表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第5章 失意、されど掴み取る新たな力
PR
60/78

第57話 空の手に刻む

 翌朝、目を覚ました瞬間、身体のあちこちが悲鳴を上げた。

 肩や腕だけではない。背中、脇腹、腰、太腿の内側まで、普段とは違う鈍い痛みが残っている。

 刀を振り続けた翌日とは、痛む場所がまるで違った。


 寝台の上で右手を開き、ゆっくりと握る。

 拳を作るだけで、昨日、姉に何度も石床へ転がされた感覚が蘇った。

 それでも身支度を整えると、俺の足は自然と訓練場へ向かっていた。


「遅いわね」

 訓練場へ入った途端、姉の声が飛んできた。

 すでに身体を温め終えていたらしく、腕を組んでこちらを待っている。


「約束の時刻より前だ」


「私より後に来たでしょう?」


「姉さんが早すぎるだけだ」


「口は元気そうね。安心したわ」


 姉が僅かに口元を緩め、訓練場の中央へ歩いていく。


 俺も後を追い、昨日教わった構えを取った。

 足を肩幅より僅かに広く開き、重心を中央へ置く。

 両手を上げると、肩から背中にかけて痛みが走った。


「先に言っておくけれど、私は無手の専門家ではないわ」


「昨日、俺を散々転がした人間の台詞とは思えないな」


「あなたの癖を知っているからよ。刀を振るうときに、どこへ重心を移すのか。攻撃の前に、どちらの足へ力を込めるのか。小さい頃から何度も見てきたもの」


 姉が俺の正面で構える。


「本格的な武術は教えられない。でも、身体の使い方と基礎なら教えられるわ」


「それで十分だ」


「なら、今日は空の手で何ができるのか、そこから覚えなさい」


 姉が一歩踏み込んだ。

 突き出された掌が、真っ直ぐ胸元へ迫る。

 咄嗟に両腕を交差させ、掌を受け止めた。

 重い衝撃が腕を抜け、上半身が大きく仰け反る。そのまま押し込まれ、二歩、三歩と後退した。


「受け止めない」


「先に言ってくれ」


「実戦で相手が教えてくれると思っているの?」


 姉は悪びれる様子もなく、再び掌を構えた。


「もう一度よ。今度は、触れた瞬間に軌道を外しなさい」


 再び掌が放たれる。

 俺は左手を添え、外側へ押し返そうとした。


 だが、力を込めた瞬間、姉の腕が俺の手へ絡みつく。手首を掴まれ、重心を前へ引き出された。

 視界が反転する。

 次の瞬間には、背中から石床へ叩きつけられていた。


「押し返してどうするのよ」


「軌道を外せと言っただろう」


「相手の力と競えとは言っていないわ。《弾く》のは、受け止めることでも押し返すことでもない。必要なだけ触れて、向きを変えるの」


 姉が手を差し伸べる。

 その手を取り、身体を起こした。


「刀で攻撃を弾くときと同じよ。違うのは、刃ではなく掌や腕で触れることだけ」


「触れる距離が近すぎる」


「だから怖いのよ。読み違えれば、そのまま攻撃を受けるもの」


 姉の言葉に、第三階層の騎士人形が脳裏に浮かぶ。

 あの騎士人形は、俺の攻撃を受け止めてはいなかった。

 拳や腕へ僅かに触れ、力の向きを変え、そのまま俺の身体を崩していた。


 姉が軽く拳を握る。


「拳と肘は《突く》。掌、肘、膝、踵は《叩く》。掌や腕で攻撃の軌道を外すのが《弾く》。あなたが刀を通して繰り返してきた基本行為は、無手でも使えるわ」


「《斬る》は?」


 姉が一瞬だけ黙り、俺の目を見た。


「それは、刀を握ったときに使えばいいでしょう」


 あまりにも当然のように返された言葉に、胸の奥に残っていた何かが僅かに解けた。

