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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第三章 砕けぬ門、逆流する水
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第35話 獅子宮第二階層 砕くべきもの

 黒鉄の騎士人形が、一歩を踏み出した。


 ズン――。


 広間を揺らす重い足音。

 俺は痛む右肩を押さえながら、台座へ刺さった錆びた刀を見つめていた。

 抜けなかった刀が、初めて動いた。

 ほんの数センチ。

 それでも、確かに手応えはあった。


 魔力身体強化を意識して発動し、そこへ火の性質を重ねる。

 体内を巡る魔力を熱へ変える。

 まだ炎と呼べるほどのものではない。

 胸の奥に生まれた、小さな火花。

 触れ方を誤れば、自分の身体を傷つける。


 だが。

 あの熱が、失われた力を一瞬だけ取り戻させた。


「もう一度だ」


『待ちなさい』


 俺は台座へ向かおうとしたが、右肩へ走った痛みに足を止めた。


「っ……」


『だから言ったでしょう』


「まだ動く」


『動くからといって、壊れていないとは限りません』


 右腕を上げようとする。

 途中までは動く。

 だが、肩より高く上げた瞬間、筋肉の奥を針で刺されたような痛みが走った。

 先ほど、火の性質を無理やり右肩へ集中させたせいだ。

 上着の袖を捲る。

 騎士人形に吹き飛ばされ、石床を転がった時にできた擦り傷。

 赤く滲んだ傷口には、細かな石の粉が付着している。

 その周囲も、僅かに腫れていた。


『その状態で同じことをすれば、本当に腕が動かなくなるわ』


「でも、回復魔法は使えないぞ」


『回復魔法である必要はありません』


「どういうことだ?」


『生活魔法を使いなさい』


「生活魔法?」


『水を生み出し、傷口を清潔にするのです。そのまま放置するよりはいいわ』


 生活魔法。

 第一階層で習得した、日常生活を補助するための魔法。

 水を生み出す。

 汚れを落とす。

 小さな灯りを作る。

 冒険へ出る時には便利だが、戦闘中に使おうと考えたことはなかった。


 俺は左手を右肩へかざす。

 意識するのは、汚れを洗い流すための清らかな水。

 魔力を掌へ集める。

 透明な水が生まれ、指の隙間から静かに流れ落ちた。

 それを右肩の擦り傷へ掛ける。


「冷たっ……」


『我慢なさい』


 冷たい水が、血と石の粉を洗い流していく。

 火照っていた肌から熱が奪われ、脈打つような痛みも僅かに和らいだ。


『布は持っていますか?』


「ああ」

 腰の小袋から、簡単な手当てに使うための布を取り出す。


『残った水を含ませて、腫れている部分へ当てなさい』


 言われたとおり、布へ生活魔法の水を染み込ませる。

 冷えた布を肩へ押し当てると、熱を持っていた筋肉がゆっくりと冷やされていった。


「……気持ちいいな」


『治ったわけではありません。あくまで傷を清潔にして、腫れと痛みを抑えているだけよ』


「それでも、何もしないよりずっといい」

 俺は肩へ当てた濡れた布を見る。


「生活魔法って、こんな使い方もできたのか」


『生活魔法は、戦闘に使えない魔法ではありません』

 セレスの落ち着いた声が響く。


『日常生活で扱いやすいように、術式が整えられているだけです。生み出されたものの性質まで、名前によって限定されるわけではないわ』


「水で汚れを落とす。それを傷口の洗浄に使って、冷たさで腫れを抑える……」


『魔法の価値は、与えられた名前だけで決まるものではありません。どのように使うかを考えるのは、術者自身よ』


「使い方次第、か」


 俺は、台座に刺さった錆びた刀へ目を向ける。

 第一階層でも同じだった。

 錆びて斬れない。

 だから、刀として役に立たないと思った。

 だが実際には、違った。

