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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第十一章 東方紀行、天地の息吹
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第144話 山を駆ける二人

 宗玄さんが木刀を二本持って出てきたのは、朝食の片づけを終えた頃だった。


「今日は、少し上へ行こうか」


 庭へ出ようとしていた俺は、山へ目を向けた。

 朝の光が斜面へ差し、木々の間に残った薄い靄を照らしている。


「山でやるんですか?」


「庭では、動ける場所が限られるからな」


 一本を差し出され、受け取った。

 宗玄さんは小さな包みを腰へ下げると、そのまま裏手の道へ歩き出した。

 俺も獅心を収納の指輪へ収め、後に続く。

 肩へ来たセレスが、宗玄さんの背中を見た。


『今日は、お弁当もあるのね』


「昼までに帰るとは限らんからの」


「そんなに遠くへ?」


「歩けば、そうでもない」


 何か含みのある返事だった。

 尋ね直す前に、宗玄さんは低い枝をくぐり、山道へ入っていった。


     ◇


 小屋へ向かう道から途中で外れ、沢沿いを登った。

 水は浅く、大小の岩の間を縫って流れている。片側は木の根が露出した斜面で、反対側には、苔のついた大きな岩が重なっていた。

 さらに上へ目を向けると、木々の隙間から尾根が見えた。

 宗玄さんは平らな岩へ包みを置いた。


「この沢から、あの尾根までにしておこう。下は、先ほど通った倒木のところまでじゃ」


 示された場所を順に確かめる。

 庭とは比べものにならない広さだった。真っ直ぐ走れる場所は少なく、どちらへ動いても木か岩が間へ入る。


「ここ全部ですか」


「うむ。どこを使ってもよい」


 宗玄さんが木刀を持ち直した。


「一本入れば終わり。魔力も、足の道具も使って構わん」


 足首の銀環へ意識を向ける。


「《メルクリウス》も?」


「海の上を走ったのじゃろう。見てみたいと思うておった」


 宗玄さんは楽しそうに笑った。

 俺も少し笑い、木刀を握り直す。


「昔も、ここで修練していたんですか?」


「ラウルとな」


 思わず顔を上げた。


「じいちゃんと?」


「あやつがこの国におった頃は、よう来た。日が暮れても決まらず、腹を鳴らしながら帰ったこともある」


 沢の音を聞きながら、周囲を見渡した。

 じいちゃんが、この斜面を駆けていた。

 目の前の宗玄さんと刀を交え、木々の間を追い、追われていた。

 座敷で茶を飲む姿が先に浮かび、それから刀を握ったときの目を思い出した。


「どっちが勝ったんですか?」


「今日、おぬしが勝てば教えてやろう」


『それ、負けた日のお話も聞けるのかしら』

 セレスの言葉に、宗玄さんが声を上げて笑った。


「覚えておればな」


 木刀の先が、静かに下がる。

 俺は包みの置かれた岩から離れ、沢を挟んだ位置へ立った。


 水音の向こうで、宗玄さんの身体が半身になる。

 わずかに前へ傾き、木刀を後ろへ隠した。


「では、始めようか」


     ◇


 魔力の円環を強めた。

 脚へ力が満ち、岩を踏む足裏の感触が鮮明になる。

 気も、身体の内側で息づいていた。呼吸とともにその感触を受けながら、俺は宗玄さんとの距離を測った。

 沢の幅は、跳べば越えられる。

 正面の岩は乾いている。その右側は浅瀬で、さらに外へ行けば斜面へ上がれる。


 先に動いたのは、宗玄さんだった。

 作務衣の裾が揺れる。

 次の瞬間には、水の向こうにいた身体が目の前へ来ていた。


 木刀を斜めに立てた。

 重い音が響く。

 受けた腕ごと押され、靴底が岩の上を滑った。俺は踏みとどまらず、後ろの土へ足を送り、木刀を外へ流した。

 胸元を抜けた切っ先が、そのまま下から返ってくる。


 横へ跳んだ。

 脇をかすめた風に、服が引かれる。

 着地と同時に斜面を蹴り、近くの幹を宗玄さんとの間へ置いた。


 ――これが、地轟。


 さっきまでの距離が、ほとんど役に立たなかった。

 しかも、木刀が重い。小柄な身体から振られた一撃なのに、正面で受け続けるのは厳しい。


