第18話 獅子宮の第一階層 序章 能力制限と錆びた刀
「レグルスさん、今回の依頼達成報酬になります」
夕方の冒険者ギルド。
受付カウンターの向こうで、栗色の髪を後ろでまとめた受付嬢が革袋を差し出した。
レグルスはそれを受け取り、中身を確認する。
金貨が10枚合計1万ギル。
レグルス・クレハルトはベルグラード北部森林の依頼を解決した報酬も受け取るために、昼頃から訪れていた冒険者ギルドを後にしながら、小さく息を吐く。
夕暮れ時のベルグラード。
石畳の道を橙色の光が照らし、行き交う人々の影が長く伸びていた。
「思ったより稼げたな」
革袋の中で硬貨が触れ合う音が鳴る。
ゴブリン討伐などの結果、少しずつではあるが資金も増えてきた。
まだ裕福とは程遠い。
それでも一人で生きていくには十分な一歩だった。
「満足ですか?」
腰に下げた黒い本から声が響く。
セレス。
黄道十二宮のグリモア、そして獅子宮の管理者と思われる本。
「まあな。少なくとも腹は減らさずに済みそうだ」
「志が低いですね」
「高すぎても疲れるだろ」
「それもそうですね」
珍しくセレスが否定しなかった。
レグルスは思わず苦笑する。
最初は得体の知れない存在だと思っていたが、こうして話していると不思議と気楽だった。
人間らしい感情は薄い、しかし全くないわけでもない。
どこか機械的で、それでいて時々妙に人間臭い。
そんな存在だった。
「そういえば」
ふと気になったことを口にする。
「お前、最近少し変わったよな」
「何がですか?」
「いや、最初の頃はもっと冷たかったというか」
数秒の沈黙。
普段なら即座に返答が来るはずだった。
だが今回は違った。
「……否定はしません」
珍しく歯切れの悪い返事だった。
部屋へ戻る途中、屋台から肉を焼く香りが漂ってくる。
酒場からは笑い声。楽師の奏でる音楽。平和な夕暮れだった。
「帰るか」
だがレグルスは知っている。
この世界は決して平和ではない。街の外や森の奥には魔物がいることを忘れてはならない。
住み慣れた部屋へ入り、扉に鍵をかける。
簡素な机、椅子、寝台、一人暮らしには十分な空間。
レグルスは刀を壁に立て掛けると椅子へ腰を下ろした。
そして腰の本へ視線を向ける。
「それで?」
「何でしょう」
「そろそろ教えてもらおうか」
「何をです?」
「獅子宮だよ」
静寂、数秒の沈黙。
そして本の表紙に描かれた獅子の紋章が淡く光り始めた。
「ようやく覚悟が決まりましたか」
「覚悟?」
「黄道十二宮の契約者となった以上、いずれ通る道です」
空気が変わる。
部屋の温度が下がったような錯覚。
いや違う。
空間そのものが震えている。
レグルスは反射的に立ち上がった。
「セレス?」
「獅子宮第一階層」
黄金の光が溢れ、視界が白に染まった。
次の瞬間。
足元の感触が消えた。
――――。
気付けば、そこは巨大な石造りの空間だった。
天井は高く、柱が規則正しく並ぶ、薄暗い回廊。
壁には古代文字。
静寂、どこまでも続く迷宮。
「ここは……」
レグルスの瞳が見開かれる。
見覚えがあった。
あの日、セレスを発見した地下迷宮。
あの場所と同じ構造だった。
違うのは規模。
そして空気。
ここには圧倒的な威圧感が存在していた。
「獅子宮です」
セレスの声が響く。
姿も現れた。
銀色の長髪、金色の瞳、白いドレスを纏う神秘的な雰囲気を醸し出している女性。
いつのまにか人間の姿になっている。
「その姿....相変わらず突然だな」
「説明する時間が惜しいので」
「毎回それだな」
「効率重視です」
悪びれる様子はない。
レグルスは肩を落とした。
その時だった。
目の前の石台に一本の刀が置かれていることに気付く。
近づいて手に取る。
錆だらけだった、刃は赤茶色に腐食している。
とても斬れる代物ではない。
「何だこれ」
「獅子宮で使用できる武器です」
「冗談だろ」
「本気です、この刀はいつかあなたのためになります」
即答だった。
「第一階層の課題は魔力」
セレスは指を立てる。
「あなたは未熟です」
「知ってる」
「魔力も未熟です」
「それも知ってる」
「剣術も未熟です」
「うるさいな」
「事実です」
容赦がなかった。
セレスは続ける。
「故にまず学ぶべきは力の扱い方です」
その瞬間。
レグルスの身体が重くなった。
膝が沈む。
まるで見えない鎖を付けられたようだった。
「なっ……!?」
「身体能力を制限しました」
「おい!」
「安心してください」
セレスは微笑むがその笑みが少し怖い。
「死にはしません」
「その言い方やめろ!」
「第一階層では身体能力に頼ることを禁じます」
レグルスは拳を握る。
確かに重い、いつもの半分も力が出ない。
「魔力を感じなさい」
静かな声。
「流れを感じなさい」
「流れ……」
「魔力は燃料ではありません」
セレスはレグルスの胸へ指を向ける。
「身体の中を流れる血液のようなものです」
その言葉でレグルスは少し理解した。
力として放つものではない、全身を巡るもの。
「感じなさい」
静寂。
レグルスは目を閉じた。
最初は何も分からない。
だが徐々に。
身体の中で微かな温かさを感じ始める。
心臓、肺、下腹部、腕、脚。
身体の奥底を流れる何か。
「それです」
「これが……魔力か」
「はい」
セレスが頷く。
「ようやく入口です」
レグルスはゆっくり呼吸する。
温かな流れ、それを腕へ脚へ送る。
少しずつ少しずつ慎重に。
すると。
重かった身体がわずかに軽くなった。
「っ!」
「魔力による身体強化」
セレスの声が響く。
「それが第一歩です」
レグルスは何度も繰り返した。
失敗する。流れが途切れる。身体が重くなる。
また挑戦する。
汗が流れる。
時間の感覚も消えていく。
何時間経ったか分からない頃。
ようやく身体全体へ魔力を巡らせることに成功した。
「合格点ですね」
「はぁ……はぁ……」
床へ座り込む。
だが不思議だった。
疲れているはずなのに身体は軽い。
「次です」
「まだあるのか……」
「当然です」
セレスは微笑む。
その背後で風が生まれた。
何もない空間。
それなのに風だけが吹いている。
『獅子宮第一階層の属性は風』
レグルスの瞳が細まる。
「刀と相性が良い」
「速さ」
「流れ」
「軌道」
「そして間合い」
風が舞う。
まるで剣士の軌跡のように。
「風を感じなさい」
レグルスは錆びた刀を握り静かに構えた。
「これからが本格的な訓練です」
セレスは微笑む。
「覚悟してください」
その笑顔を見て。
レグルスは確信した。
明日から地獄が始まる。
そう。
まだこれは。
獅子宮の入口に過ぎなかった。
――――第一階層、開始。




