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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第5章 失意、されど掴み取る新たな力
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第56話 空いた両手

 指先に感覚が戻るまで、どれほどの時間がかかったのか。

 俺は冷たい石床へ仰向けになったまま、何度も浅い呼吸を繰り返していた。

 

 胸の中央には、騎士人形の掌が触れた感触が残っている。

 強く打ち込まれたわけではない。

 それなのに、体内を巡っていた魔力は引き裂かれた糸のように乱れ、今も手足の末端まで上手く届いていなかった。


『レグルス、聞こえる?』


「ああ……聞こえている」


『今は魔力を動かそうとしないで。無理に循環させれば、余計に乱れるわ』


 セレスの声に従い、全身から力を抜く。

 少しずつ、腕へ感覚が戻ってくる。

 指を曲げる。

 次に手首を動かし、肘を石床へついた。

 身体を起こすだけで、胸の奥に鈍い痛みが走った。


「さっきのは、何だったんだ」


『単なる打撃ではないわ。接触した場所を起点に、あなたの内側へ魔力を流し込んだのよ』


「俺の魔力を、外から乱したのか」


『ええ。あなたの《剛》が途切れたのも、その影響でしょうね。外側をどれだけ固めても、体内の魔力循環へ直接干渉されれば防ぎきれない』


 騎士人形の体表を走った、淡い青色の波紋。

 拳を逸らした掌。

 思考と動作の間にある遅れを、ほとんど感じさせなかった身体運用。


 そして、触れただけで俺の魔力を乱した一撃。

 どれも、今の俺には再現できないものだった。


 俺は騎士人形へ目を向ける。

 すでに最初の位置へ戻り、両腕を自然に下ろしている。

 こちらを追撃する気配はない。

 だが、もう一度立ち向かったところで結果は変わらないだろう。

 それでも、ここで背を向けることには抵抗があった。


「もう少し休めば、動ける」


『動けたところで、同じように倒されるだけよ』


「それは――」


『今のあなたは、騎士人形が何をしたのかも、自分がなぜ負けたのかも理解できていない。悔しさだけで挑むことを、努力とは呼ばないわ』


 言い返す言葉が見つからなかった。

 握った拳を開き、俺は騎士人形から視線を外す。


「……分かった。今日は戻る」


 その言葉に応じ、目の前へ表示が浮かび上がった。


《第三階層から退出しますか》


「ああ」


 答えた瞬間、足元から金色の光が立ち昇った。

 騎士人形の姿が光の向こうへ消え、冷たい石床の感触も失われる。


                 ◇


 次に視界が戻ったとき、俺は宿の中庭へ膝をついていた。


 夜風が火照った身体を撫でていく。

 転移する前と変わらず、壁際には空の鞘が立てかけられていた。

 俺は立ち上がり、それを手に取る。

 何も収められていないはずなのに、腰へ差すと僅かに身体の重心が安定した。


 そのことが、今は妙に気に障った。


『今夜は休みなさい。魔力の乱れが完全に収まるまで、身体強化も禁止よ』


「分かっている」


 部屋へ戻り、空の鞘を寝台の脇へ置く。

 横になって目を閉じても、騎士人形の動きが何度も脳裏に浮かんだ。


 俺の拳へ触れ、僅かに軌道を変えた掌。

 攻撃を受け止めるのではなく、その力を利用して体勢を崩す動き。

 青い波紋が走った次の瞬間には、すでに次の攻撃へ移っていた。

 刀がないから負けたのではない。

 その事実を理解しても、では何を変えればいいのかまでは分からなかった。

 答えのないまま、俺は朝を迎えた。


                 ◇


 翌日。


 俺はノヴァ・アカデミアの訓練場を訪れていた。


 幾何学的に重なる石壁と長い庇の間を、細い水路が縫うように流れている。その奥に設けられた訓練場では、朝早くから剣戟と魔法の音が響いていた。


 受付で姉を訪ね、しばらく待つ。

 やがて訓練着姿の姉が姿を現した。

 俺の顔を見るなり、呆れたように眉を寄せる。


「王都に戻っていたなら、顔くらい見せなさい」


「悪かった。少し、考えたいことがあったんだ」


「そう」


 姉の視線が下がる。

 俺の腰へ差された鞘を見た瞬間、その表情から僅かに険が消えた。


「刀は?」


「折れた」


 姉の目が見開かれる。


「浮遊大陸で折れた。俺の力が足りなかった」


「……そう」


 姉はそれ以上、何も尋ねなかった。

 慰めることも、無理に励ますこともなく、俺が次の言葉を口にするのを待っている。


 俺は浮遊大陸で起きたことと、昨夜、獅子宮の第三階層へ挑んだことを簡単に話した。

 武器を持たない騎士人形。

 無手で挑み、ほとんど何もできないまま敗れたこと。

