第123話 弐之太刀、四元咆哮・斬
騎士の剣が、低いところから跳ね上がった。
獅心を斜めに当て、切っ先を外へ流す。
そのまま踏み込み、肩口へ刀を返した。
左の手甲が迎えた。刃を止められる。
だが、今度は押し合わなかった。
刀を滑らせ、手甲の外へ抜く。
騎士の拳が伸びる、その下へ身を入れた。
左の掌で肘を押す。前足を外へ置き、腰を運ぶ。
相手の脇が見えた。
右手の獅心を通す。
金属を削る音がした。
騎士の胸甲に、また一本、傷が増えた。
振り返ってくる剣を、退いて外す。
続く蹴りには足を合わせ、押された分だけ横へ動いた。
斬って、受けて、場所を変える。
足が止まらない。
爺ちゃんの庭で、同じところを何度も往復した。
上体が先に出るたび、やり直した。
足を遠くへ置きすぎて、次へ動けなくなったこともあった。
その感覚が、今の身体に残っている。
大きく逃げなくても、刃は外せる。
半歩ずれれば、拳の届く先も変わる。
避けた場所から、斬ればいい。
刀を合わせた瞬間、《刀技流転》のレベルが上がった。
騎士の手甲を腕で受ける。脚を合わせ、押し返す。
《命脈闘法》も、また上がる。
文字が浮かび、消えていく。
そのたびに、別々に覚えてきた動きが近づいていた。
◇
騎士が剣を引き、左の手甲を前へ出した。
胸の傷を隠している。
俺は右へ足をずらした。
兜が動き、騎士の前足もこちらへ向く。
獅心へ火を通す。
赤い刃で斬り込むと、手甲が黄色く光った。
土をまとった装甲が、炎の刀を受け止める。
硬い。
そのまま押せば、また右の剣が来る。
俺は刀を引き、低く蹴った。
騎士が足を退く。
踏み込んで、もう一太刀。
今度は剣が受けた。
胸甲へ届く前に、刃の向きを変えられる。
騎士の手甲が顔へ迫った。
左手を離して受け流す。
肘を押したところで、相手が腕を畳んだ。
近い。
拳ではなく、肘が来る。
首を引いた。
顎のすぐ下を、硬い装甲が通った。
右手の刀で相手の剣を外へ押さえながら、左肩を胸へ入れる。
足から押した。
騎士の身体が動いた。
だが、倒れない。
後ろ足を踏み直し、その足を軸に回ってきた。
俺は離れた。
緑の光が、視界の下を横切る。
風をまとった蹴りだった。
足を引き、靴先への一撃を外す。
騎士は蹴った脚を下ろしながら、剣を振り抜いた。
風の斬撃が飛ぶ。
身体を捻ってやり過ごした。
背後で石の割れる音が響く。
追撃を警戒しながら、呼吸を整える。
胸甲は傷ついている。
左の手甲にも、ひびがある。
そこまで届いた。
だが、同じ方向から深く斬ろうとすると、必ず守りを重ねてくる。
剣で受け、手甲で押す。
それが間に合わなければ身体を回し、厚い装甲へ刃を滑らせる。
一撃を通した後には、もうこちらを向き直っていた。
俺は柄を握り直した。
なら、向き直る前に。
◇
こちらから間合いを詰めた。
上から斬る。
騎士が受ける。
刃を離し、相手の右側へ足を運んだ。
剣を戻される前に、横から斬り込む。
届く。
そう思った時、前足が止まった。
次の刀を急ぎ、身体を外へ傾けていた。
切っ先だけが先へ出る。
騎士の手甲に弾かれた。
前へ流れた身体の下へ、足が差し込まれる。
足首を払われ、視界が傾いた。
「っ……!」
左手を床につく。
肩を沈めて転がると、すぐ後ろに剣が突き立った。
石片が背へ当たる。
立ち上がりながら刀を振り、追ってくる手甲を牽制した。
騎士が剣を引き抜く。
床の穴から、細かな粉が落ちた。
俺は大きく息を吐いた。
今のは、違う。
場所だけを変えようとした。
そこへ移った後、斬れる姿勢になっていなかった。
爺ちゃんは、どう動いていた。
四隅に立つ姿が浮かんだ。
あの時は、どれが本当か分からなかった。
だが、今思い返すと、どの姿も崩れていない。
肩も、腰も、刀も。そこから斬るために、すべて収まっていた。
あんなふうに振りたい。
初めて見た時の熱が、胸へ戻る。
騎士が近づいてきた。
考え込んでいられる時間はない。
