↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第十一章 東方紀行、天地の息吹
PR
156/163

第145話 山裾の暮らし

 縁側に干していた靴を手に取ると、ようやく中まで乾いていた。

 指を入れて確かめ、足を通す。

 土を落とした革には、細かな擦り傷が増えていた。昨日、沢の岩を越えようとしたときについたものだろう。


『今日は濡らさずに済むといいわね』

 柱のそばにいたセレスが言った。


「沢へ入らなければ、大丈夫だと思う」


『昨日も、入りたくて入ったわけではないでしょう?』


「……それは、そうだけど」


 立ち上がり、踵を合わせる。

 庭では宗玄さんが籠を二つ並べていた。片方には野菜が入り、もう片方は空だった。


「今日は下へ行くぞ」


「買い物ですか?」


「味噌が少なくなってきた。ついでに、これを届けてくる」


 野菜の入った籠を持ち上げようとしたので、俺が先に手を伸ばした。


「持ちます」


「では、頼もうか」


 籠を腕へかける。

 葉の間から、土の匂いがした。


 宗玄さんは戸を閉め、空の籠を提げて歩き出した。

 腰には、いつもの合口拵えの刀がある。作務衣の裾は短く整えられ、昨日あれだけ山を駆け回った人とは思えないほど、のんびりした足取りだった。


     ◇


 宗玄さんの家で過ごすようになって、十日ほどが経っていた。

 晴れた日には山へ入り、場所を変えながら木刀を合わせた。

 沢沿いの日もあれば、木々の密集した斜面で始める日もある。こちらが身を隠したつもりで待っていると、いつの間にか後ろへ回られていたこともあった。


 まだ、一本も取れていない。

 ただ、宗玄さんを追うときに見るものは増えた。

 足元の岩だけでなく、その先の道。木の陰だけでなく、そこから出た後に刀が届く場所。自分が動いたことで、相手がどちらへ行けるようになるか。

 昨日は沢を越えた先まで追いつけた。

 その後、待っていた木刀を避けて水へ落ちたので、勝ったわけではない。


 稽古をしない時間には、畑を手伝い、食事を作り、洗濯をした。

 一度、昼食の後に縁側へ座ったまま眠ってしまったことがある。目を覚ますと腹へ布がかけられ、隣では宗玄さんも寝ていた。


 今日は朝から、木刀を持っていない。

 山道を下りる途中、肩にいたセレスが前を指した。


『あの畑、昨日より黄色く見えるわ』


 道の下に、小さな畑があった。

 広い葉の間に黄色い花がいくつも開いている。宗玄さんも足を止め、そちらを見た。


「今朝、開いたのじゃろうな」


「家の畑には植えてないですよね」


「今年はな。採れる頃には、少し分けてもらえる」


「その代わりに、こっちの野菜を?」


 腕にかけた籠を見る。


「そういうこともある。今日は、頼まれていた分じゃが」


 宗玄さんはまた歩き出した。

 俺はもう少し花を眺めてから、その後を追った。


     ◇


 麓の集落には、道に沿って家と店が並んでいた。

 瑞京ほど人は多くない。

 それでも、荷車が通れば軒先にいた人が声をかけ、道を掃いていた女が手を止める。どこかの家から、薪を割る音が聞こえてきた。


「宗玄さん、今日は早いね」

 店先で木箱を動かしていた男が、こちらへ手を上げた。


「切れる前に来た」


「味噌かい?」


「うむ。それと、頼まれていたものじゃ」


 俺は籠を店先へ置いた。

 男が葉を持ち上げ、入っている野菜を確かめる。


「いいのができたね。助かるよ」


「上の畑の分もある。そちらは少し小さい」


「煮るから構わないさ」


 男は野菜を木箱へ移し、それから俺を見た。


「あんたが、今泊まっている子か」


「はい。レグルスといいます」


「山でよく音がすると思ったら、また相手ができたんだね」

