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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第十一章 東方紀行、天地の息吹
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第138話 山道の一歩

 朝食を終える頃には、庭へ日が差していた。

 昨夜使った器を洗い、借りる鍋や火起こしの道具を並べる。食料と着替え、雨具を確かめ、必要なものを袋へ移した。

 収納の指輪から取り出すものを決めておけば、山で何度も使わずに済む。

 袋の口を結んで背負うと、肩へ重さがかかった。左右の紐を引き、背中へ収まり直す。


『地図は、すぐに出せるところ?』


「うん。ここに」

 胸元を軽く叩く。

 セレスは頷き、いつものように肩へ座った。


 軒下の魔導二輪には、覆いをかけてある。

 裾を留めた紐をもう一度確かめてから、宗玄さんへ向き直った。


「機体、よろしくお願いします」


「うむ。戻るまで預かっておこう」


 宗玄さんが、小さな包みを差し出した。


「昼に食べなさい」


「ありがとうございます」


 葉で包んだおむすびだった。

 潰れないように袋の上へ収める間、宗玄さんは家の脇へ続く道を見ていた。


「急いで登らんでも、小屋は逃げんよ」


 顔を上げると、目尻に皺が寄っていた。


「……はい」


 昨夜のうちに、早く着いたら何をしようかと考えていた。

 それが顔に出ていたのかもしれない。

 腰の獅心を確かめ、頭を下げる。


「行ってきます」


「行っておいで」


 畑の脇を抜け、細い道へ入った。

 しばらく進んで振り返ると、宗玄さんはまだ庭に立っていた。俺が手を上げると、向こうでも小さく手が動いた。


     ◇


 木陰へ入ると、頬に触れる空気が冷たくなった。

 道には薄く落ち葉が積もり、その下から土や石がのぞいている。朝露を含んだ草が、歩くたびに靴へ触れた。

 魔力は、普段の量を巡らせたまま。

 脚へ送り足すことはせず、自分の力で斜面を上がっていく。

 最初は、それほど違わなかった。

 荷を背負って歩くことにも慣れている。緩い上りなら、話をしながらでも進めた。


『あの木、根が石を抱えているわ』


 セレスの示した先で、太い根が岩の両側へ伸びていた。

 幹は少し傾きながらも、その上に枝を広げている。


「ずいぶん大きくなってから、石に当たったのかな」


『最初から、そこにあったのかもしれないわね』


 近づくと、根と岩の隙間に小さな葉が生えていた。

 俺はそれを踏まないように足を置き、脇を通った。

 やがて、道の傾きが強くなった。

 土が流れたところには根が露出し、階段のようになっている。高いところへ足をかけ、身体を持ち上げる。その動きを繰り返すうちに、腿の前が張ってきた。

 息を吐き、次の段へ上がる。

 肩の袋が揺れた。

 少し脚へ魔力を回せば、このくらいは続けて登れる。

 そう考えてから、足を止めた。


『どうしたの?』


「いつもの癖が出そうになった」


 足元を見直す。

 今、上がろうとしている根の脇には、もう少し低い土の出っ張りがあった。そこへ一度足を置けば、大きく膝を上げずに進める。

 踏み直してみると、腿へかかる力が少し変わった。

 次も同じように小さく上がろうとしたが、今度は足を置いた土が崩れた。


「おっと」

 後ろ足へ体重を戻し、近くの幹へ手を添える。

 落ちた土が、靴の横を転がっていった。


『そこ、柔らかかったのね』


「うん。低ければいいってものでもないな」


 根の上を避け、固い土を探す。

 足を置く場所を見て、重さを移す。それだけなのに、考え始めると、歩く速さがずいぶん落ちた。


 しばらく登ったところで、首の後ろが窮屈になった。

 肩を回すと、背負い紐が動く。


『少し、歩幅が大きいんじゃない? さっきから、上がるたびに肩も動いているわ』


 言われて、自分の肩を見た。

 足元を確かめようとするうちに、顎を引き、上半身まで固めていたらしい。

 息を長く吐いてから、歩き出した。

