第30話 静寂の綻び 後編
今回は少し短いですが、次の展開のためです。少し修正しました。
地下水路で戦った魔物。
だが、今回は一体ではない。
広場のあちこち。
校舎の影。
噴水の周囲。
至る所の地面が裂け、同じように黒い腕が姿を現していた。
遠くから爆発音が響く。
窓ガラスが砕け散る音。
風が唸る音。
炎が立ち上る光。
学園の各所で、教師たちが戦い始めたのだろう。
だが、その姿までは見えない。
見えるのは、平穏だった学園が少しずつ戦場へ変わっていく光景だけだった。
「レグルス!」
姉が騎士剣を抜く。
銀色の刀身が陽光を受けて輝く。
「私の後ろに!」
「いや、一緒に戦う!」
姉は一瞬だけ俺を見た。
そして、小さく頷く。
「なら、よく見てなさい。」
その瞳に宿るのは、いつも俺の前でしている優しい姉ものではなく、一人の魔法剣士としての誇りだった。
姉は静かに騎士剣を構え、深く息を吸う。
透き通るような声で詠唱が紡がれる。
「流れ続ける水よ──」
「停滞を拒み、その姿を刃となせ。」
青い魔法陣が足元へ展開する。
次の瞬間。
騎士剣へ激流のような水流が絡みついた。
ただ纏うだけではない。
高速で循環する水が、刃そのものを研ぎ澄ませていく。
「流水不腐。」
水は剣となり。
剣は流水となる。
蒼き流水が、騎士剣の刀身を包み込む。
いや、包むという表現では足りない。
刃に沿って高速で循環する水流は、まるで生き物のように唸りを上げ、その軌跡だけが青白い残光となって宙を駆け抜ける。
グールが低く唸り声を上げながら飛び掛かった。
腐敗した爪が姉へ迫る。
だが、姉は一歩も退かない。
半身になり、最小限の動きで騎士剣を振るう。
キィン──。
澄んだ金属音。
次の瞬間、グールの右腕が肩口から滑るように落ちた。
切断面から血は噴き出さない。
高速で流れる水流が傷口を一瞬で断ち切り、そのまま魔物の身体を霧へ還していく。
「……綺麗だ。」
思わず呟いた。
速い。
正確。
そして、一切の無駄がない。
力任せではない。
相手の動きを見極め、最短の軌道で命を絶つ。
これが、ノヴァ・アカデミアで天から才能を与えられた「ギフテッド」と言われた人
そして、俺の姉だ。
だが、次の瞬間には新たなグールが三体、四体と地中から這い出してくる。
姉は視線だけで周囲を見渡し、小さく息を吐いた。
「少しだけ、地面を借りるわ。」
騎士剣を左手へ持ち替え、右手を石畳へ向ける。
淡い茶色の魔法陣が静かに展開した。
「眠れる地脈よ。」
「その鼓動を今ここへ。荒れ狂え、大いなる断層」
姉の魔力が地中へ吸い込まれていく。
「地脈崩壊。」
ゴゴ……。
大地が低く唸った。
だが、その揺れは広場全体には広がらない。
グールたちの足元だけ。
まるで見えない巨大な手が地面を握り潰したように、半径数メートルだけが大きく陥没する。
「ギャアァァァッ!」
体勢を崩したグールが次々と膝をつく。
石畳は砕けている。
だが、周囲の建物には一切被害がない。
魔力量だけではない。
緻密な制御。
これほど繊細な土魔法は初めて見た。
(これが……魔法。)
(威力だけじゃない。)
(制御することも強さなんだ。)
姉は振り返ることなく叫ぶ。
「レグルス!」
「今よ!」
「ああ!」
俺は一気に踏み込んだ。
刀を抜く。
足場を失ったグールの首元へ一閃。
二体。三体。
連続で霧となって消えていく。
だが、終わらない。
校舎の向こうでは爆音が響き、窓ガラスが砕け散る音が続いている。
炎が空へ舞い上がり、風が渦を巻く。
教師たちも各所で戦っているのだろう。
その姿は見えない。
それでも、この学園全体が今まさに戦場となっていることだけは嫌というほど伝わってきた。
その時だった。
世界が。
止まった。
──音が消える。
剣戟も。
悲鳴も。
風も。
すべて。
まるで誰かが世界そのものの音を奪ったような静寂。
「……っ。」
身体は動く。
だが、周囲だけが灰色に染まっていた。
『レグルス……。』
セレスの声も届かない。
いや。
届こうとして、途切れる。
代わりに。
知らない女の声が耳元で微笑んだ。
「聞こえるかしら。」
ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。
「誰だ。」
返事はすぐに返ってきた。
「ふふ……。」
その笑い声には余裕しかなかった。
「来られるものなら。」
間。
まるでこちらを試すように。
「来てみなさい。」
さらに、少しだけ楽しそうに。
「……小さな獅子さん。」
その呼び方。
なぜ俺を知っている。
問い返そうとした瞬間。
世界へ音が戻った。
「レグルス!」
姉の叫びで我に返る。
「姉さん!」
「どうしたの!? 一瞬動きが止まって……!」
俺は荒い息を整えながら辺りを見回す。
グールはまだ現れ続けている。
だが、俺の頭の中には、あの声だけが残っていた。
「地下だ……。」
「え?」
「あいつは……地下にいる。」
姉の表情が変わる。
冷静な顔。
「第二研究棟の裏に保守通路があるわ。」
「そこから地下水路へ繋がってる。」
「でも、一人じゃ……!」
俺は首を横に振った。
「俺が行く。」
姉は数秒だけ黙り込む。
やがて、小さく笑った。
どこか困ったように。
それでも誇らしげに。
「本当に……昔から無茶ばかり。」
そっと俺の肩へ手を置く。
「でも。」
「必ず、生きて帰ってきなさい。」
俺は真っ直ぐ姉を見る。
「ああ。」
「約束する。」
セレスの声が静かに響いた。
『行きましょうか、レグルス。』
刀の柄を強く握る。
もう迷いはない。
俺は第二研究棟の裏手へ向かって駆け出した。
地下へ続く重い鉄扉が、軋みを上げながら開いていく。
暗闇の奥から吹き上がる冷たい風。
その先で待つ者の気配だけが、ゆっくりと俺を誘っていた。
小さな獅子。
頭の中で、あの女の声がもう一度だけ笑う。
俺は刀へ手を添え、深い闇の中へ足を踏み入れた。




