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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
幕間 勇者誕生
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外伝 第2話 極光と魔眼

 白金色の斬撃が、黄昏の広場を駆け抜けた。

 両断されたレッサーデーモンの身体が、黒い灰となって崩れていく。

 私の握る騎士剣には、まだ極光の残滓が揺らめいていた。


 白。

 金。

 青。

 紫。

 いくつもの色を内包した光の帯が、風に揺れる薄布のように刀身へ纏わりついている。


「……極光?」

 燕尾服を着た魔族から、初めて笑みが消えた。

 血を固めたような暗赤色の瞳が、私を凝視している。


「まさか、この世界にはすでに――勇者が……?」


 勇者。

 その言葉が何を意味しているのか、私にはまだ分からない。

 分かっているのは、私の背後に傷ついた父がいるということ。

 逃げ遅れた人たちがいるということ。

 そして、目の前には今も異形の魔物たちが立っているということだけだった。


「父様をお願いします!」

 駆けつけた騎士たちへ叫ぶ。

 二人の騎士が父のもとへ走り、その身体を抱え上げた。


「セフィリア……お前も……」


「すぐに追いつきます」


 父の顔は青ざめていた。

 脇腹から流れた血が、騎士の腕を赤く濡らしている。

 それでも息はある。

 生きている。


「行ってください!」

 騎士たちは一瞬だけ迷ったものの、父を抱えて広場の外へ走り始めた。

 その背中へ、レッサーデーモンの一体が狙いを定める。

 獣のように折れ曲がった両脚が、石畳を砕いた。

 黒い翼を広げ、一気に騎士たちへ飛びかかる。


「行かせない!」

 私は地面を蹴った。


 身体の内側を極光が走る。

 今までとは比べものにならないほど、身体が軽い。

 景色が後ろへ流れ、次の瞬間にはレッサーデーモンとの間合いへ入っていた。

 魔物が振るった爪へ、騎士剣を斜めに合わせる。

 正面から受け止めない。

 力の向きをずらし、身体の横へ流す。

 刃と爪が接触し、甲高い音が響いた。

 腕が痺れる。

 それでも剣は弾かれなかった。

 そのまま半歩踏み込み、無防備になった胴体へ剣を走らせる。

 白金色の刃が、硬い皮膚を抵抗なく切り裂いた。

 レッサーデーモンの巨体が傾く。

 私は剣を返し、斜め下から首を斬り上げた。

 切断された頭部が宙を舞う。

 地面へ落ちるよりも早く、身体とともに黒い灰へ変わっていった。


 倒せる。

 この力があれば、私にも戦える。

 そう思った瞬間、頭上から咆哮が響いた。

 二体のレッサーデーモンが、破れた翼を広げて飛びかかってくる。

 