 最後の言葉は、宗玄さんへ向けられていた。


 宗玄さんは笑うだけだった。

 俺が籠を受け取ると、男は店の奥から、小さな器に味噌を二種類持ってきた。


「いつものはこっち。こっちは、この前開けたばかりだ」


 宗玄さんが少しずつ味を見た。

 俺にも勧められ、木の匙の先に乗ったものを口へ運ぶ。

 先に食べたほうは塩気がはっきりしていた。

 もう一つは、後から甘みが残る。首都の店でもいくつか見せてもらったが、同じ味噌でもずいぶん違うものだった。


「どちらにする?」

 宗玄さんに聞かれ、顔を上げた。


「俺が選んでいいんですか?」


「食べるのは、おぬしも同じじゃ」


 もう一度、二つの器を見る。


「こっちを。朝の汁にしたら、おいしそうです」


 甘みのあるほうを指すと、男が頷いた。


「それなら、根菜を入れても合うよ」


 味噌を包んでもらい、代金を払う。

 宗玄さんはほかに油と茶を買い、俺は縫い糸を一巻き選んだ。昨日、服の膝を確かめたら、縫い目が少し緩んでいた。

 店を出る頃には、空だった籠の底が埋まっていた。


     ◇


 帰る前に、宗玄さんが小さな茶店へ入った。

 軒先には長椅子が二つ置かれている。

 竈のそばで串を返していた女が、宗玄さんを見るなり笑った。


「今日は持って帰る?」


「ここで食べよう。二人分、頼む」


 俺たちは長椅子へ腰を下ろした。

 道の向こうでは、子供が桶を抱えて歩いている。水がこぼれそうになるたびに立ち止まり、その後ろを年下らしい子がついていった。


 やがて、茶と焼いた団子が運ばれてきた。

 表面には薄く焦げ目がつき、塗られた醤油が光っている。

 串を持ち上げると、香ばしい匂いがした。


「熱いうちに食べるとよい」


 一つかじった。

 外側はわずかに固く、中は柔らかい。噛むと米の甘みが出て、醤油の塩気と混ざった。


「……おいしいですね」


「ここのは、焼き方がよい」


 宗玄さんも串を口へ運んだ。

 刀を握っているときとは違い、目尻が下がっている。

 俺はその横顔を見てから、自分の団子へ目を戻した。


「じいちゃんとも、こうして食べに来たんですか?」


「来たぞ。その頃は、今の店主の父親が焼いておった」


「ここにも来てたんだ」


「食う場所は、よく覚えておったな。あやつは」


 茶を飲み、宗玄さんが道の先を見た。


「初めは、この辺りの飯を珍しがってな。食べたものの名前を、一つずつ聞いておった」


「じいちゃんが?」


「帰る前には、米や調味料を買い込んでいた。向こうでも食べるつもりだったのじゃろう」


 実家の食卓を思い出した。


 白い米。

 湯気の立つ汁椀。

 おむすびを手に取ったことも、一度や二度ではない。

 家では、当たり前に出てきたものだった。


「うちでも、食べてます」


「そうか」


「米も、味噌を使った汁も。こっちへ来て、見覚えのあるものが多いなと思ってたんです」


 宗玄さんは、しばらく黙っていた。

 それから、手に持った茶碗へ視線を落とした。


「それは、よかった」


 声が、少し柔らかかった。

 俺はもう一つ、団子を食べた。

 帰ったら、じいちゃんにもこの店のことを聞いてみようと思った。


     ◇


 家へ戻ると、買ってきたものを台所へ収めた。

 宗玄さんは畑の水を見に行き、俺は縁側で服の膝を縫った。

 糸を通して引く。少し強く引きすぎて、布が寄った。


『そこ、縮んでしまっているわ』


「分かってる。今、戻すから」


 糸を緩め、もう一度針を通す。

 山の小屋でも多少は繕ったが、まだきれいにはできない。

 セレスが隣で、縫い目をのぞき込んでいた。


『動ければいい、で済ませないのね』


「またすぐ解けたら困るだろ」


『ええ。昨日みたいに走るなら、なおさらね』


 最後を留め、裏側を確かめた。

