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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第四章 墜落する果てなき傲慢
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第46話 一つを落とす選択

 円形空間の傾きが、少しずつ戻り始めた。

 石床へ突き立てていた刀へ掛かる重さが薄れ、宙へ浮いていた細かな水滴も、再び天井の吸収管へ向かって昇っていく。


「イーラ高度、低下速度が落ちてます」

 戦斧を溝へ引っ掛けたまま、ノアが測定器を覗き込む。


「一秒間に〇・八……〇・四。補助機関の出力も戻ってきた。このままなら――」

 言葉の途中で、ノアの表情が僅かに緩んだ。


 落下が止まる。

 そう思ったのだろう。


「全島の高度を表示してください」

 ルシアンの声だけは、変わらなかった。


「え?」


「イーラだけではありません。残る六島を」


 ノアが測定器の側面へ指を走らせる。

 小さな画面に、七本の光の柱が並んだ。

 イーラを示す一本は、確かに下げ止まりつつある。

 だが、残る六本は違った。

 中央島スペルビア。

 その周囲を取り囲む五つの主要島。

 すべての光が、同じ速さで短くなり続けている。


「六島の高度低下……継続中」

 ノアの声から、先ほどの安堵が消えた。


「どうして。イーラは止まりかけてるのに」


「だからです」

 ルシアンは、銀縁眼鏡へ映る七本の波形を見上げた。


「イーラが浮遊出力を取り戻したのではありません」


 六つから奪われた青い流れが、頭上の吸収管へ呑み込まれていく。


「六つの島を落とすことで、自らの落下を先送りにしているだけです」


 その言葉を裏づけるように、遠くから低い振動が伝わってきた。

 イーラではない、空を隔てた別の大地が、同時に支えを失っている。

 俺は刀を石床から引き抜き、鞘へ納めた。


「変換炉を止めれば、《天水脈》の吸い上げも止まるのですか」


「可能性は高いでしょう。少なくとも、自動補正による取り込みの増加は止められます」


「では――」


 頭上で、鋭い破裂音が響いた。

 巨大な吸収管を固定していた金属枠の一つが弾け飛ぶ。

 管の表面を走っていた亀裂が枝分かれし、その隙間から青白い光が噴き出した。


「ここを離れます」

 ルシアンが即座に告げる。


「吸収管が破断する前に、下層管理室へ戻ってください」


「統括、右手は」


 ノアの視線が、《試作ウルカーヌス》を握っていた手へ向く。

 ルシアンの右手は半ば開いたまま、指を曲げようとするたびに僅かに震えていた。

 指先が細かく震えている。


「感覚はあります。行動に支障はありません」


「でも――」


「今は、ここで確認を続ける方が危険です」

 ルシアンは左手で《試作ウルカーヌス》の鞘を押さえ、踵を返した。


 それ以上、ノアも言葉を続けなかった。

 俺たちは円形空間を離れ、古代の通路を引き返す。

 固定した《古代防衛腕》の間を抜ける時、外周環へ打ち込まれた黒い楔が激しく震えていた。

 青い水が溝の中で何度も脈打ち、そのたびに止まった腕の指が僅かに動く。

 いつまでも保つとは思えない、だが、防衛腕はもう俺たちを追ってこなかった。

 狙っているのは、今も古代の流れへ食い込んでいる現代の吸収管だけだ。

 金属製の通路へ戻ると、警報は先ほどよりも大きくなっていた。

 赤い灯りが短い間隔で明滅し、壁の内側を走る魔力の音が、絶えず低く唸っている。

 昇降機を待つ余裕はなかったので非常階段を駆け上がる。

 途中で、身体が僅かに横へ引かれた。

 イーラが姿勢を戻したのではない。

 空の上で均衡を失い、ゆっくりと傾く向きを変えただけだった。


                 ◇


 下層管理室へ戻ると、壁一面の魔導板が赤く染まっていた。

 七島の高度。

 基幹変換炉の内部圧力。

 吸収管へ流れ込む水属性魔力。

 表示されているすべての数値が、危険域を示している。


 それでも、技師たちは声を荒らげてはいなかった。

 互いの報告が重ならないよう短く伝え、必要な操作だけを続けている。

 恐怖がないわけではない。

 誰か一人でも手を止めれば、その分だけ島の落下が早まると分かっているのだ。


「クロイツ統括技師」

 白髪交じりの管理責任者が、中央の魔導板を開く。


「第一炉、停止完了。第二炉は最終減圧へ移行。第三炉の取り込み弁が自動制御を受けつけません。基幹系統の完全停止まで、八分四十秒です」


「停止工程は、まだ中止できますか」


「可能です。ただし、中止した場合は第三炉の出力が上昇します」


 魔導板へ三つの選択肢が表示された。

 

