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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第十一章 東方紀行、天地の息吹
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第147話 巡り続ける力

 木刀の先から、朝露が落ちた。

 宗玄さんは倒木の向こうに立っていた。少し前へ傾いた身体。その後ろへ隠れた木刀は、先端だけが作務衣の脇からのぞいている。


 間には、腰ほどの高さの朽ちた幹が横たわっていた。

 右は下り斜面。左には細い木が密に生え、その奥で沢の音がしている。


 俺は息を吐き、身体の内側へ意識を向けた。

 長く親しんできた魔力の巡りに、もう一つの流れが沿っている。

 気。山で暮らすうちに感じ取れるようになった力は、今では足裏から指先まで、自分の身体と一緒に動いていた。


 二つを、同じ強さで巡らせる。

 足元の土を押した。

 倒木を越えながら木刀を振り下ろす。宗玄さんが半歩ずれ、その肩が切っ先の外へ出た。俺は着地と同時に横へ払い、追う。


 木刀が触れた。

 硬い音が一つ鳴り、宗玄さんの身体が下り斜面へ流れた。

 そのまま距離を取るかと思ったところで、小柄な姿が沈む。


 次の一歩が、速かった。

 俺は斜め後ろへ足を運び、突き上がってくる木刀を受け流した。肩の脇を木の先端が抜ける。空いた胸へ返そうとしたときには、宗玄さんはもう倒木の陰にいた。


 追って幹を回る。

 向こう側に姿がない。

 頭上で、葉が擦れた。

 見上げるより先に身体を横へ送り、落ちてくる一撃を避けた。着地した宗玄さんへ踏み込むと、木刀が短く跳ねる。

 俺の木刀を押し上げ、そのまま喉元へ。

 触れる寸前で、止まった。


「一本じゃな」


「……はい」

 俺は構えを解いた。

 倒木の横に立ったまま、宗玄さんが頭上の枝を見上げる。


「まだ折れんようじゃ」


 太い枝が、ゆっくりと揺れていた。

 俺も見上げた。

 下へ逃げた相手を追い、幹の向こうへ目を向けた。その間に、上を取られている。

 腕や脚には、余力があった。

 両方の力を強く巡らせれば、確かに身体は速く動く。踏み込みにも、振り抜く木刀にも、普段以上の力が乗った。

 それでも、宗玄さんの立つ場所を読み違えれば届かない。


「もう一本、お願いします」


「うむ」


 宗玄さんが木刀を肩へ担ぎ、今度は沢のほうへ歩き出した。


     ◇


 両義相環と名づけてから、数日が過ぎていた。

 朝、食事を済ませて山へ入り、宗玄さんと木刀を交える。

 昼には休み、天気や互いの疲れ具合で、午後も続けることがある。雨の強い日は家で過ごし、晴れればまた違う斜面へ足を延ばした。


 同じ場所でも、昨日と今日では足元が違った。

 乾いた土が雨を含み、沢の水かさが増え、落ちた枝が道を塞ぐ。宗玄さんは、そのどこでも変わらず動いた。

 俺は手合わせのたびに、二つの力の使い方を変えていた。

 両方を強く巡らせ続ければ、長い攻防の後で息が上がる。

 使った分だけの手応えはある。だが、相手が間合いの外へ出た後まで同じ強さを保つ必要はなかった。


 ならば、踏み込む瞬間だけ高める。

 それで何度か、宗玄さんを追った。

 一歩の速さは増した。けれど、その一歩を見越して間合いを外されると、次には違う応じ方が必要になる。

 受けるつもりだった木刀が、手元へ来る前に引かれる。

 追うつもりの背中が、こちらへ向き直る。

 始める前に決めた使い方だけでは、足りなかった。


     ◇


 沢の浅いところで、宗玄さんの足が水を踏んだ。


 飛沫が上がる。

 俺はその向こうの肩を見ながら、濡れた石へ足を置いた。

 右から来た木刀へ、こちらの木刀を斜めに添える。

 重い。


 《地轟》。

 小柄な身体から届く力が、両腕を通して足元へ落ちてきた。

 俺は後ろ足で石を捉え、腰を回した。木刀の接点を滑らせながら、宗玄さんの横へ入る。


 身体の内側で気が巡り、足裏にかかる重さがはっきりと伝わった。

 そこへ魔力を応じさせる。

 押し返す力を、前へ。

 宗玄さんの脇へ切っ先を走らせた。


 作務衣の袖が翻った。

 届く直前に相手の身体が遠ざかる。追い足を出すと、今度は俺の手首へ木刀が迫った。

 肘を引き、刃筋を外す。

 その一瞬、宗玄さんの足が止まった。


 踏み込める。

