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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第三章 砕けぬ門、逆流する水
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第39話 崩壊

 水面が、内側から持ち上がった。

 膨れ上がった水が封印区画の天井へぶつかり、激しい水音が地下空間を揺らす。


 「全員、下がれ!」

 隊長を務めるCランク冒険者――大盾使いのガレスが叫んだ。


 俺たちが後退した直後、水面から巨大な前脚が突き出す。

 石床を叩き割ったのは、岩の塊と見紛うほど太い脚だった。

 黒褐色の外殻。

 折り重なった岩盤のような装甲の隙間から、青白い光が脈打っている。

 続いて、竜を思わせる巨大な頭部が水中から現れた。

 低く潰れた鼻先。

 裂けた口からは、湾曲した牙が何本も覗いている。

 頭部から背中、四本の脚に至るまで、全身が岩石に似た外殻で覆われていた。

 だが、それ以上に異様なのは、その周囲を流れる大量の水だった。

 水は巨体に纏わりつき、まるでもう一枚の皮膚のように絶えず循環している。


 魔物が一歩踏み出す。

 太い脚が石床へ沈み込み、封印区画全体が大きく揺れた。


 「竜……なのか?」


 『いいえ。水棲竜種に近い亜種です。真竜ほどの力はありません』

 腰に提げたセレスから、冷静な声が届く。


 『ですが、岩石を取り込んで形成した外殻と、全身を覆う水の膜。通常の個体にはない特徴です』


 「十分、化け物に見えるけどな」

 刀の柄へ手をかける。

 魔物が頭を持ち上げ、喉元を大きく膨らませた。

 空気中の水分が吸い寄せられ、その口内へ集束していく。


 「来るぞ!」

 ガレスが大盾を石床へ突き立てる。


 直後。

 魔物の口から、圧縮された水の奔流が放たれた。


 「ぐっ――!」

 水流が大盾へ激突する。

 金属が軋み、ガレスの両足が石床を削りながら後退した。

 水しぶきが弾け、視界が白く染まる。


 「ラウル!」


 「分かってる!」


 槍使いのラウルがガレスの横から飛び出した。

 長槍を脇へ引き絞り、魔物の前脚へ鋭い突きを放つ。

 狙いは外殻の継ぎ目。

 正確な一撃だった。

 だが、槍の穂先が外殻へ届く直前、魔物を覆う水の膜が渦を巻く。

 穂先が横へ流された。


 「なっ――」

 軌道を逸らされた槍が、硬い外殻の表面を滑る。

 甲高い音。

 刃は薄い傷すら残せなかった。

 魔物が前脚を振り上げる。


 「ラウル、戻れ!」

 ガレスの声に、ラウルが槍を引きながら後ろへ跳ぶ。

 一瞬前まで立っていた場所へ、岩塊のような前脚が叩きつけられた。

 石床が陥没する。

 砕けた石片が散弾のように飛び散り、ガレスの大盾を激しく打った。


 「ミレナ、援護を!」


 「任せて!」

 後方にいた魔術師のミレナが杖の先端を魔物へ向ける。

 その足元に、赤い魔法陣が広がった。


 「――火弾【イグニス・テルム】!」


 魔法陣から生まれた炎の弾丸が、水路の薄闇を赤く染めながら飛翔する。

 火弾は魔物の顔面へ直撃した。

 炎が爆ぜる。

 橙色の火花と白煙が広がり、魔物の頭部を覆い隠した。


 「当たった!」

 ミレナの声が響く。


 だが。

 煙の奥から現れた魔物の外殻には、焦げ跡一つ残っていなかった。

 全身を覆う水の膜が激しく波打っている。

 火弾の熱は外殻まで届かず、循環する水によって呑み込まれていた。


 「魔法まで防ぐのかよ……!」

 ラウルが槍を構え直す。


 『あの水膜は、単なる水ではありません』

 セレスの声が頭の中へ響く。


 『魔力によって一定方向へ循環し、受けた衝撃を全身へ分散しています。生半可な斬撃や魔法では、外殻まで届かないでしょう』


 「確かめてみる」

 鞘から刀を抜く。

 魔力を脚へ流し、そこへ風属性を重ねた。


 「《魔力身体強化・速》」

 淡い緑色の魔力が両脚を駆け抜ける。

 石床を蹴る。

 一歩で魔物との距離を詰め、その左前脚へ刀を走らせた。

 刃が水膜へ触れる。

