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星すら斬るまで、俺は振り続ける  作者: ゆ
幕間 勇者、己が剣を求めて
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外伝 第9話 勇者、守り抜く光

 鉄の靴が、石畳を踏んだ。

 次元の亀裂から現れた魔族は、全身を黒い騎士鎧で覆っていた。

 肩から垂れたマントが、異界から吹き込む風に揺れている。

 右手には、一振りの剣。

 飾りの少ない、幅広の刀身だった。


 黒い兜が僅かに動く。

 斬り伏せられた魔物たち。

 石畳へ刻まれた、深い剣の跡。

 そして、長剣を手に立つブラノール。

 魔族はそれらを順に見渡した後、足を止めた。


「あれを斬ったのは、貴様か」


「そうだ」

 ブラノールが答える。


 魔族は剣を持ち上げ、切っ先を正面へ向けた。


「我が名はヴァルカス。伯爵級下位《ブラックナイト》に列する者だ。貴様の名を聞こう」


「ヴァルディア王国騎士団長、ブラノール」


 魔族にも、身分や階級があるのだろうか。

 その言葉がどれほどの力を示すのか、私には分からない。

 分かったのは、剣を構える動きに隙が見えなかったことだけだ。

 リュミエールで戦った魔族は、影から次々と刃を生み出した。

 目の前のヴァルカスは、ただ一本の剣を構えている。

 それなのに、踏み込めば斬られると思った。


「勇者様」

 隣から、小さく声をかけられた。


 槍を持つ若い騎士が、亀裂の下端を示している。

 私は頷いた。

 団長が、あの魔族を引き受けてくれた。

 私は、自分にできることをしなければならない。


 ブラノールが動いた。

 一歩で間合いを詰め、長剣を斜めに振り下ろす。

 ヴァルカスの剣が、それを受けた。

 耳の奥へ響くような金属音。

 黒い鉄靴が石畳を擦り、身体が後方へ押し下げられる。

 けれど、ヴァルカスは倒れなかった。

 受けた剣を傾けて長剣を流し、すぐさま喉元へ突きを返す。


 ブラノールは半歩だけ身体をずらした。

 切っ先が襟の横を抜ける。

 その剣へ下から長剣が触れ、跳ね上げた。

 続く踏み込みが、ヴァルカスを亀裂の正面から押し退ける。


「今だ。進め」

 団長の声に、私は足を踏み出した。

 右脚を庇い、大きく踏み込みすぎないようにする。

 前を行く盾持ちの騎士が、倒れた木箱を避けた。

 槍を持つ騎士が私の横へ並ぶ。


 背後で、再び剣がぶつかる音がした。

 振り返りたい。

 けれど、私は亀裂を見た。

 黒い縁が、地面のすぐ上でゆっくりと揺れている。

 その向こうでは、赤黒い雲の下に岩山が浮いていた。

 近づくにつれて、肌へ触れる風が冷たくなる。

 私は足を止め、騎士剣を両手で握り直した。


          ◇


 刀身を包む白金色の光が、黒い縁へ触れた。

 剣を打ち合わせた時のような衝撃はなかった。

 代わりに、両腕から何かを引かれる感覚があった。


「……っ」

 柄を握る指へ力を込める。

 光が刀身から伸び、亀裂の縁を伝っていった。

 黒い線が、細くなる。

 剣先の前にあった異界の景色が消え、その奥にあるはずの貨物倉庫の壁が見えた。


「閉じている……」

 隣の騎士が呟いた。


 私にも見えていた。

 できる。

 先ほどと同じだ。

 私は剣へ流す魔力を増やした。

 白金色の光が強く膨らむ。

 亀裂の縁が、一気に押し戻された。

 けれど、それと同時に胸の奥が空くような感覚が走った。


 息が詰まる。

 刀身の周囲から、光の粒が幾つも零れ落ちていた。

 これでは、最後まで持たない。

 慌てて流れを弱めようとする。

 今度は光が細くなりすぎ、亀裂の動きが止まった。

 黒い縁が、剣先へ押し返してくる。

 私は歯を食いしばった。

 少なくしようとしても、思った量にならない。

 止めようとすれば、必要な分まで消えてしまう。

 アリシアの研究室で試した時と、同じだった。


「勇者様、下がりますか」


「……少し、待ってください」

 私は息を吐いた。


 急に強くしない。

 まずは、今の光を途切れさせないこと。

 剣先を見る。

 白金色の光が触れている場所から、黒い線が少しずつ退いていく。


 その先へ、また光が伝わる。

