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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第九章 始まりの街、再び響く鈴
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第121話 始まりの場所、第五の扉

 朝の通りには、昨夜の宴の名残があった。

 店先に重ねられた椅子。空になった樽。広場の隅では、眠そうな顔をした男たちが長机を運んでいる。

 その向こうから、板を打ちつける音が聞こえた。

 壊れたものが、すべて直ったわけではない。

 それでも、昨日まで魔物の死骸に塞がれていた道を、今は荷馬車が通っていた。


 窓から離れ、右肩をゆっくりと回す。

 腕を上げ、肘を曲げる。指を握り込んでも、痛みは走らなかった。


『どう?』


「大丈夫そうだ。昨日の引っ掛かる感じもない」


『それで、朝から刀を振ろうと思っていないでしょうね』


 獅心へ伸ばしかけた手を止める。

 机の上で、セレスがこちらを見ていた。


「……少し確かめるだけだ」


『身体の具合は、今確かめたでしょう』


 言い返せず、手を下ろした。

 今日は、あの場所へ行く。

 昨夜セレスと話したことを思い返しながら、身支度を整えた。


     ◇


 出発前に立ち寄ったギルドでは、ブラノールさんとセフィリアが、職員と書類を広げていた。


「おはようございます」


「おはようございます、レグルスさん。肩はどうですか?」


「もう痛くない。そっちは?」


「私も大丈夫です」

 セフィリアは笑ってから、俺の荷物へ目を向けた。


「どこかへ行かれるんですか?」


「少し、昔の場所を見てこようと思って。夕方までには戻るつもりだ」


 受付で、向かう場所と予定を伝える。

 地図の上に指を置くと、職員は頷き、手元に書き留めた。


 ブラノールさんが書類を閉じる。


「森へ入るなら、周りは見ておけ。群れは散ったが、魔物がいなくなったわけではない」


「はい。あの施設の方は?」


「夜の間も、新たな異常はなかったそうだ。調査と監視は、引き継いだ連中が続ける」


 女王が消えた場所。

 垂れ下がった鎖と、崩れた鈴が頭に浮かぶ。

 もう、あそこから魔物を呼ぶ音が響くことはない。

 そう思うと、ようやく息が深く入った。


「お前も、戻ったら残りの報告を頼む」


「分かりました」


 外へ出て、魔導二輪の荷物を締め直す。

 後から出てきたブラノールさんが、車体の横で足を止めた。


「帰ってきたら、少し見せてもらえるか」


「これですか?」


「ああ。俺の試作機は、まだ先になりそうだからな」


 車輪から握り手へ、真剣な目が動く。


「動かし方の説明くらいならできますけど」


「それでいい」


「師匠。引き継ぎのお話が、まだ残っています」

 入口に立つセフィリアの声に、ブラノールさんが振り返った。


「分かっている。帰ってからの話だ」


「……そうですよね」


 セフィリアは車体を一度見てから、俺へ顔を向けた。


「お気をつけて。戻ったら、私にも見せてください」


「ああ」


『見せる相手が増えたわね』


 肩元の声に、口元が緩む。

 駆動を入れると、足元で低い音が響いた。


     ◇


 街を離れ、道を進む。

 畑の向こうに木々が近づいてくるにつれ、記憶にある景色が少しずつ重なった。

 ただ、来た時の道を覚えているわけではなかった。


 あの日、俺は訓練をしていた。

 足元の地面が崩れ、気づけば地下へ落ちていた。

 土と石に囲まれた場所から進み、遺跡の中でセレスと出会った。

 ここを歩いたのは、その後だ。

 二人で出口を探し、ようやく地上へ出てから、街へ戻った。


「この辺りだったよな」


『もう少し先よ。右に曲がるところがあったでしょう』


「ああ……そうだ」


 速度を落とす。

 枝の張り出した場所を過ぎると、見覚えのある道の曲がり方が見えてきた。

 あの時は、外へ出られたことに気を取られていた。

 空が見える。風が吹いている。

 それだけのことが、随分と嬉しかったのを覚えている。

 道の脇に魔導二輪を止め、必要な荷物を背負う。

 駆動音が止むと、葉の揺れる音が戻ってきた。


「ここから歩こう」


『ええ』


 草を分け、木々の間へ入る。

 しばらく進んだ先で、斜面の陰に暗がりが見えた。

 外から見れば、目立たない。

 土と草に紛れた石の縁。その奥へ、細い通路が続いている。

 俺は入口の前で膝を曲げ、中を覗いた。


「……ここだ」


 覚えている。

 この暗がりの向こうから、光を目指して歩いてきた。