 一つ目は、停止工程の中止。

 変換炉を再び稼働状態へ戻し、吸収を続ける。

 イーラの高度は安定するが、残る六島から《天水脈》を奪い続けることになる。

 

 二つ目は、予定どおり停止を完了する。

 六島への流れは戻る可能性が高い。

 だが、基幹変換炉から浮遊機関へ送られている出力も失われる。


「停止後、イーラはどれほど保ちますか」

 ルシアンの問いに、管理責任者が別の数値を呼び出す。


「現在の重量と補助機関の出力では、三十二分です」


 三十二分。

 工場区画だけではない、この島には、作業員の家族が暮らす住居棟もある。

 何千人もの人間を避難させるには、あまりにも短い。


「三つ目は?」

 俺が尋ねると、ノアが低い声で答えた。


「吸収管の切り離しです」


 第三の表示には、古代の円形空間と基幹変換炉を繋ぐ一本の管が映っていた。


「ですが、先ほどの場所で斬るのは危険です」

 ルシアンが続ける。


「変換炉側から押し戻される魔力と、《天水脈》を流れる水が正面から衝突します。行き場を失った力がイーラの流路だけで収まる保証はありません」


「共鳴で繋がっている残りの六島にも、逆流するかもしれない……」


「最悪の場合、七島すべての流れが同時に途切れます」


 斬ればいい。

 一瞬だけ浮かんだ考えが、消えていく。

 目の前にあるものを断つだけなら、俺にもできる。

 だが、その先で何が起こるか分からないものへ刀を振るえば、救うはずの大地すべてを落とすかもしれない。

 ここには、斬るべき敵がいない。

 あるのは、どれを選んでも何かを失う三つの道だけだった。

 管理室へ、通信の呼び出し音が響く。


「空域保全本部より、緊急回線です」


「接続してください」


 中央の魔導板が切り替わった。

 映し出されたのは、カサンドラ・ヴェイン空域保全総監だった。

 背後では、保全隊の隊員たちが巨大な空域図を囲み、各島の高度と飛行艇の位置を更新している。

 カサンドラの表情に、港で見せた柔らかさはない。


『こちら空域保全本部、カサンドラ・ヴェインです。第三工業区、現在の状況を報告してください』


「ルシアン・クロイツです。イーラの基幹変換炉が、残る六島から《天水脈》を吸い上げています。停止工程は最終段階。継続した場合、イーラは約三十二分で補助浮遊機関の限界へ到達します」


『停止を中止した場合は?』


「イーラの高度は維持できます。ただし、六島すべての下降が続きます」


『承知しました』

 カサンドラは感情を挟まず、報告を受け取る。

 その視線が、ルシアンの後ろにいるノアへ向いた。


『ノア・ヴェイン保守技師。現在地と、同行者全員の負傷状況を報告してください』


「第三工業区、下層管理室。救出した作業員二名は救護班へ引き渡しました。俺たちは全員、行動可能です。ただ、ルシアン統括の右手に《試作ウルカーヌス》の反動が残ってます」


『クロイツ統括技師。治療は受けられますか』


「応急処置であれば。ただし、今は指揮を離れるべきではありません」


『分かりました。無理に右手を使用せず、処置だけは受けてください』


「承知しました」

 カサンドラは頷いた。


 だが、通信を次へ移そうとした指が、一度だけ止まる。


『……ノア、無事なんだね』


 総監ではない、ただ息子の無事を確かめる、母親の声だった。


「うん。大丈夫」

 ノアも、その一瞬だけ短く答える。

 

