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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第九章 始まりの街、再び響く鈴
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第125話 帰ってきた庭で

 朝の光が、窓辺の床まで伸びていた。

 寝台の上で腕を曲げ、ゆっくり伸ばす。傷口にはまだ引きつれる感じがあったが、昨夜のような身体の重さは薄れていた。

 足を床につけて立ち上がる。

 脇腹も、普通に息をする分には痛まなかった。


『よく眠れたみたいね』

 机の上で、セレスがこちらを見ていた。


「ああ。昨日は横になったところまでしか覚えてない」


『すぐに寝息が聞こえていたわ』


 窓を開けると、通りを掃く音が届いた。

 向かいの店では、外した戸板を二人掛かりで運んでいる。朝から煮炊きをしているのか、温かい匂いも漂ってきた。

 顔を洗い、普段の服に袖を通す。

 昨夜脱いだ《獅王礼装》は、指輪の中に収まっていた。

 あれは、本気で戦いに臨む時に纏うことにする。必要になれば、意識を向けるだけで着替えられる。

 袖口を整え、獅心を腰に差した。


『今日はそちらなのね』


「ああ。礼装の出番は、戦う時だ」


『では、今日は出番がないといいわね』


「そうだな」


 机に残していた紙を畳む。

 四つの位置と、そこをつなぐ線。昨夜書いた文字は、最後の方だけ少し乱れていた。

 それも荷物へ収め、部屋を見渡す。

 椅子の下にも、寝台の脇にも、忘れ物はなかった。


「行こうか」


 セレスが浮かび上がり、いつものように左肩へ腰掛けた。


     ◇


 朝食を済ませ、宿の鍵を返した。

 世話になった礼を言うと、また泊まりに来るようにと言われた。


「今度は、もう少しゆっくりします」


「そうしな。帰ってきたと思ったら、毎日どこかへ出てたからな」


 否定できず、少し笑った。

 裏手で魔導二輪の荷物を固定する。

 車体についた土を払い、車輪を確かめた。駆動音は変わらない。

 握り手を掴んで押し出すと、宿の前を通りかかった人が足を止めた。


「それで王都まで帰るのか?」


「はい」


「気をつけてな」

 手を上げて応じ、ギルドへ向かった。


 扉を開けると、受付の前にマルクがいた。

 依頼書を手にしたまま振り返り、俺の荷物を見る。


「もう発つのか」


「ああ。挨拶をしてからと思って」


「そうか。昨日、団長たちも帰ったんだってな」


「駅まで見送ってきた」


 マルクは頷き、手にした紙を折った。

 袖を捲った腕には、薄く木の粉がついている。


「今日は何の依頼だ?」


「資材運び。森の方は、まだ勝手に入れない場所があるからな。こっちも人手が要る」


 窓の外で、荷車が止まった。

 積まれているのは、長さを揃えた板だった。


「俺も、出る前に少しくらい――」


「お前は帰れ」

 言い終える前に、マルクが笑った。


「そっちには、そっちの報告があるんだろ。ここは俺たちでやる」


「……ああ」


「次に来た時は、飯でも食おうぜ」


「それは楽しみにしてる」


 差し出された手を握った。

 掌はざらついていて、指には新しい擦り傷があった。


「世話になったな、マルク」


「こっちの台詞だ。また来いよ」


 受付でも、王都へ向かうことを伝えた。

 書類は昨日受け取ったものですべて揃っている。封を確かめ、荷物の奥へ入れ直した。


「道中、お気をつけて」


「はい。お世話になりました」


 頭を下げてから、依頼板へ目を向けた。

 修繕の手伝い。物資の運搬。街道の確認。

 見慣れた場所に、今の街に必要な仕事が並んでいる。

 その前で、若い冒険者が二枚の依頼書を見比べていた。


 俺も、あそこで随分迷った。


 扉へ向かう途中、もう一度マルクに手を上げた。

 彼は荷車へ向かいながら、片手を上げ返してきた。


     ◇


 街の門を抜けると、朝の風が頬に当たった。

 荷馬車から十分に離れ、少しずつ出力を上げる。

 車輪が回り、畑の畝が横へ流れ始めた。


 緩い坂の上で、一度だけ振り返った。

 ベルクラードの外壁と、その向こうの屋根が見える。

 門の前には人がいて、荷車が出入りしていた。

 あの地下でセレスに出会った頃は、自分がまたここへ戻ってくる時のことなど、考えてもいなかった。

 街を離れるので精一杯だった。

 今は、次に来た時の約束がある。


『どうしたの?』


「……また来ような」


『ええ』


 短い返事が、肩元に届いた。

 前へ向き直り、街道を進む。

