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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第九章 始まりの街、再び響く鈴
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第114話 森の奥へ続く足跡

 窓の外には薄い雲が広がっていた。

 屋根の向こうに見える森は、朝日に照らされて緑を取り戻している。昨夜、あれほど暗く見えた場所と同じとは思えなかった。

 窓を開けると、パンを焼く匂いが微かに届いた。


『よく眠れた?』


「ああ。寝台が広くて、ちょっと落ち着かなかったけど」


『途中から、そんなことも忘れていたみたいね』


 振り返ると、セレスが机の上で脚を揺らしていた。

 俺は肩を回し、身体の具合を確かめる。長く握り手を掴んでいた掌にも、腕にも、疲れは残っていない。

 部屋の空いた場所で、ゆっくりと足を運んだ。

 踏み出す前に身体を傾けず、足を置いたところへ重さを移す。爺ちゃんの足運びを思い返しながら、数歩進んで戻った。


『朝から熱が入りすぎないようにね』


「分かってる。今日は調査だ」


 腰に獅心を差し、地図を荷物へ収める。

 食堂で朝食を済ませてから、裏手の置き場へ向かった。


 魔導二輪に異常はなかった。

 車輪と留め具を確かめ、荷物を固定する。駆動を入れると、昨日と同じ低い音が足元で響いた。

 ギルドへ立ち寄ると、受付では既に仕事が始まっていた。

 夜の間に、新たな目撃報告はなかったらしい。


「まずは、マルクに教わった場所へ向かいます。そこから足跡を確認して、奥の様子を見てきます」


「承知しました。お戻りは夕方までの予定ですね」


「はい。状況が変われば、調査を切り上げて戻ります」

 受付嬢は頷き、手元の紙に書き込んだ。


「お気をつけて」


「行ってきます」


 外へ出ると、朝の通りを荷馬車がゆっくりと進んでいた。

 その後ろにつき、街の門へ向かう。


     ◇


 森へ続く道には、まだ朝露が残っていた。

 車輪が通るたびに、道端の草から雫が落ちる。畑が途切れ、木々が近くなると、風に湿った土の匂いが混じり始めた。

 林道へ入ってしばらく進んだところで、速度を落とす。

 道幅が狭くなり、地面を横切る根が増えていた。


「ここからは歩くか」


『そうね。音も、よく響くようになってきたわ』


 少し手前にあった平らな場所へ戻り、道を塞がない位置に魔導二輪を止める。

 駆動を切った途端、鳥の声が近くなった。

 必要な荷物を背負い直し、車体を確かめてから森へ足を向ける。

 枝の間から落ちる光が、地面にまだらな模様を作っていた。

 濡れた落ち葉。木の根のくぼみに溜まった水。遠くで何かが枝を揺らす音。

 入口の辺りは、以前歩いた森と変わらない。


 それでも、道を外れる前に一度立ち止まり、周囲へ意識を向けた。

 体内を巡る魔力は、少量のまま保っている。

 目に映るものと、耳に届く音を確かめてから進んだ。

 マルクに教わった目印は、すぐに見つかった。

 二股に分かれた幹。その脇を下る細い道。

 坂を下りきった場所で、草の倒れ方が変わっていた。


「……ここだな」

 膝をつき、地面を見る。

 柔らかな土に、深く割れた蹄の跡が残っていた。その横には、爪の先まで分かる別の足跡がある。

 大きさも、歩幅も違う。

 何度も踏まれたところでは形が崩れていたが、少し先へ目を移せば、また同じ二種類の跡が見つかった。


『どちらも奥へ向かっているわね』


「ああ」


 草が倒れた方向を追う。

 急に向きを変えた跡も、地面を激しく掻いた跡も見当たらなかった。

 木の皮には擦れた箇所があったが、争って幹へぶつかったような傷ではない。大きな身体が、狭い場所を通り抜けたのだろう。


