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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第一章 契約――そして王都へ
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第2話 地下遺跡とセレス

設定変更の関係で修正しました。

 落ちる。


 落ちる。


 どこまでも、暗闇の中を落ちていく。

 視界が激しく回転し、上も下も分からない。

 崩れた石と土が、俺の周囲を雨のように降っていた。


 「っ――!」

 右肩が突き出した岩へぶつかる。

 鈍い衝撃が腕の付け根まで突き抜けた。

 身体が弾かれ、そのまま急な斜面へ叩きつけられる。


 背中、腰、脚。

 何度も岩肌へぶつかりながら転がり落ちる。

 手にしていた刀だけは離さなかった。

 刃が自分へ向かないよう腕を伸ばし、柄を握り締める。

 やがて斜面が途切れた。

 身体が一瞬だけ宙へ浮く。


 「う、わ――」

 直後。


 ドンッ!


 全身を突き上げるような衝撃とともに、硬い床へ投げ出された。

 肺の中に残っていた空気が、一気に押し出される。


 「がっ……!」

 呼吸ができない。

 胸が痛い。

 背中も、肩も、足も痛い。

 しばらくは指一本動かすこともできず、冷たい床へうずくまっていた。

 自分の荒い呼吸だけが、暗闇の中へ響いている。

 どれほどそうしていたのか。

 やがて肺が空気を受け入れ始めた。


 「……生きてるな」

 声に出して確認する。

 右腕を動かす。

 痛みはあるが、動く。

 左腕も、両脚も同じだ。

 骨は折れていないらしい。

 運が良かった。

 いや、あれだけの高さから落ちて骨折すらしていないのなら、良すぎると言ったほうがいい。

 握っていた刀を確認する。

 刀身に細かな傷は増えているが、折れてはいない。

 血がついていないことを確かめ、慎重に鞘へ戻した。

 それから、ようやく周囲へ目を向ける。


 「ここは……」

 洞窟ではなかった。

 最初に見えたのは、斜めに倒れた巨大な石柱だった。

 俺の胴よりも太い。

 かつては天井を支えていたらしいが、中央から折れ、床を埋める瓦礫の一部になっている。

 その向こうにも、崩れた石柱が何本も転がっていた。

 辛うじて立っているものも、表面がひび割れ、今にも崩れそうに傾いている。

 床は石造り。

 壁にも、荒く切り出された岩ではなく、人の手で積み上げられた石材が使われていた

 広さや造りから考えれば、神殿に近い。

 ただし、今では祈りを捧げる者どころか、長い間誰も足を踏み入れていないように見えた。

 祭具らしきものは砕け、床の隙間には黒ずんだ砂が溜まっている。

 神殿だったものが、歳月の中で朽ち果てた。

 そんな空間だ。


 だが、完全な暗闇ではなかった。

 壁面の一部が、青白く光っている。

 近づいて見ると、それは照明用の結晶ではなかった。

 壁には、文字のような文様が無数に刻まれている。

 直線。

 曲線。

 いくつもの円。

 どれも見たことのない形で、文字なのか、何かの術式なのかさえ判別できない。

 その文様に混じり、小さな光の点が浮かんでいた。

 青白い星。

 そうとしか思えなかった。

 石壁へ埋め込まれた光は大小さまざまで、細い光の線によって結ばれている。

 崩落によって失われた部分も多い。

 それでも、残された星を目で追うと、一つの姿が浮かび上がった。

 四本の脚。

 反り返った尾。

 大きく開かれた顎。


 「獅子……?」

 俺でも知っている。

 夜空に浮かぶ獅子座の形だ。

 偶然ではない。

 周囲の壁にも、同じ配置の星が何度も描かれている。

 なぜ地下深くに、獅子座を刻んだ神殿がある。

 ベルグラードの地下に遺跡があるなど、聞いたこともない。

 考えても答えは出なかった。


 「帰るか」

 誰に言うでもなく呟く。


 古代遺跡。

 失われた魔導技術や財宝が眠る一方で、発見した冒険者がそのまま帰らないことも珍しくない場所。

 レベル三。

 冒険者登録試験に落ち続けている俺が探索していい場所ではない。

 問題は、帰るための道が見当たらないことだ。

 落ちてきた穴は遥か上にある。

 崩れた斜面を登ろうにも、手をかけた石から崩れてしまう。

 別の出口を探すしかない。

 そう考えて歩きだそうとしたときだった。


 胸の奥で、何かが脈打った。


 「……何だ?」

 音ではない。

 声でもない。

 それでも、何かに呼ばれたような気がした。


 顔を上げる。

 崩れた石柱の隙間から、一本の廊下が延びている。

 俺が倒れていた場所から少し離れた、神殿のさらに奥へ続く廊下だ。

 その先に、広い空間らしきものが見える。

 だが暗く、何があるのかまでは分からない。

 近づくな。

 頭ではそう考えている。

 それなのに、胸の奥に生じた感覚は消えなかった。

 むしろ廊下へ目を向けた瞬間、先ほどより強くなる。


 こちらへ来い。

 そう訴えかけているようだった。


 「絶対、面倒事だろ……」

 足はすでに廊下へ向いていた。

 一歩、踏み出す。

 