 一体は右。

 もう一体は左。

 同時に攻撃を受ければ、防ぎ切れない。

 私は噴水へ向かって走った。

 背後から爪が迫る。

 水の止まった噴水を踏み台にして跳び上がり、空中で身体を捻る。

 二体のレッサーデーモンが、私を挟み込むように両腕を振るった。


 その瞬間、私は身を沈める。

 交差した爪が互いの肩へ突き刺さった。

 異形の魔物たちが、苦痛の咆哮を上げる。


「はああっ!」

 着地と同時に踏み込む。

 腰を回し、騎士剣を横薙ぎに振るった。

 極光が一本の線となり、二体の胴体をまとめて斬り裂く。

 黒い血が噴き出すより早く、傷口から白金色の光が広がった。

 二体のレッサーデーモンが内側から焼かれ、次々と灰へ変わっていく。


「見事なものです」

 拍手の音が聞こえた。


 燕尾服の魔族が、広場の中央で手を叩いている。

 自らが連れてきた魔物を倒されたというのに、その表情に焦りはなかった。


「覚醒直後とは思えない力です。なるほど。これが、この世界に選ばれた勇者ですか」

 魔族が片手を上げる。

 残るレッサーデーモンたちが、一斉に動きを止めた。

 そして、男の指先が私へ向けられる。


「では、もう少し調べてみましょう」

 レッサーデーモンたちが散開した。


 正面から二体。

 左右の建物へ一体ずつ。

 さらに背後の裂け目から現れた一体が、空へ舞い上がる。


 囲まれる。


「盤上の駒は、使い方次第で価値が変わります」

 男は穏やかに告げた。


「たとえ弱い駒でも、配置を整えれば強者の命を奪えるものです」


 屋根へ飛び乗ったレッサーデーモンが、口を開いた。

 喉の奥に赤黒い炎が灯る。

 左右から同時に炎が放たれた。

 私は前方へ走る。

 二つの炎が背後で衝突し、爆発した。

 熱風が背中を焼く。

 その前方から、二体のレッサーデーモンが迫っていた。

 鋭い爪が上下から振るわれる。

 上段の爪を屈んで避け、下段の爪へ剣を滑らせる。

 軌道を外された爪が石畳へ食い込んだ。

 私は片方のレッサーデーモンの懐へ入り、胸へ刃を突き立てる。

 極光が剣先から身体の内側へ流れ込んだ。

 巨体が激しく痙攣する。

 剣を引き抜き、背後へ振り返る。

 もう一体の爪が眼前まで迫っていた。

 避けられない。


「――【極光一閃アウロラ・セイバー】!」

 白金色の斬撃を放つ。

 爪が砕け、そのままレッサーデーモンの胸部を斜めに切り裂いた。

 二体の身体が、ほぼ同時に灰となる。


 けれど――。


「はあっ……はあっ……」

 呼吸が乱れていた。


 極光を纏っているはずなのに、両腕が重い。

 胸の奥から湧き上がっていた力が、少しずつ細くなっている。

 それでも、立ち止まることはできない。

 頭上に影が差した。

 空へ舞い上がっていたレッサーデーモンが、翼を畳んで急降下してくる。

 私は剣を両手で握り直した。

 振り下ろされた爪を、刃の腹で受ける。

 重い。

 足元の石畳が砕け、靴底が地面へ沈み込んだ。


「くっ……!」

 力で押し切られる。


 レッサーデーモンの裂けた口が、目の前で歪んだ。

 鼻を突く腐臭。

 細かな牙の隙間から、濁った唾液が落ちてくる。

 私は右足を引いた。

 正面から受けていた力を横へ流し、身体を半回転させる。

 支えを失ったレッサーデーモンの巨体が、私の横を通り過ぎた。

 その首筋へ剣を振り下ろす。

 極光を纏った刃が、首を断ち切った。

 残りの二体が、建物の屋根から飛びかかる。

 同時に相手をする余力はない。

 私は地面に落ちた荷車の残骸を蹴り上げた。

 板と野菜の入った木箱が、片方のレッサーデーモンの視界を塞ぐ。

 もう一体へ踏み込む。

 振るわれた爪を剣で弾き、脇の下へ潜り込む。

 背後へ抜けながら、片膝の裏側を斬りつけた。

 レッサーデーモンの身体が崩れる。


 その背中を駆け上がり、肩を踏み台にして跳んだ。

