人形の胸元に残っていた青い光が石床へ落ち、波紋となって広がっていく。
幾重にも重なった光の輪が広間を満たし、俺の足元へ集まった。
【獅子宮 第三階層踏破】
【水属性への適性を確認】
【水属性 解放】
足元から冷たい魔力が流れ込んできた。
冷気とは違う。
澄んだ水へ身体を沈めたような感覚が、胸から肩、腕、腰、脚へ広がっていく。
これまで身体の内側にあった魔力とは、明らかに性質が違う。
形を定めず、僅かな隙間さえあれば、そこへ入り込もうとする魔力。
意識を向け、胸から右肩へ流そうとする。
青い魔力が動いた。
だが、肩へ届いたところで形を崩し、腕へ流れる前に散ってしまう。
もう一度、腰から脚へ送ろうとする。
今度は腰の奥で滞り、それ以上動かなかった。
騎士人形が見せた循環には程遠い。
『水属性を得たからといって、使いこなせるわけではないわ』
「ああ。器に水が入っただけだ」
『そうね。どのように流すかは、これから覚えなければならない』
足元の青い光が消える。
代わりに、半透明のステータス板が目の前へ浮かび上がった。
【第三階層での戦闘経験を確認】
【体術による基本行為を獲得】
【体術基本行為《突く》Lv1】【体術基本行為《叩く》Lv1】【体術基本行為《弾く》Lv1】
新たに並んだ三つの項目を見つめる。
拳や掌を真っ直ぐ打ち込む《突く》。
拳だけでなく、肘や膝、肩を衝突させる《叩く》。
手足で攻撃の軌道を逸らし、相手の力を流す《弾く》。
刀で積み重ねてきた基本行為と同じ名だが、その前には明確に体術と記されている。
今の俺が得たのは、完成された技ではない。
第三階層で騎士人形の動きを真似し、どうにか形にしただけのものだ。
だからこそ、すべてLv1なのだろう。
それでも、何も握らずに戦うための土台が、初めて力として刻まれた。
表示の下へ、さらに新しい文字が浮かび上がる。
【刀による基本行為を確認】
【斬る Lv10】【突く Lv10】【叩く Lv10】【弾く Lv10】
【刀による全基本行為が上限へ到達】
【連結条件を確認】
【刀による四種の基本行為を統合】
【基本行為連結《刀技流転》Lv1 解放】
刀の四つの表示だけが淡く揺らぎ、一つの項目へ置き換わる。
新たに得た体術の基本行為は、そのまま残っていた。
浮遊大陸へ渡ってから、一度もステータス板を確認していなかった。
俺が見ていなかっただけで、刀が折れるまで積み重ねてきたものは、それぞれ上限へ達していたらしい。
個別に磨いてきた技術が失われたわけではない。
それらを一つの流れとして繋ぐための、新たな段階へ進んだのだ。
刀を失った今になって、刀技が先へ進む。
皮肉に思えた。
同時に、刀を失ったからこそ見えたものでもあった。
もし刀を握ったまま第三階層へ来ていれば、俺は最後まで一撃の速さと威力だけを求めていたかもしれない。
『無手で学んだ流れが、刀で積み重ねた基本を繋いだのね』
「そのうえ、無手の動きも基本行為として認められたか」
『ええ。ただし、体術の三つはすべてLv1。《刀技流転》も、まだLv1よ』
「分かっている。どちらも、形を得ただけだ」
『刀を手にしただけで、四つの行為を自在に繋げられるわけではないわ。体術も、今のあなたでは騎士人形の動きを真似ているにすぎない』
「今の魔力循環と同じだな」
力は手に入れた。
だが、使いこなすための鍛錬は、これから始めなければならない。
ステータス板へ、さらに新しい文字が浮かんだ。
【継続使用による習熟を確認】
【生活魔法初級が《生活魔法》へ昇格しました】
これは第三階層の踏破報酬ではない。
傷を洗い、腫れを冷やし、旅先で身の回りを整える。
時には酒を分解し、戦闘の最中にも使ってきた。
長く使い続けたことで、初級という枠を越えていたらしい。
目立つ魔法ではない。
それでも、必要な時に使い続けてきた力だ。
こちらも俺が確認していなかっただけで、浮遊大陸にいた間に昇格していたのだろう。
すべての表示が消える。
同時に、広間の奥から低い音が響いた。
石壁が左右へ分かれ、その先に上へ続く階段が現れる。
第四階層へ続く道。
騎士人形は片膝をついたまま、動かない。
俺は階段を見上げた。
新たな水属性。
体術による三つの基本行為。
基本行為連結《刀技流転》。
第三階層へ入る前より、確実に強くなっている。
それでも、今のまま第四階層へ進めばどうなるかは分かっていた。また、今の状況で次の階層に進めるかどうかも分からない。
得たばかりの水属性は、まともに循環させることすらできない。
体術の動きも、頭で一つずつ魔力の行き先を選ばなければ繋がらない。
何より、《刀技流転》を使うための刀がない。
『進まないの?』
「ああ。今の俺が進んでも、また同じことになる」
『なら、どうするの?』
姉から言われた言葉を思い出す。
王国よりも武を重んじ、自らの身体を武器として磨く者が集まる国。
そして、長らく顔を合わせていない兄がいる場所。
掌へ水属性の魔力を集める。
淡い青色の光が浮かんだ。
だが、水滴のように指の間から零れ落ち、すぐに消えてしまう。
力は手に入れた。
だが、まだ俺のものにはなっていない。
ならば、使えるようになるまで鍛えるだけだ。
「帝国へ行く」
『そう』
「そこで無手を学ぶ。水属性も、体術の基本行為も使いこなせるようにする。《刀技流転》へ繋がる流れも、身体へ刻み込む」
『お兄様にも会うのでしょう?』
「……それは、ついでだ」
『そういうことにしておいてあげるわ』
セレスの声に僅かな笑いが混じる。
俺は第四階層へ続く階段に背を向けた。
何も握っていない右手を、ゆっくりと握り締める。
刀は失った。
それでも、刀を振り続けてきた時間まで失われたわけではない。
空になった手だからこそ、掴めるものもある。
次に向かう先は、武を重んじる北東の大国。
ノーザンブリア帝国だ。




