第118話 守る者、断つ者
警鐘の音を追って、通りを走った。
店先に出ていた人々が顔を上げ、森の方角を見る。荷物を抱えたまま立ち止まる者もいれば、子供の手を引いて家へ急ぐ者もいた。
「通りを空けろ! 外にいる者を入れる!」
先を走るブラノールさんの声で、人の流れが左右へ分かれた。
俺とセフィリアも、その後を追う。
角を曲がると、開かれた門が見えた。外から荷車が一台、軋む音を立てて入ってくる。後ろでは、門兵が転びかけた老人の腕を支えていた。
その向こうに、土煙が上がっていた。
畑の先。森から出てくる道。
灰色の背中がいくつも跳ね、その後ろから、もっと大きな影が続いている。
道から外れたものが柵を倒した。畝を踏み潰し、並んで走る魔物を押しのけながら、こちらへ向かってくる。
「……モンスターパレード」
門脇にいた冒険者が呟いた。
握っていた槍の先が、僅かに下がる。
「見えている分だけで数えるな。森の中にも続いている」
ブラノールさんが足を止めた。
門兵の一人を呼び、短く尋ねる。
「外に残っている者は?」
「街道沿いは、ほとんど。ですが、左の畑にまだ――」
「俺が行ってる!」
門の外から声がした。
マルクだった。片手を上げ、そのまま畑へ続く道を駆けていく。少し先には、二人の冒険者が見えた。
「荷物は置いてこい! 歩けない人を先に運べ!」
その声を聞きながら、ブラノールさんが門前を見渡した。
「盾を持つ者は門の両脇へ。中央は空けておけ。弓と魔法は後方から、味方の前へ出た魔物を狙え」
指示を受け、門兵たちが動き始める。
「倒した敵を追うな。抜けてきたものを止めろ。大きいものは俺が受け持つ」
「はい!」
「レグルス、セフィリア。左の退路を確保するぞ」
俺は柄を握った。
「分かりました」
「はい、師匠」
体内を巡らせていた魔力を増やす。
門の外へ踏み出すと、土を蹴る音が一気に近くなった。
◇
最初の一体は、畑を斜めに横切ってきた。
腹を低くして走る狼。その鼻先が、道を戻ってくる人々へ向いている。
俺は進路へ入った。
足を止めたこちらへ、黄色い目が向く。
唇が捲れた。
跳んでくる。
踏み込む位置を一つずらし、鞘を引いた。
抜けた獅心が首を通る。
身体が脇へ落ちるより早く、次の影へ視線を移した。
二体目は跳ばなかった。
低いまま俺の横を抜けようとする。
その先には、子供を抱えた男がいた。
足を返す。
狼の前へ身体を入れ、振り下ろした刃で肩口から断つ。勢いの残った身体が足元を滑り、土を掻いて止まった。
「そのまま門へ!」
男が頷く。
こちらへ何か言いかけた口を閉じ、子供を抱え直して走った。
『右から来るわ』
肩元の声に、刀を引き戻す。
牙を突き出した巨体が、倒れた狼を踏み越えてきた。
正面から受けるには重い。
避ければ、後ろへ通す。
俺が腰を落とした時、白い剣線が横から入った。
突進していた巨体の前脚が折れる。
頭から地面へ突っ込んだところへ、ブラノールさんが一歩寄った。
剣が下りる。
短い断末魔が途切れた。
「そちらを見ていろ」
「はい!」
畑へ向き直る。
マルクが老人を背負って走っていた。その後ろを、鍬を持った男と、足を引きずる女が続く。
「あと三人だ!」
「こっちは任せろ!」
俺の返事に、マルクが歯を見せた。
「頼む!」
道の脇で、棍棒を持った魔物が柵を跨いだ。
その腕が上がる。
セフィリアが踏み込んだ。
振り下ろされる棍棒の外へ身を運び、腕を斬る。
剣を止めずに足を継ぎ、傾いた身体の喉へ刃を通した。
その背後へ、もう一体が迫る。
「セフィリア!」
「見えています!」
彼女は振り返りながら剣を引いた。
ぶつかる刃を斜めに受け流し、そのまま相手の懐へ入る。
剣先が胸を貫いた。
引き抜いた時には、次へ動ける位置に足があった。
帝国で見た時より、動きが繋がっている。
けれど、見ている暇はなかった。
俺は左から飛び込んできた一体を斬り、セフィリアの横へ下がった。
マルクたちが、俺たちの間を抜けていく。
「これで畑は最後だ!」
背負われた老人の手が、マルクの肩で揺れていた。