 斬るという行為まで、この手で代用する必要はない。

 無手を覚えることは、これまで積み重ねたものを捨てることではない。

 今の俺に足りないものを、新しく積み上げるだけだ。


「始めるぞ」


「ええ。まずは、私の掌を一度でもまともに弾いてみなさい」


「一度でいいのか?」


「今のあなたには、一度でも難しいわよ」


 姉の言葉どおり、その日は一度も成功しなかった。


                 ◇


 それから数日間、同じような鍛錬が続いた。


 朝は姉との組手。

 拳を放てば軌道を逸らされ、掌で弾こうとすれば腕を取られる。足元へ意識を向ければ上半身を崩され、上半身を守れば足を払われた。


 姉が訓練場を離れた後も、俺は一人で同じ動きを繰り返した。


 踏み込む。 腰を回す。拳を放つ。


 腕の力で殴るのではなく、石床を蹴った力を脚から腰へ、腰から肩を通して拳へ伝える。

 拳を引けば、次は掌。

 掌から肘へ繋ぎ、重心を落として膝を上げる。


 一つずつなら形になる。

 だが、動きを繋げようとした途端、長年身体へ刻み込んできた癖が顔を出した。


 右手は腰元へ下がり、左手は鞘を押さえようとする。

 拳の届く距離を越えて踏み込み、存在しない切っ先へ力を伝えようとしてしまう。

 そのたびに動きを止め、足の位置からやり直した。


『拳を放って終わりではないわ』


 夜になると、宿の部屋でセレスとともに魔力の流れを確認した。


 椅子へ腰掛け、目を閉じる。

 身体の中心にある魔力を脚へ流し、踏み込みとともに腰へ戻す。背中から肩を通し、拳へ送り込む。

 拳へ届いた魔力は、そこで散ってしまった。


「拳まで届いている。それでは駄目なのか?」


『それでは循環とは言わないでしょう? 行き止まりへ魔力を押し込んでいるだけよ』


「戻すのか」


『ええ。打ち込んだ後は肩へ戻し、身体の中心を通して次の動きへ渡すの。騎士人形は、それを水属性の性質で自然に行っていた』


「俺には水属性がない」


『だから、属性を真似る必要はないわ。あなた自身の魔力が途切れない道を探しなさい』


 再び体内へ意識を沈める。

 右拳へ魔力を送り、肩へ戻そうとする。


 だが、魔力は腕の途中で不自然に向きを変え、拳の先へ抜けていこうとした。

 身体へ深く刻まれた、刀へ繋がる流れ。

 それを無理に断ち切ろうとすれば、今度は肩で魔力が滞る。


『消そうとしないで』


「だが、このままでは拳へ力が届かない」


『刀へ続く道を残したまま、別の道を作るのよ。あなたが積み重ねたものと争ってどうするの』


 セレスの言葉に従い、魔力を途中で二つに分ける。

 一つはこれまでどおりの流れ。

 もう一つを、握った拳へ留める。


 最初は、僅かに分けることさえできなかった。

 拳へ集めすぎれば腕が硬直し、戻そうとすれば肩で流れが途切れる。全身へ広げれば魔力が薄く散り、どこを通っているのか分からなくなった。


 それでも、繰り返した。


 朝は姉に崩される。


 昼は一人で身体を動かす。


 夜は魔力が滞る場所を探す。

 拳、掌、肘、膝、足。

 接触する場所が変わるたび、魔力の通り道も変えなければならない。


 《剛》のように、一つの場所へ力を集中させるだけでは繋がらない。

 《速》に頼って先に身体を動かせば、魔力の流れが置き去りになる。

 途切れなくなったわけではない。


 ただ、どこで途切れているのかは分かるようになった。

 拳へ送り込んだ魔力を肩へ戻す。

 背中から腰へ。 腰から脚へ。

 脚で石床を蹴、その力と魔力を再び上半身へ送り返す。

 歪で、遅く、何度も途中で止まる。

 