 幹の右側へ気配が寄った。

 俺は左から回り込み、宗玄さんの横へ出ようとした。

 だが、姿が見えたときには、すでに木刀の先がこちらを向いていた。


 突きが来る。

 首を外し、木刀で軌道を逸らした。

 触れたところを支点に切っ先を返す。肩へ向かって振った一撃を、宗玄さんは身を沈めてかわした。


 白い髪が木刀の下を抜ける。

 俺は追撃せず、斜面の上へ退いた。

 足元の根を越え、土を踏み、さらに一段高い場所へ移る。


 宗玄さんは追ってきた。

 斜面を登っているはずなのに、速度が落ちない。

 踏む場所を探す間もなく、木の根から根へ身体が進んでくる。


 俺は高い位置から木刀を振り下ろした。

 宗玄さんの木刀が、それを横へ払う。

 衝撃を受けながら腰を回し、斜面を横切る方向へ抜けた。足元で枯葉が散ったが、身体は崩れなかった。


 次の一撃を構える余裕もある。

 それなのに、向き直った先に宗玄さんはいなかった。


 下だ。

 俺が横へ移った間に、宗玄さんは斜面を斜めに下っていた。

 低い位置から伸びた木刀が、腹へ迫る。


 地面を蹴る。

 膝を引き上げた足元を、木刀が通り過ぎた。

 空中へ右足を置く。

 銀環が光り、足裏に薄い面の感触が生まれた。

 そこを強く踏み、宗玄さんの頭上を越えた。


     ◇


 枝が近づく。

 身体をひねって避け、幹の横へ二つ目の足場を作った。

 踏み返した勢いで、上から木刀を落とす。


 宗玄さんが振り向いた。

 受けに上がった木刀とぶつかり、硬い音が山へ響いた。


 今度は、俺のほうが押し込む。

 落下の勢いに合わせて腕を伸ばしたが、宗玄さんは打ち合った位置へ留まらなかった。半歩ずれ、木刀を傾ける。

 こちらの切っ先が横へ滑り、身体が空いた場所へ流れた。

 左足で空間を踏む。

 向きを変え、背中へ回される前に距離を取った。

 宗玄さんの目が、消えていく足場へ向いていた。


「ほう」

 短い声だけが聞こえた。


 俺はそのまま木々の間を抜け、沢へ下りた。

 木刀を振れる広さが欲しかった。枝の下では、上から攻める方向まで限られる。

 岩へ下りる直前に、もう一度だけ振り返る。

 宗玄さんは斜面を走っていた。

 こちらが空中を渡る間にも、地面を踏んで距離を詰めてくる。


 俺は着地した岩を蹴り、沢の反対側へ跳んだ。

 追ってくるなら、水を越えたところを狙う。

 足場を一つ、低く作る。

 向こう岸へ渡りきる前にそこで踏み返し、追う宗玄さんへ突きを返した。


 だが、宗玄さんは沢へ入っていなかった。

 水際で足を止め、俺の木刀が届かないところにいる。

 切っ先が空を突いた。

 すぐに引き戻した。

 次の足場を右へ置き、岸へ抜けようとする。


 そこで、宗玄さんが動いた。

 水が跳ねる。

 平たい岩へ置かれた足が、小さな身体を一気に送り出した。


 俺は空中で木刀を返した。

 間に合う。右から来る一撃へ合わせ、受け流す角度を取る。

 木刀同士が触れた。


 押されると思った、その瞬間。

 宗玄さんは俺の木刀を押し込まず、触れたまま先端を回した。

 こちらの守りがわずかに外へ向く。その隙間へ、小さな身体が入ってきた。

 次の足場を踏むより早く、胸へ木刀の先が触れた。


「一本じゃ」

 声のすぐ後で、宗玄さんが岩へ下りた。


 俺も光の足場で勢いを抑え、浅瀬へ着地した。

 水が靴へかかる。

 胸元へ目を落とし、それから対岸を見た。

 渡ろうとした俺を追わず、戻ってくるところへ踏み込まれた。

 最初から、あそこで待っていたのか。

 木刀を下げ、長く息を吐く。


「……ありがとうございました」


 宗玄さんは頷き、沢の水へ片手を浸した。

 濡らした手で、木刀の先についた土を落としている。

 動きについての言葉はなかった。

 俺は、自分が渡った空間をもう一度見た。

 足場は消えている。けれど、どこを踏み、どちらへ向かったのかは覚えていた。

 空中でも向きを変えられる。

 だからこそ、戻って攻められると思った。

 その判断を、待たれていた。


     ◇


 岩へ腰を下ろし、水を飲んだ。

 宗玄さんは少し離れた場所で、草履の緒を直している。

 セレスが俺の肩から下り、隣の岩へ座った。


