第2話 地下遺跡とセレス
落ちる。
落ちる。
落ちる。
視界が回る。
上も下も分からない。
身体だけが宙を舞い続けていた。
「っ――!」
肩が岩肌に激突した。
鈍い衝撃。
そのまま身体が斜面を転がる。
背中。
腰。
足。
全身を何度も打ち付けながら転がり続けた。
やがて。
ドンッ!
という衝撃と共に身体が止まる。
肺の中の空気が一気に吐き出された。
「がっ……!」
呼吸ができない。
胸が痛い。
全身が痛い。
何もかも痛い。
しばらくその場でうずくまるしかなかった。
やがて少しずつ呼吸が落ち着く。
レグルスはゆっくり身体を起こした。
右腕を動かす。
問題ない。
左腕も動く。
足も動く。
骨は折れていないらしい。
「運だけは良かったな……」
そう呟いて周囲を見回した。
そして固まる。
そこは洞窟ではなかった。
崩れた石柱。
石造りの床。
壁面に刻まれた見知らぬ文字。
青白い結晶が壁や天井に埋め込まれ、淡く光を放っている。
その光が広大な空間をぼんやり照らしていた。
「遺跡……か?」
思わず声が漏れる。
古代遺跡。
冒険者なら誰もが一度は夢見る場所。
財宝。
古代魔導具。
失われた知識。
そして大量の死人。
レグルスは即座に結論を出した。
「帰ろう」
一秒も迷わない。
自分の実力は自分が一番よく知っている。
レベル三。
冒険者試験に落ち続ける落ちこぼれ。
そんな人間が遺跡探索など笑い話にもならない。
「帰る」
大事なので二回言った。
しかし出口らしき場所は見当たらない。
落ちてきた穴も遥か上だ。
登れる気がしない。
「最悪だな……」
その時だった。
広間の奥に何かが見えた。
祭壇。
その上に、一冊の本が置かれている。
黒い表紙、銀色の装飾。
中央には獅子を模したような星の紋章。
不思議と目を引く。
近寄るな。
本能がそう警告していた。
「絶対面倒事だろ」
そう言いながら近付いている時点で説得力はなかった。
一歩。
また一歩。
祭壇の前まで来る。
「何やってるんだろうな、俺」
誰に言うでもなく呟く。
そして。
手を伸ばした。
指先が本に触れる。
瞬間。
遺跡全体が白く輝いた。
「っ!?」
頭の奥に直接声が響く。
『ようやく来たか』
女の声だった。
落ち着いていて。
綺麗で。
そして少し偉そうな声。
レグルスは反射的に手を離した。
「帰る」
『待て』
即答だった。
「嫌だ」
『話を聞け』
「本が喋る時点で嫌な予感しかしない」
『失礼な小僧だな』
本がふわりと浮かび上がった。
「うわ、本当に浮いた」
『その反応は何だ』
「普通引くだろ」
『引くな』
「無茶言うな」
本は少しだけ揺れた。
怒っているらしい。
『私はグリモア』
「種族名か?」
『ほう』
本が少し揺れる。
『理解が早いな』
「本だからな」
『正解だ』
なぜか少し嬉しそうだった。
「名前は?」
数秒の沈黙。
そして。
『セレス』
「セレス」
『そう呼べ』
「偉そうだな」
『偉いからな』
「自分で言うなよ」
面倒臭い。
本当に面倒臭い。
だが妙に人間臭かった。
『レグルス・クレハルト』
レグルスは目を細めた。
「何で俺の名前を知ってる」
『クレハルト家三男』
『祖父に憧れた落ちこぼれ』
「帰る」
『待て』
「人の傷口を抉るな」
『事実だろう』
「事実なら何を言ってもいいと思うな」
セレスが小さく笑った。
『だが努力はした』
レグルスは黙る。
『十年』
『結果が出なくても刀を振った』
『諦めなかった』
それは誰より自分が知っている。
才能がない。
兄には届かない。
姉にも届かない。
分かっている。
それでも刀を捨てられなかった。
『だから選ばれた』
空中に文字が浮かぶ。
――《未踏領域》――
「何だこれ」
『お前の固有能力だ』
「急に強くなる能力か?」
『違う』
即答だった。
『身体能力はほとんど変わらん』
「え?」
『魔力も増えん』
「え?」
『レベルも変わらん』
「弱くないか?」
『話を聞け』
呆れた声が返ってくる。
『これは最適化だ』
「最適化?」
『お前は理論を知っている』
『だが身体が追いついていない』
レグルスは少し考える。
思い当たる節しかなかった。
『踏み込み』
『重心移動』
『刃筋』
『呼吸』
『お前は頭では理解している』
『だが身体が再現できなかった』
レグルスは思わず黙る。
まさにその通りだった。
『《未踏領域》はその無駄を削る』
『お前が本来できる動きを引き出す』
『第一段階はそれだけだ』
「地味だな」
『十分凶悪だ』
セレスは呆れたように言った。
『振れ』
「またか」
『振れ』
レグルスは刀を抜いた。
静かな金属音が響く。
愛刀。
無銘の打刀。
クレハルト家お抱え鍛冶師の作品。
特別な力はない。
だが幼い頃から手入れを教わり、使い続けてきた一本だった。
構える。
足を開く。
呼吸を整える。
そして。
振る。
ヒュッ。
風を切る音が響いた。
レグルスは目を見開く。
違う。
力は変わらない。
速さも変わらない。
だが。
思った通りに身体が動いた。
今まで何度も理想として描いていた軌道。
それが初めて形になった。
「今の……」
『それがお前本来の動きだ』
セレスが言う。
『今までは無駄が多すぎた』
レグルスはもう一度振る。
さらに振る。
また振る。
その時。
空中に文字が浮かんだ。
――切る Lv1 → Lv2――
「は?」
思わず声が漏れる。
十年間。
何も変わらなかった。
それが。
たった数十回で。
『努力は無駄ではなかった』
セレスが静かに言った。
その言葉が妙に胸に刺さる。
レグルスは刀を見下ろした。
嬉しい。
悔しい。
安心した。
色々な感情が混ざる。
だが。
その時間は長く続かなかった。
ガリッ。
石を引っ掻く音。
レグルスは反射的に振り返る。
暗闇の奥。
赤い目が光っていた。
一つ。
二つ。
三つ。
小柄な影がゆっくり現れる。
緑色の肌。
尖った耳。
粗末な棍棒。
『ゴブリンだ』
セレスの声が低くなる。
レグルスは刀を握り直した。
怖い。
正直かなり怖い。
だが逃げ場はない。
ゴブリンたちが笑う。
ギャギャギャッ。
不快な声だった。
そのうちの一体が棍棒を振り上げる。
『記念すべき初戦だ』
「縁起でもないこと言うな」
レグルスは唾を飲み込む。
そして刀を正眼に構えた。
十年間振り続けた刀。
初めての実戦。
初めての命のやり取り。
『行け』
セレスが言う。
レグルスは小さく息を吐いた。
そして。
一歩前へ踏み出した。