 その瞬間。

 ボッ、と音がした。


 「っ!?」

 反射的に刀の柄へ手をかける。

 廊下の入口に設置されていた石の燭台へ、青白い炎が灯っていた。

 燃料らしきものはない。

 炎は石の皿から直接噴き出し、風もないのにゆっくり揺れている。


 もう一歩、進む。

 少し先の燭台にも炎が灯った。

 ボッ。

 さらに先。

 ボッ、ボッ、と。

 俺が進むのに合わせ、左右の燭台へ青白い炎が順番に点いていく。

 炎に照らされ、廊下の姿が暗闇から浮かび上がった。

 壁にも、先ほどと同じ文字のような文様が刻まれている。

 青白い星々は、廊下の奥へ導くように並んでいた。


 足音が響く。

 踏み出すたび、胸の奥の感覚が強くなる。

 恐怖はある。

 それでも、不思議と引き返そうとは思わなかった。

 やがて廊下が途切れる。

 その先には、円形の広場があった。

 俺が足を踏み入れると、広場を囲んでいた燭台へ一斉に炎が灯った。

 青白い光が広がり、それまで闇に覆われていた空間を映し出していく。

 円形に並んだ石柱。

 その半数以上は崩れ、床へ折り重なっている。

 高い天井には大きな亀裂が走り、砕けた石材の間から黒い岩盤が露出していた。

 床には巨大な円と、そこから放射状に伸びる幾何学模様が刻まれている。


 そして。

 広場の中心に、台座があった。

 階段状になった石の台。

 その最上部に、一冊の本が置かれている。


 焦げ茶色の革表紙。

 四隅を補強する金属にはくすみ一つなく、表紙の中央には星をつないで形作られた獅子の紋章が刻まれていた。

 壁に浮かんでいた獅子座と、同じものだ。

 本は剥き出しではない。

 台座全体を覆うように、淡い青色の半球体が広がっている。

 透き通った光の膜。

 その表面を、小さな星のような光が絶えず巡っていた。


 「保管されているのか……?」


 墓ではない。

 封印とも少し違う。

 何かを外部から守り、長い時間保存するための結界。

 そう見えた。

 胸の奥にあった感覚が、今までで最も強く脈打つ。

 俺を呼んでいたのは、この本だ。

 理由など分からない。

 だが、なぜかそう確信できた。

 台座へ続く階段を上る。


 一段。

 また一段。


 俺が近づくたび、半球体を巡る星々の速度が上がっていく。

 台座の前で足を止めた。


 「触るなって顔をしてるな」

 淡い青色の結界は静かに光っている。

 返事があるはずもない。

 触れれば何かが起こる。

 それだけは間違いなかった。

 それでも、ここまで俺を呼び続けた理由を知りたかった。

 意を決し、右手を伸ばす。

 指先が半球体へ触れた。

 冷たい。

 水へ触れたような感触。

 次の瞬間、指先を中心に淡い波紋が広がった。


 一つ。

 二つ。

 幾重もの光の輪が、半球体の表面を駆け抜ける。

 広場全体が震えた。


 「何だ――!?」

 壁に刻まれていた文字のような文様が、一斉に輝き始める。

 青白い星々が順番に光を増し、細い線で結ばれていく。


 獅子の頭。

 背。

 脚。

 尾。

 広場を囲む壁すべてに、巨大な獅子座が浮かび上がった。

 光が台座へ集まる。

 焦げ茶色の本に刻まれた獅子の紋章が、金色に輝いた。

 半球体へ亀裂のような光が走る。

 砕けた。

 そう思った瞬間、淡い青色の結界は無数の光の粒となり、広場へ舞い上がった。

 台座に置かれていた本が浮かぶ。

 閉じられていた留め金が、ひとりでに外れた。


