第43話 天空の裏側
整備用昇降機が、街の灯りよりも下へ消えていく。
表示灯は消えたまま。
動いていることを示す音もなく、細い金属の箱だけが中央島スペルビアの下層へ降り続けていた。
『レグルス。魔力反応が遠ざかっていくわ』
「分かってる」
『追わないの?』
「追いたい。でも、下層には入るなと言われたばかりだ」
ヴィオラだけではない。
港ではカサンドラにも、無茶をするなと注意された。
理由もなく決められた規則ならともかく、今は国全体の浮遊機関に異常が起きている。構造を知らない俺が勝手に入り込めば、何が起こるか分からない。
「まずは報告する。追うのは、それからだ」
『ええ。それがいいでしょうね。契約者と無謀者を同じ意味にされては困るもの』
「誰のせいで無謀者みたいに言われてると思ってるんだ」
『少なくとも、私のせいではないわ』
即答だった。
俺は反論を諦め、空中連絡橋のたもとに設置された緊急通信装置へ向かった。
壁に埋め込まれた魔導板へギルドカードを翳す。
青い光がカードの表面を走り、数度の呼び出し音が鳴った。
「こちら、ルミナス魔導連合冒険者ギルド中央支部です。所属と現在地をお願いします」
「Dランク冒険者、レグルス・クレハルトです。中央支部の東側第二連絡橋にいます」
「確認しました。どのようなご用件でしょうか」
「使用停止中の整備用昇降機で、下層へ移動する水属性の魔力反応を確認しました。人に近い形をしています」
通信の向こうで、短い沈黙があった。
「レグルス様ご自身が目視されたのでしょうか」
「いいえ。俺より魔力感知に優れた相棒が捉えています。王都ヴァルエストでも、同じ反応を確認しました」
「……承知しました。現在、下層の保守技師へ確認を取っております。その場でお待ちください」
「分かりました」
通信が切れる。
俺は下降していく昇降機へ視線を戻した。
すでに金属の箱は見えない。
「まだ追えるか?」
『弱くなっているけれど、痕跡は残っています』
「間に合えばいいけどな」
待つこと数分。
連絡橋の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。
「す、すみません! 通ります!」
人の間を縫うように、一人の少年が走ってくる。
年齢は俺よりも下に見えた。
体格は大きくも細くもない。ポケットの多い作業着を身につけ、短く切った赤銅色の髪の上からバンダナを巻いている。
片手には工具鞄。
腰には、太い持ち手を折り畳んだような小型の金属器具が差されていた。
少年は俺の前まで来ると、膝へ手をついて息を整えた。
「み、水属性の反応を報告した方は……あなた、ですか?」
「はい。レグルス・クレハルトです」
「ノア・ヴェインです。浮遊機関の保守を、その……担当してます。しています」
最後だけ言い直し、ノアは気まずそうに口を閉じた。
「よろしくお願いします、ノアさん」
「は、はい。よろしく、お願いします」
挨拶を終えると、ノアは工具鞄の横へ取りつけていた薄い魔導板を取り外した。
指先で表面をなぞる。
複数の線と数値が浮かび上がった瞬間、それまでのたどたどしさが消えた。
「……本当に出てる。水属性の残留反応。しかも停止中の昇降機に沿って、下層第三十二区画まで移動してる」
「本来は、出ないものなのですか」
「出ません。この辺りの供給路を流れているのは、浮遊機関用に変換された複合魔力です。水属性を単独で通す配管も術式もない」
魔導板へ向けられた言葉には、迷いがなかった。
人と話していた時とは別人のようだ。
「随分と若く見えますが、正式な技師なのですね」
「じゅ、十六です。でも、保守技師の資格はちゃんと持っています」
「疑っているわけではありません。説明を聞けば、よく分かります」
「そ、そうですか。なら、よかったです」
「ヴェインということは、カサンドラさんとはご親族でしょうか」
「母です。港で会ったんですか?」
ノアは即答してから、はっとしたように口元を押さえた。
「ええと……お会いに、なられたんですか?」
「先ほどの事故で、お世話になりました」
「ああ、それなら母さん、まだ港に――じゃなくて、母はまだ港にいると思います」
「無理に敬語を使わなくても大丈夫ですよ」
「でも、初対面の人には、ちゃんと話せって言われてるので……」
「カサンドラさんに?」
「はい。できてませんけど」
そこで、ノアの魔導板から短い音が鳴った。
新しい文字列が表面へ浮かび上がる。