 道は、行きよりも馴染んで感じられた。

 緩やかに曲がるところ。車輪を取られやすい轍。遠くまで見渡せる平らな場所。

 身体を固めずに進むと、細かな揺れを腕だけで受けずに済んだ。

 それでも、長く乗っていれば疲れは溜まる。

 昼前には道の脇へ寄り、車体を止めた。

 足を地面につけて降りると、膝の裏が少し強張っていた。


『休憩?』


「ああ。水も飲みたいし」


 木陰で水を飲み、持ってきたパンを食べる。

 通り過ぎる荷馬車の御者が、魔導二輪を物珍しそうに見ていった。

 食べ終えてから、車体の各部を確かめた。

 留め具に緩みはない。

 ただ、荒れた道を通った後は、細かな振動が掌に残った。長く乗ると座席の同じ場所へ重さがかかることも、覚えておこう。


「姉さんに伝えること、結構あるな」


『ブラノールの感想も忘れないでね』


「握り手が近い、だったな」


『もう一周したそうだった、というのも』


「それは感想なのか?」


 セレスが楽しそうに笑った。

 もう一度、水を口に含む。

 空を見上げると、薄い雲が東へ流れていた。

 急ぐ理由はない。

 脚の強張りが取れてから、再び座席へ跨った。


     ◇


 王都の門が見えた時には、日が傾き始めていた。

 街道を行く馬車が増え、遠くからでも人の声が聞こえる。

 出力を落とし、列に続いた。

 門をくぐる。

 建物の影に入った途端、風が弱まった。

 石畳の上を車輪が進み、店先から夕食の匂いが漂ってくる。


「帰ってきたな」


『まずはギルドね』


「ああ」


 王都のギルドは、帰還した冒険者で混み合っていた。

 受付へ依頼の件を伝えると、奥の部屋へ案内された。


 出発前と同じ応接室だった。

 けれど、机の上にあの箱はない。

 向かいに座った職員へ、ベルクラードから預かった書類を渡す。

 封を開いた職員は、何枚か目を通してから顔を上げた。


「ブラノール団長からも、報告が届いています。現地では、予定していた調査を大きく超える事態になりましたね」


「はい」


 森で見た魔物の動き。

 黒い粒子と、地下で聞こえた鈴。

 封じられていたものと、その後に起きた戦い。

 尋ねられたところを、自分が見た範囲で答えていく。

 セフィリアが力を抑え込んでいた間のことは、少し時間を掛けて説明した。


 職員の筆が止まる。


「保管していた鈴ですが、こちらでも崩壊を確認しています」


 机の上に、記録が置かれた。

 時刻を見てから、短く息を吐く。


「やはり、つながっていたんですね」


「報告を照合する限り、その可能性は極めて高いと考えています。残ったものの調査は続けますが、あなたに依頼した件は、ここで完了とします」


 完了。

 その言葉を聞いて、ようやく肩が下がった。


「お疲れさまでした」


「……ありがとうございます」


 必要な手続きを終え、席を立つ。

 扉の前で振り返ると、職員はもう一度、書類を読み直していた。

 あの箱を見た朝には、ここまでのことになるとは思わなかった。

 それでも、持ち帰った報告を渡すことができた。


 廊下へ出ると、セレスが俺を見上げた。


『一つ、済んだわね』


「ああ。次は姉さんだ」


     ◇


 アカデミアの工房には、まだ明かりがついていた。

 入口で声を掛けると、奥から姉さんが出てきた。


「レグルス」


「ただいま、姉さん」


 姉さんは俺の顔を見た。

 次に、腕へ視線を落とす。

 車体を見るのは、その後だった。


「……帰ってきたのね」


「ああ。途中で少し休んだから、遅くなった」


「ちゃんと休んだならいいわ。腕は?」


「手当てはしてもらってる。ひどい傷じゃない」


「それ、あなたが言うと判断に困るのよ」


 姉さんは眉を寄せたまま近づき、袖の上から腕の様子を確かめた。

 俺が顔をしかめないのを見て、ようやく手を離す。


「セフィリアから、話は少し聞いたわ」


「もう会ったのか?」


「今日、顔を見せてくれたの」


 その言い方に、出発前の会話が蘇った。


「……何を聞いたんだ?」


「まずは、あなたが無茶をした話」


『そこは、私からも補足できるわ』


「二人で話を増やさないでくれ」


「増やさなくても、十分ありそうだけど?」


 姉さんが息を吐く。

 けれど、次に口を開いた時には、声が少し柔らかくなっていた。


「戻ってきてよかったわ。ほら、中へ入れて」


 魔導二輪を押し、工房の空いた場所へ止める。

 荷物を外すと、姉さんは用紙を持って椅子へ座った。


「走っていて気になったことを、順番に教えて」


 荒れた道での振動。

 長く乗った時の座席の具合。

 曲がる時は扱いやすかったことと、森の狭い道では降りて歩いたこと。