 カサンドラは静かに息を吐き、再び正面を向いた。


『――では、任務を継続します。ノア・ヴェイン保守技師はクロイツ統括技師の指示に従い、すべての測定記録を本部へ送信してください』


「了解しました」


『各島を繋ぐ連絡橋は、負荷の高いものから順に切り離します。保全隊の飛行艇はイーラへ集中。住民の退避と、落下予測空域にある小型島の誘導を同時に進めます』


 カサンドラの隣へ、別の通信画面が開く。

 長い茶髪とロングコート。

 中央支部のギルド長、ヴィオラ・ミストラルだった。


『中央支部にいる飛行艇乗りと、輸送依頼を受けていた冒険者を集めました。民間艇にも協力を要請しています』


『ありがとうございます、ヴィオラ支部長。ギルドには第三工業区と東部住居区の避難誘導をお願いします。現場の判断が必要な場合は、支部長へ一任します』


『承知しました。最後の一人まで、こちらで運びます』


『お願いします』


 通信越しに、次々と指示が飛んでいく。

 非常用空路の全面開放。

 島外へ出る貨物艇の積荷放棄。

 治療班を乗せた高速艇の優先通行。

 落下経路に入る可能性がある小型島への退避勧告。


 誰も、まだイーラを見捨ててはいない。

 だが、救助へ動き出したすべての者が、同じ前提を共有している。

 この島は、落ちる。

 それまでに、どれだけの人を空へ逃がせるか。

 すでに、時間との争いは始まっていた。


                 ◇


「三十二分では足りません」

 ノアが呟いた。


 管理室の魔導板には、イーラ全域の出力配分が表示されている。

 基幹変換炉。

 補助浮遊機関。

 工場区画。

 住居棟。

 昇降機と連絡路。

 変換炉を停止した後は、補助機関の出力だけで、そのすべてを支えなければならない。


「全部を支える必要はない……」


 ノアが指先で表示を動かした。


「生産区画は停止工程に入ってる。避難が終わった区画から供給を切れば、その分を浮遊機関へ回せる」


「照明まで消すのですか」


「避難路と昇降機は残します。消すのは、無人になった生産線と保管庫です。それから住居棟も、退避が終わった棟から順に」


 ノアは次々と供給線を閉じていく。

 立体図の上で、工場区画を示す光が一つずつ消え、その分だけ補助機関へ伸びる線が太くなった。


「これなら、四十六分」


「まだ足りません」

 ルシアンがノアの横へ立つ。

 右手には、治療用の薄い布が巻かれていた。

 操作には左手だけを使っている。


「第三炉の減圧に使っている排出路を、停止後も開いたままにしてください」


「でも、そこから魔力が外へ逃げます」


「上空へ放出するのではありません。緊急蓄積槽へ迂回させます」


「蓄積槽は、浮遊機関へ繋がってないです」


「直接は。ただし、姿勢制御用の補助管と接点があります」


 ルシアンが構造図を拡大する。

 複雑に重なった配管の中から、使われていない細い線が浮かび上がった。


「旧式の整備用経路です。出力効率は低いですが、蓄積槽に残る魔力を補助機関へ送れます」


「それなら……」

 ノアの指が動く。

 計算式が書き換えられ、残り時間が伸びていく。


 五十一分。


 五十四分。

 そこで数値が止まった。


「違う」

 ノアが自分で首を横へ振る。


「避難艇が出るほど、島の重量も減る。一定で計算したら駄目だ」


 居住者の推定人数。

 工場と港に係留されている飛行艇。

 一隻ごとの積載量。

 表示された数字を、ノアが一つずつ組み込み直していく。

 何度も指が止まり、そのたびに最初の式へ戻る。

 手は震えていた。

 それでも、入力する数値をごまかすことはなかった。


「避難艇の到着間隔を、最良の値で置かないでください」

 ルシアンが静かに言う。


「空路が混雑した場合を含め、最も遅い記録を使います」


「でも、それだと時間が短くなります」


「短く見せるのではありません。実際に使える時間を出すのです」

 ノアは唇を噛み、到着間隔を書き換えた。


 最後の計算が終わる。

 魔導板の中央に、一つの数値が浮かび上がった。


 五十七分。


「補助機関の安全限界を越えず、確実に使える時間です」

 ノアが、ルシアンを見る。


「統括」


「この案を採用します」