 斬った感触がない。

 水が刀身へ絡みつき、斬撃の軌道を外側へ押し流していく。

 強引に押し込もうとした瞬間、魔物の長い尾が横から迫った。


 「――っ!」

 脚へ流す風の出力を上げ、後方へ跳ぶ。

 鼻先を岩の尾が通過した。

 巻き起こった風圧だけで身体が浮き、石床へ叩きつけられる。

 片手をついて衝撃を逃がし、そのまま立ち上がった。


 「斬撃も魔法も通さない。厄介だな」


 『水の流れを止める必要はありません』


 「止めなくていい?」


 『ええ。循環を一時的に乱せばいいのです』


 その言葉で、姉との訓練を思い出した。

 訓練用の模擬剣へ火属性の魔力を流し、刀身そのものを魔力路として扱った感覚。

 水の球体へ触れた瞬間、熱せられた水が蒸気となって爆ぜた。

 水膜を力任せに突破する必要はない。

 水である以上、熱を加えれば性質は変わる。


 「ガレスさん! 少しだけ、こいつの頭を押さえられますか!」


 「何か手があるんだな!」


 「はい。外側の水を剝がします!」


 「よし。ラウル、右へ回れ! ミレナはいつでも撃てるようにしておけ!」

 ガレスが大盾を構え、魔物の正面へ駆け出した。


 「こっちだ、岩頭!」


 盾の縁を叩き、わざと大きな音を立てる。

 魔物の青白い目がガレスへ向いた。

 口が開く。

 鋭い牙が並んだ顎が、大盾ごとガレスを噛み砕こうと迫った。


 「ぬおおおっ!」

 ガレスは一歩も退かず、上下の牙の間へ大盾を差し込んだ。

 牙と盾が激突する。

 鈍い轟音。

 ガレスの膝が沈み、石床へ亀裂が走る。


 「今だ!」

 俺は刀を正眼に構えた。

 体内を巡る魔力へ火属性を加え、その流れを肩から腕、柄を通して刀身へ導く。

 刃の根元に赤い光が灯る。

 光は細い筋となって刀身を駆け上がり、やがて刃全体を包み込んだ。

 炎を放つのではない。

 刀という器の内側へ、火属性の魔力を纏わせる。


 「――焔纏フランマ・アムィクトゥス


 刀身から赤い陽炎が立ち上った。

 石床を蹴る。

 魔物の右前脚へ接近し、下段から斬り上げた。

 赤熱した刃が水膜へ触れる。

 激しい蒸発音。

 水が白い蒸気へ変わり、刀の軌道に沿って水膜が大きく裂けた。

 岩の外殻が露出する。


 『今です!』


 「分かってる!」


 水膜を破っただけでは足りない。

 内側にある岩の装甲を壊さなければ、刃は肉へ届かない。

 刀を大上段へ振り上げる。

 斬るのではない。

 刀身を通じて、衝撃を外殻の内側へ叩き込む。

 全身を巡る魔力を身体の中心へ戻す。

 風を解き、火属性へ切り替える。

 刀が外殻へ触れる、その刹那。


 「《魔力身体強化・剛》!」

 赤い魔力波が全身から迸った。

 足裏、膝、腰、背中、肩、腕。

 身体の軸を通った力が刀身へ流れ込み、一点へ集束する。

 視界の端で、赤金の鬣が揺れた。

 巨大な獅子の顎が魔物の右前脚を上下から挟み込む。


 「――獅噛破打レディル・フェリーレ!」


 振り下ろした刀が、上顎の牙と重なった。

 轟音。

 刀身から送り込まれた衝撃が、岩の外殻の内側で爆ぜた。

 表面に細い亀裂が走る。

 一本。

 二本。

 蜘蛛の巣状に広がった亀裂が外殻全体を覆い、次の瞬間、岩の装甲が内側から砕け散った。

 露出した青黒い皮膚から、濁った血が噴き出す。

 魔物が絶叫した。

 ガレスを噛み砕こうとしていた顎が離れ、巨体が激しく身を捩る。


 「離れろ!」

 ガレスの声が響く。


 俺は《速》へ切り替え、魔物の前脚から距離を取った。

 直後、全身を覆っていた水膜が外側へ弾けた。

 無数の水弾が封印区画を埋め尽くす。

 ガレスが大盾を構える。

 ミレナは水路管理官を庇うように杖を振り、目の前へ魔力障壁を展開した。

 俺は刀を振り、迫る水弾を斬り落とす。

 だが、すべては防ぎきれない。


 「ぐあっ!」

 ラウルの声が上がった。

 細く圧縮された水弾が右脇腹を掠め、革鎧を斬り裂いていた。

 血が噴き出す。

 ラウルは槍を支えに片膝をついた。


 「ラウル!」


 「これくらい……まだ動ける!」

 立ち上がろうとするラウルを、ガレスが盾で庇う。