 振り返り、木々の間に見える空を見上げる。

 あの日と同じ場所に立っているはずなのに、今は腰にある刀も、身体を巡る魔力も違っていた。


『入れそう?』


「ああ。崩れてはいないみたいだ」


 灯りを用意し、足元へ向ける。

 乾いた葉が溜まっているのは、入口の近くだけだった。

 頭を下げ、地下へ続く通路に足を踏み入れた。


     ◇


 少し下っただけで、空気が冷たくなった。

 背後の光が細くなり、やがて曲がり角に隠れる。

 灯りの中に、石の壁が浮かんだ。

 欠けた角。継ぎ目に入り込んだ土。天井から下がる細い根。

 靴底が砂を擦る音が、前方の暗がりへ響いていく。

 通路を逆にたどると、覚えている景色も違って見えた。

 進む先ばかり見ていたあの日には、気づかなかった横穴もある。


『その先は、左だったわ』

 分かれ道で、セレスが言った。

 灯りを向けると、壁際に崩れた石が積もっていた。


「これ、覚えてる。通りにくかったところだ」


 石を踏まないよう、隙間へ足を置く。

 抜けてから振り返ると、思っていたより狭い場所だった。


『あの時は、早く外へ出たがっていたものね』


「地下に落ちたんだからな。出口が見つかるかも分からなかったし」


『それでも、私の話は聞いたでしょう』


「話しかけてくる本なんて、初めて見たから」


『今も、そう何冊も知っているわけではないと思うけれど』


「それはそうだ」

 笑うと、声が石の壁に返った。


 ここから外へ向かった時にも、セレスはそばにいた。

 出会って間もない相手だったのに、一人で歩いていた時とは、随分と違った。


「あの時は、出口を探してたんだよな」


『ええ』


「今日は、お前がいた場所へ戻ってる」


 肩の上で、セレスが前を向いた。


『……そうね』


 その声を聞きながら、灯りを少し持ち上げた。


     ◇


 やがて、通路が開けた。

 壁の形を見た時に、分かった。

 俺は足を止め、ゆっくりと灯りを動かした。

 崩れた石。

 床に積もった砂。

 その奥にある、何も置かれていない場所。


「ここか」


『ええ。ここよ』


 近づいてみても、当然、そこに本はなかった。

 セレスは今、俺と一緒にいる。


 腰へ手を添えてから、肩を見た。

 彼女は何も言わず、空いた場所を見つめていた。


 昨夜、聞いた話が蘇る。

 以前の契約者。魔導連合で見た、あの若者。

 彼と別れてから、俺が来るまで、セレスはこの地に置かれていた。

 俺にとっては、冒険が始まった場所だった。

 セレスにとっては、もっと長い時間がある。


「戻ってきて、どうだ?」

 少し迷ってから尋ねる。


 セレスは俺へ顔を向け、それからもう一度、空いた場所を見た。


『思っていたより、静かね』


「前も静かだったんじゃないのか?」


『そうだったわ。でも、今はあなたの足音がするでしょう』


 俺は足元を見下ろした。

 砂の上に、自分の靴跡が残っている。

 何と返せばいいか考えているうちに、セレスが小さく笑った。


『そんな顔をしなくてもいいのよ。来てよかったと思っているわ』


「……そっか」


 頷き、部屋を見渡す。

 初めてここに来た時には、これから王都へ行くことも、帝国で兄さんに会うことも知らなかった。

 刀が折れることも。

 爺ちゃんの一歩に、あれほど何もできなくなることも。


 あの日から、随分と遠くまで歩いた気がする。

 そう思った時だった。腰に、温かさを感じた。


     ◇


 手を下ろす。

 指先に触れた本が、淡く光っていた。


「セレス?」


『……少し待って』

 彼女が肩から浮かび、俺と本を見比べた。

 その表情から、セレス自身が起こしているわけではないと分かった。


 床で、かすかな音がした。

 足元の小石が震えていた。

 一つが浮き、続いて、砕けた石片が床から離れる。

 俺はすぐに身を引いた。

 だが、石は襲ってこなかった。

 ゆっくりと宙を渡り、欠けた壁へ吸い寄せられていく。

 ぴたりと収まった石片の縁から、亀裂が細くなった。


「……直ってる?」


 天井を見上げる。

 垂れていた土がほどけ、その向こうから、整った石の面が現れた。

 床を覆っていた砂が流れる。

 柱の根元へ集まった粒が上へ昇り、失われていた輪郭を埋めていく。

 崩れたものが、元の場所へ帰っていく。

 時間を逆にたどっているようだった。


『レグルス。足元を見て』


 床に線が浮かんでいた。

 砂に隠されていた模様が、淡い青の光を帯びている。

 光は俺の足元を通り、壁へ、柱へと伸びた。

 部屋の縁に薄い膜が立ち上がる。

 それは石の壁を透かしながら広がり、通路の暗がりまで青く染めていった。