「マルクの言ったとおりだ」


 種類の違う魔物が、同じ場所を通っている。

 しかも、追いかけ合って走った様子がない。

 地図を開き、目撃地点に短く書き添える。

 先へ進む前に、帰りに見分けられる木を確かめた。


『足跡だけに気を取られないでね』


「分かってる」


 立ち上がり、倒れた草の先へ目を向けた。


     ◇


 木々の向こうで、枝が折れた。

 足を止める。

 少し遅れて、落ち葉を踏む重い音が聞こえた。

 近くの幹へ身を寄せ、枝の隙間から覗く。

 低い茂みの間を、灰色の背中が動いていた。

 フォレストウルフだ。肩口の毛が逆立ち、口元から長い牙が覗いている。鼻を地面へ近づけることもなく、まっすぐ歩いていた。

 その先には、湾曲した二本の牙を持つファングボアがいた。

 太い首と、泥のこびりついた硬い毛皮。木の根を踏み越えるたび、重い胴が左右に揺れる。

 両者の距離は、互いの存在に気づかないほど離れてはいない。

 フォレストウルフは、無防備な後ろ脚へ飛びつこうとしなかった。

 ファングボアの方も、振り返って威嚇しない。


『見えるだけで三体。少し右にもいるわ』

 セレスの小さな声に、視線を動かす。

 灌木の向こうを、もう一体のフォレストウルフが通り抜けていった。


 獲物を追う動きではなかった。

 左右へ分かれて追い込む様子もなく、二体ともファングボアと同じ方へ進んでいる。

 距離を保ったまま、木陰を移った。

 足元の枝を避け、乾いた落ち葉の少ない場所へ足を置く。


 その時、先頭のファングボアが止まった。

 後ろのフォレストウルフも止まる。

 右側の一体まで、ほとんど同時に顔を上げた。


 俺も動きを止めた。

 耳を澄ませる。

 葉擦れの音がした。

 頭上で、小さな鳥が鳴いた。


 ほかには何も聞こえない。

 魔物たちはしばらく同じ方向を向き、それから、また歩き出した。

 足並みは揃っていない。それぞれの速さで、けれど進む先は変わらなかった。


「……何かに反応したな」


『ええ。でも、何を感じたのかまでは分からないわ』


「音か、魔力か……」


 セレスは森の奥を見たまま、首をわずかに傾けた。


『まだ決めつけない方がよさそうね』


 頷き、追跡を続けた。


 風が変わったのは、斜面の脇を回ろうとした時だった。

 頬を撫でていた風が止み、背中側から葉が揺れる。

 一番近くにいたフォレストウルフの鼻先が上がった。


 次の瞬間、黄色い目がこちらを向いた。

 唇が捲れ、牙が露わになる。

 低い唸り声とともに、後ろ脚が沈んだ。


 俺は柄へ右手を添えた。

 左足の先には、濡れた根がある。その外側に、土の露出した場所があった。


 フォレストウルフが地面を蹴った。


 幹の陰へ飛び込んでくる。

 開いた顎が、喉の高さに迫った。

 足を置き、身体をずらす。

 急いで上体だけを逃がさない。踏みつけた土が僅かに沈むのを足裏で受けながら、突進の線から外れる。


 同時に鞘を引いた。

 抜けた刃を、そのまま横へ通す。

 首の付け根に、確かな抵抗があった。

 足から腰、腕へと動きをつなぎ、刃先が抜けるところまで運ぶ。


 フォレストウルフは俺の脇を抜け、落ち葉の上へ崩れた。

 地面を滑った身体が根にぶつかり、止まる。

 俺の足は、最初に選んだ土の上に収まっていた。

 肩にも、腕にも、余計な力は残っていない。


 すぐに刀を戻さず、周囲へ目を向ける。

 ファングボアが振り返っていた。

 もう一体のフォレストウルフも、こちらを見ている。

 距離を詰めてくる様子はなかった。

 ファングボアの耳が動く。

 やがて森の奥へ顔を戻し、歩き始めた。

 残ったフォレストウルフは、倒れた一体を見た。

 鼻を鳴らし、数歩だけこちらへ寄りかける。