 荷車を払い除けたもう一体が、私を見上げる。

 空中で騎士剣を両手に構えた。

 残る極光を刀身へ集中させる。


「これで――最後!」

 落下する勢いを加え、剣を振り下ろした。

 白金色の斬撃がレッサーデーモンを頭部から両断し、その下にいた一体の胸まで切り裂く。

 二体の身体が黒い灰となって舞い上がった。

 広場から、レッサーデーモンの姿が消える。


「やった……」

 着地すると同時に、膝が揺れた。

 剣を地面へ突き立て、どうにか身体を支える。

 身体が熱い。

 心臓が、胸を突き破りそうなほど激しく脈打っている。

 極光を使うたびに、身体の内側にある何かが削られていく。

 そんな感覚があった。


「実に素晴らしい」

 変わらぬ拍手が響く。

 燕尾服の魔族だけが、戦いの始まる前と同じ場所に立っていた。


「剣術も予想以上です。力に溺れ、ただ剣を振り回すだけの娘かと思っていましたが――訂正いたしましょう」

 魔族は右手を胸へ添え、優雅に一礼した。


男爵級下位ブラック・ポーン――ヴァルゼク」

 初めて、その名を口にする。


「我らが盤上においては、末席にすぎぬ者です。以後、お見知りおきを。もっとも――」


 ヴァルゼクが顔を上げる。

 暗赤色の瞳に、冷たい光が宿っていた。


「あなたが、ここで生き残れたならばの話ですが」

 ヴァルゼクの掌へ、魔力が集まる。

 影ではない。

 ただ圧縮され、鋭く研ぎ澄まされた魔力。

 それが細長く引き伸ばされ、一本の黒い槍を形作った。

 父を傷つけたものと同じ攻撃。

 ヴァルゼクが軽く腕を振る。

 魔力の槍が放たれた。

 私は騎士剣を振り上げる。

 極光の刃と魔力の槍が衝突し、激しい光が弾けた。

 槍が二つに割れ、私の左右へ逸れる。

 背後の石畳が爆ぜた。


「まだです」


 二本目。


 三本目。


 ヴァルゼクの周囲に、次々と魔力の槍が形成される。

 片手を振るうたび、黒い槍が高速で飛来した。


 一つを斬る。

 身体を傾けて二つ目を避ける。

 三つ目を剣の腹で受け流す。

 四つ目が左肩を掠めた。

 青い上衣が裂け、血が滲む。


「くっ……!」

 痛みに耐えながら、前へ出る。

 距離を取れば、一方的に狙われ続ける。

 ヴァルゼクは私が近づいても動かない。

 穏やかな笑みを浮かべたまま、足元を指差した。


「勇者という存在は、影を持たないのでしょうか?」


 私の足元で、影が揺れた。

 夕日の方向へ伸びていたはずの影が、生き物のように盛り上がる。

 黒い帯が両足首へ絡みついた。


「――【影縛り(シャドウ・バインド)】」


 足が動かない。

 走っていた勢いを殺せず、私は前方へ倒れ込んだ。

 石畳へ手をつく。

 その頭上へ、魔力の槍が形成される。

 私は剣を地面へ突き立て、極光を流し込んだ。

 白金色の光が足元から広がる。

 影の帯が煙を上げ、少しずつ焼き切れていく。


「影へ干渉しますか。やはり、厄介な属性ですね」

 ヴァルゼクが指を横へ振った。

 周囲の建物や瓦礫から伸びる影が、薄い刃へ姿を変える。


「――【影刃シャドウ・エッジ】」


 黒い刃が、一斉に放たれた。


 左右。


 正面。


 視界の外にある背後の影からも、刃が迫る。

 私は影縛りを焼き切り、その場から横へ跳んだ。


 一枚目を剣で弾く。

 二枚目を屈んで避ける。

 三枚目が頬を掠め、四枚目が右脚を切り裂いた。


 浅い。

 まだ動ける。

 地面を蹴り、ヴァルゼクとの間合いを詰める。


「接近を選びますか」

 ヴァルゼクの両手から、黒い爪が伸びた。

 白い手袋を突き破り、指先を覆うように湾曲していく。


 私が剣を振るう。

 ヴァルゼクは右手の爪で受け流し、左手で喉を狙った。

 身体を反らして避ける。

 爪の先端が首筋を掠め、薄い痛みが走る。

 すぐに剣を返す。

 横薙ぎの刃を、ヴァルゼクが後方へ跳んで避けた。

