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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者:
第三章 砕けぬ門、逆流する水
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第33話 獅子宮第二階層 開かれた第二階層

 窓の外には、王都ヴァルエストの夜景が広がっていた。

 運河に沿って並ぶ魔導灯。

 水面に映った無数の光が、夜風に揺られて細かく砕けている。

 あの雨の夜が嘘だったかのように、王都は静けさを取り戻していた。


 けれど。

 俺の中には、今もあの光景が残っている。

 雨に濡れた魔導列車の屋根。

 膝をついた、銀髪の女。

 勝ったと思った。

 確かに、俺の刀は蠍へ届いた。

 未完成の《壱之太刀》で、あいつを膝までつかせた。


 それでも。

 王都の地下から立ち昇った、蒼白い光。

 俺が戦っていた相手は、蠍の分け身にすぎなかった。

 本体は別の場所で、水瓶の封印を解いていた。

 戦いには勝った。

 目的では、完全に負けた。

 俺は椅子へ座ったまま、目の前に浮かぶステータス板を見つめていた。

================

 レグルス・クレハルト

 黄道十二宮契約者 獅子宮適合者

 レベル16

================

 固有能力

【未踏領域】いずれ人の世を外れる存在と為る

 称号

【ネメアの獅子】《獅子の誇り》

・身体最適化効率上昇・恐怖耐性上昇・威圧耐性上昇

 契約 獅子宮第一階層踏破

================

 基本行為

 切る Lv7 突く Lv6 叩く Lv5 弾く Lv5

================

 努力蓄積 30,248

================


 その最下部。

 これまで存在しなかった文字が、淡い金色の光を放っている。


【獅子宮 第二階層】


【解放条件達成】


「……第二階層」

 俺は無意識に手を伸ばしていた。


 強くならなければならない。

 次に蠍と出会った時。

 あの女が本体であったとしても、今度こそ届くために。

 封印の前で、何もできずに立ち尽くすことがないように。


『待ちなさい』

 セレスの声が、静かに響いた。


 伸ばしていた指が止まる。


「どうした?」


『本気で聞いているの?』

 声音は穏やかだった。

 だが、その奥には明らかな苛立ちが滲んでいる。


「動けないほどじゃない」


『動けることと、戦えることは違います』


「傷は塞がってる」


『表面だけよ』


 即座に返された。


 蠍の土魔法を受け、何度も岩壁や魔導列車の屋根へ叩きつけられた。

 治療魔法によって出血は止まり、深い傷も塞がっている。

 だが、身体の奥には鈍い痛みが残っていた。

 特に右肩から背中。

 《壱之太刀・試》を放った反動で、筋肉と魔力経路の両方が損傷している。

 今の状態で全力の抜刀を行えば、どうなるか。

 考えるまでもない。


「でも、蠍は待ってくれない」


『だからといって、傷ついた身体で第二階層へ入れば追いつけるの?』


「それは……」

 答えられなかった。


『彼女は、自ら深淵まで辿り着いたと言いました』


「ああ」


『あなたは、ようやく第一階層を踏破したばかり。今すぐその差を埋めることなどできません』


「分かってる」


『いいえ。今のあなたは、分かろうとしているだけよ』

 静かな言葉だった。


 責めるような強さはない。

 それでも、逃げることを許さない声だった。

 俺は伸ばしていた手を下ろす。

 金色の文字は消えない。

 第二階層は開いている。

 今すぐ挑まなくても、失われるわけではない。


「……もっと強ければ」

 気づけば、口から言葉が漏れていた。


『ええ』


「俺がもっと強ければ、分け身を早く倒せた。蠍の狙いに気づけたかもしれない。水瓶の封印だって――」


『レグルス』

 セレスが俺の言葉を遮る。


『力が足りなかっただけなら、あなたはあれほど悔しがっていないわ』


「どういう意味だ?」


『あなたの刀は、蠍へ届きました』


 俺は黙ってステータス板を見る。


『未完成とはいえ、《壱之太刀》は彼女の分け身を打ち破った。それでも、あなたは自分が負けたと思っている』


「実際に負けた」


『ええ。けれど、何に負けたの?』


 その問いに、言葉が止まった。

 蠍に負けた。

 そう思っていた。

 だが、本当にそれだけなのか。

 雨の中で俺を見上げ、静かに笑った蠍。

 あいつは、最初から俺を倒そうとしていなかった。

 俺との戦いは、封印を解くための時間稼ぎ。

 勝負の目的そのものが違っていた。


「俺は……」

 膝の上で拳を握る。


「目の前のあいつを倒すことしか考えてなかった」


 強敵がいる。

 なら、刀を届かせる。

 それだけを考えていた。

 あいつが何を目的としているのか。

 何を守らなければならないのか。

 俺は、最後まで見ようとしなかった。


「守るべきものを、見失った」


『ええ』

 セレスは否定しなかった。

 甘い慰めもない。

 だからこそ、その言葉を受け入れられた。


『けれど、気づくことはできたわ』


「負けてからだけどな」


『それでもよ。敗北から何も得られない者もいる。あなたは、そうではなかった』


 すぐに悔しさが消えるわけではない。

 水瓶の封印が解かれた事実も変わらない。

 けれど。

 焦りに任せて第二階層へ飛び込めば、俺はまた同じことを繰り返す。

 目の前の強さだけを追い、何のために刀を振るうのかを見失う。


「……分かった」

 俺はステータス板から視線を外した。


「傷が治るまで待つ」


『賢明ね』


「三日でいいか?」


『五日』


「長くないか?」


『では、七日にしましょう』


「増えてるだろ」


『あなたが聞き分けのないことを言うからよ』

 僅かに笑いを含んだ声。

 

 俺は小さく息を吐いた。


「分かった。五日だ」


『最初からそう言えばいいのです』


 金色の光が薄れていく。

 ステータス板が消え、部屋には魔導灯の柔らかな明かりだけが残った。

 壁に立て掛けた刀を見る。

 今は、振らない。

 だが、立ち止まったわけでもない。

 次に振るために休む。

 それもまた、前へ進むために必要なことなのだと思えた。


     ◇


 五日後。

 王都を覆っていた雨雲は消え、澄み切った青空が広がっていた。

 開け放った窓から、運河を渡ってきた風が吹き込んでくる。

 俺は部屋の中央で刀を抜いた。

 

