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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第十一章 東方紀行、天地の息吹
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第136話 山裾の旧友

 宿を発つ朝、窓を開けると、水路を進む小舟が見えた。

 船頭が竿を動かし、橋の下へ姿を消していく。初めは珍しくて目で追っていたその景色も、数日過ごすうちに、朝の支度をする傍らで眺めるようになっていた。

 卓へ広げた地図を畳み、荷物を収める。

 刀鬼の住まいを示す印は、瑞京から山へ向かう道の先にあった。途中の分かれ道については、昨夜、宿の主人にも確かめてある。


『忘れ物はなさそうね』

 セレスが、空になった卓からこちらを見た。


「うん。行こうか」


 獅心を腰へ差し、部屋を出る。

 階段を下りると、帳場にいた女将が顔を上げた。


「お発ちですか」


「はい。お世話になりました」


「こちらこそ。また都へ戻られたら、お寄りくださいね」


 礼を言い、外へ回った。

 軒下に置かせてもらっていた魔導二輪から覆いを外す。布を畳み、機体の周りを一度歩いてから、通りまで押していった。

 朝の道には、荷を運ぶ人が増え始めていた。

 店の戸を開ける音や、橋を渡る荷車の音が聞こえる。通い慣れた茶店の前を過ぎると、中から魚を焼く匂いがした。


『あのお店の朝ご飯も、しばらく食べられないわね』


「帰りに、また寄れたらいいな」


 通りの端で機体へ跨がり、ゆっくり走り出す。

 水路に沿って進み、いくつかの橋を越えた。町中では見上げていた屋根が遠ざかり、やがて前方に、山の稜線が広く見えるようになった。


     ◇


 都を離れた道は、田畑の間を通っていた。

 水を引く細い溝が道沿いに続き、ところどころで畑のほうへ分かれている。腰を屈めて作業する人の姿があり、荷車とすれ違うときには速度を落とした。

 港から瑞京へ向かったときより、道に緩やかな起伏が増えていた。

 上りきった先に小さな集落が現れ、家々の間を抜けると、また畑になる。遠くから見ていた山も、近づくにつれて木々の濃淡が分かるようになってきた。

 道端の広くなった場所で、一度機体を止めた。

 水を飲み、地図を開く。次の分かれ道で街道を外れれば、あとは沢に沿って進むらしい。


『もう近い?』


「ここからは、そんなに遠くないと思う」


 地図の印へ指を置く。

 じいちゃんの書き込みは簡潔だったが、橋や曲がり角の目印が添えてあった。その一つに、二股に分かれた大きな杉とある。


「ずっと、同じ場所に住んでるのかな」


『お祖父様が訪ねた頃から?』


「うん。この木も、覚えていたんだろうなって」


 顔を上げると、道の先で枝が風に揺れていた。

 じいちゃんも、この辺りを歩いたのだろうか。今より若い姿を想像しようとしたが、どうしても、実家の庭で刀を持つ姿が浮かんだ。


『会えば、その頃の話も聞けるかもしれないわね』


「そうだね」


 地図を収め、もう一度機体へ跨がった。

 街道から分かれた道は、土がよく踏み固められていた。

 両側へ木々が近づき、日陰へ入るたびに空気がひんやりする。少し下を流れる沢の音が、駆動の低い振動に交じって聞こえた。

 轍を避けながら、速度を抑えて進む。

 木の根が道へ張り出したところでは、いったん止まり、押して越えた。姉さんたちへ伝えるなら、こうした道での感触も覚えておいたほうがよさそうだった。

 やがて、幹が二つに分かれた杉が見えた。


「あれだ」


 その手前から、細い道が沢を渡っている。

 向こう岸の木々の間に、屋根の端がのぞいていた。


     ◇


 橋を渡ったところで機体を下りた。

 道の先は少し開けていて、石を積んだ低い囲いの向こうに、一軒の家があった。

 広い屋敷ではなかった。

 平屋の軒が深く伸び、脇には薪を積むための小屋がある。庭の端には畑があり、物干しには手拭いが二枚、風に揺れていた。

 足元の道は、その家の脇を通って、さらに山へ続いている。

 上のほうでは木々が重なり、どこまで道があるのか見えなかった。


『ここで合っていそうね』


「うん」


 機体を押して近づくと、畑の脇で人が動いた。

 低く屈んでいた背中が、ゆっくり起き上がる。


 小柄な老人だった。

 色褪せた灰青の作務衣を着て、袖を肘の下までまくっている。白い髪は短く、頬には深い皺があった。片手には小さな鎌を持ち、足元の籠には刈った草が入っていた。

 老人はこちらに気づくと、目尻を下げた。


「おや、客かね」


「すみません。こちらに、祖父の知り合いが住んでいると聞いて来たんですが」


「ほう。お祖父さんの名は?」


「ラウル・クレハルトです。俺は孫の、レグルスといいます」


 老人が一度、目を瞬かせた。

 それから、顔いっぱいに笑みが広がった。


「おお、ラウルの孫か。よう来たな」


 鎌を籠へ収め、手についた土を払う。

 俺は機体を支えたまま、少しだけ返事が遅れた。


「あの……では、あなたが」


「刀鬼、と聞いてきたか?」


「はい」


「そう呼ぶ者もおるな。名は榊宗玄じゃ。宗玄でよい」


「宗玄さん。急に訪ねてしまって、すみません」


「構わんよ。草取りにも、ちょうど飽きてきたところじゃ」

 宗玄さんが笑った。

 俺も口元を緩め、改めて頭を下げる。


 刀鬼。

 手紙にあった二文字と、目の前の人を、もう一度頭の中で並べた。

 厳しい顔をした、体格のいい人を想像していた。

 けれど、こちらを見上げる老人の目は穏やかで、作務衣の膝には土がついている。呼び名を知らずに会っていたら、畑仕事の途中で道を教えてくれる人だと思ったかもしれない。


「それは、そこへ置いてよいぞ。軒の下が空いとる」


 宗玄さんが魔導二輪を指した。


「ありがとうございます」


 言われた場所へ押していくと、宗玄さんも庭を横切ってきた。

 途中、薪小屋の前で足を止め、割った薪の詰まった籠へ手をかける。


「それ、運びます」


 俺が機体から手を離しかけたときには、もう籠が持ち上がっていた。


「すぐそこじゃ。お前さんは、それを落ち着けなさい」


 籠は、宗玄さんの身体に対して随分大きかった。

 それでも肩が持ち上がることも、腰が片側へ逃げることもない。足元の石を一つ避け、薪小屋の中へ運んでいった。


 俺は、その数歩を見ていた。

 道場で見せてもらった足運びを思い出す。

 けれど、今の動きは、見本を示すためのものでも、構えを整えてから始めたものでもなかった。屈んで、持って、歩く。その間に、姿勢を作り直したようなところが見当たらない。