 迷いのない返事だった。


「各区画の退避状況と供給遮断を連動。緊急蓄積槽から補助機関への経路を開いてください」


「はい!」


 ノアが管理責任者へ計算結果を送る。

 すぐに、技師たちが新しい手順へ動き始めた。

 俺には、並んだ数値のすべてが理解できたわけではない。

 だが、ノアが今の計算で二十五分を作り出したことは分かる。

 刀で敵を倒したわけでも、強い魔法を使ったわけでもない。

 それでも、その二十五分は、何百人もの命へ変わるかもしれない。


「一つの島か、六つの島かを選ぶしかないのですか」

 俺の問いに、管理室の音が遠ざかったように感じた。


 ルシアンは、七本の光を見つめている。

 イーラだけが高い位置で下げ止まり、残る六本が同時に短くなっていた。


「いいえ」

 短い沈黙の後、ルシアンが答える。


「一つを捨てるのではありません」


 左手が、イーラを示す光へ触れた。


「イーラを先に落とし、落ちきるまでに七つすべてを救う」


 その指が、残る六島へ動く。


「そのための時間を選びます」


 六島を守るために、イーラを落とす。

 言葉だけなら、一つと六つを秤へ載せただけに聞こえる。

 だが、ルシアンは安全な場所から一つを切り捨てようとしているのではない。

 自分も、落ちる側へ残っている。

 そして、落ちきるまでの五十七分を使い、最後の一人まで救おうとしていた。


「基幹変換炉の停止を継続します」

 ルシアンが、通信の向こうにいるカサンドラへ告げる。


「残る六島へ《天水脈》を戻します」


『空域保全本部、承知しました』

 カサンドラは目を逸らさなかった。


『停止完了と同時に、イーラの落下予測を更新します。救助艇はすでに向かっています。クロイツ統括技師、現地指揮をお願いします』


「承知しました」


 停止まで、残り六分十二秒。

 決断は下された。

 それでも、俺の腰元にいるセレスは、別の流れを追っていた。


『レグルス』


「どうした」


『青い残響が移動しています』


「どこへ?」


『《天水脈》を渡って、中央へ。スペルビアの方角よ』


 円形空間から消えた青い人影。

 侵入者ではなく、壊れた流れを直すために役目だけを繰り返している残響。

 あれが中央へ向かったのなら、旧第五整備区画の石扉にも、再び何かが起こるかもしれない。


「ルシアンさん」


 俺は、七島の構造図を見上げる。


「青い残響は、スペルビアへ移ったようです。追うことができれば、別の方法を見つけられるかもしれません」


「確証はありますか」


「ありません。ただ、セレスには移動した方向が分かります」


 ルシアンは否定しなかった。

 かといって、すぐに救助計画を書き換えることもしない。


「確証のない奇跡を、救助計画の前提にはできません」


「……はい」


「ですが」

 ルシアンが、こちらへ向き直る。


「確証を得るために残された時間を使うことまで、否定するつもりはありません」


 銀縁眼鏡の奥にある目は、冷たくはなかった。

 信じているものが違うだけだ。

 ルシアンは、測定できる数値と、人が積み上げた技術を信じている。

 俺は、ここまで共に歩いてきたセレスの言葉を信じている。

 今はまだ、その二つは同じ方向を向いていた。


「変換炉を停止した後、スペルビアへ戻りましょう」


「ありがとうございます」


「礼を言う必要はありません。原因を確かめることも、七島を救うために必要です」

 ルシアンは、ノアへ視線を移す。


「ノア技師。停止後の出力配分を管理室へ引き継ぎ、移動の準備を」


「俺も行くんですか」


「《天水脈》の波形を最初から記録しているのは、あなたです。それに、石扉を発見したのも」


「……分かりました。行きます」

 ノアは測定器を握り直した。


                 ◇


 停止まで、残り一分。

 管理室の中央へ、低い鐘の音が繰り返し響いている。


『第三工業区の退避率、六十一パーセント』


『東部住居区へ、ギルドの飛行艇三隻が到着』


『第一連絡橋、切り離し完了。第二橋は退避者通過後に切り離します』


 各地から届く報告が、止まることなく積み重なっていく。

 窓の外では、まだ工場の灯りが夜空を照らしていた。

 高い煙突から白い蒸気が昇り、赤い警告灯の間を無数の飛行艇が行き交っている。

