第115話 集う者たちと、団長の欲しいもの
鈴の音が消えた後も、魔物たちは石積みの前を離れなかった。
サイクロプスが地面へ手をつき、隙間を覗いている。その脇では、ゴブリンシャーマンが杖を握ったまま立ち尽くしていた。
俺は地図を畳み、荷物へ収めた。
「戻ろう」
『ええ。十分、報告することができたわね』
身を低くしたまま、尾根の向こうへ下がる。
石積みが見えなくなるまで距離を取り、それからゆっくりと立ち上がった。
背後で枝が折れる。
振り返ったが、追ってくる気配はなかった。
魔物たちの関心は、まだ土の下へ向いているらしい。
来た道を戻りながら、何度か足を止めた。
帰り道でも、森の奥へ進むフォレストウルフを一体見かけた。木陰でやり過ごし、地図へ位置を書き加える。
集まっている数は、今も増えているのかもしれない。
魔導二輪を止めた場所へ着く頃には、朝露は乾いていた。
車体と周囲を確かめ、荷物を固定する。
駆動音が響くと、それまで聞こえていた森の物音が遠くなった。
『帰りも、道はよく見てね』
「ああ」
速度を上げたくなる気持ちを抑え、木の根を越える。
林道を抜けてから出力を上げると、正面から風が吹きつけてきた。
◇
「レッドオーガと、サイクロプス……?」
支部長の手が止まった。
「はい。ゴブリンナイトが二体、ゴブリンシャーマンが一体。ほかにファングボアもいました。木に隠れて見えない場所もあったので、それで全部とは言えません」
机へ広げた地図を指す。
黒い粒子を見た場所。その先にあった石積み。魔物の集まっていた範囲。
書き込んだものを順に説明すると、支部長の眉間に皺が寄った。
「それらが、争わずに集まっていたんだな」
「はい。何かを食べている様子もありませんでした」
「お前への反応は?」
「途中でフォレストウルフが一体、襲ってきました。倒しましたが、ほかの魔物はそのまま奥へ向かいました」
支部長は椅子へ背を預け、短く息を吐いた。
脇で記録を取っていた受付嬢も、紙へ目を落としたまま唇を結んでいる。
「森への立ち入りを止めよう。該当する依頼は一旦取り下げる。街の警備にも、この地図の写しを回してくれ」
「承知しました」
「今、森に入っている者の確認も頼む。入口付近から呼び戻せる者は戻すが、捜索のために奥へは入らせるな」
受付嬢が書類を揃え、部屋を出ていった。
支部長は、改めて俺を見る。
「石積みには触れていないんだな?」
「はい。近づくには魔物を排除する必要がありましたし、地下に何があるか分からなかったので」
「それでいい。位置を掴めただけでも大きい」
「それと……鈴の音を聞きました」
支部長の目が、地図から俺へ戻った。
「お前もか」
「一度だけです。その時、見えていた魔物が一斉に石積みの方を向きました」
「音に反応した、と」
「そう見えました。ただ、姿は見ていません。地面の下から聞こえたように思えたんですが」
記憶の中の音を確かめる。
短く、澄んだ音だった。
あれだけ違う種類の魔物が顔を上げた光景は、今もはっきりと思い出せる。
支部長が口を開きかけたところで、扉が叩かれた。
「失礼します」
もう一人の受付嬢が顔を出した。
いつもより背筋が伸びている。
「勇者セフィリア様と、ブラノール団長がお見えです」
俺は顔を上げた。
◇
扉から入ってきたセフィリアは、俺を見ると少し表情を和らげた。
「レグルスさん」
「セフィリア。二人も、この件で?」
「はい。亀裂が発生している可能性があると伺って」
その後ろから、ブラノールさんが入ってくる。
いつものシャツにスラックス。眼帯も、腰の少し上に斜めに佩いた剣も変わらない。
支部長と挨拶を交わすと、すぐに地図へ目を向けた。
「調査から戻ったところか」
「はい。今、報告していました」
「では、俺たちにも聞かせてくれ」
席が用意され、二人が机の向かいに座る。
「師匠、こちらが黒い粒子の目撃地点でしょうか」
「ああ。だが、印が増えているな」
師匠。
その呼び方に、僅かに目を向けた。
セフィリアが気づき、首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いや。呼び方、変わったんだなって」
「あ……はい」
