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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
第九章 始まりの街、再び響く鈴
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第113話 変わらない場所、変わった俺

 街道の先に、見覚えのある街並みが見えた。

 握り手を戻し、魔導二輪の速度を落とす。道の両脇に畑が増え、荷を積んだ馬車や、農具を担いだ人の姿が目につくようになっていた。

 ベルクラード。

 その名を胸の内で呟くと、自然と口元が緩んだ。


『着いたわね』


「ああ」


 門へ近づくにつれ、通りを歩く人たちがこちらを振り返る。

 魔導二輪は、やはり珍しいらしい。門で身分を確認された後も、乗り物についていくつか尋ねられた。


「アカデミアの試作品です。今、試験運用を頼まれていて」

 そう説明すると、門番は感心したように車体を眺めた。

 街の中では速度を出さないようにと念を押され、頷いて門をくぐる。

 車輪の下が石畳に変わった。

 振動が細かくなり、握り手を通して掌へ伝わってくる。

 店先に並ぶ野菜。軒先から吊るされた看板。道の真ん中で立ち話をする人たち。

 王都に比べれば、建物も通りも小さい。

 けれど、角を曲がる前から、その先に何があるのか思い出せた。


「ここ、変わってないな」


『そうね。あなたは随分変わったけれど』


「そうか?」


『前にこの道を歩いていた時のこと、思い出してみれば?』


 初めての依頼。手にした報酬。明日は何を受けようかと、帰り道でも考えていた。

 あの頃の自分を思い出しながら進むと、ギルドの看板が見えてきた。

 建物の脇で駆動を止め、車体を支える脚を下ろす。

 荷物の固定を確かめていると、入口近くにいた冒険者が、物珍しそうに寄ってきた。


「おい、それ何だ?」


「魔導二輪です。まだ試作品なんですけど」


「へえ……ん? お前、レグルスか?」


 顔を上げる。

 見覚えのある顔だった。


「お久しぶりです」


「帰ってきたのか! おい、中にマルクがいるぞ」


 その声に、扉の向こうで椅子を引く音がした。

 俺が入口へ向かうより先に、扉が開く。


「何だよ、外で騒いで――」

 顔を出したマルクが、俺を見て言葉を切った。


「……レグルス?」


「久しぶり」


「お前……本当に帰ってきやがった」


 マルクは俺の顔から腰の刀へ視線を下ろし、もう一度顔を見た。

 それから、にっと笑う。


「突っ立ってないで入れよ。聞きたいことが山ほどある」

 肩を叩かれ、俺も笑って頷いた。


 扉をくぐると、革と木と、食べ物の匂いがした。

 依頼書の貼られた掲示板。いくつか並んだ卓。奥の受付。

 懐かしい声が、あちこちから飛んでくる。


「レグルスじゃねえか」


「王都に行ってたんだろ?」


「外の乗り物、お前のか?」


 一度に尋ねられ、どこから答えればいいのか分からなくなる。

 マルクが笑いながら近くの椅子を引いた。


「とりあえず座れ。逃げやしねえよ」


「依頼で来たから、先に受付へ――」


「顔くらい見せていけって」

 その言葉に、受付から声が掛かった。


「こちらにも、ちゃんと見せてくださいね」


 顔を向けると、二人の受付嬢がこちらを見ていた。

 以前、何度も依頼書を差し出したカウンター。その向こうに二人が並んでいるだけで、急に、遠くへ出掛けていた実感が湧いた。


「お久しぶりです」


「お帰りなさい、レグルスさん」


「元気そうで安心しました。随分、雰囲気が変わりましたね」


「そうですか?」


「ええ。最初にここへ来た頃とは、立ち方から違いますよ」


 そう言われると、どこに手を置いていいのか分からなくなる。

 横でマルクが腕を組んだ。


「だろ? 俺も思ったんだよ。何かこう……落ち着いたっていうか」


「お前より落ち着いてるな」