 左右へ分かれた光は、亀裂の縁を辿りながら上へ伸びていた。

 剣の届かない高さでも、黒い輪郭が僅かに縮んでいる。


「このまま、続けます」


「承知しました」


 盾持ちの騎士が、私の前方から外側へ向き直った。

 槍の穂先が、亀裂の向こうを警戒する。


 背後で、短く鋭い音が続いた。

 剣と剣。

 鉄靴が地面を蹴る音。

 団長は、まだ戦っている。

 私も、手を止めるわけにはいかなかった。


          ◇


「その光か」

 低い声が聞こえた。


 亀裂の左側で、黒いマントが翻る。

 視界の端に、こちらへ兜を向けるヴァルカスが見えた。

 幅広の剣が、低く引かれる。

 嫌な予感がした。

 私が身体を強張らせた瞬間、黒い刃が横へ振り抜かれた。

 石畳の砂が弾ける。

 薄い弧を描く斬撃が、地面すれすれを走ってきた。


 私の前へ、団長が入った。

 長剣が斜めに下りる。黒い弧が砕け、風が左右へ抜けた。

 青い上衣の裾が、激しくはためいた。


「こちらを見ろ」


 ブラノールは剣を返し、そのままヴァルカスへ踏み込んだ。

 金属音が響く。

 黒い鎧が、再び私から遠ざかった。

 息を止めていたことに気づく。

 団長が、守ってくれた。

 私は剣先へ視線を戻した。

 光が弱くなっている。

 慌てて魔力を流し直すと、止まりかけていた亀裂の縁が再び動き始めた。


「上だ!」

 今度は、右側から声が飛んだ。


 黒い翼を持つ魔物が、亀裂の中から飛び出してくる。

 矢が翼へ突き刺さった。

 体勢を崩した魔物が、私たちの前へ落ちる。

 爪が石畳を掻き、顔が上がった。


 剣を向けなければ。

 そう思った時には、盾持ちの騎士が前へ出ていた。

 突き出された爪を盾で受け止める。

 その脇から、若い騎士の槍が伸びた。

 穂先が喉元を貫く。

 魔物が暴れ、盾へ何度も爪を打ちつけた。

 私は柄を握る手を動かしかけた。


「こちらは任せてください!」

 若い騎士が叫んだ。


 別の騎士が駆け寄り、魔物の首へ剣を振り下ろす。

 黒い身体が動かなくなった。

 私は、亀裂へ向けた剣をそのまま保った。


「……お願いします」

 小さく答える。


 私が剣を引けば、亀裂を閉じる光も止まってしまう。

 皆さんは、それを知って守ってくれている。

 ならば、私は続けよう。

 左右から伸びた白金色の光が、亀裂の上端へ近づいていた。

 赤黒い空の見える範囲が、少しずつ狭まっていく。

 握った柄が、汗で滑りそうだった。


          ◇


 ひときわ高い金属音が響いた。

 思わず、目だけを左へ向ける。

 ヴァルカスの剣が、団長の長剣と噛み合っていた。

 黒い刀身に、暗い光が纏わりついている。

 鎧に覆われた両腕が剣を押し込む。

 団長は、その正面に立っていた。

 左目は眼帯に覆われたままだった。

 押し合っているように見えたのは、一瞬だけだった。

 団長が足を動かす。

 長剣の角度が変わり、黒い剣が身体の横へ流れた。

 ヴァルカスもすぐに剣を返す。

 低い位置から、脇腹を狙った斬り上げ。

 団長の長剣がそれを受け、外へ押し開いた。

 続く動きは、速すぎて見えなかった。


 短い閃き。

 鎧を断つ、重い音。

 ヴァルカスの肩から胸へ、一本の線が走っていた。

 黒いマントが裂け、後方へ落ちる。

 剣を持つ腕が、僅かに下がった。

 それでも、ヴァルカスは足を踏み出した。

 切っ先がブラノールの胸へ向く。

 ブラノールの長剣は、すでに戻っていた。

 突きを横へ払い、そのまま兜と胸甲の間を斬り抜ける。

 ヴァルカスの動きが止まった。

 鉄靴が、一歩だけ石畳を擦る。

 剣が手から落ちた。

 続いて、黒い鎧が膝をついた。

 重い音を立て、身体が横へ倒れる。


 私は息を呑んだ。

 団長が教えてくれたとおりだった。

 一撃目で終わらなくても、次の剣がある。

 その次にも、剣が続く。

 けれど、私が訓練場で繰り返している動きとは、速さも、正確さも、何もかもが違っていた。


「周囲を確認しろ。まだ終わっていない」

 ブラノールの声が響いた。


 騎士たちが応じる。

 私は正面を見た。

 亀裂は、残っていた。

 ヴァルカスが倒れても、赤黒い空は消えていない。

 向こう側では、まだ幾つもの影が動いている。

 私は剣を握り直した。

 今度は、私が終わらせる番だった。