 斬れなくても、突くことはできた。

 叩くことも、弾くこともできた。

 できないことばかりを見るのではなく、今あるものをどう使うか。

 それを考えたから、第一階層を突破できた。


 なら。

 火も同じではないか。

 火魔法。

 その言葉から思い浮かぶものは、敵へ放つ炎。

 何かを燃やし、焼き尽くす力。

 だが、外へ炎を放つことだけが、火の使い方ではない。

 俺は肩へ当てた濡れた布を見る。

 生活魔法で生み出した水は、飲むためだけのものではなかった。


 傷を洗い、熱を奪い、痛みを抑えるためにも使える。


 それなら。

 火も、使い方を変えればいい。


「セレス」


『何かしら』


「さっき、俺は火の性質を右肩へ集めすぎた」


『ええ。その結果、筋肉へ強い負荷が掛かりました』


「火を燃やし続けようとしたからだ」


 胸の奥に生まれた熱。

 俺はそれを力へ変えようとして、筋肉へ流し込み続けた。

 魔力を燃焼させている間、右肩の筋肉も強く収縮し続けた。

 だから、耐えきれなかった。


「燃やし続ける必要はない」


『レグルス?』


「火も使い方次第なんだろ」


 俺は騎士人形へ視線を向ける。

 騎士人形は大剣を振り上げていた。

 足裏で床を踏む。

 膝を曲げる。

 腰を落とし、背中と肩を連動させる。

 あれほど重い大剣を持っているのに、一つ一つの動作に淀みがない。


 騎士人形は、常に全力を出しているわけではない。

 足を踏み込む瞬間。

 腰を回す瞬間。

 大剣が相手へ触れる瞬間。


 必要な場所へ。

 必要な瞬間だけ。

 力を集中させている。


「火を燃やし続けるんじゃない」

 俺は右手を握る。


「筋肉が収縮する、その一瞬だけ爆発させる」


 セレスが息を呑む気配がした。


『理屈としては可能でしょう。ですが、発動する瞬間を誤れば、筋肉を内側から傷つけます』


「だから、騎士人形の動きに合わせる」


 足裏で床を押す。

 脚から腰へ。

 腰から背中へ。

 背中から肩。

 肩から腕へ。

 力を伝える瞬間だけ、小さな火を爆ぜさせる。


 長く燃やす必要はない。

 一瞬でいい。

 火の爆発力を、身体の動きへ重ねる。


「試してみる」


『今度は、傷を増やさないようにしなさい』


「善処する」


『善処ではなく、約束しなさい』


「……できる限り」


『レグルス』


 セレスの低い声を聞きながら、俺は濡れた布を肩から外した。

 痛みは残っている。

 それでも、先ほどよりは腕を動かしやすい。

 騎士人形の大剣が振り下ろされた。

 俺は意識して魔力身体強化を発動する。

 脚の筋肉へ魔力を巡らせる。


 その瞬間、無意識に風属性が混ざった。

 風が足元で弾ける。

 身体が右へ運ばれた。

 黒い大剣が、俺のいた場所へ叩き込まれる。

 石床が砕けた。

 俺は飛び散る石片の間を抜け、台座へ向かう。


 身体強化と風。

 回避には使える。

 だが、今から必要になるのは風ではない。

 台座へ辿り着く。

 錆びた刀の柄を両手で握った。

 足を開く。

 腰を落とす。

 全身へ魔力を巡らせる。


「身体強化」


 筋肉、関節、神経。

 刀を抜くために必要な身体機能を、意識して魔力で補助する。

 そこへ無意識に混ざろうとする風を抑える。

 代わりに、胸の奥へ残っている熱を探す。

 暗闇の中に浮かぶ、小さな火花。

 それを、必要な瞬間だけ爆発させる。

 足裏で床を捉える。

 膝を曲げる。

 柄を握る。

 まずは脚。

 床を踏む、その瞬間。

 魔力の中で、小さな火が爆ぜた。


「――っ!」


 脚の筋肉が、一瞬だけ強く収縮する。


 床を押す。

 生まれた力を、腰へ繋ぐ。

 腰を伸ばす瞬間。

 次の火花。

 熱が弾ける。

 腰から背中へ。

 背中から肩へ。

 身体の動きに合わせ、短い爆発を連続させる。


『急がないで。身体の動きより先に燃やせば、力が途切れます』


「ああ」


