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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第九章 始まりの街、再び響く鈴
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第120話 始まりの街で、君の話を

 王都ギルドの保管室で、乾いた音がした。

 巡回していた職員が足を止める。

 棚の奥に置かれた箱。

 その縁に刻まれた術式は、いつもと同じ光を保っていた。留め具に掛けられた封印の札にも、破れはない。


 けれど、箱の中では変化が起きていた。

 鈴の表面を、細い亀裂が走る。

 丸みを帯びていた側面が内側へ崩れ、吊り下げるための輪が折れた。

 砕けた欠片も、次々と形を失っていく。


 職員が担当者を呼び戻し、確認のために箱が開かれた時には、もう鈴は残っていなかった。

 底に溜まった細かな粉だけが、灯りに照らされていた。


     *


 門前で、狼の足が止まった。

 突き出された槍を避け、後ろへ跳ぶ。

 先ほどまでは傷を負っても前へ出ていた魔物が、低く唸りながら周囲を見回していた。

 隣の一体が肩をぶつける。

 狼が牙を剥いた。

 押し寄せていた群れの中に、乱れが生まれる。

 森へ引き返すもの。畑の向こうへ走り去るもの。倒れた仲間を踏み越え、道から外れるもの。


「追うな!」

 ブラノールの声が響いた。

 前へ出かけた冒険者が足を止める。


「向かってくるものだけを止めろ。門の守りを崩すな」


 逃げる魔物の背中を見送りながら、門兵が盾を下げかけた。

 すぐに持ち直す。

 まだ誰も、終わったとは言わなかった。


 それでも、森から続いていた土煙は、少しずつ薄れていった。


     ◇


 俺たちが街へ戻った時には、空はすっかり暗くなっていた。

 門の外に並んだ灯りが、倒れた魔物を照らしている。

 血の匂いが濃かった。

 馬を歩かせる場所を選びながら近づくと、こちらに気づいた門兵が声を上げた。


「戻ったぞ!」


 人の間から、ブラノールさんが出てきた。

 剣は鞘へ収めていたが、袖にもズボンにも返り血がついている。

 俺とセフィリアは馬を下りた。


「女王の頭部は、焼き尽くしました」


 そう伝えると、ブラノールさんは俺の顔を見た。

 それから、隣のセフィリアへ視線を移す。


「二人とも戻ったな」


「はい、師匠」

 セフィリアの声が、僅かに緩んだ。

 俺も頷いた。

 その途端、肩の痛みが急にはっきりした。手綱を渡そうとして腕を上げると、胸の奥まで鈍く響く。


「怪我は?」


「俺は、肩と腕を少し」


「レグルスさんが、私への攻撃を受け止めてくれたんです」

 セフィリアがすぐに言った。


「私は大丈夫です。ですが、レグルスさんは――」


「分かった。二人とも、まず診てもらえ。詳しい話はその後だ」


 反論する前に、手綱を門兵へ渡された。

 背中を押す手こそなかったが、そのまま行くしかない声だった。

 門をくぐると、マルクが駆け寄ってきた。


「やったんだな」


「ああ。そっちは?」


「見てのとおりだ。逃げた奴もいるから、まだ見張りは解けないけどな」


 笑いかけた顔には、疲れが濃かった。

 頬に貼った布の端から、血が滲んでいる。


「お前も怪我してるじゃないか」


「擦っただけだ。それより、早く行け。勇者様が心配してるぞ」


 隣を見る。

 セフィリアが、真剣な顔で頷いた。


「……分かった」


 足を進めると、門の内側で水を運んでいた人が頭を下げた。

 その先でも、また一人。


 ありがとう、と。


 声を掛けられるたびに、どう返せばいいのか迷った。

 ただ頷いて歩くうちに、街へ戻ってきたのだという実感が、ようやく胸に届いた。


     ◇


 翌朝は、荷車の軋む音で始まった。


 夜のうちに到着した騎士たちが周辺の警戒を引き継ぎ、封印を調べる者たちは施設へ向かった。

 俺たちはギルドで経緯を説明し、その後、門前の片づけに加わった。

 死骸は、明るいところで見るとさらに多かった。