「うるせえよ」


 卓の向こうから飛んだ声に、笑いが起きた。

 俺まで、つられて笑ってしまう。

 変わっていない。

 このやり取りも、誰かが帰ってくると自然と顔を上げるところも。


「そうだ。俺も一つ上がったんだぜ」


 マルクが胸元から冒険者証を取り出した。

 指で挟んで見せる仕草に、少し誇らしさが滲んでいる。


「ランク?」


「ああ。ようやくだけどな」


「おめでとう、マルク」

 そう言うと、マルクは鼻の下を指で擦った。


「まあ、俺だって遊んでたわけじゃねえからな。で、お前は?」


 受付に提出するため、俺も冒険者証を取り出す。

 覗き込んだマルクの視線が、刻まれたランクのところで止まった。


「……おい。もう、そこまで行ったのか」


 周りにいた何人かも、身を乗り出した。

 一瞬、言葉が途切れる。


「帝国を出る前に、上げてもらったんだ」


「帝国?」


「王都の後、いろいろあって」


「いろいろで済ませる距離じゃねえだろ、それ」

 マルクは呆れたように息を吐いた。

 冒険者証へもう一度目を向け、口の端を少し曲げる。


「……くそ。俺もようやく一つ上がったってのに」

 笑ってはいた。

 けれど、膝に置いた手が一度握られたのが見えた。

 何と返そうか迷った時、マルクが先に顔を上げた。


「でも、お前ならそうなるか」


「マルク?」


「毎日やってただろ。依頼が終わっても、刀振ってさ。よく飽きねえなって思ってた」


「……飽きることは、なかったな」


「知ってるよ」


 今度の笑いには、先ほどの硬さがなかった。


「悔しいけどな。お前が上がったって聞いて、嬉しいのも本当だ。おめでとう、レグルス」


「……ありがとう」

 思っていたより、小さな声になった。

 マルクは気にした様子もなく、俺の肩をもう一度叩いた。


「その代わり、後で話せよ。帝国まで行ったなら、面白い話の一つや二つあるだろ」


「一つや二つで済むかな」


「なら、なおさらだ」


 受付の二人が笑っている。

 俺は冒険者証と、王都で受け取った書類をカウンターへ差し出した。


「今日は、この依頼で来ました」


 書類を確認した受付嬢の表情が、仕事のものに変わる。


「伺っています。支部長がお待ちです」


 もう一人が書類を揃え、受付から出てきた。


「こちらへどうぞ。マルクさんも、お願いします」


「ああ」


 マルクが椅子から立ち上がる。

 俺の視線に気づくと、先ほどより低い声で言った。


「森のことだろ。俺も見たんだよ」


     ◇


 支部長は、机に広げた地図から顔を上げた。


「よく来てくれた、レグルス」


「お久しぶりです」


「ああ。話したいことはあるが、先に仕事の話をしよう」


 勧められた椅子に腰を下ろす。

 隣にマルクが座り、案内してくれた受付嬢が書類を机に置いた。

 地図には、森の中の数か所に印がついていた。

 街から森へ入る道には見覚えがある。けれど、印のいくつかは、以前の俺が足を踏み入れなかった奥にあった。


「黒い粒子の話は、王都で聞いたな?」


「はい。ただ、詳しい場所や、その後の状況までは」


「最初は、採集に出た冒険者の報告だった。木々の間に煤のようなものが漂っていたが、火も煙も見当たらなかったそうだ」


 支部長の指が、一つ目の印に触れる。


「その後、別の者からも似た報告があった。時間も場所も違う。見間違いとして片づけるわけにはいかなくなった」


「今も出ているんですか?」


「常に見えるわけではない。調べに行った時には何もなく、別の場所で目撃されることもある」


 王都の鈴から出た粒子も、既に消えていた。

 同じ現象なのか。

 少なくとも、一度現れて消えるという点は似ている。


「問題は、それだけじゃない」


 支部長がマルクを見る。

 マルクは頷き、身を乗り出した。


「魔物の動きがおかしいんだ」


「増えてるのか?」


「数も気になる。でも、それより向かう先だな。違う種類の奴らが、同じ方へ歩いてた」