剣を外し、拳を流す。
足を置く。
急いで遠くへ行こうとせず、置いた足へ身体を運ぶ。
腰が収まる、その動きに刀を乗せた。
刃が胸甲を擦る。
浅い。
それでも、斬った後に身体が残った。
次へ動ける。
騎士の蹴りを外し、もう一歩。
剣を弾きながら、反対へ向き直る。
今度は、切っ先が遅れなかった。
《刀技流転》――レベル上昇。
手甲に止められた刀を返す。
掌を当て、脚を合わせる。
《命脈闘法》――レベル上昇。
痛む脛で床を捉える。
身体を支えたまま、次の場所へ。
四つの位置が、頭の中に浮かんだ。
◇
女王を断った時のことを思い出した。
炎を刀へ乗せた。刃が通る先へ、火を収めた。
あの一太刀は、最後まで届いた。
それを、次へつなぐ。
火の後に土。土の後に水。最後は、風。
今のままでは、四つを同時には扱えない。
爺ちゃんのように、一度に四隅へ立つこともできない。
なら、一つずつ。
斬り終えた刀を、次の位置へ運ぶ。
足を踏み替える、その間に属性を切り替える。
騎士が剣を上げた。
俺は獅心へ火を通した。
赤い刃を合わせる。
炎が散った。
騎士の右腕の外へ出て、刀を返す。
次の一太刀へ、土を乗せようとした。
手元が重くなった。
まだ早い。
振り上げる途中で力を込めすぎた。
刀の返りが遅れ、手甲が胸へ迫った。
左腕で受ける。衝撃が脇腹へ響く。
歯を食いしばり、相手の腕を押し流した。
刀を回す間は、回すための力でいい。
斬る瞬間に、届ける。
もう一度、踏み込んだ。
斬り下ろしを流す。
下へ抜けた刀を、身体の転換に合わせて持ち上げる。
足が収まる。
そこで、土を通した。
黄色い光を帯びた刀が、騎士の剣を打った。
右腕が沈む。
俺は追わず、斜めへ抜けた。
横から来た手甲が、肩の後ろを通り過ぎる。
つながった。
息が荒い。腕も脚も、疲れている。
それでも、今の感覚は分かった。
遠くでセレスが、こちらを見ていた。
何も言わない。
俺も、頷くだけにした。
まだ見ていてくれ。
獅心の切っ先を、騎士へ向けた。
◇
騎士の足元が、緑に光った。
踏み込みが速い。
赤く燃える剣が頭上へ来る。
俺は退かなかった。
斜め前へ足を置く。
落ちる剣へ獅心を添え、身体の外へ流した。
左の手甲が伸びる。
柄から左手を離し、手首の内側へ当てる。
押し合わず、相手の踏み込みに合わせて横へ導いた。
拳が外れる。
その肘へ、自分の肘を添えた。身体を近づけ、短く押す。
騎士の胸が開いた。
掌を打ち込む。
足裏から伝えた力が、胸甲の奥へ響いた。
騎士の足が、一歩下がる。
俺は、その足を追った。
体内を巡る魔力を増やす。
脚から腰、背から肩へ、金色の光が膨れ上がった。
四つの位置を見る。
そこへ、順に届かせる。
刀を頭上へ運んだ。
「弐之太刀――」
獅心に、赤い炎が巻く。
「《四元咆哮・斬》!」
踏み込んだ。
右上から、左下へ。
火を乗せた袈裟斬りを、騎士の肩口へ振り下ろす。
剣が受けた。
噛み合った刃から、赤い火が噴き上がる。
止まるな。足から腰へ。
腕へつないだ力で、刀を最後まで運ぶ。
騎士の剣が外へ流れた。
炎の切っ先が肩の装甲を裂き、赤い軌跡が胸を斜めに走る。
俺はその脇へ抜けた。
振り抜いた刀を、身体とともに巡らせる。
左下から、頭上へ。向き直る。
騎士の兜も、こちらを追っていた。
右腕が剣を持ち上げる。
俺の足が、先に収まった。
赤がほどけ、黄色い光が刃を包む。
二の太刀。
土を乗せた唐竹斬りを、真下へ落とした。
重い音が響いた。
騎士の剣が押し下げられる。支える肘が曲がり、肩が沈んだ。
獅心の切っ先が胸甲の上端を割る。
膝が折れ、石の床に亀裂が広がった。
両腕へ、激しい重みが返る。
足で受ける。腰を沈めきらず、次へ運ぶ。
左の手甲が来た。
騎士は、まだ止まらない。
沈んだ身体から腕を振り、俺の首を狙っている。
肩を引き、その拳を前へ通した。
伸びた腕の外を抜ける。
反対側へ。
靴底が石を擦った。
