第127話 姉の作るもの
茶を飲み終えるころには、庭の草もすっかり乾いていた。
氷の薔薇が咲いていた空には、薄い雲が流れている。塀の向こうを馬車が通り、車輪の音が遠ざかっていった。さっき俺たちが騒がせる前も、きっとこんな静けさだったのだろう。
姉さんは空になったカップを置くと、椅子の脇に寄せていた鞄へ手を伸ばした。
「そういえば、これを見せに来たんだったわ」
『ようやく本題ね』
「……手合わせも、久しぶりだったから」
セレスにそう返しながら、姉さんが鞄から取り出したのは、布に包まれた薄い板だった。
卓の上で布が開かれる。中から現れたのは、片手に収まるほどの長方形の機器だった。縁を金属で囲まれ、表面には黒い硝子のようなものがはめ込まれている。
「持ってみて」
差し出されるまま手に取ると、見た目よりも重みがあった。指を縁へ添え、裏返してみる。裏面には継ぎ目があり、小さな留め具で閉じられていた。
「これ、端末?」
「ええ。まだ試作品だけれどね」
「ずいぶん小さくなったな」
魔導連合で見たものを思い出す。机に据え付けられた端末や、建物の中で情報を映していたディスプレイ。それらと同じものが、今は俺の手の中にある。
縁に指をかけたまま眺めていると、姉さんが身を乗り出してきた。
「そこの窪みに触れてみて。魔力は少しでいいから」
言われた場所へ魔力を通すと、黒かった面に淡い光がともった。線がいくつも走り、文字が浮かぶ。驚いて指を離しても、表示はそのままだった。
「もう離していいの。動かす分は、内蔵した魔石から取っているから」
「ずっと流しておくわけじゃないんだ」
「それだと、使う人が疲れてしまうでしょう?」
姉さんは俺の隣へ椅子を寄せ、画面の端を指した。
そこへ触れると、表示が切り替わった。細かな数字と線が並んでいる。何かの記録らしいが、俺には半分も意味が分からない。
「今のは動作の記録。こっちは保存した文章で、その隣が――あ、そこはまだ触らないで」
伸ばしかけた指を止める。
「何があるの?」
「たまに表示が戻らなくなるの」
「先に言ってほしかったな」
「だから、試作品なのよ」
姉さんは端末を受け取り、慣れた手つきで表示を戻した。隅に浮かんでいた文字が一つ消え、代わりに簡単な図が現れる。
「小さくするだけなら、もう少し早くできたと思う。でも、文字まで小さくしたら読みにくいし、触れる場所が近すぎると隣を押してしまうでしょう。中の術式を収めてからも、直すところがたくさんあって」
話しながら指を滑らせる姉さんの顔は、さっき氷の薔薇を見せていたときと少し似ていた。
気に入っているものを、よく見えるようにこちらへ向けてくれる。
「これ、姉さんが作ったの?」
「私一人じゃないわ。魔導連合から来た人たちと、アカデミアで一緒に作っているの」
姉さんは端末を卓に置いた。
「あちらが降りてきてから、行き来する人が増えたでしょう。留学してくる人もいるし、技術交換で滞在している人もいるのよ。私たちのほうから、向こうへ学びに行く人もいるわ」
「そんなに変わってきてるんだな」
「あなたがあちこちに行っている間にもね」
少しからかうように言われ、俺は苦笑した。
魔導連合で見た街並みは、今でもよく覚えている。硝子越しに見えた建物の明かりや、空を渡る列車。あのときは、そこへ行かなければ見られないものだと思っていた。
その一部が、今は自分の家の卓に置かれている。
「王都でも、駅やギルドに表示用の機器を入れる話が進んでいるの。列車の案内や依頼の情報を、まとめて見られるようにするために」
「掲示板が変わるのか」
「全部すぐに、とはいかないけれどね。使う人への説明も必要だし、壊れたときに直せる人もいないと困るから。帝国でも導入が始まっているそうよ」
機器だけ運べば終わり、というわけではないらしい。
姉さんが挙げる話には、置く場所や使い方のほかに、点検や修理のことまで含まれていた。俺が剣を手に取るまでに、鍛冶師や手入れの道具が必要なのと、少し似ているのかもしれない。
セレスが卓の上を歩き、端末の横へ立った。
『持ち歩けるなら、外でも情報をやり取りできるのかしら?』