 上段から振り下ろす。

 返して、横薙ぎ。

 一歩踏み込み、突く。

 銀色の刀身が朝の光を反射し、空気を鋭く裂いた。


 右肩に痛みはない。

 背中の張りも消えている。

 魔力を全身へ薄く流してみる。

 滞りも感じられなかった。


『問題はなさそうね』


「ああ」

 刀を鞘へ納める。


 この五日間、水瓶の封印について新しい情報は入っていない。

 蠍の行方も分からない。

 王都周辺で大きな異変は確認されていないが、だからといって何も起きていないとは限らない。

 何が封じられていたのか。

 水瓶の契約者が存在するのか。

 蠍は、次に何を観測しようとしているのか。

 何一つ分かっていない。

 だからこそ、備えなければならない。


「セレス」


『はい』


「行こう」


 腰に差した焦げ茶色の本。

 その表紙に刻まれた獅子の紋章が、淡く輝き始める。

 金色の粒子が部屋へ溢れ、足元へ巨大な魔法陣を描いていく。

 第一階層へ向かった時と同じ光景。

 だが、流れ込んでくる魔力の密度は以前より遥かに濃い。

 床が消える。

 壁も窓も、朝日に照らされた王都の景色も、金色の光へ溶けていく。


 一瞬、上下の感覚が失われた。

 身体がどこまでも落ちていくような浮遊感。

 そして。

 感情を持たない声が、頭の中へ響いた。


『努力蓄積値が規定値に到達』


 人の声に似ている。

 だが、そこに意思は感じられない。

 古代の機械が、定められた言葉を読み上げているような声。


『獅子宮第二階層を解放』

 身体が、光に呑み込まれた。


 次の瞬間。

 靴底が、硬い地面を捉える。


「――っ」

 視界が戻った。


 そこは、巨大な石造りの広間だった。

 第一階層と同じく、壁も床も古びた石で造られている。

 けれど、空気が違う。

 第一階層よりも広い。

 天井は見上げても暗闇に溶け、その高さを測ることができない。

 左右には巨大な石柱が並び、一本一本に、たてがみを広げた獅子が刻まれている。

 炎も魔導灯もない。

 それでも、天井付近に埋め込まれた赤い鉱石が脈打つように輝き、広間を薄暗く照らしていた。

 まるで、巨大な獣の体内へ踏み込んだような場所だった。


「ここが、第二階層……」

 一歩、踏み出そうとした。


 その瞬間。

 全身から、力が抜け落ちた。


「ぐっ……!」


 膝が折れる。

 反射的に右手を床へついた。

 冷たい石の感触が掌へ伝わる。


 息はできる。

 視界も正常だ。

 周囲の音も聞こえている。

 それなのに、身体へ力が入らない。

 立ち上がろうとしても、両脚が小刻みに震える。


『レグルス!』


「大丈夫だ……」

 右脚を立て、床を押す。

 腕と脚へ力を込め、どうにか身体を起こす。

 だが、自分の身体を支えるだけで精一杯だった。


「第一階層と同じ、身体能力の制限か?」


『いいえ』

 セレスの声が鋭くなる。


『感覚、反応速度、魔力循環に大きな低下はありません。制限されているのは――』


 俺も気づいていた。


「力だけか」


『ええ。筋力出力が極端に抑えられています』


 第一階層では、身体能力の全てを低下させられた。

 速さも。

 持久力も。

 反射神経も。

 その中で魔力を感じ、身体強化と風を身につけた。


 だが、第二階層は違う。

 見える。

 聞こえる。

 考えることもできる。

 魔力も感じられる。

 ただ、身体へ力だけが伝わらない。

 俺は腰へ手を伸ばした。