『上から見ていても、追いついてくるのね』


「うん。木があっても、岩があっても、ほとんど遠回りしない」


 俺は水筒の蓋を閉めた。


 《メルクリウス》なら、足を置く場所を自分で選べる。

 けれど、宗玄さんは山にある足場だけで追ってきた。こちらを追いかけるときも、離れて待つときも、迷いがない。


 腕に残った打ち合いの感触を確かめる。

 疲れはあるが、痛みはなかった。指を握れば、素直に力が入る。

 次は、こちらから場所を選んでみたい。


 宗玄さんが立ち上がった。


「まだ、やるか」


「はい」

 俺も岩から下りた。


 同じ場所へは戻らず、沢沿いを少し上へ歩く。

 大きな岩が二つ並び、その間を水が通っていた。右側には木が一本、斜面へ傾くように生えている。

 岩の向こうで、宗玄さんが木刀を後ろへ引いた。

 俺は正面へ構えた。


 今度は、俺から踏み込んだ。

 岩の左側へ身体を見せ、木刀の先を宗玄さんへ向ける。

 相手の足が動いたところで、岩の上へ跳んだ。上から打つと見せ、その手前で足場を蹴り、右へ抜ける。


 木の陰へ回り込む直前、宗玄さんの木刀が追ってきた。

 それを受け、幹に沿って身体をずらす。

 木を挟んで一瞬だけ姿が隠れた。

 俺はそこで止まった。

 すぐには追わず、足音を聞く。


 沢の音。

 葉の擦れる音。

 幹の向こうで、土がわずかに鳴った。

 木刀を短く構え、反対側へ踏み込む。

 宗玄さんがいた。


 肩を狙った一撃へ、木刀が合わされる。

 その向こうで、宗玄さんの口元が少し上がった。

 俺は打ち合ったまま押さず、切っ先を返した。

 宗玄さんが後ろへ退く。追って一歩、岩の脇へ入る。


 そこで急に、相手との距離が縮んだ。

 退いていたはずの宗玄さんが、こちらへ踏み返していた。

 俺の木刀が振り下りるより先に、柄元を押さえられる。

 空いた手で応じようとしたところで、肩へ木刀が触れた。


「二本目じゃな」


 俺は息を吐いた。

 宗玄さんが手を離す。

 さっきより近くで、顔が見えた。


「もう一度、お願いします」


「よいぞ」


     ◇


 包みを開く頃には、沢へ差す光の向きが変わっていた。

 何度か場所を変えて戦った。

 斜面を駆け上がり、岩の陰で待ち、木々の間を抜けた。一度は木刀が作務衣の袖をかすめたが、身体へ届く前に手首を取られた。

 結局、一本も取れていない。


 俺は平らな岩へ座り、濡れた靴を脱いだ。

 靴下まで水が染みている。絞ると、細い水の筋が岩へ落ちた。


「最後のところ、深かったですね」


「雨の後は、もう少し増える」


 宗玄さんが包みからおむすびを取り出した。

 一つ受け取り、礼を言う。

 海苔の香りがした。

 口へ運ぶと、塩の利いた米の中から、酸っぱい梅の味が広がった。

 思っていた以上に腹が減っていた。


『レグルス、頬に土がついているわ』


「どこ?」


『右。もう少し上』


 手で擦ると、乾いた土が落ちた。

 宗玄さんがこちらを見て笑っている。


「じいちゃんも、こんなふうになってましたか」


「あやつは一度、沢へ尻から落ちた」


 おむすびを持つ手が止まった。


「じいちゃんが?」


「儂の袖を掴んでな。二人とも濡れたわ」


『一人では落ちなかったのね』


「そういう男じゃ」

 宗玄さんは、どこか嬉しそうに言った。


 濡れた服で沢へ座り込む若いじいちゃんと、その隣で文句を言う宗玄さんを思い浮かべた。

 今の二人の顔しか知らないせいで、少しおかしな光景になった。


「そのときは、どっちが勝ったんですか?」


「さてな」


「覚えてないんですか」


「おぬしが勝ったら、思い出すかもしれん」


 俺が笑うと、セレスも肩を揺らした

。

 残りのおむすびを食べ、水を飲む。

 沢を渡ってきた風が、汗の引いた首筋へ触れた。

 宗玄さんは食べ終えると、岩へ片肘をつき、楽な姿勢になった。

 俺も靴を日の当たる場所へ置き直し、両脚を伸ばす。

 木々の隙間から、小さく空が見えた。

 さっきまで走り回っていた斜面は、もう静かだった。

 水の流れる音を聞きながら、俺は次のおむすびへ手を伸ばした。

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