 燕尾服の裾だけが斬れ、黒い布が宙を舞う。


「いい剣です」

 再び爪が迫る。


 右。


 左。


 正面。


 攻撃は速い。

 けれど、指南役の剣とは違う。

 ヴァルゼクの爪には、相手を斬ることよりも、痛めつけることを楽しむ余分な動きがある。

 私は爪の軌道へ剣を合わせた。


 一撃目を弾く。

 二撃目を受け流す。

 三撃目の下へ潜り込む。


 柄頭をヴァルゼクの顎へ叩き込んだ。


「ぐっ……!」

 初めて、ヴァルゼクの身体が仰け反った。

 その胸元へ、極光を纏った剣を斬り上げる。

 燕尾服と白いシャツが裂けた。

 人間の血よりも黒く、粘り気を持つ液体が傷口から流れ出す。

 ヴァルゼクが大きく後退した。


「私の身体を……」


「まだ、終わっていません!」

 追いかける。

 剣を振り下ろす。

 ヴァルゼクは爪を交差させて受け止めた。

 白金色の光と影が衝突する。

 衝撃が広場を走り、噴水に残っていた水が激しく舞い上がった。


「なるほど……!」

 ヴァルゼクの笑みが消えていく。


「確かに、力だけならば私を上回る!」


 ヴァルゼクの足元から大量の影が噴き出した。

 何本もの黒い帯が、私の手足へ絡みつく。

 影縛り。

 先ほどよりも遥かに強い。

 極光を流し込んでも、すぐには焼き切れない。

 ヴァルゼクが右腕を引いた。

 黒い爪が私の胸へ迫る。

 避けられない。

 私は足元へ力を込めた。

 影に縛られた左脚を、あえて動かさない。

 それを軸として身体を回転させる。

 爪が脇腹を掠めた。

 痛みとともに血が飛ぶ。

 それでも構わず、騎士剣を振り抜く。

 白金色の刃が、ヴァルゼクの右腕を斬り飛ばした。


「な――!」

 切断された腕が石畳へ落ちる。

 傷口から噴き出した黒い血が、燕尾服を濡らした。

 影縛りが緩む。

 私は残る力を極光へ変え、一気に影を焼き払った。


 踏み込む。

 ヴァルゼクは、まだ体勢を立て直せていない。

 今なら届く。

 あと一歩。

 私は騎士剣を振り上げた。

 極光を纏った刃が、ヴァルゼクの首へ迫る。


 あと僅か。

 指一本分にも満たない距離。


 その瞬間――白金色の光が消えた。


「……え?」

 腕から力が抜ける。

 騎士剣が止まった。

 息が吸えない。

 足の感覚がなくなり、視界が大きく揺れる。

 極光を使い切った。

 それだけではない。

 覚醒によって急激に引き上げられた身体能力へ、私自身の肉体が耐えられなくなっていた。

 膝が石畳へ落ちる。

 剣が手から滑り、乾いた音を立てた。


「……惜しい」

 ヴァルゼクの声が聞こえる。

 片腕を失いながらも、その顔には再び笑みが浮かんでいた。


「本当に、あと半歩でした」

 残された左手が、私の首を掴む。

 身体が持ち上げられた。

 振りほどこうとしても、腕が動かない。


「勇者の力は本物です。しかし、あなたはご自身の力をまるで理解していない」

 周囲の影が、ヴァルゼクの背後へ集まっていく。

 一枚の巨大な影刃が形成された。


「これで終わりです」

 黒い刃が、私の心臓へ向けられる。


 その時だった。

 遠い空から、雷鳴のような音が響いた。

 ヴァルゼクが顔を上げる。

 夕闇へ変わり始めた空を、一隻の高速魔導艇が切り裂いていた。

 一般的な魔導艇よりも遥かに細く、長い船体。

 後部には幾重もの魔法陣が展開され、そこから噴き出す青白い光が、夜空へ一本の軌跡を描いている。


「何ですか……あれは」

 ヴァルゼクの暗赤色の瞳が、初めて見る異質な飛行物体を捉える。


 高速魔導艇は、まだ遥か上空にいる。

 その船体側面の扉が開いた。

 扉の内側には、操縦席へ座る一人と、後部の魔導機関へ手を添える一人。

 二名の騎士の姿が見えた。

 そして、二人の間に立っていた赤髪の男が、躊躇なく空中へ身を投じる。