騎士の胴が回り、兜が追ってくる。
その足が向き直る前に、俺は床を踏んだ。
獅心を右下へ導く。
黄色い残光が消え、青い水が刀身に沿って流れた。
三の太刀。
右下から、左上へ。逆袈裟に斬り上げる。
青い刃が、脇の装甲へ食い込んだ。
金属を裂く手応えが、柄を通して両手へ届く。
刃筋を保つ。
胸甲を斜めに断ち、受けに戻った手甲を跳ね上げた。
青い飛沫と金属片が、兜の横へ散る。
火の斬線と交わるように、水の軌跡が走った。
刀が左上へ抜ける。
金色の目は、まだ消えない。
騎士の右肩が動いた。
沈められた剣を、腰の回転で振り戻してくる。
割れた胸甲の下で、関節が軋んだ。
来ると思っていた。
俺は斜め後ろへ足を運んだ。
剣先が、胸の前を抜ける。服の端が裂けた。
斬り上げた獅心を返す。
左手で鞘を迎え、退く動きの中で刃を納めた。
騎士が踏み込む。
右手の剣が引かれる。
次は、突き。
俺の後ろ足が床へ収まった。
腰を支える。肩から力を抜く。巡る魔力を、刀へ通した。
鞘の口から、緑の光が漏れる。
四の太刀。
息を吐いた。
鞘を引く。
獅心を、抜き放つ。
緑の刃が、斜め横へ走った。
迫る剣を横切り、その先へ伸びる。
開いた間合いを風の斬撃が渡った。
騎士の脇へ届く。
既に裂けた装甲の奥へ、刃を通した。
手首だけで止めない。
足から腰、肩へ、振り抜くところまで運ぶ。
緑の斬線が、反対の胴から抜けた。
騎士の向こうで、風が弾けた。
◇
俺は、刀を振り抜いたまま相手を見た。
騎士は立っていた。
突き出しかけた剣が、こちらへ向いている。
その半ばが、ずれた。
切り離された刃が床へ落ちる。
澄んだ音が響いた。
騎士の右腕が下がった。
胸甲には、赤く焼けた傷が残っていた。
上から割れた装甲の縁に、黄色い光が薄れていく。
青い雫が落ちる。
最後の緑の線に沿って、上体が傾いた。
獅子の兜が、俺を向いている。
金色の目が消えた。
膝が床へ落ちた。
重い音とともに身体が崩れ、装甲の輪郭が光へほどけていく。
剣も、手甲も。
たてがみを模した板も。
淡い粒となって床を流れ、やがて何も残らなくなった。
「……はっ」
息が漏れた。
脚が震える。
立っていようとしたが、膝から力が抜けた。
その場に腰を落とす。
刀を床へぶつけないよう、右腕だけは持ち上げた。
掌が熱い。
指を緩めると、柄を握っていた形のまま固まりそうだった。
『レグルス』
セレスが目の前へ来た。
「終わった、よな」
『ええ。第五階層、突破よ』
頷こうとして、深く息を吐いた。
ようやく、刀を下ろす。
もう色の残っていない刃が、青い光を映した。
四つとも、通った。
途中で止まらず、最後まで。
「……できた」
『見ていたわ。最後の一太刀まで』
セレスの声を聞きながら、床へ目を向けた。
騎士が立っていた場所。
その周りには、俺がつけた跡が残っている。
擦れた石。
踏み割った床。
向きを変えたところに刻まれた、靴底の跡。
俺は、そこを一歩ずつ通った。
斬って、動いて、また斬った。
四つをつなぐために、あれだけの動きが必要だった。
爺ちゃんの姿を思い返す。
「……爺ちゃんは、この四つを、一度に斬ったんだ」
できたからこそ、分かった。
まだ、遠い。
四隅に立つ姿は、今もはっきりと思い出せる。
あの場所へ、自分も立ちたい。
火と、土と、水と、風。
四つの刃を、一度に届けられるように。
『また、確かめることが増えたわね』
「ああ」
指を一本ずつ動かし、柄を握り直す。
「でも、今日のも忘れない。どうやって足を置いたか。どこで魔力を変えたか」
『その前に、傷を見せてちょうだい』
セレスの視線が、血のついた袖へ落ちた。
今になって、腕も脇腹も痛かった。
脚を伸ばすと、打ち合った脛がじんと熱を持つ。
「……そうだな」
刀をゆっくりと納めた。
鞘に収まる音を聞いてから、もう一度、床の跡を見る。
四隅を一度には斬れなかった。
それでも、あの太刀筋へ続く一歩を、今日は踏めた。