『遅すぎても駄目よ。筋肉が収縮する瞬間に合わせなさい』


 騎士人形が大剣を持ち上げる。

 時間はない。

 それでも、焦るな。

 一つの炎を燃やし続けるのではない。

 小さな爆発を。

 全身の動きへ繋げる。


 足。腰。背中。肩。腕。

 全身を通った熱が、最後に両手へ集まった。


「抜けろ!」


 金属が擦れ合う。

 錆びた刀が、台座から浮かび上がった。

 先ほどとは違う。

 数センチで止まらない。

 刀身が、ゆっくりと台座から姿を現す。

 剝がれた赤黒い錆が、火の粉のように宙を舞った。


「ぐ……っ!」


 重い。

 筋力を奪われていることを差し引いても、異常な重さだ。

 刀の先へ、巨大な岩塊でも繋がっているようだった。

 それでも。

 身体の動きへ、火の爆発を重ねる。

 一箇所だけで支えようとするな。

 足から指先まで。

 全てを使って、刀の重さを受け止める。


「おおおおおっ!」

 最後の一押し。

 錆びた刀が、台座から完全に引き抜かれた。


 ガキン――。


 切っ先が石床へ落ちる。

 重い音が、広間全体へ響いた。


「抜けた……」

 両腕が震えている

 柄を握っているだけで、肩が下へ引かれる。

 刀を持ち上げようとする。

 切っ先が、石床から僅かに浮いた。

 それだけで両脚が震える。


『抜けたからといって、扱えるとは限らないようね』


「少しは喜ばせてくれてもいいだろ」


『喜んでいます』


「そうは聞こえない」


『あなたがすぐ無茶をするからです』


 口調はいつもどおりだった。

 けれど、その声には僅かな安堵が混ざっていた。

 俺は錆びた刀を両手で構えようとする。

 普段なら自然に取れる中段。

 今は、刀身を腰の高さまで持ち上げることすら難しい。

 刀が重い。

 身体も力を奪われている。

 火の性質を重ねなければ、切っ先を床から離すことさえできない。


 それでも。

 武器は手に入れた。

 あとは、この刀で騎士人形を倒す。

 黒鉄の騎士人形が、こちらへ迫る。

 大剣が横へ構えられた。


「来るぞ」


『正面から受けないで』


「分かってる」


 大剣が横薙ぎに振るわれる。

 俺は脚へ魔力身体強化を集中させた。

 無意識に混ざる風を、今度は意図して利用する。

 身体が後方へ運ばれた。

 大剣が胸元を通過する。

 避けた。


 だが。

 手にした錆びた刀の重さが、身体を床へ引いた。


「っ……!」


 着地と同時に体勢が崩れる。

 刀の切っ先が石床へ食い込み、その場から動かなくなった。

 騎士人形が大剣を引き戻す。


 続けて、上段。

 避けるには、刀を持ち上げなければならない。

 俺は全身へ魔力身体強化を巡らせる。

 筋肉が動く瞬間に、小さな火を爆ぜさせる。


 足。腰。背中。肩。

 刀を持ち上げる。


「間に合え!」


 振り下ろされた大剣へ、錆びた刀を斜めに合わせる。

 受け止めるな。

 流せ。

 金属同士が激突した。


 ガァン――!


 凄まじい衝撃が、両腕を貫き、火花が散った。

 刀身を傾け、大剣の軌道を横へ逸らす。

 それでも勢いを殺しきれない。

 錆びた刀ごと身体を押され、俺は石床を滑った。


「ぐっ……!」


 両脚で踏ん張る。

 足裏が床を捉えた瞬間に、火の性質を爆発させる。

 筋肉が一瞬だけ強く収縮し、どうにか倒れずに止まった。

 手が痺れている。

 指先の感覚が薄い。

 だが、刀は手放していない。


 騎士人形を見る。

 大剣を弾かれたことで、僅かに体勢が開いている。

 攻撃できる。

 俺は錆びた刀を引き上げた。

 重い。

 斬撃を放つために必要な速度が生まれない。


 それでも。

 足を踏み込む。

 腰を回す。

 身体の動きへ合わせ、一瞬ずつ火を爆ぜさせる。

 脚から腰。

 腰から背中。

 背中から肩。

 肩から腕へ。


「はあっ!」


 錆びた刀を横薙ぎに振るう。

 刀身が、騎士人形の脇腹へ激突した。


 ギィン――!


