第113話 変わらない場所、変わった俺
街道の先に、見覚えのある街並みが見えた。
握り手を戻し、魔導二輪の速度を落とす。道の両脇に畑が増え、荷を積んだ馬車や、農具を担いだ人の姿が目につくようになっていた。
ベルクラード。
その名を胸の内で呟くと、自然と口元が緩んだ。
『着いたわね』
「ああ」
門へ近づくにつれ、通りを歩く人たちがこちらを振り返る。
魔導二輪は、やはり珍しいらしい。門で身分を確認された後も、乗り物についていくつか尋ねられた。
「アカデミアの試作品です。今、試験運用を頼まれていて」
そう説明すると、門番は感心したように車体を眺めた。
街の中では速度を出さないようにと念を押され、頷いて門をくぐる。
車輪の下が石畳に変わった。
振動が細かくなり、握り手を通して掌へ伝わってくる。
店先に並ぶ野菜。軒先から吊るされた看板。道の真ん中で立ち話をする人たち。
王都に比べれば、建物も通りも小さい。
けれど、角を曲がる前から、その先に何があるのか思い出せた。
「ここ、変わってないな」
『そうね。あなたは随分変わったけれど』
「そうか?」
『前にこの道を歩いていた時のこと、思い出してみれば?』
初めての依頼。手にした報酬。明日は何を受けようかと、帰り道でも考えていた。
あの頃の自分を思い出しながら進むと、ギルドの看板が見えてきた。
建物の脇で駆動を止め、車体を支える脚を下ろす。
荷物の固定を確かめていると、入口近くにいた冒険者が、物珍しそうに寄ってきた。
「おい、それ何だ?」
「魔導二輪です。まだ試作品なんですけど」
「へえ……ん? お前、レグルスか?」
顔を上げる。
見覚えのある顔だった。
「お久しぶりです」
「帰ってきたのか! おい、中にマルクがいるぞ」
その声に、扉の向こうで椅子を引く音がした。
俺が入口へ向かうより先に、扉が開く。
「何だよ、外で騒いで――」
顔を出したマルクが、俺を見て言葉を切った。
「……レグルス?」
「久しぶり」
「お前……本当に帰ってきやがった」
マルクは俺の顔から腰の刀へ視線を下ろし、もう一度顔を見た。
それから、にっと笑う。
「突っ立ってないで入れよ。聞きたいことが山ほどある」
肩を叩かれ、俺も笑って頷いた。
扉をくぐると、革と木と、食べ物の匂いがした。
依頼書の貼られた掲示板。いくつか並んだ卓。奥の受付。
懐かしい声が、あちこちから飛んでくる。
「レグルスじゃねえか」
「王都に行ってたんだろ?」
「外の乗り物、お前のか?」
一度に尋ねられ、どこから答えればいいのか分からなくなる。
マルクが笑いながら近くの椅子を引いた。
「とりあえず座れ。逃げやしねえよ」
「依頼で来たから、先に受付へ――」
「顔くらい見せていけって」
その言葉に、受付から声が掛かった。
「こちらにも、ちゃんと見せてくださいね」
顔を向けると、二人の受付嬢がこちらを見ていた。
以前、何度も依頼書を差し出したカウンター。その向こうに二人が並んでいるだけで、急に、遠くへ出掛けていた実感が湧いた。
「お久しぶりです」
「お帰りなさい、レグルスさん」
「元気そうで安心しました。随分、雰囲気が変わりましたね」
「そうですか?」
「ええ。最初にここへ来た頃とは、立ち方から違いますよ」
そう言われると、どこに手を置いていいのか分からなくなる。
横でマルクが腕を組んだ。
「だろ? 俺も思ったんだよ。何かこう……落ち着いたっていうか」
「お前より落ち着いてるな」
「うるせえよ」
卓の向こうから飛んだ声に、笑いが起きた。
俺まで、つられて笑ってしまう。
変わっていない。
このやり取りも、誰かが帰ってくると自然と顔を上げるところも。
「そうだ。俺も一つ上がったんだぜ」