 俺が前へ出るのと、宗玄さんが沢底の石を蹴るのは、ほとんど同時だった。

 水が顔の前へ跳ね上がる。

 目を細めても、気配は分かる。

 左。


 木刀を立てた。

 ぶつかった音が、沢へ響いた。

 俺は受けた勢いを逃がしながら向きを変えたが、その先へ宗玄さんの足が差し込まれた。


 進む場所を取られている。

 上へ跳んだ。

 銀環へ魔力を通し、空中の足場を踏む。低く反転して背後へ回ろうとしたところへ、宗玄さんの木刀が伸びた。

 俺はもう一段、高い位置を蹴った。

 その分だけ、着地が遠くなる。

 岸へ下りた瞬間、宗玄さんは沢を渡りきっていた。

 水を引く木刀が、俺の胸へ軽く触れた。


「……一本」

 自分から言うと、宗玄さんが頷いた。


 俺は長く息を吐いた。

 頬から落ちた水が、襟の内側へ入る。


「少し休むかの」


「はい」

 宗玄さんが先に岸へ上がった。

 俺も続き、陽の当たる岩へ腰を下ろす。

 セレスが肩のそばへ来た。


『今のは、ずいぶん続いたわね』


「うん。でも、最後は行く場所を選ばされた」


 沢を見下ろす。

 左へ追い込まれ、上へ逃げた。

 もう一段上がれば避けられる。その足場まで、宗玄さんには見えていたのだろう。

 水筒を傾けると、冷たい水が喉を通った。


『二つの力は?』


「さっきより、長く一緒に使えた」


 空いた手を開き、閉じる。

 受けたときも、返したときも、空へ上がったときも。

 どちらかの力を使い終えて、次へ切り替える感覚は薄くなっていた。


「ずっと同じ強さで回していなくても、続いてるんだ」


 セレスが俺の手元を見た。


『弱めても、巡りは残るのね』


「うん」


 沢の水が岩へ当たり、左右へ分かれていた。

 片側は勢いよく流れ、もう片側は小さな窪みを回っている。その先では、どちらも同じ下流へ向かっていた。

 俺は水筒の蓋を閉めた。

 向こうでは、宗玄さんが濡れた袖を絞っていた。

 俺の視線に気づくと、その袖を少し持ち上げる。


「今日は、よく濡れる日じゃ」


「まだ午前ですよ」


「午後には乾くじゃろう」

 宗玄さんはそう言って、日の当たる場所へ座り直した。


     ◇


 昼を挟んでからは、沢を離れた。

 木々の間に岩が露出した斜面だった。

 根が張り出し、落ち葉の下には細かな石が隠れている。見上げれば、枝の隙間から空が見えた。

 俺は木刀を下げたまま、呼吸を整えた。


 気を巡らせる。

 魔力も、そのまま。

 大きく膨らませず、二つが動いていることを感じる。

 踏み出す前から、身体はもう応じられる状態にあった。


「お願いします」


 宗玄さんの顎が、わずかに引かれた。

 次の瞬間、間が消えた。

 低い位置から木刀が伸びてくる。

 俺は左へ身体を開き、切っ先を外した。すぐに宗玄さんの肩が回る。


 二撃目。

 後ろへ退く足に魔力を乗せ、間合いを浅くする。

 胸の前を木刀が通り過ぎたところで、気を巡らせた足が土を捉えた。


 今度は、こちらから入る。

 木刀を振り下ろすと、宗玄さんが受けた。

 乾いた音が鳴る。


 押し合う前に手首を返し、切っ先を下へ抜いた。

 相手の木刀を外側へ誘い、胸元へ突く。

 宗玄さんの身体が横へ流れた。


 追った。

 踏み込む力を高め、間が詰まったところで、その強さを緩める。

 次にどちらへ動いても、足を出せる。


 宗玄さんが木の幹へ回り込んだ。

 俺は幹の右側へ木刀を見せ、左へ進んだ。

 回りきる前に、頭上から一撃が落ちてくる。


 さっきと似た位置だった。

 今度は、枝まで視界に入っていた。

 半歩下がって避け、降りてくる身体へ木刀を走らせる。

 宗玄さんは幹へ足を添え、空中で進む向きを変えた。


 木刀が空を切る。

 俺は振り抜いた勢いのまま足を運び、その着地へ回った。

 力を込め直す間は、ほとんどなかった。

 胸から腕へ、腰から脚へ。動きに応じて、二つの巡りの強さが変わる。


 宗玄さんの足が地面へ触れる。

 その肩へ、切っ先が届きかけた。


 空気が動いた。

 小柄な姿が、視界の端へ抜ける。

 今までより、一歩が深い。


 背筋へ冷たいものが走った。

 俺は振り向きざまに木刀を立てた。

 衝撃が全身へ届く。足元の落ち葉が散り、土が削れた。


 強い。

 それでも、踏んだ地面の感触は消えていなかった。

 気を全身へ巡らせたまま、魔力の出力を上げる。

 受け止めた力を斜めへ流し、宗玄さんの木刀を外へ送った。


 木と木が擦れる音がした。