 姉さんは途中で何度か問い返し、短く書き込んだ。


「魔力を補った時、出力に急な変化は?」


「少しずつにしたから、気になるほどじゃなかった」


「そう。戻った車体の記録とも比べてみるわ」


 そこで、思い出した。


「そういえば、ブラノールさんにも乗ってもらった」


 筆が止まった。


「……団長に?」


「ああ。空いた場所で、発進と停止から説明して」


「それで?」


「すぐに乗れるようになった。体格に対して、握り手が少し近いって」


 姉さんは別の箇所へ、その感想を書き込んだ。


「団長向けの調整にも使えるわね」


『とても気に入っていたわよ。帰る時間なのに、もう一周しようとしていたもの』


「セフィリアに止められてた」


 姉さんの肩が、小さく揺れた。


「……想像できるわ」


「俺には、帰るから遅いって言ってたんだけどな」


「待っていたんでしょうね」


 何を、とは聞かなかった。

 姉さんは用紙を揃え、車体へ目を向ける。


「これはしばらく預かるわ。各部を確認して、手を入れたいところもあるから」


「ああ。助かったよ、これがあって」


「その感想も書いておく」


 立ち上がった姉さんに、改めて礼を言った。

 工房の入口まで来たところで、呼び止められる。


「レグルス」


「ん?」


「今日は帰って休みなさい。セフィリアとの話は、また今度聞くから」


「まだ聞くことがあるのか?」


「あなたからは、聞いていないもの」

 真面目な顔で言われた。

 肩の上では、セレスが口元を押さえている。


「……分かった。また来る」


「ええ。待ってるわ」


     ◇


 家までの道を、歩いて帰った。

 荷物を背負うと、魔導二輪のありがたさが改めて分かる。

 それでも、見慣れた通りを自分の足で進むのは、悪くなかった。

 途中でパンと、夕食にできるものを買った。

 店を出た時には、空の端に夕焼けが残るだけになっていた。

 門の前で立ち止まり、鍵を取り出す。

 開けた先に、小さな庭があった。

 留守の間に落ちた葉が、隅へ集まっている。

 踏み固めた土の上には、出発前の足跡はもう見分けられなかった。


「……ただいま」

 声に出してから、家の扉も開けた。

 閉め切っていた部屋の匂いがする。

 窓を開けると、夕方の空気が流れ込んできた。


『帰ってきたわね』


「ああ」


 荷物を下ろす。

 預かっていた書類は、もうない。車体も工房へ返した。

 獅心とセレスを、いつもの場所へ落ち着けると、ようやく帰宅した気がした。

 水を用意し、簡単な夕食を済ませた。

 荷物から着替えや道具を出し、使ったものを確かめる。

 昨夜の紙は、机に置いた。

 四つの位置が、灯りに照らされる。

 その線を目で追いかけてから、紙の端を押さえた。


「続きは、明日だな」


『ええ。今日はよく走ったもの』

 セレスはそれ以上、何も言わなかった。

 俺は灯りを落とし、寝室へ向かった。


     ◇


 翌朝、庭の土は少し湿っていた。

 隅に溜まった葉を掃き、道具を壁際へ戻す。

 腕を伸ばしても、傷が強く引きつれることはない。脇腹にはまだ鈍い感覚が残っていたから、大きく捻るのはやめておいた。


 庭の中央に立つ。

 窓から差す朝日が、足元まで届いていた。

 体内には、少量の魔力が巡っている。

 呼吸を整え、その流れを保ったまま一歩進んだ。

 足を置く。

 身体の重さを、そこへ運ぶ。

 もう一歩。

 踵が浮く時に、肩が僅かに先へ出た。

 止まり、元の位置へ戻る。

 獅子の騎士と戦っている時は、できた動きがあった。

 それでも、今こうしてゆっくり確かめると、直すところが見つかる。


 爺ちゃんの足運びを思い浮かべた。

 追いかけたくなるほど速いのに、立った姿は少しも崩れていなかった。

 俺は足の幅を狭め、もう一度進んだ。

 今度は、肩を置いていけた。


『続きを始めましょうか』


 声に顔を上げる。

 セレスが、庭の端でこちらを見ていた。

 出発する朝も、ここで彼女と話した。

 帰ってから続きをしようと、そう言った。


「ああ」


 腰の獅心へ手を添え、静かに抜いた。

 刀身が朝日を受ける。黒い線が、刃に沿って伸びていた。

 両手で柄を握る。

 足元を確かめ、ゆっくり刀を持ち上げた。

 あの四つの斬撃も、一つずつの太刀筋からできている。

 まずは、この一振りを。


 息を吐く。

 足から腰へ、腰から腕へ。

 刃の進む先を見ながら、最後まで運んだ。

 短い音が、朝の庭に響いた。

 振り終えた刀の先で、草の雫が光っていた。

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