 男を送り出した高速魔導艇はそのまま旋回し、広場から離れた魔導列車駅の貨物区画へ向かって降下を始めた。


「な――」


 赤髪の男が、真っ直ぐ広場へ落下してくる。

 風にはためく長いシャツ。

 背後には、装飾のほとんどない鞘へ納められた長剣。

 男が石畳へ着地した。

 轟音が響く。

 地面が大きく沈み、放射状の亀裂が走った。

 巻き上がった砂埃の中から、男の腕が伸びる。

 ヴァルゼクの左手首を掴んだ。


「勇者を離せ」


「貴様――!」

 ヴァルゼクが影刃を放つ。

 男は私の身体を抱き寄せると、僅かに首を傾けた。

 影刃が頬の横を通り過ぎる。

 ただ、それだけだった。

 男の左目は、すでに開かれていた。

 瞳孔が縦に細長く変化している。

 人間のものではない。

 獲物のすべてを見透かす、竜の眼。

 その魔眼が、ヴァルゼクの身体を見据えた。


「なるほど。心臓とは別に、魔力核を持っているのか」


 ヴァルゼクの顔色が変わった。


「なぜ、それを――」


 男の右手が、背後の長剣へ伸びる。

 抜いた瞬間は、見えなかった。

 剣閃も。

 踏み込みも。

 男がヴァルゼクの横を通り過ぎた時には、すでに長剣は鞘へ戻っていた。


「もう終わっている」


 ヴァルゼクの胸元へ、細い線が走る。

 それは人間の心臓から僅かに外れた位置。

 魔族の身体を巡り続けていた魔力が、一点から崩壊し始めた。


「ばか、な……」

 ヴァルゼクの暗赤色の瞳が揺れる。


「男爵級とはいえ……この私が……人間ごときに……」


「隠すなら、もう少し上手く隠せ」


 ヴァルゼクの身体が内側から割れた。

 黒い光が傷口から溢れ、肉体が細かな灰へ変わっていく。


 男爵級下位ブラック・ポーンヴァルゼク。


 私が全力を尽くしても倒し切れなかった魔族は、名も知らない男の一振りによって瞬殺された。

 ヴァルゼクの消滅と同時に、次元の亀裂が激しく揺らいだ。

 裂け目の縁が崩れ始め、向こう側の景色が歪んでいく。

 ヴァルゼクが、こちら側から亀裂を固定する楔となっていたのだ。


 赤黒い雲。

 浮かぶ岩山。

 蠢く巨大な影。

 そのすべてが、閉じていく亀裂の向こうへ呑み込まれていく。

 やがて空間が甲高い音を立て、亀裂は一本の黒い線へ戻った。

 最後に硝子が砕けるような音が響く。

 黒い線が消えた。

 黄昏の空が戻ってくる。


 赤髪の男が、開いていた左目を静かに閉じた。

 魔導列車駅の方向から、高速魔導艇の駆動音が近づいてくる。

 貨物区画へ艇を着陸させた二名の騎士が、広場へ駆け込んできた。

 一人は片手に剣を持ち、周囲に残る異界の気配を警戒している。

 もう一人は救護用の鞄を抱え、倒れている騎士たちのもとへ向かった。


「団長、周囲の警戒に入ります!」


「艇の機関に損傷がありますが、緊急修理で帰還可能です!」


「修理は後だ。今は負傷者を優先しろ」


「承知しました!」

 二人の従騎士が、それぞれの役割へ散っていく。


 赤髪の男は私を抱きかかえたまま、低い声で告げた。


「よく持ちこたえた」

 もう、指一本動かせなかった。


「休め。あとは俺たちの仕事だ」


 その言葉を最後に、私の意識は暗闇へ沈んだ。


          ◇


 あの男が、なぜリュミエールへ現れることができたのか。

 その理由を私が知ったのは、戦いが終わった後だった。


 亀裂が発生する数時間前。

 世界各国の代表者のもとへ、同じ声が降りていた。

 ヴァルディア王国。

 帝国。

 ルミナス魔導連合。

 そして、世界各地に存在する国や自治領。


 場所も時刻も異なるはずの各国で、同時にすべての音が止まった。

 光が集まり、その場にいた代表者たちの意識へ直接声が届く。


 ――告げます。

 ――世界の境界が破られます。

 ――異界に存在する魔族による侵攻が、これより始まります。

 ――そして、ヴァルディア王国において、災厄へ抗う者が選ばれます。