 「無理をするな! 傷口を押さえていろ!」


 魔物が四本の脚を石床へ叩きつけた。

 砕けた右前脚の外殻から血を流しながら、中央の石台へ身体を向ける。

 その視線は、俺たちへ向いていなかった。

 石台の正面。

 水瓶を模した古い浮き彫りが、青白い光を放っている。


 『レグルス。あの魔物は、石台から溢れる魔力に引き寄せられています』


 「止めないと、どうなる?」


 『封印そのものが壊れます』


 魔物が石台へ突進した。


 「させるな!」

 ガレスが進路へ割り込み、大盾を構える。


 巨体と盾が激突した。

 凄まじい衝撃でガレスの身体が後方へ押し流される。

 靴底が石床を削り、盾を握る両腕が震えていた。


 「レグルス! 長くは持たんぞ!」


 魔物が前脚を振り上げる。

 ガレスの側面を狙った一撃。


 「ガレス、伏せろ!」

 負傷したラウルが踏み込んだ。

 身体を捻り、残った力で長槍を投げ放つ。

 槍は外殻の砕けた右前脚へ突き刺さった。

 魔物の姿勢が崩れる。

 振り下ろされた前脚がガレスの大盾を掠め、石台の端へ激突した。


 轟音。

 水瓶の浮き彫りへ、一本の亀裂が走った。

 同時に、床へ刻まれていた黒い封印線が明滅する。


 「封印基盤が……!」

 水路管理官の顔から血の気が引いた。


 「これ以上、石台へ衝撃を与えれば、この区画全体が持ちません!」


 「聞いたな、レグルス!」

 ガレスが大盾を押し込み、魔物の頭を正面から受け止める。


 「次で決めろ!」


 「分かりました!」


 息を吸う。

 魔物を覆っていた水膜は、既に再生を始めていた。

 先ほどよりも水量が多い。

 中央の石台から溢れる水を吸収し、失われた膜を補っている。

 時間をかけるほど不利になる。

 次の一撃で倒す。

 脚へ風属性の魔力を巡らせる。


 「《速》」

 緑色の魔力波が足元から広がった。


 一歩。

 魔物の正面から外れる。


 二歩。

 ラウルの槍が突き刺さった右前脚の脇を抜ける。


 三歩。

 外殻が砕け、青黒い肉が露出している右肩へ回り込む。


 魔物の尾が背後から迫った。

 前へ踏み込み、尾の軌道から身体を外す。

 刀へ火属性の魔力を流す。

 赤い光が柄元から切っ先まで駆け抜け、刃の周囲で陽炎が揺れた。


 「焔纏フランマ・アムィクトゥス

 再び刀身を覆った炎が、赤金の輝きを放つ。


 魔物が俺へ顔を向けた。

 口内へ水が集まる。

 この距離で放たれれば、避けられない。


 「ミレナさん!」


 「分かってる!」

 ミレナが杖を振り抜く。

 放たれた小さな火球が魔物の眼前で爆ぜた。

 視界を奪われ、水流の軌道が僅かに逸れる。

 圧縮された水が俺の頬を掠め、背後の壁を穿った。

 構わず、さらに踏み込む。

 火を纏った刀を下段へ構える。

 水膜の流れを見る。

 右肩から首。

 首から頭部へ。

 絶えず循環する水の中に、一瞬だけ流れの薄くなる場所がある。

 狙うのは、そこだ。


 左足を深く踏み込む。

 刀を右肩の下から、魔物の首へ向けて振り上げた。

 炎が水膜へ触れる。

 水が蒸気へ変わり、白い爆発が視界を覆った。

 だが、止めない。

 水膜が開いた一瞬を逃さず、刃を露出した右肩へ食い込ませる。

 砕いた外殻の隙間へ。

 青黒い肉の奥へ。

 斬撃とともに火属性の魔力を流し込む。

 視界の奥で、赤金の獅子が立ち上がった。

 炎の鬣を揺らし、大きく顎を開く。


 「――袈裟吼絶・ルギトゥス・カエスーラ・フランマ!」


 刀を、袈裟懸けに振り抜く。

 獅子の咆哮が響いた。

 赤金の斬撃が魔物の右肩から胸部へ駆け抜ける。


 一瞬の静寂。

 次の瞬間、斬撃の内側へ流し込んだ火属性の魔力が爆ぜた。

 炎と蒸気が巨体の内側から噴き出す。

 外殻が弾け飛び、魔物の身体が大きく傾いた。

 青白い目から光が消える。

 振り上げられていた前脚が力を失い、その巨体が横倒しになった。

 地響き。

 石床が陥没し、水しぶきと砕けた岩が封印区画へ広がる。

 赤金の獅子が、炎の粒となって消えていく。

 残ったのは、倒れた魔物と荒い俺の呼吸だけだった。