 マルクの指が、地図の上を動く。


「この辺りで、道を横切るのを見た。最初は縄張りから追い出されたのかと思ったんだ。けど、その後ろから別の奴が来た」


「争わなかった?」


「ああ。近づきすぎはしねえんだけど、追い払おうともしない。普通なら、あんな距離で一緒に歩かねえ」


 俺は地図へ視線を戻した。

 支部長が、別の報告地点からも線を引く。

 ぴったり同じ場所に重なるわけではない。だが、どれも森の奥へ向かっていた。


「何かから逃げていたようには?」


「走ってなかった。時々止まって、また歩く。……気持ち悪かったよ。こっちが隠れてる間も、ずっと同じ調子でさ」


「追ったのか?」


 マルクは首を振った。


「少し見て、引き返した。奥からも物音がしてたし、連れもいたからな。何匹いるか分からねえ場所へ、一緒に突っ込む気にはなれなかった」


 隣に座るマルクを見る。

 さっき冒険者証を見せた時より、今の横顔の方が頼もしく思えた。


「戻ってくれてよかった」


「……おう」


「おかげで、何が起きてるか聞けたから」


 マルクは小さく頷き、地図から手を引いた。


「今のところ、街への襲撃や大きな被害は出ていない」

 支部長が話を継いだ。


「だが、このまま奥で集まり続ければ、どうなるか分からん。周辺の依頼は範囲を制限し、森に入る者にも注意を伝えている」


「今回の調査は、この移動先を確かめることですね」


「それと、黒い粒子との関係だ。何に反応しているのか、原因を突き止めてほしい」


 渡された依頼書に目を通す。

 粒子の発生地点の確認。魔物の移動経路と、その先の調査。

 原因と思われる魔具や封印を発見した場合は、状態と位置を記録して報告すること。


「魔物への対処は任せる。ただ、分からない物を見つけても、その場で動かしたり壊したりはしないでくれ」


「分かりました」


『何がつながっているか、確かめてからね』

 肩元でセレスが静かに言った。

 俺は頷き、もう一度、地図上の印を目で追う。


「それと、もう一つある」


 支部長が、机の端に置かれていた紙を取った。


「粒子を見た者の一人が、音を聞いている」


「音?」


「ああ。森の奥で、鈴が鳴ったそうだ」


 目を上げた。

 王都の応接室。

 術式の刻まれた箱と、留め具に掛かっていた封印の札が脳裏に浮かぶ。


「……鈴は、王都にありますよね」


「そのはずだ」


「ほかに持ち込まれた物は?」


「こちらでは確認していない。音を聞いたのも一人だけで、姿を見たわけではない」


 紙には、短い証言が記されていた。

 遠くで、一度。

 金属が触れ合うような、細い音。

 それだけなら、ほかの何かを聞き違えた可能性もある。

 だが、今は聞き流せなかった。


「明朝、調査に出ます。最初は、マルクが魔物を見た場所から確かめたいです」


「分かった。道順を写したものを渡そう」


 窓から入る光が、いつの間にか橙色を帯びていた。

 地図の細かな線を見るにも、灯りが欲しくなり始めている。


「今日は移動もあっただろう。休んで、明るくなってから入ってくれ。今夜、追加の報告があれば知らせる」


「お願いします」


 地図の写しと依頼書を受け取る。

 マルクが、森の入口から目撃場所までの道筋を指でなぞり、曲がる場所を一つずつ教えてくれた。

 俺は書き込みながら、その説明を頭に入れた。


     ◇


 受付へ戻ると、宿を決めているかと尋ねられた。


「まだです。前に泊まっていたところへ行こうかと思ってました」


「それでしたら、今回は、こちらはいかがですか」


 差し出された紙には、宿の場所が簡単に描かれていた。


「少し広いお部屋になりますが、落ち着いて休めます。裏に屋根付きの置き場もありますから、あの乗り物も預けられますよ」


「それは助かります」


「宿が決まったら、こちらでも連絡先として控えておきますね」


 礼を言い、紹介された宿へ向かうことにした。

 外へ出ると、マルクたちが魔導二輪の周りに立っていた。