「そこも試しているところ。今は、どこへ行っても自由につながるわけではないの。離れた場所とのやり取りには、中継する設備が必要だから」
「じゃあ、旅先から王都に連絡するのは?」
「いずれはできるようにしたいわね」
姉さんはそう答えてから、俺を見た。
「できるようになったら、たまには連絡をよこしなさいよ」
「……まだできないんだろ?」
「できるようになったら、の話」
俺が頷くと、姉さんは満足したように鞄へ手を戻した。
「それと、もう一つ」
今度は小さな箱が出てきた。正面に丸い硝子があり、上には指で押せそうな突起がついている。
姉さんはそれを両手で持ち、卓の上のカップへ向けた。軽い音が一つ鳴る。
「今、何をしたの?」
「撮ったのよ」
姉さんは箱を端末の隣へ置き、双方の縁にある印へ触れた。画面に短い文字が浮かんで消える。
次に映ったものを見て、俺は卓のカップと画面を交互に見た。
同じカップがあった。取っ手の向きも、縁に残った茶の跡も、その下に落ちる影まで同じだった。
「……絵じゃないよな」
「今見えていたものを、そのまま記録したの。カメラというのよ」
画面へ顔を近づける。硝子の奥に、卓の一部を切り取って閉じ込めたようだった。試しにカップを持ち上げても、映っているほうは動かない。
「これ、ずっと残しておける?」
「ええ。保存できる数には限りがあるけれど」
姉さんが表示を変えると、今度は見覚えのない部品が映った。細い溝が何本も刻まれ、その一部に赤い印がついている。
「こうやって、直す前の状態も残せるの。口で説明するより早いことが多いし、分解した後で見比べることもできるでしょう」
「なるほどな……」
依頼で見つけたものをギルドに説明するときにも、これがあれば伝わりやすそうだ。魔物の痕跡や、道が崩れている場所。大きさの分かるものと一緒に写しておけば、なおいい。
そう話すと、姉さんは鞄から手帳を出した。
「そういう意見も欲しかったの。研究室で使っているだけだと、気づかないことがあるから」
書き留める手が速い。俺が次を言おうとするころには、もう顔を上げて待っていた。
「一緒に作ってる人たちも、こういうのを考えるのが好きなんだ?」
「ええ。今よく相談している先生も、話し始めると長いのよ。私が質問すると、じゃあ試しましょうって、その場で術式を書き始めることもあるわ」
「姉さんと気が合いそうだな」
「どういう意味?」
「そのままの意味だけど」
姉さんは手帳を閉じ、少し笑った。
「セフィリアの仲間として、魔導連合から来た人なの。任務の合間にアカデミアでも教えてくれていて、私も一緒に開発をしているのよ」
「セフィリアの?」
思わず聞き返した。
「ええ。亀裂への対応を、王国だけに任せてはおけないでしょう。魔導連合から協力するために派遣された魔術式師なの」
セフィリアが剣を手に立つ姿が浮かんだ。そのそばに、新しい仲間が加わっている。
俺が知らないところでも、あいつの周りは変わっているらしい。
「どんな人?」
「こちらの話を、ちゃんと聞いてくれる人よ。知っていることが多いからって、すぐに答えを決めつけないの。私が別の組み方を提案すると、面白そうですねって、まず見てくれる」
姉さんは端末へ目を落とした。
「もちろん、試して駄目なこともあるけれどね。でも、どうして駄目だったのか、一緒に考えられるから」
「いい先生なんだな」
「ええ。任務でしばらくいない日は、先に聞きたいことをまとめておくくらいには」
戻ってきたら質問攻めにされるのだろう。
少し同情したが、相手もその場で術式を書き始める人なら、案外楽しみにしているのかもしれない。
姉さんはカメラの向きを直し、硝子に指紋がついていないか確かめていた。その横顔を見ながら、俺はさっきから気になっていたことを口にした。
「姉さんは、どうして開発のほうに力を入れるようになったの?」
硝子を拭く手が止まった。
「今日合わせてみても、剣は強かったし。氷の魔法だって、あれだけ使えるだろ。もっと、そっちに進むのかと思ってた」
「剣も魔法も、今でも好きよ」
姉さんは布を畳み、カメラの下へ敷いた。
「ただ、自分ができることを、ほかの人にも使える形にするのも好きなの。私がその場にいなくても、作ったものは誰かの役に立つでしょう?」