「中央ギルドからです。俺の管理下なら、レグルスさんの下層立ち入りを許可するって。ただし、旧第五整備区画より先へは進まないこと。異常があった場合は、すぐ報告」
「それなら、追えます」
「その相棒って、まだ魔力反応を感じられますか?」
「セレス」
『ええ。下へ続いているわ』
セレスから返る声を確かめる。
「まだ追えます」
「分かりました。じゃあ、行きましょう」
ノアは工具鞄から細い鍵を取り出し、整備用昇降機の制御盤へ差し込んだ。
◇
扉が閉まり、昇降機が動き始める。
俺たちを乗せた箱が、建物の外壁に沿って降下していった。
初めのうちは、硝子張りの建物や連絡橋が見えていた。
魔導街灯が灯る街路。
その間を走る空中魔導列車。
無数の窓からこぼれる生活の光。
だが、高度を下げるほど、それらは頭上へ遠ざかっていく。
代わりに現れたのは、島の岩盤へ沿うように張り巡らされた配管だった。
人の胴回りほどのものから、家一軒が収まりそうなものまで、太さも形も異なる金属管が幾重にも交差している。
青、緑、黄。
管の表面へ刻まれた魔導回路が、それぞれ違う色で脈打っていた。
さらに下には、巨大な環状機関がある。
回転するたびに空気が震え、低い唸りが昇降機の床を通して足裏へ伝わってきた。
「あれが、中央島の浮遊機関ですか」
「あれは姿勢を保つ補助機関です。主機はもっと下。岩盤の中心を貫くように組まれてます」
「あれで補助ですか」
「スペルビアは大きいですから。小さい機関じゃ、風が強いだけで島が傾きます」
ノアは機関の回転音を聞きながら、魔導板の数値を確認している。
その時だった。
昇降機の照明が消えた。
一瞬遅れて、身体が浮く。
箱が落ちた。
「掴まってください!」
ノアの声と同時に、昇降機が激しく揺れて停止する。
俺は壁へ片手をつき、体勢を支えた。
落下した距離は数メートルほどだろう。それでも、眼下に地面がない場所での落下は心臓に悪い。
「浮遊出力が、また落ちたのですか」
「違います。昇降機側の第二供給路が切れただけです。たぶん、さっきの空震で接続部が緩んだ」
ノアは床へ工具鞄を置き、迷わず制御盤の蓋を外した。
暗闇の中へ、魔導板の青い光が差し込む。
「第三回路は生きてる。制動術式も問題なし。第二を切り離して、予備回路へ直接繋げば動く」
工具を二本取り出し、複雑に絡み合う細い魔導線へ差し込んでいく。
話し方から、先ほどまでのぎこちなさが完全に消えていた。
「手伝えることはありますか」
「その光ってる線を押さえてください。隣の赤い線には触らないで。魔力が逆流します」
「分かりました」
指示された線を押さえる。
ノアは接続部を外し、別の回路へ繋ぎ替えた。
ぱちり、と青い火花が散り照明が戻った。
「動かない機械は、殴る前に中身を見るんです」
「俺は機械を殴ったことはありません」
「戦う人って、だいたい最後は殴るじゃないですか」
「少なくとも俺は、斬る方です」
「もっと駄目じゃないですか」
ノアが真顔で返した直後、昇降機が再び動き始めた。
◇
下層第三十二区画。
扉が開いた瞬間、熱を含んだ空気が流れ込んできた。
油と鉄。それに、焦げた魔石の匂い。
上層とはまったく違う空気だった。
頭上では無数の配管が絡み合い、壁の向こうから魔導炉の燃焼音が響いている。作業用足場の隙間から下を覗けば、どこまでも暗闇が続いていた。
遠くには、島の岩盤を囲む巨大な金属環が見える。
そこから伸びる何本もの鎖が、暗闇の奥へ垂れ下がっていた。
「空の上というより、巨大な工房ですね」
「上の街を動かすものは、だいたいここに集まってますから」
ノアの後を追い、金属製の通路を進む。
しばらくすると、配管の間にいくつもの扉が現れ始めた。
作業場ではない。
住居だった。
狭い通路へ洗濯物が干され、開いた窓から食事の匂いが漂っている。小さな食堂では仕事を終えた作業員たちが遅い夕食を取り、外では子供が歯車とボルトを組み合わせた玩具を走らせていた。
どこも広くはない。
だが、壁や床は清潔に保たれ、窓辺には小さな鉢植えが置かれている。
浮遊機関を整備する者と、その家族が暮らす区画なのだろう。
「ノア! 三番棟の給湯器、また止まったぞ!」
通路の上から、作業着姿の男が声を飛ばした。
「帰りに見るよ! 今は中央からの調査!」
「昨日も帰りにって言ってただろ!」
「昨日のは直した! 今日のは別だろ!」
ノアが負けじと言い返す。
先ほどまで敬語に苦戦していた少年と同じ人物とは思えない。
「知り合いとは普通に話せるんですね」
「普通っていうか……敬語って、言葉の順番を考えてるうちに、言いたいことが逃げるんです」