 俺はその内側へ入った。

 肩へ届く距離。

 木刀を短く返す。


 宗玄さんが退いた。

 初めて、はっきりと間が開いた。


     ◇


 追いかけながら、息を吐いた。

 胸は熱い。

 腕にも脚にも力が巡っている。けれど、朝のように強さを保とうと意識し続ける必要はなかった。


 宗玄さんが速ければ、それに応じる。

 間が開けば、呼吸と一緒に静まる。


 巡りは続いていた。

 斜面を横切り、露出した岩へ足をかける。

 宗玄さんは下にいる。


 俺は岩から跳んだ。

 《メルクリウス》の足場を斜め前へ作り、そこを蹴って角度を変えた。

 宗玄さんの右側へ木刀を振り下ろす。


 受けられた。

 その反発を使い、身体を横へ送る。

 次の足場は低く。地面へ戻るまでの距離を短く取った。


 宗玄さんが、着地する俺を追う。

 俺は地面へ足を下ろしきる前に、もう一度だけ空間を踏んだ。

 前へ出かけていた身体を、斜め後ろへ。

 木刀の先が、鼻先を通った。


 そこへ返す。

 宗玄さんの袖が、切っ先に触れた。

 布の感触が、かすかに手へ返ってきた。

 だが、その奥に肩はなかった。

 袖を残すように身体をひねり、宗玄さんが俺の内側へ入ってくる。

 木刀を引く。


 近い。

 もう一歩、横へ抜けようとしたところで、背中に岩の冷たさを感じた。


 追ってきたのは、宗玄さんだった。

 けれど、この場所へ戻るように動かされていたのは、俺のほうだ。


 木刀の先が、腹へ触れた。

 動きが止まる。

 宗玄さんが木刀を引いた。

 俺は岩から背を離し、深く息を吸った。


「……ありがとうございました」


「うむ」

 宗玄さんも一つ息をついた。

 白い髪が額へかかり、その下に汗が光っている。


 袖の端を見る。

 木刀の擦れたところに、細い土の跡がついていた。


「惜しかったですね」

 俺が言うと、宗玄さんは袖をつまんだ。


「これは帰ったら洗わんとな」


 その顔を見て、思わず笑った。

 勝てなかった。

 最後に立つ場所も、まだ宗玄さんのほうがよく見えていた。

 それでも、木刀を交えていた間の感触は、身体にはっきりと残っていた。

 避け、受け、追い、空へ上がり、地面へ戻る。

 その間、二つの力は離れずに巡っていた。


 魔力は魔力のまま。

 気は気のまま。


 どちらも、自分の身体に息づいている。

 俺は握っていた木刀を下げた。


「もう一本、できますか」


 宗玄さんが空を見上げた。


「できるが、帰りが遅くなるぞ」


 木々の向こうで、陽が傾き始めていた。

 俺は少し考え、それから首を振った。


「じゃあ、今日はここまでで」


「そうするかの」


 宗玄さんが木刀を担ぐ。

 俺もその隣へ並んだ。


     ◇


 帰り道、沢で木刀についた土を落とした。

 冷たい水へ指を入れると、掌に残っていた熱がゆっくりと引いていく。

 セレスが近くの岩へ腰を下ろした。


『今日は、名前に少し近づいたんじゃない?』


「うん。最後は、ずっと使えてた」


『次は勝てそう?』


 俺は木刀の表面を布で拭きながら、さっきの岩を思い出した。

 袖へ届いたと思った瞬間に、その先の場所を取られていた。


「まだ、分からない」

 そう答えてから、少し笑う。


「でも、試したいことはある」


『それは、明日ね』


「うん」


 布を畳み、立ち上がった。

 宗玄さんは少し先で、道端に生えた草を眺めていた。

 俺たちが近づくと、足元を指す。


「これも食えるぞ」


「それ、食べられるんですか」


「柔らかいところだけな。汁に入れるとよい」


 教わった葉の形を確かめ、必要な分だけ摘んだ。

 指先で茎を折ると、青い匂いがした。

 家へ着く頃には、山の上だけに陽が残っていた。

 木刀を置き、手を洗う。

 宗玄さんがかまどの前へ座り、俺は摘んできた葉を水にさらした。


 身体の奥には、今日の疲れがあった。

 踏み込んだ脚の重さも、木刀を受けた腕の張りも、よく分かる。

 明日の朝には、どれくらい残っているだろう。

 その様子を見てから、また山へ行けばいい。


「味噌は、これくらいですか」

 匙を持ち上げると、宗玄さんが鍋をのぞいた。


「もう少し少なくてよい。煮詰まっとるからの」


 俺は少し戻し、汁へ溶いた。

 湯気と一緒に、馴染み始めた香りが上がった。

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