 それでも少しずつ、俺の身体には刀へ続くものとは異なる、新しい流れが刻まれていった。


                 ◇


 数日後。

 訓練場の中央で向かい合った姉が、右手を持ち上げた。


「今日は条件を変えるわ」


「ようやく、転がされる回数を減らしてくれるのか?」


「私に一度でも触れたら、今日の鍛錬は終わりにしてあげる」


「随分と低く見られたものだな」


「事実でしょう?」


 否定できず、俺は構えを取った。

 右手を軽く握り、左手は開いたまま前へ出す。

 肩から力を抜き、重心を両脚の中央へ置く。


 姉の姿が沈んだ。

 直後、右の掌が顔面へ迫る。


 受け止めるな。

 押し返すな。

 左手で姉の手首へ触れる。

 接触した一点へ力を集め、腰を回す。


 《弾く》。


 姉の掌が僅かに逸れ、頬の横を通り過ぎた。

 初めて、正面から姉の攻撃を捌いた。


 だが、驚いている暇はない。

 姉は逸らされた腕をそのまま畳み、肘を俺の胸元へ打ち込んできた。

 

 左腕を戻して受ければ間に合わない。

 右足で石床を蹴、身体を斜め前へ滑らせる。

 肘が脇腹を掠めた。

 鈍い痛みを無視し、姉の側面へ回り込む。

 右拳を真っ直ぐ放つ。

 

 《突く》。

 

 姉の左手が、俺の拳へ添えられた。

 そのまま外側へ流される。

 

 以前なら、拳を弾かれた時点で身体の動きが止まっていた。

 今度は、拳へ送った魔力を散らさない。

 右肩へ戻し、背中から腰へ。左脚へ流し、さらに半歩踏み込む。

 弾かれた右拳を囮にして、開いた左手を姉の肩へ伸ばした。

 指先が、姉の上着へ触れる。

 

 その瞬間、左手首を掴まれた。


「なっ――」


 足を払われ、身体が宙へ浮く。

 受け身を取る間もなく、背中から石床へ落とされた。

 肺から息が押し出される。


「触れたぞ……」


 苦し紛れに告げると、俺の手首を掴んでいた姉が目を瞬かせた。

 やがて、僅かに口元を緩める。


「服に、でしょう?」


「条件に、服は含まれていなかった」


「そういうところだけは抜け目がないわね」

 姉が手を離す。

 

 俺は石床へ寝転んだまま、大きく息を吐いた。

 攻撃を受け流し、次の動きへ繋げ、初めて姉へ触れた。

 それだけだ。

 まともな一撃には程遠い。

 実戦なら、触れた直後に腕を折られていた。

 

 それでも、昨日までとは違う。

 刀の動きを無理に拳へ置き換えたのではない。

 自分の身体と魔力で、新しい一連の動きを作ることができた。


「これで合格か?」


「ようやく、組手の入口に立ったところね」


 姉が差し伸べた手を掴み、立ち上がる。


「私が教えられるのは、ここまでよ」


「まだ数日しか経っていないぞ」


「基礎の反復なら、もう一人でもできるでしょう。これ以上は、きちんと無手を修めた人間から学びなさい。変な癖がついてからでは遅いわ」


 姉は俺の肩に付いた砂を払い、僅かに視線を細めた。


「よく分からないけど、あなたの言うその第三階層を越えて、それでも無手を学ぶつもりなら、帝国へ行きなさい」


「帝国に?」


「王国よりも武を重んじる国よ。自分の身体を武器として磨いている者も少なくない。私より適した相手が見つかるはずだわ」


 そこで姉は一度言葉を切った。


「それに、あなたがそろそろ顔を見せるべき相手もいるでしょう?」


「兄さんか」


「さあ、誰のことかしら」

 姉は答えず、背を向ける。

 その口元が笑っていたことだけは、横顔からでも分かった。


                ◇


 その夜。

 俺は再び獅子宮の第三階層へ足を踏み入れた。

 