 ――その者を、勇者と呼びます。


 声は、それだけを告げて消えた。


 具体的な場所も、正確な時刻も分からない。

 しかし、複数の国家の代表者が同じ言葉を聞いた以上、幻聴や偽りとして片づけることはできなかった。

 各国はただちに、魔導通信を使った緊急会議を開始した。


 王都ヴァルエスト。

 王城地下の魔導通信室。

 巨大な円卓の中央へ、各国代表者の姿が立体映像として映し出されていた。


『帝国でも、まったく同じ言葉を確認している』


『ルミナス魔導連合に所属する全浮遊島へ警戒態勢を発令しました』


『発生地点が分からぬ以上、軍を一か所へ集めるのは危険だ』


『しかし、勇者が選ばれるのはヴァルディア王国内だと告げられた』


 議論が続く中、ヴァルディア国王は円卓の後方へ立つ男を振り返った。

 赤い短髪。

 閉じられた左目。

 簡素な長剣を背後へ佩いた、王国騎士団長。


「ブラノール」


「はい」


「騎士団の大部隊を動かしていては間に合わん。お前は専用艇で出ろ」


 ブラノールが片膝をつく。


「行き先は」


「現時点では分からん。だが、勇者が王国内で選ばれるのならば、必ず異変も王国内で起きる」


「上空で待機し、異変が確認され次第、現地へ向かえということですか」


「そうだ」

 国王は短く息を吐いた。


「世界の命運を、一人へ背負わせるつもりはない。勇者を見つけ、必ず守れ」


「承知しました」


 ブラノールは一礼し、通信室を後にした。

 王城の飛行場には、一隻の魔導艇が用意されていた。

 騎士団長専用高速魔導艇。

 兵員の大量輸送や大型兵装を捨て、速度と即応性だけを追求した特殊艇である。

 通常の魔導艇に比べて船体は細く、後部には複数の推進術式が直列に配置されている。

 ブラノールとともに乗り込むのは、彼の直属となる二名の従騎士だった。

 二人とも、騎士として十分な戦闘能力を備えている。

 敵地へ降りた際にはブラノールの援護や周辺警戒を担当し、並の魔物であれば問題なく対処できる。

 だが、この艇における主な役割は、ブラノールと機体の補助だった。

 一人が操縦と通信を担当する。

 もう一人は推進術式の調整、魔導機関の点検、飛行中に発生した故障への応急処置を受け持つ。

 最大出力での飛行中は、僅かな術式の乱れが致命的な事故へ繋がる。

 高速魔導艇の性能を限界まで引き出すには、二人の補助が不可欠だった。


「主推進術式、起動しました」


「王城との通信回線を接続。いつでも出られます」

 二名の従騎士から報告を受け、ブラノールが頷く。


「出るぞ」


 高速魔導艇が王城の飛行場を離れ、王都上空へ舞い上がった。

 王国内を広く見渡せる上空で待機していた時、通信担当の従騎士が顔を上げる。


「団長、緊急通信です。発信元は――リュミエール魔導列車駅!」


 通信機から、激しい雑音が響いた。


『こちら、リュミエール魔導列車駅!』

 雑音の向こうから、切迫した声が聞こえる。


『中央広場上空に、正体不明の空間亀裂が発生! 異形の人型存在および、複数の魔物を確認!』


 背後で爆発音が鳴った。


『現在、駐留騎士団が住民の避難を――』


 通信が途絶える。


「発信地点を特定。リュミエール中央駅です!」


「進路をリュミエールへ。推進術式の制限をすべて解除しろ」


 ブラノールの命令に、機関を担当する従騎士が後部計器を確認する。


「最大出力では、機関がどこまで保つか分かりません」


「到着するまで保たせろ」


「承知しました!」

 後部に配置された複数の推進術式が、一斉に最大出力へ切り替わる。

 艇内へ激しい振動が走る。

 機関担当の従騎士は後部区画へ移動し、過熱を始めた魔力導管へ冷却術式を施していく。

 操縦を担当する従騎士は、揺れる操縦桿を両手で押さえ込んだ。

 高速魔導艇が、空を切り裂く。

 やがて前方に、黒煙を上げるリュミエールの町が見えた。


「中央広場を確認!」