 だが、途中で足を止めると、ファングボアと同じ方向へ去っていった。


「……そっちの方が気になるのか」


 返ってくる唸り声はなかった。

 枝を押し分ける音だけが、遠ざかっていく。


『今の動き、覚えておいた方がいいわね』


「ああ。こっちに気づかなかったわけじゃない」


 襲ってくる一体もいれば、そのまま進むものもいる。

 すべて同じように動かされているわけではなさそうだった。

 それでも、奥へ向かおうとする何かがある。


 倒れたフォレストウルフを確かめる。

 毛皮にも目にも、外から分かるような異常はなかった。

 獅心の刃を拭い、納める。

 爺ちゃんとの修練を思い返したのは、その後だった。

 あの足の置き方が、今の場所でも使えた。

 以前なら大きく跳んで避けていたかもしれない。そうして根に足を取られれば、次の動きが遅れる。


『うまく通ったわね、今の一太刀』


「……ああ」

 柄から手を離す。

 確かめたいことはあったが、今は刀のことばかり考えている場合ではなかった。

 魔物たちが去った方向へ、足を向けた。


     ◇


 倒木を回り込んだ先で、黒いものが視界を横切った。

 虫かと思い、目で追う。

 それは木漏れ日の中を漂い、幹の前でふっと薄くなった。

 足を止めた。


「セレス」


『見えているわ』


 少し先にも、同じものがあった。

 煤のように細かな粒が、木々の間に散っている。

 火の匂いはしない。煙もない。

 風に運ばれているようで、葉の揺れとは違う方向へ動くものもあった。


 帝国で見た亀裂が、頭に浮かんだ。

 あの周囲にも、こんな黒いものが漂っていた。

 喉の奥に、僅かな不快感が残る。

 息を整え、周りを見回した。

 幹と幹の間には、普通に向こうの景色が見える。

 空間が裂けたような場所はない。


「似てるな」


『ええ。けれど、ここに亀裂が開いているようには見えないわ』


 セレスも、粒子の向こうを見つめていた。

 手を伸ばさず、その場で動きを観察する。

 一つの粒が淡くなり、消えた。

 続いて、枝の下に漂っていたものも見えなくなる。

 しばらく待つうちに、木漏れ日の中には何も残らなくなった。


「……消えた」


『出てきた場所は、見つけられなかったわね』


「ああ」


 幹に付着したものも、地面へ落ちたものも見当たらない。

 地図を取り出し、道筋を振り返って位置を記した。

 目印になる倒木と、近くの斜面の形も書き添える。

 足元には、魔物の足跡が続いていた。

 黒い粒子が漂っていた、その下を通っている。


「魔物が通っている場所で、粒子も出てるんだな」


『ええ。関係があるのか、もう少し確かめたいわね』


 地図をしまい、水を一口飲む。

 周囲の音を確かめ、再び歩き出した。


     ◇


 奥へ進むにつれ、足跡が増えた。

 横の斜面から下りてきたもの。茂みを抜け、今追っている跡へ重なるもの。

 蹄や獣の足跡に混じり、人の足に似た跡も現れ始めた。

 その一つは、俺の靴より遥かに大きかった。

 深く沈んだ足跡の縁で、湿った土が盛り上がっている。少し先には、何か重いものを引きずった跡もあった。

 腰を落とし、周囲を見渡す。


「獣だけじゃないな」


『大きなものも通っているわ。気をつけて』


 歩く速さを落とした。

 前方から、重い鼻息が聞こえる。

 その少し横では、硬いもの同士が擦れる音がした。

 近くの斜面へ回り、低い尾根に身を伏せる。

 葉の間から先を覗いた。

 斜面の下に、ファングボアがいた。

 片方の牙の先が欠けている。先ほど追っていた個体だ。

 その少し奥で、金属が擦れた。

 継ぎ合わせた鎧。縁の欠けた盾と、幅広の剣。

 ゴブリンナイトが二体、木々の間に立っていた。その脇には、骨飾りを下げた杖を握るゴブリンシャーマンの姿もある。


 俺は視線を動かした。