          ◇


 光が、亀裂の輪郭を囲んだ。

 縁に沿って伸びた白金色の線が、少しずつ内側へ寄ってくる。

 異界の景色が細くなる。

 その向こうから、長い腕が伸びた。

 黒い指先がこちらへ出るより早く、横から飛んだ炎の槍が魔物を押し戻した。


「続けてください!」

 背後の声に頷く。


 頷いた拍子に、額の汗が頬を伝った。

 両腕が重い。

 剣を構えているだけなのに、何十回も振り続けた後のようだった。

 右脚へ体重がかかり、傷のあった場所が痛む。

 私は足を動かそうとした。

 靴の踵が、石畳の継ぎ目へ引っかかる。


「足元、段差があります」

 隣の騎士が言った。


 私は一度足を浮かせ、置き直した。

 左脚へ少し多く体重を預ける。

 剣先が揺れたものの、光は途切れなかった。


「セフィリア」

 団長の声が、すぐ近くで聞こえた。


「あと、どのくらい続けられる」


「正確には……分かりません」


 息を継ぐ。

 強がって答えてはいけない。

 身体の中へ意識を向けた。

 剣へ流れていく魔力は、まだ感じられる。

 リュミエールで極光を失った時の、何も残っていない感覚とは違う。


「腕は疲れています。右脚も、少し痛みます。でも、魔力はまだ残っています」


「亀裂は狭まっている。このまま続けられるか」


「はい」


 団長は、私の顔を見た。

 私は目を逸らさず、もう一度頷いた。


「続けられます」


「分かった。変わったらすぐに言え」


「はい、団長」


 ブラノールが、亀裂の脇へ立つ。

 長剣の切っ先が、向こう側を向いた。

 私は呼吸を整えた。

 焦らなくていい。前も、横も、守ってくれている。

 残っている黒い隙間を見る。

 もう、魔物が身体を通せるほどの幅はなかった。

 それでも、黒い縁は白金色の光を押し返してくる。

 細くなり、また少し広がる。

 そのたびに、剣を通して両腕へ重みがかかった。

 早く終わらせたい。

 一気に力を込めれば、閉じられるかもしれない。

 そう考え、すぐに先ほどの感覚を思い出した。

 光だけが大きく膨らみ、魔力が零れていった。

 今、同じことをすれば、最後の少しを残して力尽きるかもしれない。


 私は柄を握り直し、同じように流し続けた。

 上手くできているのかは分からない。

 刀身からは、今も光が零れている。

 それでも、黒い隙間は狭まっていた。

 浮かぶ岩山が見えなくなる。赤黒い雲が、細い筋になる。

 冷たい風が、途切れ途切れに頬へ触れる。


 あと少し。

 私は小さく息を吐いた。

 白金色の光が、左右から重なった。

 最後に残っていた黒い線が、震える。

 細く。

 さらに、細く。

 そして、消えた。

 剣先にかかっていた重みがなくなった。

 私は慌てて魔力を止める。

 刀身を包んでいた光が薄れ、銀色の刃が現れた。


 正面には、倉庫の壁があった。

 その上には、青い空。

 赤黒い雲も、浮かぶ岩山も、どこにも見えない。

 頬を撫でた風は、川の匂いがした。


「……閉じた」

 自分の声が聞こえた。


 しばらく、誰も何も言わなかった。

 やがて、背後から報告が響いた。


「次元の亀裂、消失を確認!」


 別の場所から、声が返る。


「上空、異常なし!」


「東側、残存魔物の討伐完了!」


 剣を下ろす。

 腕が震え、切っ先が石畳へ触れそうになった。

 私は両手で持ち直した。

 隣の騎士が、そっと肘へ手を添えてくれた。


「大丈夫ですか」


「はい。少し、腕が……」


「もう構えなくて大丈夫ですよ」

 そう言われて、ようやく肩の力が抜けた。


 団長が、私の前へ来た。


「終わったぞ」


 その言葉を聞いた途端、胸の奥が熱くなった。

 私は、もう一度空を見上げた。

 本当に、何も残っていなかった。


          ◇


 貨物倉庫の壁際へ移動し、私は用意された木箱へ腰を下ろした。

 騎士剣は、鞘へ戻して横に置いてある。

 何も持っていないのに、指はまだ柄を握っているように曲がっていた。

 一本ずつ、ゆっくり開いていく。

 治癒術師が右脚の状態を確認し、包帯を巻き直してくれた。


「傷が開いたわけではありません。ただ、今日はもう走らないでください」


「分かりました」


「魔力も随分使っていますね。しばらく休んで、水を飲んでください」