 操縦担当の従騎士が、遠見の術式を拡大する。


「勇者と思われる人物が、魔族に捕らえられています!」


 ブラノールが側面扉へ手をかける。


「ここから降りる。艇は二人に任せた」


「団長、まだ着陸可能な高度ではありません!」


「だから、俺だけ先に行く」


 側面扉が開き、猛烈な風が艇内へ吹き込んだ。


「お前たちは駅の貨物区画へ着陸しろ。到着後は負傷者の救護と周辺警戒を優先。残存する魔物がいた場合は二人で対処しろ」


「承知しました!」


 ブラノールは遥か下方にある中央広場を見据える。

 閉じられていた左目が開き、瞳孔が竜のように縦へ細長く変化した。

 そして、躊躇なく高速魔導艇から飛び降りた。


          ◇


 目を覚ますと、見慣れた天井があった。

 領主邸にある、私の部屋だった。

 窓の外は暗い。

 遠くから、人々の声と資材を運ぶ音が聞こえてくる。


「父様……!」

 身体を起こそうとした瞬間、全身に激痛が走った。


「動くな」

 低い声がした。


 部屋の壁際に、あの赤髪の男が立っていた。


「父は……父様は無事なのですか?」


「傷は深かったが、命に別状はない。治癒術師が処置を終えている」


 胸の奥から力が抜けた。


「よかった……」


「広場にいた住民も、駐留騎士団が早い段階で避難させた。負傷者は多いが、死者はいない」


 奇跡だった。

 村の一部は焼け、中央広場も壊された。

 それでも、誰も命を失わなかった。


「あの……あなたは?」


 男は壁から背を離し、私の前へ歩いてくる。


「ヴァルディア王国騎士団長、ブラノールだ」


「騎士団長……」


 その名は知っている。

 王国に暮らす者なら、誰もが一度は聞いたことがある。

 王国最強の騎士。

 マスター・ブラノール。


「国王陛下の命により、勇者を迎えに来た」


「勇者……私が、本当に……?」


「ほかに光を纏って魔族と斬り合う娘がいるなら、紹介してくれ」


 冗談なのか、本気なのか分からない口調だった。

 ブラノールは、私の傍らに置かれていた騎士剣へ視線を向ける。


「剣筋は悪くない」


「ありがとうございます」


「だが、力の使い方は最悪だ」


「……はい」


「あれだけの魔力を一振りごとに放出すれば、先に自分が倒れる。今回は俺が間に合ったが、次も助けが来るとは限らない」


 何も言い返せなかった。

 ヴァルゼクへ剣が届いていながら、私は最後の一歩を踏み込めなかった。

 力を使い切り、殺されかけた。


「私は……どうすればいいのでしょうか」


 ブラノールは、しばらく私を見つめていた。


「学べ」


「え?」


「光に頼る前に、身体の使い方を覚えろ。魔力を百使って敵を斬るのではなく、十で斬る方法を身につけろ」


 ブラノールの手が、背後の長剣へ触れる。


「生き残るための剣を、俺が教える」


 その言葉に、私は目を見開いた。


「騎士団長であるあなたが、私に……?」


「勇者を守れというのが陛下の命だ。だが、四六時中お前の隣に立っているわけにもいかん」


 ブラノールは、疲れたように息を吐く。


「ならば、お前自身を強くするのが一番早い」


 差し出された手を見る。

 勇者になった実感は、まだなかった。

 世界を守る覚悟も、魔族と戦い続ける未来も、すぐには受け入れられそうにない。

 それでも。

 もう二度と、守りたい人の前で力尽きたくなかった。

 私は、ブラノールの手を取る。


「お願いします。私に剣を教えてください」


「ああ」

 閉じられたブラノールの左目が、僅かに細められた。


「まずは、その身体が動くようになってからだ」


 この日。

 私は勇者として、初めて魔族と戦った。

 そして――。

 後に私の剣の師となる、マスター・ブラノールと出会った。

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