「どうした?」


「あ、いえ」


 支えを立て、機体が安定していることを確かめる。

 顔を上げると、宗玄さんはもう縁側の前へ戻っていた。


     ◇


 軒先には、水を入れた桶が置かれていた。

 宗玄さんはそこで手を洗い、掛けてあった布で拭いた。それから縁側へ手を伸ばしたところで、俺はそこに刀があることに気づいた。

 焦げ茶の鞘に収まった、一振り。

 鍔がなく、柄から鞘へ、細い輪郭がそのままつながっている。合口拵えだった。短刀ではない。持ち上げられると、それなりの長さがあることが分かった。

 目立つ飾りはなかった。

 手の触れるところには使い込まれた艶があり、鞘の先には細かな擦れが残っている。

 宗玄さんはそれを片手に持ち、戸を開けた。


「さあ、上がりなさい。茶を淹れよう」


「お邪魔します」


『お邪魔するわね』

 セレスが肩から挨拶すると、宗玄さんはこちらへ顔を向けた。


「そちらのお嬢さんも、よう来た」


「セレスです。一緒に旅をしています」


『よろしくお願いします』


「うむ。二人とも、好きなところへ座るとよい」


 靴を脱ぎ、家へ上がった。

 畳の部屋には低い卓があり、庭へ向いた障子が開いている。棚には本と小さな箱が並び、壁際には畳まれた座布団が重ねてあった。

 宗玄さんは刀を脇へ置き、奥へ茶の支度に行った。

 俺は腰から獅心を外し、座布団へ座る。セレスは肩から下り、卓の端へ腰を落ち着けた。


『少し、緊張していたでしょう』


「……分かった?」


『門の前から、背筋が伸びていたもの』


 小声で話していると、奥から声が届いた。


「ラウルは元気にしとるかね」


「はい。今も、庭で刀を振っています」


「そうか、そうか。それなら元気じゃな」


 湯を注ぐ音がした。

 ほどなくして、宗玄さんが盆を持って戻ってくる。湯呑みと、小皿に載せた漬物が卓へ置かれた。


「長く走ってきたじゃろう。まず一服しなさい」


「ありがとうございます」

 湯呑みを手に取ると、指先へ温かさが伝わった。

 山へ近づいてから、思っていたより身体が冷えていたらしい。ひと口飲むと、茶の香りが鼻へ抜けた。

 宗玄さんは向かいへ座り、俺の顔を眺めた。


「あやつに、孫を寄越される歳になったか」


「祖父とは、この国で知り合ったんですか?」


「そうじゃ。若い頃に、海を渡ってきてな。刀を持った西の若者がおると聞いて、わしから顔を見に行った」


「そのときから、刀を?」


「合わせたよ。口で話すより、そちらが早かった頃じゃ」


 宗玄さんが湯呑みを置いた。


「一度では済まんかったがな。負けたほうが工夫して、次に持ってくる。すると、今度は勝ったほうが考え直すことになる。気づけば、顔を合わせるたびに刀を握っとった」


「……祖父も、負けたんですか?」


「そりゃあ、あるとも。わしも随分やられたが」


 楽しそうに言われ、俺は少し驚いた。

 じいちゃんが誰かに負け、次に勝つために刀を振る姿。そういう時間があったことは当然なのに、今まで具体的に思い浮かべたことがなかった。


「どういう立ち合いだったんですか?」


「わしが仕掛け、あやつが待つことが多かったな。こちらが動けば、その先へ刃が置いてある。腹が立つほど、よう見とる男じゃった」


 実家の庭で向き合ったときのことを思い出す。

 じいちゃんはそこに立っているだけなのに、踏み込もうとすると、届く前に斬られる気がした。動かないから隙がある、とは一度も思えなかった。


「それで、宗玄さんはどうしたんですか?」