セフィリアはブラノールさんを一度見て、小さく笑った。
「剣を教えていただいているので」
「そうか」
以前も教わっていたはずだ。
けれど、今の声を聞いていると、それだけではない何かがあったのだろうと思えた。
「その話は後だ。粒子を見たのは、ここか?」
ブラノールさんの指した場所へ、俺も目を戻した。
「はい。倒木を回り込んだ先です」
森で見たことを、もう一度順に話す。
種類の違う魔物が同じ方向へ進んでいたこと。途中でほぼ同時に立ち止まったこと。粒子はその場で消え、発生源は分からなかったこと。
ブラノールさんは口を挟まずに聞き、石積みの話になって初めて質問した。
「加工された石で間違いないか」
「継ぎ目が真っすぐで、大きさも揃っていました。端に縁のようなものもあります。ただ、入口かどうかまでは」
「術式は見えたか?」
「苔と土に覆われていて、そこまでは確認できませんでした」
ブラノールさんが頷く。
その隣で、セフィリアは地図を見つめていた。
「亀裂は、見当たらなかったんですね」
「俺が調べた範囲では。でも、黒い粒子は帝国で見たものに似てた」
「私たちが聞いた王都の鈴の異変も、同じです。粒子が現れて、しばらくすると消えたそうです」
「鈴は、まだ王都に?」
「はい。保管したままで、こちらへ運んだとは聞いていません」
なら、森で鳴ったものは何なのか。
俺は地図上の石積みを見る。
同じ形の鈴が、もう一つあるのだろうか。
それとも、あの音自体が別の何かなのか。
「魔物を動かしているのが鈴なら、奪えば止められるんでしょうか」
セフィリアの問いに、ブラノールさんはすぐには答えなかった。
「それを確かめる必要がある。音を止めれば解けるのか、別の反応を起こすのか、まだ分からん」
そう言って、俺を見る。
「触らずに戻ったのは正解だ。周りの魔物を斬れても、土の下まで見えるわけではないからな」
「はい」
『ちゃんと伝わったわね』
肩元で囁いたセレスに、僅かに頷く。
ブラノールさんは、石積みへ至る道筋を指でなぞった。
「次は三人で確認する。まず周辺を見て、魔物をどう排除するか決める。石積みに大きな衝撃を与える攻撃は避けるぞ」
「はい、師匠」
「案内します」
「頼む」
短い返事だった。
それだけで、次にやることがはっきりした。
支部長が、地図の写しを手元へ引き寄せる。
「こちらは警戒と、古い記録の確認を進めます。その場所に何か建っていた記録が残っているかもしれません」
「ああ。分かり次第、知らせてくれ」
ブラノールさんが席を立った。
俺も地図を畳み、荷物へ収める。
その時、セフィリアの腰にある剣が目に入った。
以前のものと、柄の形が違う。
「剣も変わった?」
「はい。師匠が用意してくださったんです。まだ試作品ですけど」
柄へ添えられた手は、よく馴染んでいるように見えた。
「使いやすそうだな」
「ええ。振った後、次へ動きやすくて」
嬉しそうな声だった。
詳しく聞いてみたかったが、ブラノールさんが扉を開けたので、続きは後にすることにした。
◇
ギルドの表へ出ると、入口近くにいた冒険者たちが姿勢を正した。
セフィリアが軽く会釈をすると、何人かが慌てて頭を下げる。
マルクもその中にいた。
俺へ何か言いかけたが、隣のブラノールさんを見て口を閉じた。
いつもの調子で声を掛けるには、少し勇気がいるらしい。
ブラノールさんは、その視線を気にした様子もなく歩いていた。
だが、建物の脇へ差しかかったところで足を止める。
「あれは、お前のか」
見ていたのは、魔導二輪だった。
「はい。借りているものですけど」
「入る時に気になっていた。馬なしで動くのだろう?」
「魔石で動きます。乗る人の魔力でも補えます」
ブラノールさんが車体へ近づいた。
握り手、座席、車輪の順に目を向け、少し屈んで下の機構を覗く。
「これで森まで行ったのか」
「林道の途中までです。根が増える辺りで止めて、そこから歩きました」
「王都からも?」
「はい。休憩を入れながらですけど」
ブラノールさんは車体の横へ立ち、握り手に軽く手を置いた。
背の高い人が隣に立つと、魔導二輪が少し小さく見える。
「なるほど」
何かを確かめるように頷く。
「俺も欲しい」
「……え?」
思わず聞き返した。
