第130話 東からの風
魔導二輪が家に来てから、三週間ほどが過ぎた。
初めの数日は、用事を見つけては乗っていた。買い物に行くにも、ギルドへ顔を出すにも、つい庭の機体へ手が伸びる。歩いたほうが早い距離だとセレスに指摘され、大人しく門を出た日もあった。
それが今では、出かける前に荷物の固定と機体の状態を確かめるのが、朝の習慣になっている。
街道を走れば、馬車では見過ごしていた傾斜や、路面の荒れた場所がよく分かった。荷物が増えると、いつもと同じつもりの制動では少し先まで進む。濡れた道では、曲がる前に余裕を取るようになった。
帰宅してから記録をつけると、姉さんへ伝えたいことが一つずつ増えていった。
ギルドでは街道沿いの依頼をいくつか受けた。集落へ書類を届ける仕事、畑に出る魔物の討伐、荷を運ぶ人たちのための周辺調査。王都から出て、その日のうちに戻れる範囲が広がったおかげで、依頼書を見る目も少し変わった。
もっとも、行き帰りまで依頼どおりに済むとは限らなかった。
◇
草の間から、錆びた剣が突き出された。
横へ身体を開くと、刃が胸の前を通り抜ける。握っていたゴブリンが歯を剥き、その後ろでもう一体が棍棒を振り上げた。
荷を届けた帰り道だった。
街道脇に残された引きずり跡を調べているうちに、藪から出てきた群れと鉢合わせた。魔導二輪は少し離れた路肩に停めてある。そちらへ回り込ませるつもりはなかった。
獅心の刃へ、水を薄く沿わせる。
もう一度突き出された剣を、今度はかわしきらずに迎えた。触れた刃を押し合う前に、手首と腰を回す。刀身を巡る水が渦を巻き、相手の剣を外へ弾いた。
「《琉水円舞【アクア・オルビス】》」
開いた脇へ、返した刃を通す。
ゴブリンが倒れるのを待たずに足を運び、棍棒を振り下ろしてきた一体の横へ出た。大振りの後に残った首筋を斬り、藪の奥へ視線を向ける。
まだ三体いた。
一体が石を拾い、残りが左右へ分かれようとしている。その背後には、低い土の斜面が続いていた。
俺は刀へ通す属性を変えた。刃に黄の光が宿る。
足場を確かめ、切っ先を地面へ突き立てる。腕だけで押し込まず、踏みしめた足から腰へと力をつなぎ、刀を通して解放した。
「《巌牙地裂【テラ・レオニス】》」
刺した場所から、黄色い獅子の幻影が躍り出た。
地表を駆けるその姿を追って、土が扇形にめくれ上がる。衝撃が足元から前へ走り、逃げようとしたゴブリンの身体を土砂ごと跳ね上げた。舞った小石が斜面を叩き、草の根がむき出しになる。
刀を引き抜き、残った動きを確かめる。
静かになった藪の前には、浅く抉れた地面が広がっていた。俺はその端へ歩き、広がり方を見る。狙った範囲には届いたが、左右へ散った分、中央へ通る力は薄くなっているようだった。
『街道から離れていてよかったわね』
肩へ戻ったセレスに、俺は頷いた。
「うん。場所は選ぶな」
『足元を崩した後、自分がどこへ進むかも考えておいたほうがいいわ』
言われて、抉れた先へ目を向けた。
ここから追撃するなら、さっきまでとは違う足の置き方になる。技を出して終わりではない。
「次の一歩まで、か」
刀を払って納め、討伐の証になる部位を回収した。
群れのいた方向をもう少し確かめてから、路肩へ戻る。魔導二輪の荷を確認し、起動させると、聞き慣れた低い音が返ってきた。
帰ったら、群れのことをギルドへ伝えよう。
それから、今日の刀の感触を忘れないうちに書いておきたい。
◇
依頼のない朝は、庭で足を運んだ。
祖父に教わった位置へ足を置き、重心を移す。そこから方向を変え、木刀を振る。同じ動きを繰り返しているつもりでも、刃が軽く走るときと、肩へ重さが残るときがあった。
速く動こうとすると、足が先へ出すぎる。
丁寧に動こうとすると、今度はつなぎ目で止まってしまう。うまくいった一度を探して繰り返し、気づけば朝の光が庭の反対側へ移っていた。
普段から身体に巡らせている魔力は、少量のままだ。
修練に合わせて流す量を増やすと、動きは確かに力強くなる。けれど、円環を静かな状態へ戻すと、さっきまで目立たなかった小さな滞りが、また顔を出した。
姉さんが訪ねてくる日もあった。
機体を調べ、俺の記録へ目を通し、気になった箇所を尋ねる。説明しながら実物へ触れているうちに、話が長くなるのはいつものことだった。
「荷物を載せたときの話、もう少し詳しく聞かせて」
「曲がるときより、停めて降りるときかな。片側に寄ってると、思ったより重さが来る」
「固定する場所は、この辺り?」
「うん。こっちに寄せたら楽だった」
姉さんは膝の上で手帳を開き、図へ書き込んだ。
その隣で俺が夕食の支度を始めると、やがて顔を上げる。
「何を作るの?」
「肉と野菜を煮ようと思って。姉さんも食べていく?」
「いいの?」
「そのつもりで多めに切ってる」