 話を聞き終えた姉は、腕を組んだまま静かに息を吐いた。


「それで、今日は報告だけ?」


「いや。姉さんに頼みがある」


「何?」


 俺は腰の鞘を外し、訓練場の壁際へ置いた。


「俺と、武器を持たずに戦ってくれ」


 姉の眉が僅かに上がる。


「私に無手を教えてほしいの?」


「姉さんが専門ではないことは分かっている。ただ、今の俺がどう動いているのか、外から見てほしい」


「なるほどね」


 姉は腰の騎士剣を外し、俺の鞘の隣へ立てかける。


「私が教えられるのは、武器を失ったときの基礎と護身術くらいよ」


「それで十分だ」


「剣を落としたので戦えません、では騎士は務まらないからね」


 姉は俺から数歩離れ、両手を開いて構えた。

 半身にはならず、左右どちらへも動けるように重心を中央へ置いている。


「まずは身体強化なし。好きに打ち込んできなさい」


「分かった」


 俺も両拳を構える。

 その瞬間、左手が無意識に腰へ下がった。

 そこにあるはずの鞘を押さえようとして、何も掴めないまま止まる。


「来ないの?」


「……今、行く」


 右足で石床を蹴り、間合いを詰める。

 姉の顔面へ、右の拳を真っ直ぐに放った。


 姉は上体を僅かに傾け、拳をかわす。

 同時に手首へ掌を添えられた。

 引かれたわけでも、強く押されたわけでもない。

 前へ流れていた力の向きを、ほんの少し変えられただけだった。


 身体が傾く。

 足を踏み出して耐えようとした瞬間、姉の足が俺の踵へ引っかかった。


「なっ――」


 視界が反転する。

 咄嗟に受け身を取り、背中から石床へ転がった。


「受け身は悪くないわね」


「冒険者をしていれば、転がされることもある」


「それなら、もう一度」


 起き上がり、再び構える。

 今度は拳を囮にして、脇腹へ蹴りを放つ。


 姉は半歩下がって蹴りをかわし、そのまま伸びきった俺の脚へ自分の脚を絡めた。

 軸足を払われ、再び石床へ倒される。


 何度繰り返しても結果は変わらなかった。

 拳はかわされ、掴もうとすれば腕を取られ、蹴りを放てば軸足を崩される。


 姉は無理に力で対抗していない。

 俺の動きに合わせ、最小限の動作で重心を崩している。


「次は身体強化を使っていいわ」


「怪我をしても知らないぞ」


「弟に心配されるほど鈍っていないわよ」

 姉が笑みを浮かべる。


 俺は呼吸を整え、両脚へ魔力を巡らせた。


「――《速》」


 緑色の魔力を纏い、一気に加速する。

 姉の間合いへ踏み込む直前に《速》を切り、《剛》へ切り替える。

 赤い魔力が右脚から腰、肩を通り、拳へと駆け上がった。

 姉の顔面へ拳を振り抜く。


 姉はそれを受け止めず、俺の内側へ踏み込んだ。

 右の掌で肘を押し上げられ、拳の軌道が頭上へ外れる。

 反対の手が胸元へ添えられた。


「力を切り替える瞬間、身体が止まっているわよ」


 胸を押される。

 体勢を立て直すより先に、姉の足が俺の軸足を払った。


「ぐっ……!」


 背中が石床へ叩きつけられる。

 すぐに起き上がろうとしたが、姉の拳が喉元で止まっていた。


「そこまで」


 俺は息を吐き、差し出された手を掴んで立ち上がる。

 姉は俺の正面へ立つと、踏み込みから拳を放つまでの動きを確かめるように見つめた。


「……身体の動きが、ずれているわね」


「ずれている?」


「踏み込み、腰の回転、肩から腕へ力を伝えるタイミング。一つ一つの動作が間違っているわけではないの」


 姉は俺の肩へ手を置き、次に腰の位置を指で示す。


「でも、それぞれが僅かに噛み合っていない。足元で生み出した力が、拳へ届くまでに何度も途切れているわ」


「《速》と《剛》を切り替えているからか?」


「それだけではないわね。身体強化を使わなくても、同じずれがあったもの」


 俺は自分の両手を見下ろす。

 速さも力も足りている。

 それなのに、その二つを拳へ繋げることができていない。


「第三階層の騎士人形には、こういうずれがなかった」


「どんな動きだったの?」


「動き始める直前、身体へ青い魔力が走っていた。水面に広がる波紋みたいに、全身を一瞬で巡っていた」


「青い魔力……」


 姉は少し考えた後、右手を持ち上げた。

 掌の上へ淡い水色の魔力が集まり、小さな水球を形作る。

 水球は細い帯へ姿を変え、姉の指から手首、腕の周囲を途切れることなく巡っていく。


「断言はできないけれど、おそらく水属性ね」


「水属性?」


「水は、生み出して放つだけの属性ではないわ。形を変えながら流れ、離れたものを繋ぎ、僅かな隙間にも入り込む。それが水の性質よ」


 腕を巡っていた水の帯が、再び一つの球体へ戻る。


「風が外から身体を押して速度を与えるものだとすれば、水は内側を巡る魔力の流れを整えられる。意識から神経へ、神経から筋肉へ。動こうとしてから身体が反応するまでにある滞りを、減らしていたのかもしれないわね」