門まで、あと少し。
その間を埋めるように、俺とセフィリアは一歩ずつ後退した。
◇
門前に、魔物の死骸が重なり始めていた。
それでも、土煙は薄くならない。
矢を受けた狼が、脚を引きずりながら進んでくる。
隣では、腹に槍を突き込まれた魔物が、柄を掴んで門兵ごと引き寄せようとしていた。
俺は横へ踏み込み、その腕を斬った。
門兵が槍を引き抜く。
続けて喉へ刃を入れると、魔物はようやく倒れた。
「助かった……!」
「次が来ます!」
倒れた身体の向こうから、別の一体が顔を出す。
門兵が盾を構え直した。
その脇を槍が伸びる。
少しずつ、守り方が定まってきていた。
盾で止め、横から突く。傷を負った者が下がれば、後ろの者が代わりに入る。
その中央で、ブラノールさんの剣が動いていた。
頭一つ大きな魔物が前へ出るたびに、その身体が崩れる。
剣を振った直後には、もう別の場所へ目を向けていた。
「右、二人下がれ。後ろと替われ」
「左へ回るぞ!」
「追うな。門の脇で止めろ」
短い声が飛ぶ。
最初はばらばらだった返事が、今はすぐに返ってくる。
俺は呼吸を整え、刀を握り直した。
足元に倒れた狼の口から、黒いものが漏れた。
煤のような粒。
血の匂いに混じって、喉の奥へ不快なものが触れる。
「……これ」
『ええ。地下で見たものと似ているわ』
粒子は地面へ落ちる前に薄れた。
セフィリアも、それを見ていた。
「あの部屋と、同じ感じがします」
彼女の視線が森へ向く。
長い銀髪。
瞬きもしない赤い目。
切断面から伸びる鎖と、そこで消されていた黒い粒子。
あの場所へ集まっていた魔物が、今は街へ押し寄せている。
「封印から、もっと漏れ始めたのかもしれない」
「……はい」
前方で、重い音がした。
ブラノールさんに斬られた巨体が膝をつき、横倒しになる。
その身体を避けて、また群れが来る。
「師匠!」
セフィリアが呼んだ。
ブラノールさんは剣を下ろさず、こちらを見る。
「魔物から、頭部と同じ力を感じます。あそこを確かめに行かせてください」
「俺も行きます。道は分かっています」
答えが返る前に、右側で盾が鳴った。
俺は駆け寄り、盾へ食いついていた魔物の首を落とす。
引き戻した刀の先から、血が落ちた。
このまま、何体斬ればいい。
森の奥に、あとどれだけいる。
門の中では、運び込まれた怪我人に布が巻かれていた。
水桶を抱えた女が走る。その後ろを、矢の束を持った少年が追っていた。
ブラノールさんが門兵へ指示を出し、俺たちを数歩だけ後ろへ呼んだ。
◇
「術式を扱える者は、まだ着かない」
ブラノールさんは森を見たまま言った。
「王都には連絡がついた。騎士も向かう。だが、今ここにいる者で持たせる必要がある」
門の外で、槍の柄が地面を叩いた。
マルクが声を張り、前へ出かけた冒険者を引き戻している。
「あの頭部が原因なら、ここで群れを止めるだけでは終わらん」
ブラノールさんが、セフィリアへ目を向けた。
「漏れた力を、《極光》で抑えられるか」
「試します。帝国で亀裂を塞いだ時の感覚は、覚えています」
「封印が残っていれば、まず状態を見ろ。頭部へ届かせようとして、鎖ごと壊すな」
「はい」
「既に破れていたら、外へ広がる力を抑えることを優先しろ。その間に頭部を処分する」
今度は、俺を見た。
「レグルス。まだ振れるな」
「はい。脚も、魔力も残っています」
握っていた柄から、僅かに力を抜く。
指は動く。肩も上がる。
踏み込む足に、震えはない。
ブラノールさんは俺の顔を見て、それから腰の獅心へ視線を落とした。
「セフィリアが力を使う間、前を任せる」
「分かりました」
「俺はここを離れられん。群れを止め、援軍を受け入れる」
その言葉の途中で、外から咆哮が響いた。
ブラノールさんが一度だけ目を向ける。
門前の守りは、まだ崩れていなかった。
「二人で戻ってこい」
「はい、師匠」
セフィリアが頷いた。
ブラノールさんの視線が、俺へ戻る。
「レグルス。セフィリアを頼む」
「はい」
短く答えた。
セフィリアと目が合う。
「よろしくお願いします、レグルスさん」