ブラノールさんは、至って真面目な顔をしている。
「どこで買える」
「いえ、これはアカデミアの試作品なので。まだ売っていないんです。俺は運用試験を頼まれていて」
「試作品か」
「はい」
「なら、二号機が必要だな」
俺が返事をする前に、ブラノールさんは踵を返した。
そのままギルドへ入っていく。
セフィリアと顔を見合わせた。
「……何をするつもりなんだろう」
「何となく、分かる気がします」
セフィリアの声には、既に諦めたような響きがあった。
後を追うと、ブラノールさんは受付に立っていた。
「王室へ連絡を取りたい。設備を借りられるか」
「は、はい。支部長をお呼びします」
受付嬢が奥へ向かう。
マルクが、俺の横へそっと寄ってきた。
「……何かあったのか?」
「二号機が欲しいらしい」
「何の?」
「外の」
マルクは入口へ目を向け、それからブラノールさんを見た。
口が少し開いたが、何も言わずに閉じた。
間もなく戻ってきた支部長に案内され、ブラノールさんは奥の連絡室へ向かった。
セフィリアと俺も、その後についていく。
王室への連絡がつながると、ブラノールさんはまず、現地で確認された魔物と石積みについて簡潔に伝えた。
王国騎士団長の声だった。
聞く側が迷わないよう、必要なことだけを順に告げている。
そして、報告を終えると続けた。
「加えて、アカデミアで開発している魔導二輪についてだ」
セフィリアが、僅かに目を伏せた。
「騎士団長による実地試験用として、二号機を優先的に手配してほしい。各地の亀裂への対応を考えれば、少人数で使える移動手段の検証は必要だ」
連絡の向こうから、何か確認する声が返る。
ブラノールさんは一度頷いた。
「製作状況を確認してくれ。完成しているなら、俺を試験担当として申請する。これからなら、次の一台を確保したい」
迷いがなかった。
「細かな調整は、担当者の説明を受けてからでいい。手配の返答はこちらの支部へ頼む」
連絡を終えたブラノールさんが、何事もなかったように振り返る。
「これでよし」
俺は、入口脇で立ったまま少し黙っていた。
欲しいと口にしてから、まだ大して時間が経っていない。
『王国騎士団長って、便利なのね』
セレスの囁きに、危うく頷きかける。
「師匠」
セフィリアが口を開いた。
「何だ」
「ご自分が乗りたいんですよね?」
「それもある」
即答だった。
「……それも、ですか」
「移動手段として有用だと思ったのも本当だ」
「最初は、欲しいとしかおっしゃっていませんでしたけど」
「説明は後でしただろう」
セフィリアが額へ手を当てた。
支部長は何とも言えない顔で、手元の連絡記録を整えている。
俺は咳払いをして、口元を隠した。
「レグルス。何か言いたいことがあるか」
「いえ。ただ、爺ちゃんのところへ来た時も、随分早かったなと思って」
「機会は逃さない方がいい」
ブラノールさんは、真顔でそう言った。
「師匠は、そういうところだけ本当に……」
セフィリアの言葉は、小さな溜息に変わった。
けれど、その横顔には笑みも混じっていた。
◇
表へ戻ったブラノールさんは、もう一度だけ魔導二輪を見た。
それから、森のある方へ顔を向ける。
「二号機を待つわけにはいかんな」
「それは、そうですね」
セフィリアの返事が、少しだけ早かった。
「ここから林道までは、馬を使う。お前はそれで先導してくれ。徒歩に切り替える場所で合流すればいい」
「分かりました」
「食事を済ませたら出るぞ。レグルス、足はまだ動くか」
「はい。問題ありません」
ブラノールさんの目が、俺の足元から顔へ戻る。
冗談を言っていた時とは違う視線だった。
「なら、案内を頼む。戻った時から何が変わったかも、見ておいてくれ」
「はい」
セフィリアが腰の剣を確かめた。
俺も荷物の留め具へ手を掛ける。
ギルドの中では、森に関する依頼書が掲示板から外され始めていた。
受付へ集まる冒険者たちの顔から、昨日の賑やかさが薄れていく。
マルクがこちらを見た。
俺が頷くと、何も尋ねず、短く頷き返してきた。
あの石積みの前では、今も魔物が集まっているのだろうか。
土の下で鳴った鈴は、何を呼んでいるのか。
今度は、その先を確かめに行く。
俺は魔導二輪の座席へ荷物を載せ、森へ続く道を見た。