 差し出された水筒を、両手で受け取る。

 口をつけると、自分がどれほど喉を渇かせていたのか分かった。


 少し離れた場所では、ブラノールが騎士たちから報告を受けていた。

 倉庫の捜索。

 負傷者の搬送。

 避難した人々への連絡。

 亀裂が消えても、まだ多くの仕事が残っている。

 私も何か手伝った方がいいのだろうか。

 そう考えて立ち上がりかけたところで、団長と目が合った。


「休んでいろ」


「……はい」


 私は木箱へ座り直した。

 隣で、誰かが小さく笑った。

 振り向くと、槍を持つ若い騎士が立っていた。

 穂先には刃こぼれがあり、鎧の肩には深い爪の跡が残っている。


「お怪我はありませんか」


「打ち身くらいです。治癒術師にも診てもらいました」


「よかった……」


 亀裂へ向かっている間、ずっと側にいてくれた。

 私が見ていなかったところでも、何度も魔物を止めてくれたのだと思う。


「あの、倉庫にいた方たちは」


「全員、避難しています。荷車に挟まれていた方も、南側の救護所へ運びました」


「そうですか」


 水筒を持つ手が、少し緩んだ。

 若い騎士は、亀裂のあった場所へ目を向けた。


「正直、いつまで続くのかと思っていました」


 石畳には、戦いの跡が残っている。

 壊れた木箱。折れた矢。深く刻まれた剣の跡。


「倒しても、また出てくる。住民を逃がした後、どこまで下がればいいのかも分からなかったので」


 若い騎士が、私へ向き直る。


「閉じてくださって、ありがとうございました」


 胸の奥が、僅かに詰まった。

 リュミエールでも、同じように感謝された。

 その時の私は、受け取ることができなかった。

 自分の力が足りなかったことばかり考えていた。

 今も、足りないものは沢山ある。

 ヴァルカスとは戦えなかった。

 極光を無駄なく使うこともできなかった。

 それでも、亀裂を閉じることはできた。


「こちらこそ、守ってくださってありがとうございました」


 私は、若い騎士の顔を見て答えた。


「おかげで、最後まで続けられました」


 若い騎士は少し驚いた顔をした後、笑った。


「また必要な時は、お任せください」


「はい」

 今度は、私も笑うことができた。


          ◇


 空の色が傾き始めた頃、王都へ戻る準備が整った。

 少し休んだことで、指の震えは治まっていた。

 私は騎士剣を腰へ佩き、木箱から立ち上がった。

 右脚へ体重をかける。

 鈍い痛みは残っているものの、歩けないほどではない。

 団長が、私の足元を見た。


「歩けるか」


「はい。ゆっくりなら」


「なら、ゆっくり来い」


 ブラノールが高速魔導艇へ向かって歩き出す。

 私はその後を追った。急いで追いつこうとはせず、一歩ずつ足を運ぶ。

 少し進んだところで、団長が私を振り返った。


「今日のことは、王都で詳しく聞く」


「亀裂を閉じた時のことですか」


「ああ。どこへ光を当てたのか。どの程度消耗したのか。覚えているうちに記録を残す」


「分かりました」


 アリシアにも、話したかった。

 分からないことが増えたと言っていたけれど、今日のことが何かの手がかりになるかもしれない。

 どう説明すれば伝わるだろう。

 剣を通して感じた重み。

 光が黒い縁を伝っていったこと。

 考えていると、団長が口を開いた。


「それと」


「はい」


「よくやった」


 足が止まりそうになった。

 団長は、それ以上何も言わなかった。

 ブラノールが再び前を向く。

 私は少しだけ俯き、息を整えた。


「……ありがとうございます、団長」


 声は、思っていたより小さくなった。

 それでも、届いたと思う。

 高速魔導艇の前では、従騎士たちが待っていた。

 差し出された手を借り、段差を上がる。

 艇へ乗り込む前に、私は一度だけ振り返った。

 貨物集積地の向こうに、フルーヴィアの外壁が見える。

 川には、避難に使われた船が戻り始めていた。

 船着き場から、人を呼ぶ声が聞こえてくる。

 私はその景色を、しばらく眺めた。

 そして、腰の剣へそっと手を添えた。


 今日は、守れた。

 そう思いながら、私は艇の中へ入った。

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