「だから、俺より先に動けたのか」


「水そのものが速いわけではないわ」


 姉の掌に浮かんだ水球が、音もなく形を変えていく。


「ただ、止まらずに流れ続ける。騎士人形は動作と動作の間を、その流れで繋いでいたのでしょうね」


「触れられたとき、俺の魔力も乱された」


「それも水属性の性質で説明できるわ。外から流し込んだ魔力を、あなたの循環へ潜り込ませた。もっとも、実際に見ていないから推測にすぎないけれど」


 姉が水球を消す。

 その直後、壁際に置いていたセレスの表紙が開いた。


『お姉さんの見立ては、大筋で合っているわ』


 セレスが宙へ浮かび、俺たちの間まで移動してくる。


「セレス。何か分かったのか」


『騎士人形の技についてはね。でも、その前に話しておくことがあるわ』


「何だ?」


『レグルス。魔素と魔力の違いを、正しく考えたことはある?』


「魔素は世界中に存在している。人間はそれを体内へ取り込み、自分の魔力に変える。魔法は、その魔力を使って現象を起こすものだろう」


『間違ってはいないわ。ただ、少し足りない』

 セレスの頁が一枚、ゆっくりと捲れる。


『魔素は、大気にも、水にも、土にも存在している。この世界を満たす力そのものよ。生物はそれを身体へ取り込み、自分が扱える形へ変換する。それが魔力』


「魔法は?」


『体内で変換した魔力を媒介にして、外界の魔素へ働きかける技術よ。自分の内側だけで、炎や水を無限に生み出しているわけではないわ』


 そこまでは理解できる。

 だが、それが今の俺の身体とどう関係しているのか分からなかった。


「それと、俺の動きがずれていることに関係があるのか?」


『あるわ』

 セレスの声から、僅かに柔らかさが消える。


『あなたの身体は、生まれたときからこの世界の魔素へ完全には馴染んでいなかった』


「俺が?」


『魔素を取り込めないわけではない。でも、普通の人間に比べれば、変換も循環も自然ではなかった。あなたが魔法を扱うまでに人一倍時間がかかった理由の一つよ』


 思い返せば、剣術と比べ、魔力操作はいつまで経っても自分のものにならなかった。

 魔法を使うために、何度も魔力の流れを意識し、失敗を繰り返してきた。


「獅子との契約が、それを補っているのか」


『ええ。獅子の契約は、あなたの積み重ねに応じて身体を最適化する』


 セレスの頁が、風もないのに揺れる。


『勘違いしないで。契約があなたを剣士にしたわけではないわ』


「分かっている」


『いいえ。今のあなたは、まだ分かっていない』

 強い口調に、俺は言葉を止める。


『あなたが何万回も刀を振り続けた。手の皮が裂けても、腕が上がらなくなっても、来る日も来る日も同じ動きを繰り返した。その積み重ねに契約が応えたのよ』


 脳裏に、幼い頃の鍛錬が蘇る。

 木刀を握り、ただ振り下ろす。

 翌日も、その翌日も。

 上手くなった実感など得られなくても、ひたすら振り続けた。


『筋肉も、関節も、魔力の通り道も。あなたの身体は、刀を振るうことへ最適化されていった』


「だから、刀を持っていない今も……」


『身体に刻まれた力の流れだけは、刀へ向かっている。お姉さんが感じたずれは、それよ』


 俺は右手を握る。

 拳を作っているはずなのに、力はその先へ抜けていく。

 本来なら存在していた刃へ。

 届くはずのない切っ先へ。


「元へ戻せるのか」


『戻す必要はないわ』

 セレスは即座に否定した。


『あなたが積み重ねてきたものを、捨てる必要なんてない。刀へ繋がる流れとは別に、拳や足へ力を伝える新しい流れを作ればいいのよ』


「そんなことができるのか?」


『今までは、あなたが振り続けた結果に契約が応えた』


 セレスの頁へ、淡い金色の文字が浮かび上がる。


『今度は逆よ。契約が身体を変えてくれるのを待つのではなく、あなた自身の意思と魔力で、身体へ新しい戦い方を教えなさい』


 刀を振るう身体を、契約によって得たわけではない。