「ああ。行こう」
彼女は剣を納め、門の内側へ走った。
ブラノールさんが近くの門兵を呼ぶ。
「預けてある馬を二頭、ここへ。俺の馬も使わせる」
門兵が駆けていく。
入れ替わるように、マルクが戻ってきた。額から流れた汗が、頬の土を濡らしている。
「森へ行くのか」
「ああ。奥を止めてくる」
「なら、道の左へ寄れ。畑の端から林道へ戻れる。真ん中は、あいつらが通ってる」
マルクが森へ指を向けた。
柵の途切れた先に、細い道が見えた。
そこにも魔物が流れ込んでいる。
「……今は、塞がってるけどな」
「そこは俺が開ける」
ブラノールさんが言った。
剣を手に、門の外へ歩き出す。
◇
連れてこられた馬は、魔物の声に耳を伏せていた。
手綱を受け取り、首筋へ手を当てる。
鞍へ上がると、足元で蹄が落ち着かなく土を掻いた。
隣で、セフィリアも騎乗する。
互いに頷いたところで、前方からブラノールさんの声が響いた。
「全員、俺より後ろへ下がれ!」
門兵たちが盾を構えたまま下がる。
冒険者が負傷した仲間の腕を取り、その後へ続いた。
空いた場所へ、魔物が押し寄せる。
ブラノールさんは、門から少し離れたところで足を止めた。
背後には街と、守る者たち。
正面には、畑から道へ溢れ出す群れがいた。
剣先が、ゆっくりと下を向く。刀身に魔力が集まり始めた。
握る手から鍔へ。
刃の根元から、その先へ。
光が厚みを増していく。辺りへ散ることなく、剣の形に収まっていた。
馬の背にいても、肌が粟立った。
手綱を握る指へ、自然と力が入る。
先頭の狼が地面を蹴った。
その後ろで、棍棒を持った巨体が腕を振り上げる。
ブラノールさんが剣を持ち上げた。
「《次断・竜顎》」
刃が、地面へ突き刺さった。
八本の剣閃が走った。
剣の刺さった一点から、前方へ扇状に広がる。
地面を裂いて進む光が、跳びかかった狼を割った。その後ろにいた巨体の脚から胴へ抜け、振り上げられた棍棒ごと斬り裂く。
一本ごとの剣閃が、群れの奥まで通っていた。
横へ逃れようとした魔物が、隣を走る光に呑まれる。
畑を踏み荒らしていた背中が次々に崩れ、その向こうで、さらに土が跳ねた。
遅れて、轟音が届いた。
馬が首を振る。
俺は手綱を支え、前を見据えた。
土煙の中へ、幾つもの身体が倒れていく。
ついさっきまで重なって見えていた牙も、爪も、振り上げられた武器も、地面へ落ちていた。
群れが途切れた。
門前から畑の端まで、広く空間が開いている。
ブラノールさんが剣を引き抜いた。
刃についた土が落ちる。
「行け!」
馬の腹へ踵を添えた。
蹄が地面を蹴る。
ブラノールさんの脇を抜けた。
その顔は、既に後続の群れへ向いていた。
「盾を戻せ! 左右を締めろ!」
背後で声が響く。
すぐに、幾つもの返事が続いた。
俺とセフィリアは、倒れた魔物を避けて左へ進んだ。
剣閃の残した溝を跨ぎ、土煙の薄いところへ抜ける。
畑の端。
マルクが教えてくれた道が、森へ続いていた。
◇
背後で、再び魔物の咆哮が上がった。
金属のぶつかる音も聞こえる。
振り返ると、門の前にブラノールさんが立っていた。
その左右には盾が並び、後ろから槍が伸びる。
マルクが腕を振り、誰かへ声を掛けていた。
俺は前へ向き直った。
手綱を通して、馬の力が伝わってくる。
道の先へ視線を置き、セフィリアと並んで走った。
「レグルスさん」
「どうした?」
「あの頭部のところへ着いたら、まず私が漏れている力を確かめます」
「ああ。その間は、俺が周りを見る」
「お願いします」
彼女の声は、はっきりしていた。
鞍の横で、新しい剣の鞘が揺れている。
森が近づく。
木々の間には、もう夕日の届かない暗がりが広がっていた。
『入口から先は、来た時と同じとは限らないわ』
セレスが肩で言った。
「ああ」
返事をして、獅心の位置を確かめる。
あの地下で見た、赤い目が浮かんだ。
瞳孔は開いたまま、何も映していないように見えた。
それでも、黒い血は流れ続けていた。
まだ、あそこにある。
木々の影が、馬の脚を覆った。
街を守る声を背に、俺たちは森へ入った。