「機械の話になると、随分と滑らかでしたが」
「機械は敬語を間違えても怒らないので」
「そういう問題でしょうか」
「俺にとっては、そういう問題です」
ノアは少しだけ恥ずかしそうにバンダナの端を直した。
生活区画を抜けると、再び機械の音が大きくなっていく。
「ノアさんは、どうして技師になったのですか」
「子供の頃、壊れた小型艇を見たんです」
今でも子供ではないのか、と一瞬思ったが、口には出さなかった。
「墜落して、翼も機関も壊れてた。もう絶対に飛ばないと思ってたのに、技師たちが何日もかけて直して……最後には、また空へ上がったんです」
ノアは頭上を走る魔導回路を見上げた。
「それから、ずっと知りたかった。どうして鉄の塊が空へ上がるのか。どうすれば、落ちたものをもう一度浮かせられるのか」
人と話す時の迷いは、そこにはなかった。
ノアが憧れているのは、誰か一人の技師ではない。
魔導技術そのものなのだろう。
『レグルス。左の通路です』
セレスの声が割って入る。
「魔力反応は、左へ進んだようです」
「左って……旧整備区画ですよ。もう使われていないはずなのに」
ノアが測定器を向ける。
青い線が、ゆっくりと左側へ傾いた。
「本当に水属性だ。しかも、さっきより強くなってる」
俺たちは生活区画から離れ、薄暗い通路へ入った。
◇
進むほど、周囲の景色が変わっていった。
初めは金属で覆われていた壁から、古びた石が露出し始める。
魔導回路の光も減り、代わりに壁へ刻まれた細い溝が続いていた。
溝は配管のように枝分かれし、下へ、さらに下へと伸びている。
足元から伝わる熱も、いつの間にか消えていた。
空気は冷たく、湿っている。
「ここは、誰が造ったのですか」
「分かってません」
ノアは石壁へ手を当てた。
「今使われている浮遊機関が造られるより前から、この石造部分だけはあったそうです。俺たちは古い土台へ新しい機関を繋いで、出力を調整してる」
「つまり、ルミナスの人々が大地を浮かべたわけではない?」
「今の高さまで持ち上げて、安定させたのは俺たちの技術です。でも、最初に浮かせたのが誰かは……記録がありません」
上層では、魔導技術によって空へ築かれた国だと聞いた。
それは間違いではないのだろう。
だが、その礎まで彼らが造ったわけではない。
現代の技術の下に、正体の分からない古代の何かが埋まっている。
不意に、遠くから水音が聞こえた。
一滴。
また一滴。
やがて小さな流れとなり、石壁の奥を走っていく。
「水が流れているのですか」
「そんなはずはない。この区画の水路は、ずっと前に閉鎖されています」
ノアの測定器に表示された数値が跳ね上がる。
『近いわ』
セレスの声が低くなる。
『この先にいます』
通路の終わりに、巨大な石扉が現れた。
高さは俺の三倍以上。
金属製の補強も、取っ手もない。左右の石壁と一つに繋がり、初めから開くことを想定していないように見える。
扉の中央には、一人の人影が彫られていた。
両腕で抱えた大きな水瓶を、ゆっくりと傾けている。
水瓶から流れ落ちた水は川となり、森を潤し、街を巡り、最後には幾筋もの流れとなって空へ昇っていた。
「こんな場所、整備図面には載ってない……」
ノアが石扉へ近づく。
「セレス。青い人影は?」
『扉の前にいます』
「俺には見えません」
『ええ。けれど、水瓶へ手を触れています』
その直後だった。
ノアの測定器が、甲高い警告音を発した。
「水属性反応、急上昇! 下がってください!」
俺はノアの肩を掴み、石扉から引き離した。
浮き彫りの水瓶へ、淡い青色の光が灯る。
光は刻まれた水の流れに沿って広がり、森を、街を、大地を巡っていく。
最後の一筋が空へ届いた瞬間、足元から低い振動が突き上げた。
遠くで、巨大な鎖が軋む。
浮遊機関の回転音が、一度だけ大きく乱れた。
「また出力が……」
ノアは測定器を確認し、すぐに通信機を取り出した。
「この区画は、俺の権限じゃ判断できない。統括技師へ連絡します」
セレスへ触れていた指先が、熱を感じた。
表紙に刻まれた獅子座の紋章が、内側からわずかに熱を帯びている。
「セレス」
返事はない。
「この水瓶を、知っているのか?」
長い沈黙。
石壁の奥を流れる水音だけが続いている。
やがて、セレスから静かな声が返ってきた。
『確かめる前に話せば、あなたを間違った場所へ導くことになるわ』
「それでも、何かを知っているんだな」
再び、沈黙が落ちる。
そして――
『……今は、何も言えません』