 昼も夜も、動きを止めることのなかった工業島。

 この国の生活を支えるため、絶えず何かを作り続けてきた場所だ。


「第三炉、最終遮断へ移行」

 管理責任者の声が落ちる。


「自動取り込み補正、切り離し」


「切り離し確認」


「緊急蓄積槽への迂回路、開放」


「圧力安定」

 技師たちの声だけが続く。


 停止まで、十秒。


「九」

 窓の向こうで、最も遠い工場の灯りが消えた。


「八」

 次の区画。


「七」

 煙突から昇っていた蒸気が細くなる。


「六」

 床の下から響いていた機械音が、一つずつ減っていく。


「五」

 赤い警告灯だけを残し、生産棟が闇へ沈んだ。


「四」

 補助機関へ、残された魔力が集まる。


「三」

 管理室の灯りが落ち、非常用の淡い青だけが残った。


「二」

 足元を巡っていた振動が消える。


「一」

 最後に、島の奥深くから一度だけ、巨大な鼓動のような音が響いた。


「基幹変換炉、停止」


 その瞬間。

 イーラ全体から、音が消えた。

 警報も、蒸気の唸りも、配管を駆け抜けていた魔力の振動も。

 何も聞こえない。

 無数の機械によって眠ることを許されなかった工業島が、初めて深い静寂に包まれていた。


「《天水脈》、変化します!」

 ノアの声が静寂を破る。

 七本の波形が大きく揺れた。

 イーラへ集中していた青い流れが弱まり、奪われていた六本へ戻っていく。


 一本。

 また一本。

 短くなり続けていた光の柱が、同じ高さで止まった。


「スペルビア高度、安定」


「外縁五島も、浮遊出力を回復しています」


 管理室の各所から、報告が上がる。

 六島は止まった。

 安堵する間もなく、腹の底が持ち上がる。

 壁に掛けられていた工具が僅かに浮き、固定具へぶつかった。

 今度は補助機関も、高度を戻さない。

 イーラが、ゆっくりと沈み始めている。


「下降速度、一秒間に〇・三メートル。増加傾向」


「補助機関出力、計算値を維持」


「供給遮断工程、予定どおり進行中」

 ノアが最後の数値を確認する。


「六島の高度、安定しました」


 俺は、短く息を吐く。


「イーラは?」

 ノアが表示された時刻を見つめた。


「下降継続。補助機関の安全限界まで――五十七分です」


 中央の魔導板へ、残り時間が表示される。


 五十七分。

 数字は、すぐに五十六分五十九秒へ変わった。

 作り出した時間は、もう減り始めている。


 その時。

 管理室の通信板が、これまでとは異なる音を鳴らした。


「中央島スペルビア、旧第五整備区画から緊急報告です!」


 技師が回線を開く。

 激しい雑音の向こうから、切迫した声が届いた。


『封鎖中の石造構造物に変化! 扉の中央にあった水瓶の浮き彫りが消失しました!』


「消失?」

 ルシアンが魔導板へ近づく。


『石材が水のように崩れ、内部に空間が現れています! 探査光が奥まで届きません!』


 スペルビアの旧第五整備区画で見た石扉。

 蝶番も、隙間もなく、人が出入りするためのものではないと判断された巨大な弁。

 通信の向こうで、誰かが息を呑んだ。


『石扉が――内側から開いています!』


 腰の後ろで、セレスが熱を帯びる。


『レグルス』


「ああ」


『青い残響は消えていないわ』

 セレスの声に、もう迷いはなかった。


『あの扉の向こうへ続いています』


 ルシアンが、左手で《試作ウルカーヌス》の固定具を確かめる。

 右手で強く握ることはできなくても、置いていくつもりはないらしい。


「緊急整備艇を準備してください」


「統括、イーラの指揮は」


「管理責任者へ引き継ぎます。停止後の工程は、ノア技師の計算どおりに進めてください。異常があれば、すぐ本部へ」


「承知しました」


 ルシアンは、減り続ける時刻を見上げた。

 五十六分三十一秒。


「イーラが完全な落下へ転じるまで、五十七分もありません」

 銀縁眼鏡の奥で、七本の青い波形が揺れている。


「中央島スペルビアへ戻ります」


 俺たちは、初めて眠りについた工業島を背に、再び空へ向かった。

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