 石造りの広間は、以前と何一つ変わっていない。

 壁面に並ぶ燭台の炎が揺らめき、床へ長い影を落としている。

 

 広間の中央には、無手の騎士人形が立っていた。

 両腕を下ろしたまま、微動だにしない。

 俺が一定の距離まで近づくと、騎士人形の頭部が持ち上がった。


『準備はいい?』


「ああ」


 何も握っていない両手を持ち上げる。

 右手を軽く握り、左の掌を前へ出す。

 足を開き、重心を中央へ置いた。


 騎士人形もまた、音もなく腰を落とす。

 胸元で淡い青色の光が灯った。

 水面に生まれた波紋のように、青い魔力が胸から肩へ、肩から両腕と両脚へ広がっていく。

 流れた魔力は四肢へ留まることなく、再び身体の中心へ戻っていた。


 前回は、その意味すら分からなかった。

 今なら、僅かに見える。

 知覚と判断。魔力と身体。

 騎士人形は、そのすべてを水属性によって一つの流れへ繋いでいる。


「来い」

 俺の声に応じるように、騎士人形の姿が沈んだ。

 

 青い魔力が右脚へ流れる。

 石床が鳴った。

 一歩で間合いを消し、騎士人形の掌が胸元へ迫る。


 前回は、何をされたのかさえ分からなかった一撃。

 今度は見えている。受け止めるな。

 左の掌で、騎士人形の手首へ触れる。

 力の向きを感じ取る。


 《弾く》。


 腰を回し、掌の軌道を外側へ逸らした。

 完全には流しきれない。

 騎士人形の掌が右肩を掠め、装甲越しとは思えない衝撃が身体を揺らす。


 それでも、倒れなかった。


 騎士人形は逸らされた右腕を引かない。

 魔力が肩から背中へ戻り、腰を通って左脚へ流れる。

 低い蹴りが、俺の軸足へ放たれた。


 胸の奥にある魔力を腰から両脚へ巡らせる。

 前足を引くのではなく、重心ごと後方へ運ぶ。

 騎士人形の足先が、靴の表面を掠めた。


 僅かに生まれた間隙へ踏み込む。

 脚から腰へ。腰から肩へ。

 右拳へ魔力と力を繋ぐ。


 《突く》。


 騎士人形の顔面へ拳を放った。


 騎士人形は左の掌を添え、俺の拳を外側へ滑らせる。

 拳へ伝えたはずの力が、触れた場所から抜き取られた。


 流された右腕の内側へ、騎士人形の肘が入り込む。

 狙いは脇腹。


 拳へ残っていた魔力を肩へ戻す。

 背中から腰へ巡らせ、両脚へ繋ぐ。

 石床を蹴、後方へ跳んだ。

 一瞬遅れて、肘が脇腹を掠める。


 鈍い衝撃に身体が傾く。

 着地した足が石床を滑った。

 それでも踏み留まり、騎士人形から視線を外さない。

 三手。


 前回は一手目すら凌げなかった。

 今度は攻撃を弾き、足払いをかわし、こちらから拳を返した。

 騎士人形の身体が止まる。

 無機質な顔が、真っ直ぐ俺へ向けられていた。


 次の瞬間、その構えが変わった。

 前へ出していた片手を僅かに下げ、両方の掌を開く。

 胸元を巡っていた青い魔力が強まり、全身を絶え間なく循環し始めた。


『レグルス。気をつけて。さっきまでとは流れが違うわ』


「ああ」


 先ほどまでの攻撃は、俺の力を確かめるためのものだった。

 ようやく試練へ挑む者として、認められたにすぎない。


 右肩と脇腹が痛む。

 息も僅かに乱れている。

 それでも、両手は下ろさなかった。

 まだ、届いてはいない。

 だが、もう何もできずに倒されるだけではなかった。

 呼吸を整え、空の手を構える。


「ここからだ」


 騎士人形が石床を蹴る。

 第三階層の試練が、今度こそ始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