 そこで、ようやく気づく。


「刀が……ない」


 王都の宿で腰に差していたはずの刀が消えている。

 鞘もない。

 転移する直前まで確かに身につけていた。

 だが、今の俺の腰にあるのはセレスだけだった。


『どうやら、今回も獅子宮が用意した武器を使えということのようね』


「今回も?」


『前を見て』


 セレスに促され、顔を上げる。

 広間の奥。

 黒い金属で造られた巨大な門の前に、一つの台座があった。

 そして、その中央。

 一本の刀が、深々と突き立てられている。

 見覚えがあった。


「……あれは」


 力の入らない脚を動かす。

 一歩。

 また一歩。

 普段なら数秒で駆け抜けられる距離が、果てしなく遠く感じられた。

 何度も膝が折れそうになる。

 それでも、足裏で床を捉え直す。

 焦らない。

 今は、一歩を確実に積み重ねる。

 やがて俺は、台座の前へ辿り着いた。


「やっぱり……」

 第一階層で使った、あの刀だった。


 刃は錆びつき、斬るための武器としては役に立たない。

 だから俺はこの刀で、突くこと、叩くこと、弾くことを覚えた。

 何度も振った。

 何度も打ちつけた。

 手の皮が裂けても、握り続けた。

 間違えるはずがない。


 だが。


「少し、違うな」


 刀身へ目を凝らす。

 以前は刀身のほとんどを覆っていた赤黒い錆が、僅かに剝がれている。

 刃元から中ほどにかけて、細く銀色の地肌が覗いていた。

 柄も、わずかに形を変えている。

 傷みきっていた柄巻きは、完全ではないものの、以前より強く刀身を支えていた。

 修復された、というほどではない。


 それでも。

 この刀もまた、第一階層を越えたように見えた。


「同じ刀、なんだよな?」


『ええ。魔力の波長も一致しています』


「それなのに……」


 近づくだけで、妙な圧迫感がある。

 以前は、ただ古びているだけの刀だった。

 今は違う。

 台座に突き立てられた姿が、長い眠りから目覚める時を待っているように見える。


『刀も、階層に合わせて変化しているのでしょう』


「俺と一緒に、か」


 返事はなかった。

 俺は柄へ右手を伸ばす。

 指を掛けた瞬間。


 腕が沈んだ。


「なっ……」


 重い。

 想像していた重さではない。

 柄を握っただけで、肩から先を地面へ引きずり込まれるような感覚が走った。

 左手も添える。

 足を開く。

 腰を落とし、背筋を伸ばす。

 腕だけで抜こうとするな。

 脚から腰。

 腰から背中。

 背中から肩。

 全身の力を一つへ繋ぐ。


「――ふっ!」


 息を吐き、一気に引く。

 刀が動いた。

 ほんの僅か。

 台座との間に、細い隙間が生まれる。


 だが。


「ぐ……っ!」


 そこから動かない。

 両腕が震える。

 握った指が開きそうになる。

 身体へ力が入らない。

 それだけではない。

 この刀そのものが、第一階層の時より遥かに重くなっている。

 まるで台座の下に、巨大な岩塊が繋がっているようだった。


 力を保てない。

 柄から指が外れ、刀が台座へ戻る。


 ガン――。


 重い音が、広間全体へ響いた。

 その衝撃だけで、台座の表面から細かな石片が落ちる。

 俺は荒い息を吐いた。


「……なんて重さだ」


『筋力を制限されているだけではなさそうね』


「ああ。この刀自体が、前より重くなってる」


 第一階層では、錆びて斬れない刀だった。

 第二階層では、抜くことすらできない刀。

 