 表紙が開く。

 古びた紙が風もないのにめくれていく。

 そして。

 頭の奥へ、女性の声が響いた。


 『適合者を確認しました』

 落ち着いた声。

 長い眠りから目覚めたばかりのような、わずかな掠れが混じっている。


 『継承条件を確認』


 『努力蓄積――規定値以上』


 『黄道十二宮契約への適合を確認』


 「……本が喋った」

 思わず口から出た。


 宙に浮かぶ本が、ぴたりと動きを止める。


 『長い時を経て、ようやく目覚めた私に対する第一声がそれですか?』


 「他に何て言えばいいんだ」


 『もう少し驚き方があるでしょう』


 「十分驚いてる」


 『そうは見えませんが』

 声から少しだけ不満が伝わってくる。

 どうやら、ただの記録音声ではないらしい。


 「お前は何なんだ」


 『グリモアです』


 「それは種族名か?」


 数秒の沈黙。

 浮かんでいる本が、わずかに傾いた。


 『理解が早いですね』


 「本だからな」


 『……正解です』

 少しだけ嬉しそうだった。


 「名前は?」


 再び、短い沈黙が落ちる。

 やがて女性の声が、先ほどよりもはっきりと告げた。


 『セレス』

 開かれていた頁が淡く光る。


 『私の名はセレス。黄道十二宮、その一角を継承する者を待つグリモアです』


 「黄道十二宮……?」


 『説明は契約後に行います』


 「契約するとは言ってない」


 『では、ここから一人で出口を探しますか?』


 「それは脅しか?」


 『現在の状況をお伝えしただけです』

 言葉は丁寧だが、少し腹が立つ。

 けれど、言っていることは正しい。

 出口は見つからない。

 ここがどれほど地下にあるのかも分からない。

 遺跡に魔物がいない保証もなかった。


 「契約したら、何が起きる」


 『あなたが積み重ねてきたものを、正しく力として扱えるようになります』


 「急に強くなる能力か?」


 『違います』

 即答だった。


 『身体能力が突然、何倍にもなるわけではありません』


 『魔力量が際限なく増えるわけでもありません』


 『あなたが知らない剣術を、私が与えるわけでもありません』


 「それで、何が変わる」


 『あなたは知識を持っています』

 セレスの声が、静かに広場へ響く。


 『踏み込み』


 『重心移動』


 『刃筋』


 『呼吸』


 『何年も考え、何度も繰り返してきた』


 『けれど、頭で理解している動きを身体で再現できなかった』


 何も言い返せなかった。

 思い当たることしかない。

 理解している。

 それでも動けない。

 分かっている。

 それでも直せない。

 それが、これまでの俺だった。


 『私との契約は、あなたの身体を最適な状態へ近づけます』


 『積み重ねた努力を、無駄なく動作へ変えるのです』


 「俺が知らないことは、できないのか」


 『できません』


 「振ってこなかった刀は、うまくならない」


 『当然です』


 「何もしなければ、強くならない」


 『そのとおりです』


 派手ではない。

 物語に出てくる英雄のように、触れただけで最強になれる力でもない。

 それでも。

 俺には、それで十分だった。

 何度も振った。

 何度も失敗した。

 何年も届かなかった。

 そのすべてが本当に無駄ではないのなら。


 「契約する」

 右手を差し出す。


 「俺は何をすればいい」


 『そのまま、私へ触れてください』