 さらに奥の幹から、赤い肩が覗いている。


「……レッドオーガまでいるのか」


 赤褐色の肌を覆う、分厚い筋肉。

 そいつは棍棒を片手に下げ、斜面へ顔を向けていた。足元をゴブリンシャーマンが通っても、目を向けようとしない。

 そこで、赤い肩の向こうにあった影が動いた。

 太い脚が、木々の間から踏み出す。

 ゆっくりと上へ視線を移した。

 盛り上がった背中と、太い首。その顔の中央に、大きな目が一つあった。

 サイクロプス。

 息を細く吐いた。

 さっき見つけた大きな足跡を思い返す。

 あれを残したのは、こいつだろう。


『随分、集まっているわね』


「ああ。これは、早く知らせた方がいい」


 ファングボアとフォレストウルフの移動だけではない。

 武装したゴブリンに、レッドオーガ、サイクロプスまでいる。

 これらが街の方へ動けば、採集の依頼を制限するだけでは済まなくなる。

 身体を伏せたまま、見える魔物の種類と数を確かめた。

 木々に遮られている場所もある。ここから見えているものですべてだとは限らなかった。

 ゴブリンナイトは盾を構えていない。

 ゴブリンシャーマンも、杖を掲げる様子はなかった。レッドオーガのそばを離れ、数歩進んでは、また同じ斜面へ顔を向けている。

 サイクロプスは根の張った地面に片膝をつき、大きな手を土へ置いた。

 ゴブリンたちが指示を出している様子もない。

 身体の大きさも種類も違う魔物が、互いを追い払うことなく、一か所に留まっていた。


『正面の斜面。根の下を見て』

 セレスの声に、視線を移す。


 土が崩れていた。

 その奥に、灰色の面が覗いている。

 最初は大きな岩に見えた。

 けれど、表面を追ううちに、直線の継ぎ目が分かった。


「……石積みか」


 大きさを揃えた石が、上下に重なっていた。表面には苔が広がり、太い根がその前を横切っている。

 崩れた土の下から見えるのは、ごく一部だけだ。

 地図に、建物を示す印はなかった。

 目を凝らすと、石積みの端に加工された縁が見えた。

 そこだけ僅かに奥へ引っ込んでいる。

 入口なのか。それとも、壁の一部なのか。

 ここからでは分からない。

 ファングボアが、石積みの前で足を止めた。

 鼻先を下げ、石の隙間へ近づける。

 横にいたゴブリンナイトが押され、盾を引いた。剣を持つ手が動いたが、振り上げることなく下がる。


「この辺りに、何かある」


『ええ。石積みの位置も記録しておきましょう』


 地形と、ここまでの経路を地図へ書き加える。

 魔物を倒して近づくことも考えた。

 だが、戦えば、この斜面や石積みを巻き込むかもしれない。土の下に何があるか分からない以上、今は手を出さずに持ち帰る方がいい。

 最後に、身体を起こさないまま周囲を見渡した。

 ほかの入口。新しく掘られた跡。人が通った道。

 見える範囲で、確かめられるものを探す。


 その時だった。


 ちりん、と。

 細い音がした。


 俺は動きを止めた。

 風に揺れていた枝が、ゆっくりと元へ戻る。

 ゴブリンシャーマンが顔を上げた。

 ゴブリンナイトも、ファングボアも、石積みへ向き直る。

 レッドオーガの棍棒が地面を擦った。

 最後に、サイクロプスが身を屈め、その一つ目を暗い隙間へ近づけた。


「……聞こえたか」


『ええ』

 セレスの返事は短かった。

 俺の肩で、まっすぐ斜面を見つめている。


 耳を澄ませても、続く音はなかった。

 目に見える場所に、鈴を持った者はいない。

 王都にある箱が脳裏をよぎる。

 封印された、あの鈴。

 けれど今の音は、確かにここで聞こえた。

 苔むした石積み。

 その下に広がる、土に隠れた暗がり。

 鈴の音は、地面の奥から響いてきたように思えた。

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