 見た目は少し不揃いだったが、引っ張っても開かない。


「これでよし」


 服を膝へ当て、曲げ伸ばしする。

 つっぱる感じもなかった。

 針と糸を片づけていると、宗玄さんが畑から戻ってきた。手には、抜いたばかりの根菜がある。


「夕飯に使うか」


「はい。今日の味噌も、試してみたいです」


「なら、任せよう」

 受け取って台所へ運ぶ。

 まだ日が高かったので、まず土だけ落とし、籠へ置いた。


 夕食までには時間がある。

 俺は縁側へ戻り、柱へ背を預けた。

 庭の端で小さな鳥が地面をつついている。近づけば逃げそうだったので、そのまま眺めていた。


『今日は、刀を持たなかったわね』


「うん」


 セレスがこちらを見る。

 昨日の勝負で試したいことは、いくつか浮かんでいた。

 宗玄さんが沢の手前で止まったとき、こちらも踏み返さずに渡りきっていたらどうなったか。木の陰から出るとき、刀より先に姿を見せていたら、別の動きを引き出せただろうか。

 明日、やってみたい。


「明日は、山へ行こうと思ってる」


『そうね。お天気もよさそうだもの』


「セレスは、明日も来る?」


『もちろん。でも、また沢へ落ちるなら、先に教えてちょうだい』


「それは俺も、先に知りたいな」


 セレスが笑った。

 庭の鳥が、羽を震わせた。

 土を蹴り、低い枝へ飛び移る。その姿を目で追ったところで、隣の部屋から宗玄さんの寝息が聞こえた。

 俺は声を落とした。


「寝てる?」


『さっきからね』


 半分開いた障子の向こうに、横になった足が見えた。

 片方の膝だけ曲げ、腕を枕にしているらしい。

 俺も柱へ頭を預け直した。

 日の当たる足先が温かかった。


     ◇


 夕方、台所で根菜を切った。

 厚さが揃うように並べ、鍋へ入れる。

 煮えるまでの間に、塩をした魚を焼いた。火へ近づけすぎないよう場所を変えると、脂が落ちて小さく煙が上がった。

 宗玄さんは飯の様子を見ていた。


「そろそろよいな」


 火を弱め、蓋を戻す。

 俺も鍋の根菜へ箸を入れた。柔らかくなっている。

 買ってきた味噌を少しずつ溶くと、昼に味を見たときとは違う香りが広がった。

 椀へ少量取り、口をつける。

 甘みがある。

 けれど、何か少し薄い気がした。

 もう少し加え、確かめる。


「どうじゃ」


「これくらいが、いいと思います」


「では、食べようか」


 卓へ飯と汁、焼いた魚を並べた。

 宗玄さんが漬物の小皿を運び、セレスが卓の端へ座る。

 手を合わせ、汁椀を持った。

 湯気の向こうで、宗玄さんも一口飲んだ。


「うむ」


「どうですか?」


「うまい。野菜も、ちょうどよい」


 俺は頷き、自分でも口へ運んだ。

 さっき味を見たときより、落ち着いた味に感じた。

 魚の身をほぐし、飯と一緒に食べる。

 宗玄さんが、畑に来る鳥の話を始めた。実をつつくくせに、人が近づくと知らぬ顔をするのだという。


「今日、庭にもいましたよ」


「あれじゃ。よく来る」


『追い払わないの?』


「追えば逃げる。しばらくすれば、また来る」


 宗玄さんが箸を動かしながら言うので、俺は笑ってしまった。

 食事を終え、椀を洗い終わる頃には、外が暗くなっていた。

 縁側へ出ると、山の輪郭が空に残っている。

 明日は、あの中でまた宗玄さんと向かい合う。

 俺は乾いた靴を軒下へ揃え、今日繕った服をそのそばへ置いた。

 部屋へ戻ると、セレスが卓の上から顔を上げる。


『もう休む?』


「うん。今日は歩いたし、よく食べた」


『いい一日だったわね』


「そうだな」


 窓を閉める前に、夜の空気を少し吸った。

 遠くで虫が鳴いていた。

 俺は明かりを落とし、布団へ入った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。