 身体を巡る魔力が、その光に応じて揺れた。

 覚えのある感覚だった。


「これ……獅子宮の」


『ええ』

 セレスが、短く頷く。


 壁が遠ざかった。

 足は動かしていない。それなのに、先ほどまで灯りが届いていた部屋の端が、ゆっくりと離れていく。

 修復された柱が並び、その上に高い天井が広がった。

 足元の石は、そのまま続いている。

 俺たちが立っていた地下の一室が、広大な空間へ変わっていった。


 やがて、石が収まる音も止んだ。

 淡い青の光の中で、セレスが正面を見る。


『第五階層ね』


「この場所が、そのまま試練になるのか?」


『ここを起点に開いたみたい。でも、こんな現れ方をするとは、私も思っていなかったわ』


 灯りを下ろす。

 もう、その明かりがなくても周囲は見えた。

 正面の床で、光が集まり始めていた。


     ◇


 俺は、その場で息を整えた。


 第五階層。

 新しい力へ続く試練が、目の前にある。

 胸が高鳴った。

 同時に、昨夜のセレスの声が浮かんだ。

 渇望が、自分を上回ること。

 深淵で同化し、やがて、自分の意思さえ失っていくこと。


 獅心の柄に触れる。

 握る前に、一度、自分の手を見た。

 強くなりたい気持ちは、今もある。

 爺ちゃんの刀に近づきたい。

 届かなかったところへ、届くようになりたい。


 けれど、夕方には街へ戻ると言ってきた。

 報告も残っている。

 ブラノールさんには、魔導二輪を見せる約束もした。


「セレス」


『何?』


「昨日の話、覚えてる」


 彼女がこちらを向いた。


「その上で、挑みたい」


 すぐには返事がなかった。

 セレスは俺の顔を見つめ、それから、右腕へ目を落とした。


『肩は?』


 腕を動かす。

 肘を引き、手首を返す。身体を巡る魔力を少し増やしても、痛みはなかった。


「大丈夫だ」


『そう』


「でも、変だと思ったら言ってくれ。俺も、自分で確かめるから」


 セレスが頷いた。


『ええ。ちゃんと見ているわ』


 その言葉を聞いてから、正面へ向き直る。

 床の光の中に、足があった。

 金属に覆われた脛。その上に膝が組み上がり、腰と胴が形を得ていく。

 今までの試練にも、人形はいた。

 だが、現れつつあるものは、輪郭から違っていた。


     ◇


 俺より、一回り大きい。

 厚い胸甲から肩へ、細長い装甲が幾重にも重なっていた。

 首の周りを囲み、背へ流れるその形は、獅子のたてがみに似ている。

 最後に、頭部が持ち上がった。

 突き出した鼻先。牙を刻んだ顎。

 獅子の顔を模した兜の奥に、金色の光が灯る。


「……獅子の騎士か」


 右手には、長い剣を握っていた。

 左手に盾はない。代わりに、指先まで覆う手甲があり、その先が短い爪のように尖っている。

 兜と首の隙間には肌が見えなかった。

 手首にも、肘にも、精密に組まれた継ぎ目がある。

 人形だ。

 獅子を模した鎧をまとい、剣を取った騎士の人形。


 その首が動いた。

 金色の目が、俺を捉える。

 見られただけで、背筋に力が入った。

 騎士の肩が僅かに下がる。

 大きな鎧だったが、動きを妨げる様子はない。

 腹部の装甲が滑り、腰の向きが変わる。右足が半歩引かれ、剣先がこちらへ向いた。


 無駄のない構えだった。

 その刃に、赤い光が走る。

 炎が細く立ち上がったかと思うと、すぐに消えた。

 次には水が刃を伝い、風が肩の装甲を撫で、足元で土色の光が瞬いた。

 火、水、風、土。

 俺が扱ってきた属性が、その身体を順に巡っている。


『剣だけを見ないで』


「ああ」


 空いている左手。

 重さを乗せきっていない前足。

 あの構えからなら、斬るだけでなく、踏み込みに合わせて殴ることもできる。


 柄を握り、獅心を抜いた。

 刃が青い光を映す。

 右肩は動く。足裏には、平らな石の感触がある。


 セレスが、少し後ろへ離れた。

 騎士は動かなかった。

 剣を向けたまま、こちらを待っている。


 俺は左足を僅かにずらし、息を吐いた。

 体内を巡る魔力を、途切れさせずに増やしていく。

 爺ちゃんに教わった足の置き方。

 戦いの中で覚えた間合い。

 刀へ通す魔力と、身体を動かす力。

 どれも、この場所を出てから積み重ねてきたものだった。


「――行くぞ」


 獅子の目が、強く光った。

 大きな身体が沈む。

 石を蹴る音とともに、騎士が間合いへ入ってきた。


 予想より、速い。

 俺は足を運び、迫る剣へ獅心を合わせた。

 地下に、鋭い金属音が響いた。

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