姉さんは笑って手帳を閉じ、袖をまくった。
「じゃあ、パンを切るわ」
卓を挟んで食事をしていると、研究室であった出来事や、パラケルスさんの話が出た。《メルクリウス》の改良も進んでいるらしい。細かな調整が残っていると聞き、俺は使いたい動きをいくつか伝えた。
新しい足場があれば、あの踏み込みはどう変わるだろう。
考えて箸ならぬ食器を止めていると、セレスが俺の皿を見た。
『冷めるわよ』
「……うん」
向かいで、姉さんも止めていた手を動かした。
そんな日々が続くうちに、庭に魔導二輪がある景色にも慣れていった。朝に出かけ、仕事をして戻り、刀を手入れして食事を取る。次の日の予定を考えながら眠る。
実家から手紙が届いたのは、雨上がりの午後だった。
◇
封を切ると、何枚かの便箋と、その間に挟まれた別の紙が出てきた。
家の近況が書かれた文面を先に読む。食事を抜いていないか、無理をしていないか。母らしい言葉に苦笑しながらページをめくると、見覚えのある筆跡が現れた。
じいちゃんからだった。
「珍しいな」
『ラウルから?』
卓の上へ降りてきたセレスに頷き、便箋を広げる。
余白を大きく取った紙に、短い文が並んでいた。
――あれから足を止めておらぬなら、そろそろ教えた歩法も形になってきた頃だろう。
俺は庭へ目を向けた。
濡れた土に、今朝つけた足跡が残っている。祖父がここを見たわけではない。それなのに、修練を終えたところへ声をかけられたような気がした。
続きを追う。
――ただし、わしの足を真似るだけでは、いずれ行き詰まる。次へ進みたいなら、一度、東方の土地を歩いてみよ。
「東方……」
便箋の中ほどには、世界の東にある島国のことが書かれていた。
大きな国ではないが、米などを各地へ送り出す交易で潤い、港にはよその国の船も多く入るという。
そこで、祖父の知人を訪ねろとある。
添えられた紙には、港からの道順と、目印になる場所が記されていた。祖父の字で描かれた簡単な地図を眺め、もう一度本文へ戻る。
――刀鬼と呼ばれている爺だ。わしの名を出せば通じる。
「……刀鬼?」
『随分な呼ばれ方ね』
「じいちゃんの知り合いだしな」
口にしてから、それで納得してしまいそうになる自分に気づいた。
続きを読んでも、どれほど強いのか、どんな刀を使うのかは書かれていない。その代わり、最後に一文があった。
――技をもらいに行くつもりでなくてよい。何を見て、どう暮らし、あの足運びを使ってきたのか。自分の目で確かめてこい。
俺は便箋を置き、椅子へ背を預けた。
祖父の足を思い出す。庭を動いていたときも、座敷へ戻るときも、その歩き方には無理がなかった。俺が修練の中で探しているものが、祖父には普段の動作として根づいていた。
「技を見せてもらえ、じゃないんだな」
『歩法だけを切り離して覚えるな、ということかもしれないわね』
セレスは便箋を見下ろしていた。
『あの人が何を考えているかは、私にも分からないけれど』
「うん」
俺も、手紙だけで分かったつもりにはなれなかった。
ただ、同じ庭で同じ動きを繰り返していても、掴みきれないものがある。祖父がそれを見越していたのなら、一度言われたとおりに歩いてみるのも悪くないと思った。
窓の外では、雲の切れ間から日が差していた。
葉先の雫が落ち、土に小さな跡をつける。俺は便箋を読み返してから、棚にしまっていた地図を取りに立った。
◇
卓の上を片づけ、地図を広げる。
王都の位置を見つけ、指を東へ動かした。街道と町の名前をたどり、海岸へ出る。さらに海を隔てた先に、祖父の手紙にある島国があった。
「海を渡るんだな」
『今度は船ね』
「魔導交易船なら、客を乗せる便もあるかな」
『交易が盛んなら、調べてみる価値はありそうね。荷物の扱いも確認しないと』
俺は窓越しに魔導二輪を見た。
港までは、あれで行ける。船に積めるなら、東方でも使いたかった。
「二輪も持っていきたいな」
『まずは、積める船を探すところからよ』
「分かってるよ」
まだ出発の日も決まっていない。
《メルクリウス》を受け取り、機体の点検を頼み、姉さんにも話をする必要がある。受けた依頼を片づけてから、航路と船便を調べよう。
紙を一枚引き寄せ、やることを書き出した。
祖父への返事も忘れずに加える。刀鬼という呼び名だけでは分からないことが多かったが、それは会って確かめればいい。
『行くのね』
セレスに聞かれ、俺は地図から顔を上げた。
「うん。祖父さんが、見てこいって言う場所を見てみたい」
セレスは少し笑い、地図の端へ腰を下ろした。
『それなら、準備しましょう。今度はどんな土地なのかしらね』
俺は手紙の横に地図を置いた。
見慣れた王都から、まだ知らない港へ。その先には、紙の上でしか知らない海が広がっている。
指先で、もう一度その道をたどった。