 俺が振り続けたから、身体がそれに応えた。

 ならば、もう一度始めればいい。

 今度は刀のない、この両手から。


『契約が深まれば、あなたの身体はこれからも変わっていくわ。与えられるままでは、いつか自分の身体に置いていかれる』


「自分の身体を、自分で変えろということか」


『ええ。騎士人形が使っていた水の流れは、そのための手掛かりになるはずよ』


 姉が小さく息を吐き、再び訓練場の中央へ歩いていく。


「難しく考えるのは後にしましょう」


「姉さん?」


「身体が刀を振るう動きを覚えているなら、それと同じくらい無手の動きを繰り返せばいいのよ」


 姉が両手を構える。


「まずは立ち方から。今のあなたは、右から押されると簡単に重心が崩れるわ」


「そこからか」


「そこからよ。何か文句がある?」


「いや。頼む」


     ◇


 それから、俺はひたすら同じ動作を繰り返した。

 足を肩幅より僅かに広く開き、重心を中央へ置く。

 拳だけを前へ出すのではなく、石床を踏み込んだ力を脚から腰へ、腰から肩へと伝えていく。


「肩に力が入りすぎよ」


 姉の指が、俺の肩を叩く。


「力を入れなければ、威力が出ない」


「最初から腕を固めたら、足元の力がそこで止まるわ。拳が届く瞬間だけ締めなさい」


 言われたとおりに力を抜き、もう一度拳を放つ。


「今度は腰が回りすぎ」


「……難しいな」


「刀を振るときだって、最初からできたわけではないでしょう?」


「そうだな」


 拳だけではない。

 掌、肘、膝、足。

 刀を持っていたときには意識していなかった部位のすべてが、攻撃にも防御にもなる。

 だが、一つの動きを覚えようとするたび、身体は慣れ親しんだ刀の動きへ戻ろうとした。


 右手は腰元から始動し、左手は鞘を押さえようとする。

 踏み込みは深くなり、拳が届く距離よりも先へ重心を運んでしまう。

 姉に指摘されるたび、一つずつ動きを修正する。

『次は、動きながら魔力の循環を意識してみなさい』


 セレスの言葉に、俺は一度動きを止めた。


「水属性を使えということか?」


『違うわ。今のあなたは、まだ水属性を扱えない。巡らせるのは、あくまであなた自身の魔力よ』


 セレスの頁が、ゆっくりと捲れる。


『《剛》を掴んだときのことを思い出しなさい。あのときも、ただ魔力を強く放出したわけではなかったでしょう?』


 言われて、右手を握る。


 《剛》を初めて掴んだとき。

 脚で生み出した力へ魔力を重ね、腰から肩、腕を通して、拳へと繋いだ。

 今では意識せずとも行える流れだが、最初からできていたわけではない。


『お姉さんが見せた水の流れを思い浮かべなさい。ただし、真似るのは水属性ではないわ。途中で滞らせず、次の場所へ流し続けるという考え方よ』


「自分の魔力で、身体のずれを繋ぐのか」


『ええ。まずは結果を求めず、自分の中で魔力がどこを通っているのかを感じなさい』


 目を閉じ、体内へ意識を向ける。

 身体の中心から両脚へ。

 踏み込むと同時に腰へ戻し、背中から肩を通して両腕へ。

 拳を放った後は、残った魔力を散らさず、再び身体の中心へ戻す。

 水路を巡る水のように、途切れることのない一つの流れを思い描く。


「ぐっ……」


 右腕へ魔力が偏り、指先が痺れた。

 慌てて脚へ流そうとすれば、今度は肩の辺りで魔力が途切れる。

 全身へ均等に広げようとすると、魔力は薄く散り、どこを流れているのかさえ分からなくなった。


『一度に全身を動かそうとしなくていいわ』


「だが、それでは動きが繋がらない」


『今は繋げる前の段階よ。どこで魔力が滞まり、どこへ流れやすいのか。それを知らなければ、新しい流れなんて作れないでしょう?』


 もう一度、体内へ意識を沈める。

 脚から腰へ。

 腰から肩へ。

 肩から腕へ。


 魔力の流れを追っていくと、右腕へ入ったところで不自然に向きが変わっていた。

 握った拳へ集まるのではない。