 「やった……のか」


 『ええ。魔物の生命反応は消失しました』


 刀から炎を解く。

 赤い光が消え、熱を持った刀身から白い蒸気が立ち上った。


 「レグルス!」

 ガレスが叫ぶ。

 その声には、勝利の喜びがなかった。

 中央の石台。

 前脚の直撃を受けた水瓶の浮き彫りへ走っていた亀裂が、少しずつ広がっている。

 ぱきり、と。

 小さな音がした。


 水瓶の浮き彫りが、中央から二つに割れた。

 石台を覆っていた青白い光が消える。

 床へ刻まれた黒い封印線が一斉に途切れた。

 直後。

 地下のさらに深い場所から、何かが砕ける音が響いた。


 「全員、ここから出ろ!」

 水路管理官が叫ぶ。


 「封印区画が崩壊する!」


 天井に亀裂が走った。

 石粉が雨のように降り注ぐ。

 続いて、石柱の一本が中央から折れた。

 巨大な上部が水路へ落下し、逆流する水を大きく跳ね上げる。


 「ラウル、肩を貸す!」

 ガレスが大盾を背負い、負傷したラウルの腕を取る。

 俺は刀を鞘へ戻さず、周囲を警戒しながら出口へ走った。

 ミレナが水路管理官を先導する。

 背後で天井が次々と崩れ落ちる。

 石床が波打ち、亀裂の下へ濁流が呑み込まれていく。

 出口まで、あと僅か。


 そのとき。


 『レグルス、上です!』

 セレスの声に反応し、振り返る。

 天井から、巨大な岩盤が剝がれ落ちていた。

 落下地点には、ミレナと水路管理官がいる。


 「ミレナ!」

 ガレスが叫ぶ。


 二人が頭上を見上げる。

 だが、間に合わない。

 ガレスは負傷したラウルを支えている。

 大盾を投げても、あの岩盤は防げない。

 俺は脚へ魔力を流した。


 「《速》!」

 緑色の魔力が爆ぜる。

 一歩で崩れる石床を越える。

 二歩目でミレナたちの背後へ回り込む。

 三歩目。

 落下する岩盤の真下へ身体を滑り込ませた。

 

 「レグルス!?」

 ミレナの声が聞こえる。

 岩盤は、俺の身体を何十人分も並べたほど巨大だった。

 正面から受け止めれば、腕ごと押し潰される。

 斬ろうとしても間に合わない。

 ならば。

 受け止めない。

 斬らない。

 思い出す。

 ランク昇格試験で、大剣の軌道を僅かに逸らした感覚。

 刀で力を受けるのではなく、触れた瞬間に方向を変える。

 逆流する水も同じだ。

 強い流れへ逆らえば押し潰される。

 だが、流れの側面へ力を加えれば、その行き先を変えることができる。

 必要なのは力の大きさじゃない。

 触れる場所。

 角度。

 そして、刹那の出力。

 刀を両手で握り、刃を返す。

 岩盤へ当てるのは刃ではなく、刀の峰。

 落下する岩盤の重心を見極める。

 中央ではない。

 僅かに左へ傾いている。

 ならば、右下から左上へ。

 刀が触れる直前、《速》を解く。

 全身の魔力を中心へ引き戻す。

 火属性へ切り替える。

 岩盤と刀の峰が接触した。


 その刹那。


 「《剛》!」

 赤い魔力波が全身を駆け抜けた。

 足裏から生まれた衝撃を、腰、背中、肩、腕へつなげる。

 刀身を通し、岩盤の重心から僅かに外れた一点へ叩き込む。

 受けるな。

 流せ。

 押し返すのではない。


 その軌道を――弾き飛ばせ。


 視界の端で、赤金の光が揺れた。

 俺の背後に、巨大な獅子が現れる。

 獅子は咆哮を上げながら前脚を振り上げた。

 鋭い三本の爪が、岩盤の表面へ重なる。


 「――獅吼爪弾レルギウングィスペッレ!」

 名前が、自然と口から零れた。


 獅子の爪が振り抜かれる。

 岩盤の表面へ、三本の金色の爪痕が走った。

 轟音。

 落下していた巨大な岩盤が、空中で大きく軌道を変える。

 俺たちの頭上を掠め、封印区画の側壁へ激突した。

 壁が砕ける。

 激しい土煙と石片が、水路全体を覆い尽くした。

 刀を振り抜いた姿勢のまま、俺は荒く息を吐く。

 背後にいたミレナと水路管理官は、無事だった。

 赤金の獅子が、ゆっくりと光の粒へ変わっていく。

 崩壊する世界を――獅子の爪が弾き飛ばした。

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