「これで王都から来たのかよ」


「途中で何度か休んだけどな」


「馬なしで、車輪が二つ……倒れねえの?」


「止まってる時は支えがいる。走ってても、慣れるまではちょっと怖かった」


 跨って駆動を入れると、低い音に全員の視線が足元へ集まった。


「おお……」


『見せびらかして速度を出さないでよ』


「出さないって」

 小声で返し、マルクへ顔を向ける。


「話の続きは、また今度な」


「ああ。明日、気をつけろよ」


「ありがとう」


 ゆっくりと発進する。

 背中に飛んできた「転ぶなよ」という声に片手を上げかけ、すぐに握り手へ戻した。

 後ろで笑い声が上がった。


 夕方の通りには、仕事を終えて帰る人が増えていた。

 行き交う人の速度に合わせて進み、紹介された宿の前で止まる。

 手入れされた玄関には灯りがともり、開いた扉から煮込み料理の匂いが流れてきた。

 ギルドの紹介だと伝えると、宿の主人はすぐに部屋を用意してくれた。

 魔導二輪は、裏手にある屋根付きの置き場へ押して入れる。駆動を切り、姉さんに教わった通り留め具と車輪を確認した。

 長く走ったせいで、車体の下には細かな泥がついていた。


「明日、出る前にもう一度見るか」


『今日の気になったところも、忘れないうちに書いておきなさい』


「そうだな」


 荷物を外し、部屋へ上がった。

 扉を開けて、思わず足を止める。

 寝台と机があっても、まだ十分な空間があった。窓際には椅子が置かれ、荷物を広げる場所にも困らない。

 前に泊まっていた部屋なら、寝台の端へ座る時、刀の鞘を壁にぶつけないよう気をつけていた。


「……広いな」


『よかったじゃない。ゆっくり休めるわ』


 荷物を下ろし、獅心を外す。

 寝台へ腰掛けると、身体が柔らかく受け止められた。

 以前なら、最初に宿代を数えていた。

 何日泊まれるか。食事をつけるか。その分、どの依頼を受けるか。

 今日も値段は確かめた。けれど、払えると分かって、そのまま頼めた。


『何を笑っているの?』


「前は、こんな部屋に泊まると思ってなかった」


『これからは、休む場所を選ぶのも仕事のうちね』


「爺ちゃんにも、緩急が必要だって言われたしな」


『ようやく覚えたのかしら』


「覚えてるよ」


 セレスが楽しそうに笑った。


 食事を済ませ、部屋に戻ってから、魔導二輪の走りについて簡単に書き留めた。

 石畳では掌に細かな振動が残ること。長く乗っていると、座る位置を変えたくなること。

 書き終えた紙の横へ、明日の地図を広げる。

 入口から目撃地点までの道筋を確かめ、水や道具を揃えた頃には、窓の外が暗くなり始めていた。


 椅子を引き、窓辺へ寄る。

 少し開けると、涼しい風が頬に触れた。

 下の通りでは、店先の灯りが石畳を照らしている。

 家へ急ぐ足音。食堂から漏れる笑い声。誰かを呼ぶ声に、離れた場所から返事があった。

 その屋根の向こうに、森の稜線が見えた。

 昼間なら、見慣れた緑だったはずだ。

 今は木々の重なりが一つの黒い塊になり、薄明かりの残る空を縁取っている。


『レグルス?』


「……いや」


 何かの魔力を捉えたわけではなかった。

 殺気もない。ここから分かるような異常は、何もない。

 それでも、森へ目を向けたまま、しばらく動けなかった。


 支部長の言葉が頭をよぎる。

 森の奥で、鈴が鳴った。

 耳を澄ませても、聞こえるのは街の音だけだった。


「明日、確かめよう」


『ええ』


 窓を閉めるため、縁へ手を掛ける。

 明るい部屋の空気が背中に触れている。階下からは、食器の触れ合う音が聞こえた。

 帰ってきたのだと、さっきまで何度も思っていた。

 けれど、屋根の向こうに横たわる暗がりを見ていると、胸の奥に薄い冷たさが残った。

 懐かしい街のすぐそばで、あの森だけが、知らない場所のように見えた。

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