卓の端末へ指先が触れる。
「剣を使ってきたから、片手がふさがっているときに扱いづらいって分かることもあるし、術式を学んだから、どこを簡単にできるか考えられる。今までやってきたことも、結構つながっているのよ」
俺は手の中に端末が収まった感覚を思い出した。
ただ小さくするだけでは、使いやすくはならない。先ほど姉さんが話していた意味が、少し分かった気がした。
「それにね」
姉さんは一度言葉を切った。何か立派な理由が続くのかと思ったが、浮かんだのは、もっと気楽な笑みだった。
「面白いのよ」
「面白い?」
「ええ。昨日まで動かなかったものが、今日は動くの。術式を少し組み替えただけで、急に安定することもあるし、うまくいくと思っていたものが、まるで駄目なこともある。そうすると、どうしてなのか知りたくなるでしょう?」
俺は頷いた。
足の置き方をわずかに変えただけで、刀が軽く走ることがある。できたと思ってもう一度やると、今度は同じようにいかない。その違いを探しているうちに、日が暮れていたこともあった。
「分かる気がする」
「あなたなら、そう言うと思った」
姉さんが笑う。
「一つできると、次はもっとこうしたいって思うのよ。だから、なかなか終わらないの」
『二人とも、夢中になると周りが見えなくなるところまで似ているのね』
セレスの言葉に、俺は空のカップへ目を落とした。姉さんも、何も言い返さなかった。
少しして、姉さんが咳払いをした。
「それで、開発の話でもう一つ。あなたにお願いがあるの」
「何?」
「魔導二輪の改良型を、使ってみてほしいのよ」
俺は顔を上げた。
「魔導二輪?」
「ええ。正式なモニターとして。実際に乗って、気になったところを教えてほしいの」
姉さんが手帳を開く。そこには、二つの車輪と、その間をつなぐ車体の図が描かれていた。俺は椅子を近づけ、図をのぞき込んだ。
「試験のときだけ借りるってこと?」
「今回は、あなたに渡すものよ。その代わり、使用感の報告と定期点検は受けてもらうわ」
「俺が、もらっていいの?」
「街の中だけじゃなくて、街道でも使ってほしいの。荷物があるときや、路面が悪い場所でどう感じるか、冒険者としての意見も聞きたいから」
図には、細かな書き込みがいくつも添えられていた。足を置く場所、荷物を固定する位置。分からない箇所も多いのに、見ているだけで、そこへ乗った自分を想像してしまう。
「もう走れるんだよな?」
「もちろん。前の試作機で出た問題も、いくつか直しているわ」
「前のって、今は誰が乗ってるの?」
「試作二号機なら、ブラノールさんよ」
手帳から目を上げた。
「……ブラノールさん?」
「ええ。さっき話した魔導連合の先生が、整備も担当しているの。セフィリアの任務で一緒になるから、乗っていて気になったことも、すぐ聞けるでしょう?」
「先生も、いろいろやるんだな」
「本人も楽しんでいるみたい。二人で話し込んだ後に、改良案が増えていることもあるわ」
姉さんは端末を操作し、画面をこちらへ向けた。
映っていたのは、青と白で塗り分けられた魔導二輪だった。外装の間を通る金色のフレームが、車体の輪郭を引き締めている。
「騎士団仕様にしてあるの。きれいでしょう?」
「ああ。……似合いそうだな」
いつものシャツとスラックスで、その機体にまたがる姿が浮かんだ。飾って眺めるだけでは済ませず、さっさと街道へ走り出してしまいそうだった。
「かなり乗ってるの?」
「先生が点検で預かるたびに、いつ返せるか聞かれるそうよ」
思わず笑った。
どうやら、想像したとおりらしい。
あの人が繰り返し乗りたがるものを、俺も使える。
「改良型は、いつ見られる? 乗り方は二号機と同じなの? 荷物は、この後ろに――」
「レグルス」
姉さんが手帳の上へ手を置いた。
俺は口を閉じる。顔を上げると、姉さんが笑いをこらえていた。
「順番に説明するから、最後まで聞いてね」
『今日はもう、お庭では走らせないでちょうだいね』
「そこまでしないよ」
セレスへ返してから、俺はもう一度、手帳の図へ目を落とした。
庭では走らせない。そのくらいは、ちゃんと分かっている。
ただ、街道を走るところなら、さっきから何度も頭に浮かんでいた。