 俺は再び柄を握る。

 持ち上げる。

 抜く。

 振る。

 刀を扱ううえで、当たり前だと思っていた行為。

 その最初から、やり直せということか。


「第二階層は、力の試練……」


『おそらくは』


「でも、力を奪ったうえで、この刀を重くするなんて性格が悪くないか?」


『簡単に抜ける刀では、試練にならないでしょう?』


「それはそうだけどな」


 俺は台座の刀を見つめる。

 力任せに抜こうとしても無理だ。

 今の身体に残された力は少ない。

 なら、その僅かな力を無駄なく刀へ伝えなければならない。


 足。

 腰。

 背中。

 肩。

 腕。

 指先。

 全てを一つに繋げる。


 言葉にすれば簡単だ。

 だが、実際にできているなら、刀はもう抜けている。

 その時だった。


 ガシャン――。

 金属同士が擦れ合う音が、広間の奥から響いた。


 俺は台座から手を離し、顔を上げる。

 黒鉄の門。

 その前に、何かが立っている。


「……あれは」


 見覚えのある輪郭。

 人の形をした訓練用の人形。

 第一階層で、何度も俺を打ち据えた騎士人形だった。

 

 だが、以前と同じではない。

 第一階層の騎士人形は、古びた甲冑を身につけた細身の姿だった。

 目の前に現れた騎士人形は、俺より頭二つほど大きい。

 全身を黒鉄の重装甲が覆っている。

 兜から肩、胸、腰、脚。

 隙間をほとんど残さない鎧は、一枚一枚が分厚く、斬撃を受けることなど最初から想定していないように見えた。


 右手には、刃のない大剣。

 斬るための武器ではない。

 その重量で、相手を叩き潰すための鉄塊だ。


 騎士人形が一歩を踏み出す。


 ズン――。


 石床が震えた。


 もう一歩。


 ズン――。


 重い。

 だが、動きに無駄がない。

 足裏で床を踏み締め、膝を曲げ、腰を僅かに落とす。

 大剣の重さを腕だけで支えていない。

 全身の骨格で受け止めている。


『レグルス』


「ああ」


 セレスが言おうとしていることが分かった。

 あの騎士人形は、ただの訓練相手ではない。

 力の使い方を見せている。

 

 足から生まれた力を、腰へ。

 腰から背中へ。

 背中から肩へ。

 肩から腕へ。

 身体の全てを繋ぎ、一振りへ変える。

 俺が、これから身につけなければならないもの。


 騎士人形が大剣を持ち上げた。

 決して速くはない。

 それなのに、隙が見つからない。


 大剣が頭上へ達する。

 黒鉄の兜。

 その奥で、赤い光が灯った。


「こいつを倒せってことか」


『それだけではないでしょうね』


「分かってる」


 俺は台座へ刺さった錆びた刀を見る。

 まずは、この刀を抜く。

 そして。

 この刀で、あの騎士人形と戦う。

 それが第二階層の試練だ。


 騎士人形の両腕が動く。

 頭上へ掲げられた大剣が、ゆっくりと傾いた。

 狙いは、俺ではない。


「まさか――」


 大剣が振り下ろされる。

 黒い鉄塊が、台座ごと俺を叩き潰そうと迫る。

 速くはない。

 見えている。

 避けられる。

 そのはずだった。


 だが、力を奪われた脚が動かない。


「くそっ!」


 俺は両脚へ魔力を流し込んだ。

 風が足元へ集まる。

 石床が砕けた。

 身体が横へ弾かれる。


 直後。

 轟音が広間を揺らした。

 騎士人形の大剣が、俺のいた場所へ叩きつけられる。

 石床が陥没し、砕けた石片が雨のように飛び散った。

 俺は床を転がりながら、どうにか身体を起こす。


 動きは見える。

 魔力も使える。

 だが、身体を支える力が足りない。


 騎士人形が大剣を引き抜く。

 腰を落とす。

 次の一撃へ備える。

 俺は台座に刺さった錆びた刀を見た。

 あれを抜かなければ、戦うことすらできない。

 騎士人形が、再び一歩を踏み出す。

 重い足音が、広間を震わせた。

 俺は震える脚へ力を込め、台座へ向かって駆け出した。


 獅子宮第二階層。


 力を奪われた俺と。

 重さを増した、錆びた刀。

 そして、力の使い方を知る黒鉄の騎士。

 新たな試練が、始まった。


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