「待っておれんように、こちらから入る。あやつが見定めるより先に間を詰めて、刀を出させる。そうして、何度もやり直した」


 宗玄さんは自分の手を見下ろし、指を軽く開いた。


「若い頃は、あやつを一歩でも余計に動かしてやろうと思うてな」


『それほど、負けたくなかったのね』


「うむ。向こうも、涼しい顔で同じことを考えとったはずじゃ」


 セレスへ答え、宗玄さんが笑う。

 目の前の小柄な老人が、自分から踏み込み、じいちゃんへ斬りかかる。その姿を想像すると、先ほど庭を横切った足の運びが浮かんだ。


「今は、こうして草取りをしておるほうが長いがな。勝手に伸びるものは、刀より手がかかる」


 庭の畑へ目を向けて言うので、俺も笑った。


     ◇


 俺は湯呑みを置き、収納の指輪から手紙を取り出した。


「祖父から、この手紙が届いたんです。こちらへ行ってみろと」


「ほう。見てもよいかね」


「はい」


 差し出すと、宗玄さんは両手で受け取った。

 折り目を開き、文字へ視線を落とす。読み進めるうちに、目尻の皺が少し深くなった。


「あやつらしい書き方じゃ」


 俺は、その手元を見た。

 節の太い指が便箋を押さえている。さっきまで土に触れていた手であり、じいちゃんと刀を交えた手でもある。

 宗玄さんは手紙を畳み、卓へ戻した。


「この国は、少し見て回ったかね」


「はい。汐見津から瑞京へ行って、何日か過ごしました。食べ物や、町の様子を見たり、道場の稽古を見せてもらったり」


「道場か」


「祖父から教わった足運びに、似ているところがあったので」


 宗玄さんが頷いた。

 先を促すようにこちらを見るので、俺は道場で見たことを話した。子供たちが足だけを動かしていたこと。西から来た剣士が、刀の動きへ身体を合わせようとしていたこと。


「自分では刀の振り方を考えているつもりでも、足や腰で変わることが、まだ多いんだと思いました」


「見に行った甲斐があったな」


「はい。でも、分かったと思って動いても、うまくいかないことがあって」


 言いながら、自分の膝へ目を落とした。

 じいちゃんに教わった歩法は、続けている。

 帝国で学んだ動きも、戦う中で使ってきた。それでも、ときどき、次の一歩へ身体が素直についてこない。力を加えれば動けるが、それでよかったのかは、自分でも分からないことがあった。

 宗玄さんは口を挟まず、俺の話を聞いていた。


「祖父は、あなたに会ってこいと。俺も、お話を聞いてみたいと思って来ました」


「そうか」

 短く答え、茶を淹れ足してくれた。

 急須を戻す音が、小さく卓に響いた。


「なら、今日はここへ泊まるとよい。部屋は空いとる」


「いいんですか?」


「遠くから来た友の孫を、茶だけ飲ませて帰せんよ。セレスも、それでよいかな」


『ええ。ありがとうございます』


 俺も頭を下げた。

 宗玄さんは気にするなというように手を振り、庭へ目を向けた。


「飯までには、まだ少し間があるな」


 その視線が、俺の脇に置いた獅心へ移った。


「ひと息ついたら、ラウルに何を習ったか、見せてくれるかね」


 俺は刀を見て、それから顔を上げた。


「はい。お願いします」


 宗玄さんが、穏やかに頷いた。

 庭を通った風が障子の端を揺らし、軒先の手拭いがひるがえる。

 俺は残っていた茶を飲み、湯呑みを静かに置いた。

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