マルクが胸元から冒険者証を取り出した。
指で挟んで見せる仕草に、少し誇らしさが滲んでいる。
「ランク?」
「ああ。ようやくだけどな」
「おめでとう、マルク」
そう言うと、マルクは鼻の下を指で擦った。
「まあ、俺だって遊んでたわけじゃねえからな。で、お前は?」
受付に提出するため、俺も冒険者証を取り出す。
覗き込んだマルクの視線が、刻まれたランクのところで止まった。
「……おい。もう、そこまで行ったのか」
周りにいた何人かも、身を乗り出した。
一瞬、言葉が途切れる。
「帝国を出る前に、上げてもらったんだ」
「帝国?」
「王都の後、いろいろあって」
「いろいろで済ませる距離じゃねえだろ、それ」
マルクは呆れたように息を吐いた。
冒険者証へもう一度目を向け、口の端を少し曲げる。
「……くそ。俺もようやく一つ上がったってのに」
笑ってはいた。
けれど、膝に置いた手が一度握られたのが見えた。
何と返そうか迷った時、マルクが先に顔を上げた。
「でも、お前ならそうなるか」
「マルク?」
「毎日やってただろ。依頼が終わっても、刀振ってさ。よく飽きねえなって思ってた」
「……飽きることは、なかったな」
「知ってるよ」
今度の笑いには、先ほどの硬さがなかった。
「悔しいけどな。お前が上がったって聞いて、嬉しいのも本当だ。おめでとう、レグルス」
「……ありがとう」
思っていたより、小さな声になった。
マルクは気にした様子もなく、俺の肩をもう一度叩いた。
「その代わり、後で話せよ。帝国まで行ったなら、面白い話の一つや二つあるだろ」
「一つや二つで済むかな」
「なら、なおさらだ」
受付の二人が笑っている。
俺は冒険者証と、王都で受け取った書類をカウンターへ差し出した。
「今日は、この依頼で来ました」
書類を確認した受付嬢の表情が、仕事のものに変わる。
「伺っています。支部長がお待ちです」
もう一人が書類を揃え、受付から出てきた。
「こちらへどうぞ。マルクさんも、お願いします」
「ああ」
マルクが椅子から立ち上がる。
俺の視線に気づくと、先ほどより低い声で言った。
「森のことだろ。俺も見たんだよ」
◇
支部長は、机に広げた地図から顔を上げた。
「よく来てくれた、レグルス」
「お久しぶりです」
「ああ。話したいことはあるが、先に仕事の話をしよう」
勧められた椅子に腰を下ろす。
隣にマルクが座り、案内してくれた受付嬢が書類を机に置いた。
地図には、森の中の数か所に印がついていた。
街から森へ入る道には見覚えがある。けれど、印のいくつかは、以前の俺が足を踏み入れなかった奥にあった。
「黒い粒子の話は、王都で聞いたな?」
「はい。ただ、詳しい場所や、その後の状況までは」
「最初は、採集に出た冒険者の報告だった。木々の間に煤のようなものが漂っていたが、火も煙も見当たらなかったそうだ」
支部長の指が、一つ目の印に触れる。
「その後、別の者からも似た報告があった。時間も場所も違う。見間違いとして片づけるわけにはいかなくなった」
「今も出ているんですか?」
「常に見えるわけではない。調べに行った時には何もなく、別の場所で目撃されることもある」
王都の鈴から出た粒子も、既に消えていた。
同じ現象なのか。
少なくとも、一度現れて消えるという点は似ている。
「問題は、それだけじゃない」
支部長がマルクを見る。
マルクは頷き、身を乗り出した。
「魔物の動きがおかしいんだ」
「増えてるのか?」
「数も気になる。でも、それより向かう先だな。違う種類の奴らが、同じ方へ歩いてた」
マルクの指が、地図の上を動く。
「この辺りで、道を横切るのを見た。最初は縄張りから追い出されたのかと思ったんだ。けど、その後ろから別の奴が来た」