 道の上だけではない。畑の端や柵の下にも重なっている。

 使える皮や牙を確かめ、傷みの少ないものを剥ぎ取る。

 残りを縄で縛り、何人かで荷車へ載せる。

 一台が郊外へ出ていくと、空になった別の一台が戻ってきた。


「そっち持てるか?」


「ああ」


 マルクと二人で、重い身体を持ち上げた。

 肩に巻かれた布が引きつる。

 顔を顰めると、マルクがすぐに気づいた。


「無理するなよ。昨日、治療してもらったばかりだろ」


「大丈夫。持ち方を変える」


「だったら、次は牙の方を頼む。運ぶのは代わる」


 言いながら、近くの冒険者を呼んでしまう。

 俺は荷台へ手を掛けたまま、少し笑った。


「……分かった」


 昼を過ぎる頃には、門前に道が戻ってきた。

 血を洗い流す水が溝へ流れ、壊れた柵を直す槌の音が聞こえる。

 郊外では、素材を取った後の死骸を焼く煙が上がっていた。

 王都から、鈴が崩壊したという報告が届いたのも、その頃だった。

 女王を倒した時刻と、ほぼ重なっていたらしい。

 ギルド長からその話を聞き、俺は地下で砕けた鈴を思い出した。


 これで、あの音は止まった。

 誰が持ち出したのか。

 どう使われていたのか。

 調べることは残っている。

 それでも、今、門を行き来する人々の足を止める鈴は、もう鳴らない。


     ◇


 宿の裏手に置いていた魔導二輪は、無事だった。

 車輪にも外装にも、目立った傷はない。握り手へ触れ、ようやく息を吐く。


「よかった……」


『ずいぶん安心した顔をするのね』


「これまで壊れてたら、姉さんに何て言えばいいんだ」


『起きたことを、そのまま話すしかないでしょうね』


「そのまま話したら、余計に心配されそうだ」


 女王の頭部。黒い光線。それを正面から受け止めたこと。

 どこから話しても、姉さんが黙って聞いている気はしなかった。


『心配する人がいるんだから、ちゃんと帰るのよ』


「分かってる」


 車体から手を離す。

 表の通りから、誰かが俺を呼んでいた。


「レグルス! こっちだ、席を空けてある!」

 マルクの声だった。


     ◇


 広場には、長い机が並んでいた。

 食堂から運ばれた煮込み。焼いた肉。籠に積まれたパン。

 店先にも椅子が出され、料理を抱えた人が通りを行き来している。

 誰が言い出したのかは、分からなかった。

 片づけが一段落した頃には、街のあちこちで火が起こされていた。


「今日は食ってくれ。足りなかったら、まだあるからな!」


 皿を渡され、礼を言う。

 席に着く前に別の人から杯を渡され、今度は肩を叩かれた。

 ブラノールさんの周りにも、人が集まっていた。

 門前で見た剣の話を、身振りを交えて語っている。


「あれだけいたのが、一度で!」


「俺のところまで来ると思いましたよ、あの光!」


「お前たちが下がったのを見てから使った」

 ブラノールさんが答えると、周囲がどっと笑った。


 セフィリアは、花を差し出した子供の前で腰を屈めていた。

 受け取って微笑む。

 その隣へ母親らしい女が来て、何度も頭を下げていた。


「お前もだぞ」

 マルクに肘で小突かれる。


「何が?」


「そんな、見てるだけみたいな顔するなって。奥の奴を倒したの、お前たちだろ」


「ここを守ってくれたから行けたんだ」


「そりゃそうだ。だから全員で飲んでる」


 杯を持ち上げられ、俺も合わせた。

 軽い音が鳴る。


「それにしてもなあ。この街で依頼を受けてたお前が、勇者様と並んで戻ってくるとは」


「俺だって、来る時には考えてなかった」


「だろうな」

 マルクが笑う。

 俺も笑って、パンをちぎった。


 料理は温かかった。

 食べている間にも、次々に声を掛けられる。

 昨日、子供を抱えて走っていた男。

 水桶を運んでいた女。名前を知らない人もいた。


 話を聞き、返事をし、何度も杯を上げた。

 嬉しかった。

 けれど、頬の辺りが落ち着かなくて、ときどき皿へ目を落としてしまった。

 しばらくして、俺は席を立った。


「少し、風に当たってくる」


 隣のセフィリアが顔を上げる。


「肩、痛みますか?」


「いや。ちょっと食べすぎた」