 拳の先に存在するはずの、今はもうない刀身へ向かおうとしている。


「ここでも、刀へ流れているのか……」


『それが、あなたの身体に最も深く刻まれた魔力の通り道なのよ。無理に消そうとしないで。その流れを残したまま、拳へ届く別の道を作りなさい』


 刀へ向かう流れを、無理に断ち切ろうとするから身体が止まる。

 ならば否定するのではなく、その手前で分ければいい。

 刀へ繋がる流れとは別に、握った拳へ魔力を留める。

 そう意識して、右拳を突き出した。


「力みすぎよ」

 姉の指が肩を叩く。


「魔力を動かすことに意識を取られて、身体が固まっているわ」


「両方を同時にするのは、難しいな」


「刀を振る動きだって、初めは一つずつ覚えたのでしょう?」


「……そうだったな」


 最初から、刀と身体が一つだったわけではない。

 足の運びを覚えた。

 腰の回し方を覚えた。

 刃筋を合わせ、それらを一つの斬撃へ繋げるまで、何度も振り続けた。


 ならば、今回も同じだ。

 拳を放つ。

 魔力が肩で止まる。

 蹴りを放つ。

 上半身の流れが途切れる。

 姉に崩され、石床を転がる。

 立ち上がるたび、自分の中にある魔力の通り道を確かめる。


 力を強くする必要はない。

 速く動く必要もない。

 ただ、踏み込みから拳へ至るまで、魔力を途切れさせない。


 それだけを意識して、同じ動作を繰り返した。

 太陽が訓練場の上を通り過ぎても、俺たちは攻防を続けた。


「もう一度、行くぞ」


「ええ。来なさい」


 姉が構える。

 俺は《速》も《剛》も使わず、石床を蹴った。

 踏み込んだ脚から腰へ魔力を流し、そのまま肩から右腕へ繋ぐ。


 拳を放つ。

 姉が掌を添え、その軌道を外側へ逸らした。


 身体が前へ流れる。

 同時に、姉の左足が低く滑り込んできた。


 足払い。

 見えている。

 これまでは避けようとするたび、脚だけを動かそうとして重心が遅れていた。


 俺は無理に足を引こうとせず、身体の中心を巡っていた魔力を腰から両脚へ流す。

 避けるという意思。

 腰の移動。

 石床を蹴る両脚。

 それまで僅かにずれていた三つの動きが、同じ一拍に重なった。


 姉の足が軸足へ触れる直前、俺の身体が石床から離れる。

 足払いを跳び越え、その向こうへ着地した。


「――今のは」


 だが、姉の攻撃は終わっていなかった。

 着地した胸元へ掌を添えられ、そのまま後方へ突き飛ばされる。

 石床を転がり、仰向けになった。


「途中で気を抜かない」


「……悪い」


 呼吸を整えながら、ゆっくりと上体を起こす。

 姉は僅かに驚いた様子で、俺の足元を見ていた。


「でも、今の回避だけは違ったわ」


「違った?」


「脚だけで逃げたのではなく、腰も上半身も一緒に動いていた。初めて、身体全体が一つの動きになっていたわ」


『ええ。途切れていた魔力の流れも、あの一瞬だけは繋がっていた』

 セレスの頁が静かに捲れる。


「今のが、騎士人形の使っていた力なのか?」


『いいえ。騎士人形は水属性の性質を利用して、魔力と身体の流れを自然に繋いでいる。今のあなたが行ったものとは、まだ別物よ』


 俺は自分の脚へ触れる。

 もう一度同じように魔力を巡らせようとしたが、腰の辺りで流れが止まった。


『あなたはただ、自分の魔力を動きに合わせて循環させた。それも、ほんの一瞬だけね』


「なら、まだ何も掴めていないな」


『本当にそう思う?』

 セレスの声に顔を上げる。


『今の動きは、契約が整えてくれたものではないわ。騎士人形の水属性を真似たものでもない』


 開かれた頁が、風もないのに微かに揺れる。


『あなた自身が魔力の通り道を探し、途切れていた身体の動きを繋いだのよ』


 俺は両手を見る。

 何も握っていない。

 それでも昨日まで感じていた頼りなさは、僅かに薄れていた。

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