「争わなかった?」
「ああ。近づきすぎはしねえんだけど、追い払おうともしない。普通なら、あんな距離で一緒に歩かねえ」
俺は地図へ視線を戻した。
支部長が、別の報告地点からも線を引く。
ぴったり同じ場所に重なるわけではない。だが、どれも森の奥へ向かっていた。
「何かから逃げていたようには?」
「走ってなかった。時々止まって、また歩く。……気持ち悪かったよ。こっちが隠れてる間も、ずっと同じ調子でさ」
「追ったのか?」
マルクは首を振った。
「少し見て、引き返した。奥からも物音がしてたし、連れもいたからな。何匹いるか分からねえ場所へ、一緒に突っ込む気にはなれなかった」
隣に座るマルクを見る。
さっき冒険者証を見せた時より、今の横顔の方が頼もしく思えた。
「戻ってくれてよかった」
「……おう」
「おかげで、何が起きてるか聞けたから」
マルクは小さく頷き、地図から手を引いた。
「今のところ、街への襲撃や大きな被害は出ていない」
支部長が話を継いだ。
「だが、このまま奥で集まり続ければ、どうなるか分からん。周辺の依頼は範囲を制限し、森に入る者にも注意を伝えている」
「今回の調査は、この移動先を確かめることですね」
「それと、黒い粒子との関係だ。何に反応しているのか、原因を突き止めてほしい」
渡された依頼書に目を通す。
粒子の発生地点の確認。魔物の移動経路と、その先の調査。
原因と思われる魔具や封印を発見した場合は、状態と位置を記録して報告すること。
「魔物への対処は任せる。ただ、分からない物を見つけても、その場で動かしたり壊したりはしないでくれ」
「分かりました」
『何がつながっているか、確かめてからね』
肩元でセレスが静かに言った。
俺は頷き、もう一度、地図上の印を目で追う。
「それと、もう一つある」
支部長が、机の端に置かれていた紙を取った。
「粒子を見た者の一人が、音を聞いている」
「音?」
「ああ。森の奥で、鈴が鳴ったそうだ」
目を上げた。
王都の応接室。
術式の刻まれた箱と、留め具に掛かっていた封印の札が脳裏に浮かぶ。
「……鈴は、王都にありますよね」
「そのはずだ」
「ほかに持ち込まれた物は?」
「こちらでは確認していない。音を聞いたのも一人だけで、姿を見たわけではない」
紙には、短い証言が記されていた。
遠くで、一度。
金属が触れ合うような、細い音。
それだけなら、ほかの何かを聞き違えた可能性もある。
だが、今は聞き流せなかった。
「明朝、調査に出ます。最初は、マルクが魔物を見た場所から確かめたいです」
「分かった。道順を写したものを渡そう」
窓から入る光が、いつの間にか橙色を帯びていた。
地図の細かな線を見るにも、灯りが欲しくなり始めている。
「今日は移動もあっただろう。休んで、明るくなってから入ってくれ。今夜、追加の報告があれば知らせる」
「お願いします」
地図の写しと依頼書を受け取る。
マルクが、森の入口から目撃場所までの道筋を指でなぞり、曲がる場所を一つずつ教えてくれた。
俺は書き込みながら、その説明を頭に入れた。
◇
受付へ戻ると、宿を決めているかと尋ねられた。
「まだです。前に泊まっていたところへ行こうかと思ってました」
「それでしたら、今回は、こちらはいかがですか」
差し出された紙には、宿の場所が簡単に描かれていた。
「少し広いお部屋になりますが、落ち着いて休めます。裏に屋根付きの置き場もありますから、あの乗り物も預けられますよ」
「それは助かります」
「宿が決まったら、こちらでも連絡先として控えておきますね」
礼を言い、紹介された宿へ向かうことにした。
外へ出ると、マルクたちが魔導二輪の周りに立っていた。