 彼女の目が、俺の空になった皿へ向いた。

 小さく笑う。


「それなら、ゆっくり歩いてきてください」


「ああ」


 人の間を抜け、灯りの少ない道へ入る。

 肩には、セレスがいた。


     ◇


 足は、自然と覚えている方へ向かっていた。

 この街にいた頃、何度も通った場所。

 依頼へ出る前も、戻った後も、刀を振っていた場所だった。

 足元の土を踏む。

 草は少し伸びていたが、立ってみると、どちらへ向いて構えていたか思い出せた。


『懐かしいわね』


「ああ」

 獅心の柄へ手を置く。

 抜きはしなかった。

 肩の痛みもあったし、今は、ここに立つだけでよかった。


「ここで振ってた時は、王都が随分遠く感じたな」


『実際、知らない場所だったもの』


「浮遊大陸に行くとも思ってなかった。帝国で兄さんに会って、あんな修練をすることになるとも」


 刀が折れた時には、その先のことなど考えられなかった。

 何を握ればいいのか。どう戦えばいいのか。


 今は腰に、獅心がある。

 身体には、教わった動きが残っている。


「爺ちゃんには、まだ足を置くだけで直されるけど」


『帰ったら、また見てもらえるでしょう』


「だな」


 遠くから笑い声が聞こえた。

 誰かが歌い始めたらしい。調子の外れた声に、別の声が重なる。


「……お前と出会ってから、随分いろんな所へ行ったな」


『ええ』

 セレスの返事が、いつもより静かだった。


 肩を見る。

 彼女は街の灯りを見つめていた。


『レグルス。少し、私の話をしてもいいかしら』


「もちろん」

 俺はその場へ腰を下ろした。

 鞘の位置を直し、彼女へ顔を向ける。


 セレスは肩から離れ、目の前に浮かんだ。


『魔導連合で見た、あの若者を覚えている?』


「ああ」


『彼が、私の前の契約者よ』


 思わず、姿勢を正した。

 あの若者の姿が浮かぶ。


「……そうだったのか」


『彼の後に、契約した人はいないわ。あなたに出会うまで、私はこの地に置かれていた』


「ずっと?」


『ええ。ずっと』

 短い言葉だった。

 そこに、俺の知らない時間があった。


     ◇


『契約者は、自分の渇望によって先へ進むわ。求めて、力を得て、さらに先を求める。階層を越えていくのも、その一つね』


 セレスが、俺の腰へ目を向けた。

 獅心の隣にある、彼女の本体。


『その渇望が上限に達した先に、深淵と呼ばれる場所があるの』


「獅子宮にも?」


『ええ』


「そこまで行くと、どうなる?」


 セレスは、すぐには答えなかった。

 小さな手が、胸元で重なる。


『契約者と契約物が、同化するわ』


 風が吹いた。

 足元の草が、同じ方へ倒れる。


『身体は人とは違うものに変わっていく。そして、やがて契約者の自我は、契約物の自我に呑まれる』


 俺は、目の前のセレスを見つめた。


「……呑まれるって、お前にか?」


『そうよ』


 彼女は目を逸らさなかった。


『あなたがその道を進みきれば、私とあなたの境界がなくなる。最後には、あなたがあなたとして選ぶことさえ、できなくなる』


 柄に置いていた手を離した。

 掌に、巻き布の跡が残っている。


 もっと強くなりたい。

 もっと速く、もっと深く斬りたい。

 その気持ちは、今もある。

 女王を断った一太刀を思い返すだけで、次はどう振れるのかと考えてしまう。


「力が欲しくて進んで、最後には、その力を使う俺がいなくなるのか」


『渇望に、自分のすべてを渡してしまえばね』


 セレスが少し近づいた。


『でも、進む先は一つではないわ』


 顔を上げる。


『自分の意志が、渇望に勝ることがある。欲しいという気持ちを抱えたまま、それでも、自分がどう在るかを選び続けられたなら』


「深淵へは行かない?」


『別の場所へ至るわ。発現している固有能力が、契約者をさらに高みへ押し上げるの』


「俺なら……《未踏領域》か」


『ええ』

 セレスが頷いた。


『その道なら、人としての身体も、自分の意志も保てる。老いる速さは普通の人より遅くなるけれど、あなたは人のままよ』


 自分の手を見る。

 掌を開き、指を曲げた。