 宙に浮かんでいたセレスが、ゆっくりと降りてくる。

 焦げ茶色の表紙へ手を置いた。

 今度は冷たくない。

 人肌に近い、不思議な温かさが掌へ伝わった。


 『あなたの名を』


 「レグルス・クレハルト」


 『契約の受諾を』


 「受け入れる」

 獅子の紋章が眩い金色に輝いた。

 光が腕を駆け上がる。

 手首。

 肘。

 肩。

 胸の中心へ到達した瞬間、心臓が大きく脈打った。

 身体の奥へ、これまで感じたことのない何かが流れ込んでくる。

 熱ではない。

 力でもない。

 歪んでいた歯車が、正しい位置へ収まっていくような感覚。

 床に刻まれていた巨大な円が輝く。

 壁の獅子座が、広場全体を覆うほど強く光った。


 《契約者――レグルス・クレハルト》

 《契約物――グリモア・セレス》

 《黄道十二宮――獅子宮適合》

 《契約を承認しました》


 金色の光が弾ける。

 広場へ舞っていた青白い星々が、吸い込まれるようにセレスの表紙へ戻っていく。

 やがて光は収まり、焦げ茶色の本が俺の手の中へ落ちた。


 『これで契約は成立しました』


 「何も変わった気がしない」


 『そうでしょうね』


 「少しくらい言い方があるだろ」


 『確認すれば分かります。刀を振ってください』


 俺はセレスを台座の端へ置いた。

 刀の柄へ右手をかける。

 左足を前へ。

 腰を落とす。

 呼吸を整える。

 何千回、何万回と繰り返してきた構え。

 刀を抜く。

 そして、振り下ろした。

 ヒュッ――。

 短い風切り音が広場へ響く。


 「……え?」

 思わず刀を見た。

 力が増えたわけではない。

 振る速さも、それほど変わっていない。

 それなのに、今までとは明らかに違う。

 踏み込みと腰の回転がずれていない。

 肩へ余計な力が入っていない。

 切っ先まで意識した刃筋が、思い描いた軌道をそのまま通った。

 幼い頃から何度も頭の中で描いてきた一振り。

 身体が初めて、それへ追いついた。


 『それが、あなたの積み重ねてきた動きです』


 「これが……俺の?」


 『私は何も与えていません』

 セレスの声は穏やかだった。


 『あなたが振り続けてきたから、今の一振りがあるのです』 

 視界の端に、淡い文字が浮かんだ。


《基本行為を確認》

《斬る――Lv1》


 たった一度。

 思いどおりに刀を振れただけだ。

 それでも、胸の奥が熱くなった。

 もう一度振りたい。

 今の感覚を忘れたくない。

 そう思って構え直した、そのときだった。


 ガリッ。

 石を引っかく音が、廊下の奥から聞こえた。

 俺は反射的に振り返る。

 点いていた青白い炎が、大きく揺れた。

 広場へ続く廊下。

 その暗闇の中に、赤い光が浮かんでいる。


 一つ。

 また一つ。

 低い唸り声。

 獣のような臭気。

 小柄な影が、ゆっくりと炎の中へ姿を現した。

 緑色の皮膚。

 尖った耳。

 歪んだ顔。

 手には錆びた短剣。


 『ゴブリンです』

 セレスの声が低くなる。


 俺は刀を握り直した。

 思いどおりに振れたのは、まだ一度だけ。

 実戦経験はない。

 怖い。

 逃げたい。

 けれど、背後に出口はなかった。

 ゴブリンが牙を剥き、短剣を振り上げる。

 俺は震える足で石床を踏み締め、刀を正眼に構えた。


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