 一歩を短くする。けれど、短くすることばかり考えると、今度は足数が増えて落ち着かない。

 俺は数歩進み、また歩幅を変えた。


     ◇


 水音が聞こえ始めたのは、木々の間が明るくなってからだった。

 道が斜面を横切り、少しずつ沢へ近づいていく。濡れた石の間を、透明な水が流れていた。

 岸の平らな場所へ袋を下ろし、地図を広げる。

 ここから上流へ進めばいい。宗玄さんが描いてくれた線の脇に、二つに割れた岩の印があった。


「道は合ってるな」


『ええ。ここで少し休みましょう』


 乾いた岩へ腰を下ろすと、脚から力が抜けた。

 動けなくなるほど疲れてはいない。ただ、登っている間には気にしていなかった足裏の熱さが、座るとはっきり分かった。

 水筒から一口飲み、包みを開く。

 おむすびを持ち上げると、葉の匂いがした。噛んだ米は朝より冷えていたが、塩気がちょうどよかった。

 食べながら、先ほど滑りかけた場所を思い返す。

 足を置く前に、もう少し確かめるべきだった。けれど、一歩ごとに止まっていては――。


『また、難しい顔になっているわ』

 隣から声がして、目を上げた。

 セレスは岩の端へ座り、沢を眺めていた。


「そんな顔してた?」


『ずっと足元と相談していたでしょう。少しくらい、周りを見てもいいんじゃない?』


 俺も沢へ目を向けた。

 流れの緩いところに、小さな影があった。

 魚だった。水の筋に向かって止まり、ときどき尾を動かして位置を変えている。

 その上を、青く光る虫が横切った。

 対岸の葉が風に揺れ、日向と日陰の境目が水面を動く。少し高い枝から、短い鳥の声がした。

 登っている間にも、鳴いていたのだろうか。


「……見てなかったな」


『せっかく来たのに、土と根ばかり覚えて帰ることになるわよ』


「それも、かなり見たけど」

 俺が笑うと、セレスも表情を緩めた。

 残りのおむすびを食べ、水を飲む。

 休んでいるうちに、首元へ風が通るのが気持ちよくなった。背中の汗も少しずつ冷えていく。

 袋を背負い直す前に、もう一度沢を見た。

 魚は、さっきとほとんど同じ場所にいた。


     ◇


 二つに割れた岩は、近づくと俺の背より高かった。

 間から細い木が生え、左右の石へ枝を伸ばしている。その手前に、山側へ上がる道があった。

 地図を畳み、道を曲がる。

 沢の音を背に少し登ると、木々の奥に屋根が見えた。


「あった」


 小屋は、斜面の途中にある平らな土地へ建てられていた。

 低い石の土台に板壁が乗り、軒下には薪が積んである。戸口の前は草が刈られ、雨水を逃がす浅い溝も掘られていた。

 戸を開けると、乾いた木と、古い灰の匂いがした。

 入ってすぐに土間があり、奥は一段高い板敷きになっている。壁際に棚と寝台、土間の隅には小さな炉があった。煙を外へ逃がす管が、壁を抜けて伸びている。


『思ったより、きれいね』


「宗玄さん、最近も来てたのかな」


 窓を開ける。

 風が入り、床へ落ちていた細い葉が動いた。

 袋を下ろし、腰から獅心を外した。

 寝台の脇へ置いてから、箒を探す。戸の裏に立てかけてあったものを使い、床と土間を掃いた。

 寝具を広げ、棚を拭く。

 鍋や食料を置く場所を決めると、持ってきたものが小屋の中へ収まっていった。

 最後に、壁際の桶を持ち上げた。


「水を汲んでくる」


『私も行くわ。帰り道を覚えておきたいもの』


 沢へ下りる道は、先ほどの分かれ道より短かった。

 小屋の脇から続き、木の間を縫うように曲がっている。下りきった先には、水際へ足を置ける石が並んでいた。

 桶をすすぎ、水を汲む。

 持ち上げると、取っ手が指へ食い込んだ。

 運べる重さだった。

 そう思って歩き始めたが、上りへかかると、桶の中で水が大きく揺れた。

 腕を固めて止めようとする。

 次の一歩で逆へ揺れ、縁から水がこぼれた。

 靴の先が濡れる。


「……歩くだけなのに」


『さっきより、荷物がよく動くわね』


 俺は平らな場所へ桶を置いた。

 水面が何度か揺れ、やがて静まる。

 いっぱいにしすぎたかもしれない。

 少し水を減らし、もう一度持つ。今度は小さく足を運んだ。