 斬った感触ではない。

 分厚い金属板へ、鉄の棒を叩きつけたような衝撃。

 騎士人形の身体が、僅かに傾く。

 黒鉄の鎧。

 その脇腹に、細い傷が刻まれていた。


「浅い……」


 錆びた刃では、黒鉄の鎧を斬れない。

 第一階層の時より、刀身の錆は僅かに剝がれている。

 それでも、刃物として使える状態には程遠い。

 切るための形をしている。

 けれど、切れない。

 騎士人形が大剣を振り戻す。

 俺は錆びた刀を引き、後ろへ退いた。

 重さに身体を持っていかれそうになる。

 脚へ風を重ね、どうにか間合いを外す。


「今のは効いたか?」


『外装に損傷を確認しました。ですが――』

 セレスの言葉が止まる。


 騎士人形の脇腹。

 俺がつけた細い傷の周囲へ、赤い光が集まっていた。


「何だ……?」


 騎士人形の足元。

 石床に刻まれた細い紋様が、赤く輝いている。

 光は騎士人形の足裏から脚へ入り、腰、胸、脇腹へと流れていく。

 傷ついた黒鉄が、鈍い音を立てた。

 細い亀裂が塞がっていく。

 削れた鎧が盛り上がり、元の形へ戻る。


 数秒後。

 俺が刻んだ傷は、完全に消えていた。


「回復した……?」


『床から魔力を供給されています』


 俺は騎士人形の足元を見る。

 石床を走る赤い魔力の筋。

 それは広間の奥にある黒鉄の門から伸び、騎士人形の両脚へ繋がっていた。

 門、床、騎士人形。

 三つが、魔力の流れによって一つに繋がっている。


『僅かな損傷であれば、床から供給される魔力によって修復されるようです』


「つまり、少しずつ削るのは無理か」


『そうなります』


 切れない刀。

 重すぎる刀。

 身体強化へ火を重ねなければ、振ることすらできない。

 ようやく与えた傷も、すぐに回復する。

 騎士人形が大剣を構え直す。

 兜の奥で、赤い光が強くなる。

 振り出しに戻った。


 いや。

 違う。

 刀は抜いた。


 生活魔法の使い方を変えることで、傷を処置できた。

 火の性質も、燃やし続けるのではなく、一瞬だけ爆発させる方法を見つけた。

 攻撃を届かせることもできた。

 何も得られなかったわけではない。


「傷が小さいから、直される」


『ええ』


「なら、直せないくらい壊せばいい」


『簡単に言いますね』


「切れないなら、斬ることに拘る必要はない」


 錆びた刀を見る。

 刃は死んでいる。

 刀身の大半は、今も赤黒い錆に覆われている。


 だが。

 重い。

 異常なほどに重い。

 刃としては不完全でも、この重量そのものは武器になる。

 第一階層でもそうだった。

 切れないからこそ。

 俺は突くことを覚えた。

 叩くことを覚えた。

 弾くことを覚えた。

 刀は、切るためだけのものではない。


「壊す」


 俺は騎士人形を見据える。

 鎧へ浅い傷をつけても意味がない。

 修復される前に、黒鉄の外装ごと砕く。

 あるいは。

 床から流れ込む、魔力の供給そのものを断つ。

 騎士人形だけを見ていてはいけない。

 目の前の相手を倒すことばかり考え、蠍の本当の目的を見失った。


 あの時と同じ間違いはしない。

 騎士人形を動かしているものは何か。

 傷を修復しているものは何か。

 この試練が、俺に何を求めているのか。

 見るべきものは、目の前の敵だけではない。


「セレス」


『何かしら』


「騎士人形へ流れ込む魔力の中心を探せるか?」


『完全な解析には時間が必要です』


「大まかでいい」


『……右胸部。鎧の奥に、供給された魔力が集まっています』


 右胸。

 騎士人形を動かす核か。

 あるいは、全身へ魔力を分配するための中継点。

 どちらであっても、狙う価値はある。

 だが、錆びた刀では斬れない。

 表面へ傷をつけるだけでは、すぐに修復される。


 必要なのは。

 硬い鎧の内側まで届く、強烈な衝撃。

 一点へ力を集め。

 至近距離から。

 外装ごと、内部の核を砕く。

 騎士人形が動く。

 大剣を低く構え、こちらへ踏み込んだ。

 俺も錆びた刀を持ち上げる。

 両腕が震える。

 右肩には、まだ痛みが残っている。

 体内に生まれた火は小さく、使い方も荒い。


 それでも。

 刀は、もう俺の手の中にある。


「斬れないなら――」

 足裏で石床を捉える。

 魔力身体強化を発動。

 全身へ魔力を巡らせる。

 無意識に混ざろうとする風。

 その性質を抑え、胸の奥の熱へ意識を向ける。

 身体の動きに合わせ、小さな火を爆ぜさせる。


 脚。腰。背中。肩。腕。

 全身の力を、一つへ繋げる。


「砕くまでだ」


 騎士人形の大剣が迫る。

 俺は重い錆びた刀を握り締め、その懐へ踏み込んだ。


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