『その手で刀を握って、その足で歩いていくの。誰も到達していない場所へ』


「……そこまで行けるんだな」


『道はあるわ。あなたが必ず辿り着けると、約束することはできないけれど』


 その答えに、ゆっくり頷いた。

 約束されていないことには、慣れている。


 ただ、話はまだ終わっていなかった。


「前の契約者は、どっちへ行ったんだ?」


 セレスの表情が変わった。

 ほんの僅かに、口元から力が抜ける。


『深淵へ進もうとしたわ』


「……お前と、同化しようと?」


『ええ』


「それで?」


『私が止めたの』


     ◇


 遠くの歌声が、途切れた。

 笑い声と拍手が遅れて届く。

 セレスは、その方を一度見た。


『最後に、説得したわ。そこへ進めば、彼自身が失われる。欲しかったものを手にしても、それを喜ぶ彼がいなくなるのだと』


「聞いてくれたのか」


『……最後にはね』


 それだけ言って、黙る。

 俺も、次の言葉を急かさなかった。


 セレスは自分の手を見下ろした。

 小さな指を開き、また閉じる。


『彼が失われるのを、見たくなかったの』


 俺は息を吐いた。


「お前に呑まれるって聞いた時、どう考えればいいか分からなかった」


『ええ』


「今だって、全部分かったわけじゃない」


 セレスが頷く。

 俺は続けた。


「でも、お前は止めたんだな。その人を」


『……そうよ』


 目の前にいるのは、ずっと一緒に旅をしてきたセレスだった。

 俺が倒れれば声を掛け、無茶をすれば呆れ、うまく刀を通せば喜んでくれた。

 その彼女が話すことだから、怖くないとは言えなかった。

 むしろ、はっきりと想像できてしまう。

 いつか、彼女の声を聞いても、俺として返事ができなくなる。

 そんな場所へ、自分から進んでしまうかもしれない。


「俺も、先へ行きたい」

 言葉にすると、胸の奥が熱くなった。


「もっと振れるようになりたい。今は斬れないものも、いつか斬りたい」


『知っているわ』


「けど、姉さんに帰ったって言うのも、爺ちゃんにまた教えてもらうのも……お前と、こうして話すのも、俺がしたいんだ」


 街の灯りを見る。

 あそこには、まだ俺を待っている人がいる。


「何のために振ってたのかまで、なくしたくはない」


 セレスは、しばらく黙っていた。

 やがて、ゆっくりと俺の肩へ戻ってくる。


『その気持ちを、忘れないで』


「ああ」


『今日そう言えたから、もう大丈夫という話ではないのよ』


「分かってる。……いや、これから分からなくなることもあるんだろうな」


 膝へ肘を置き、少し考えた。


「その時は、また話してくれ。今日みたいに」


『ええ。何度でも』


 返事を聞いて、肩の力が抜けた。


「話してくれて、ありがとう」


 セレスが、俺の頬を覗き込んだ。

 それから、いつものように小さく笑った。


『どういたしまして』


     ◇


 立ち上がると、座っていたところに草の跡が残っていた。

 ズボンについた土を払う。


「明日、行ってみないか」


『どこへ?』


「お前と出会った場所」


 セレスが黙った。

 俺は森の方へ目を向ける。


「あの時は、お前がそれまで、どんなふうに過ごしてたかなんて知らなかったから」


『……行って、どうするの?』


「まだ決めてない。もう一度、見ておきたいと思った」


 彼女の脚が、肩で小さく揺れた。


『そうね。私も、行ってみたいわ』


「じゃあ、明日だな」


 歩き出す。

 街へ戻る道には、温かな灯りが続いていた。


『今日はもう、振らないのね』


「肩が治ってからにする」


『珍しく素直ね』


「爺ちゃんにも、緩急が必要だって言われたしな」


 セレスが笑った。

 その声を聞きながら、俺も口元を緩める。


 通りの向こうで、マルクがこちらに気づいて手を上げた。

 隣では、セフィリアが空いた席を示している。

 俺は片手を上げて応えた。


 腰には獅心がある。

 肩にはセレスがいる。

 その重みを確かめながら、待っている人たちのところへ戻った。

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