 揺れは減った。

 けれど、坂の途中で高い根を越えた途端、また水が跳ねた。

 手だけで押さえようとすると、肩まで引かれる。

 桶を持つ位置を少し変え、根の脇を回って上がった。

 小屋へ着いたときには、持っていた側の肩が張っていた。

 桶を下ろして手を開くと、指に取っ手の跡が残っている。


『もう一度、行く?』


「少し休んでから。今ので、しばらくは足りる」


 俺は肩を回し、戸口へ腰を下ろした。

 沢までの道は、木に隠れて途中までしか見えなかった。


     ◇


 荷物を片づけ終える頃には、窓から入る光が傾いていた。

 小屋の前へ出ると、身体を動かせるくらいの空き地がある。低い枝もなく、足元の土もしっかりしていた。


 ここなら振れる。

 自然にそう考え、腰へ手を伸ばした。

 獅心は、小屋の中へ置いたままだった。


 手を下ろす。

 昨日、喉元へ止まった宗玄さんの刀が浮かんだ。

 あの抜き始めを、まだ一つも思い出せない。何もしないうちに、見たときの感覚まで薄れてしまいそうだった。


『振りたくなった?』


「うん」


 セレスは戸口からこちらを見ていた。


「一度くらいなら、って思った」


『今日は、まだやることがあるでしょう。暗くなる前に』


 軒下の薪へ目を向ける。

 火を起こし、湯を沸かして、夕食を作る。明日の朝に使う分も、取り出しておいたほうがいい。


「……そうだな」


 薪を数本選び、炉のそばへ運んだ。

 昨夜のように一度に抱えすぎず、腕へ収まる分だけ持つ。二度目には、戸口で木の端をぶつけた。


『そこ、少し狭いものね』


「自分は通れるから、忘れるんだよ」


 持ち直して中へ入る。

 炉の灰を整え、細く割った木と焚きつけを置いた。

 火起こしの道具から散った火花が、すぐに消える。

 もう一度試す。今度は小さな赤い点が残った。息を吹きかけると煙が上がり、細い炎になった。

 木を足すのが早かったのか、一度弱くなった。

 隙間を作り直して待つと、やがて乾いた音がし始めた。

 その火で湯を沸かし、鍋へ干した野菜を入れる。

 瑞京で買った味噌の蓋を開けると、あの店先と同じ匂いがした。


「持ってきてよかったな」


『使い方も、聞いておいてよかったわね』


 少しずつ溶かし、味を確かめる。

 宗玄さんの家で食べたものとは違ったが、温かい汁が腹へ入ると、思わず息が漏れた。

 保存食も一緒に食べる。

 窓の向こうでは、木々の輪郭が暗くなり始めていた。


     ◇


 食事を終え、使った器を片づけた。

 獅心を手に取り、刀身を確かめる。今日は抜いて振っていない。それでも、鞘や柄についた土埃を拭い、いつものように手入れをした。

 刃に映った火の色を見てから、静かに納める。

 戸締まりを確かめ、寝台のそばへ置いた。

 炉の火が落ち着いたのを見届け、靴を脱ぐ。足首の銀環は、朝から一度も光っていなかった。


 横になると、腿の張りがよく分かった。

 肩にも疲れが残っている。何度か寝る向きを変え、腕の楽な位置を探した。


『寒くない?』


「今は大丈夫」


『明け方は冷えるかもしれないから、毛布は近くに置いておいてね』


「うん」


 手を伸ばせる場所へ、畳んだ毛布を寄せる。

 窓を閉めても、沢の音は聞こえていた。そこへ、ときどき葉の擦れる音が重なる。

 街の宿では聞こえなかった音ばかりだった。

 その間に、自分の呼吸がある。胸が上下し、布がわずかに動く。

 身体の中では、魔力が普段どおりに巡っていた。

 それを確かめてから、息をゆっくり吐いた。


「明日は、あの根の左を通ってみようかな」


『水を運んだ道?』


「うん。少し遠回りだけど、足を高く上げなくて済みそうだった」


『それなら、明日見てみましょう』


 セレスの返事を聞きながら、目を閉じた。

 桶をどちらの手で持つか。

 あの坂では、どこで持ち替えれば楽なのか。

 沢の音を聞いているうちに、考えていた道の形が曖昧になった。

 肩の力が抜け、俺はそのまま眠りに落ちた。

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