「これで王都から来たのかよ」
「途中で何度か休んだけどな」
「馬なしで、車輪が二つ……倒れねえの?」
「止まってる時は支えがいる。走ってても、慣れるまではちょっと怖かった」
跨って駆動を入れると、低い音に全員の視線が足元へ集まった。
「おお……」
『見せびらかして速度を出さないでよ』
「出さないって」
小声で返し、マルクへ顔を向ける。
「話の続きは、また今度な」
「ああ。明日、気をつけろよ」
「ありがとう」
ゆっくりと発進する。
背中に飛んできた「転ぶなよ」という声に片手を上げかけ、すぐに握り手へ戻した。
後ろで笑い声が上がった。
夕方の通りには、仕事を終えて帰る人が増えていた。
行き交う人の速度に合わせて進み、紹介された宿の前で止まる。
手入れされた玄関には灯りがともり、開いた扉から煮込み料理の匂いが流れてきた。
ギルドの紹介だと伝えると、宿の主人はすぐに部屋を用意してくれた。
魔導二輪は、裏手にある屋根付きの置き場へ押して入れる。駆動を切り、姉さんに教わった通り留め具と車輪を確認した。
長く走ったせいで、車体の下には細かな泥がついていた。
「明日、出る前にもう一度見るか」
『今日の気になったところも、忘れないうちに書いておきなさい』
「そうだな」
荷物を外し、部屋へ上がった。
扉を開けて、思わず足を止める。
寝台と机があっても、まだ十分な空間があった。窓際には椅子が置かれ、荷物を広げる場所にも困らない。
前に泊まっていた部屋なら、寝台の端へ座る時、刀の鞘を壁にぶつけないよう気をつけていた。
「……広いな」
『よかったじゃない。ゆっくり休めるわ』
荷物を下ろし、獅心を外す。
寝台へ腰掛けると、身体が柔らかく受け止められた。
以前なら、最初に宿代を数えていた。
何日泊まれるか。食事をつけるか。その分、どの依頼を受けるか。
今日も値段は確かめた。けれど、払えると分かって、そのまま頼めた。
『何を笑っているの?』
「前は、こんな部屋に泊まると思ってなかった」
『これからは、休む場所を選ぶのも仕事のうちね』
「爺ちゃんにも、緩急が必要だって言われたしな」
『ようやく覚えたのかしら』
「覚えてるよ」
セレスが楽しそうに笑った。
食事を済ませ、部屋に戻ってから、魔導二輪の走りについて簡単に書き留めた。
石畳では掌に細かな振動が残ること。長く乗っていると、座る位置を変えたくなること。
書き終えた紙の横へ、明日の地図を広げる。
入口から目撃地点までの道筋を確かめ、水や道具を揃えた頃には、窓の外が暗くなり始めていた。
椅子を引き、窓辺へ寄る。
少し開けると、涼しい風が頬に触れた。
下の通りでは、店先の灯りが石畳を照らしている。
家へ急ぐ足音。食堂から漏れる笑い声。誰かを呼ぶ声に、離れた場所から返事があった。
その屋根の向こうに、森の稜線が見えた。
昼間なら、見慣れた緑だったはずだ。
今は木々の重なりが一つの黒い塊になり、薄明かりの残る空を縁取っている。
『レグルス?』
「……いや」
何かの魔力を捉えたわけではなかった。
殺気もない。ここから分かるような異常は、何もない。
それでも、森へ目を向けたまま、しばらく動けなかった。
支部長の言葉が頭をよぎる。
森の奥で、鈴が鳴った。
耳を澄ませても、聞こえるのは街の音だけだった。
「明日、確かめよう」
『ええ』
窓を閉めるため、縁へ手を掛ける。
明るい部屋の空気が背中に触れている。階下からは、食器の触れ合う音が聞こえた。
帰ってきたのだと、さっきまで何度も思っていた。
けれど、屋根の向こうに横たわる暗がりを見ていると、胸の奥に薄い冷たさが残った。
懐かしい街のすぐそばで、あの森だけが、知らない場所のように見えた。




